第11話『就寝中』


 暗い夜道を歩きティコの家にたどり着いた時にはもうフラフラになっていた。体中の筋肉が疲労物質を発しているようだ。すでに歩くのもしんどい……。


「やっと着いた……」

「何だよ、にーちゃん。今にもぶっ倒れそうじゃねえか」


 ティコが呆れたように声を上げる。


「もう疲れた……」

「しょうがねえな、ベッドは隣の部屋だぜ」

「うん、ごめん。先に寝る……」


 俺はそう言いながら隣の部屋の扉を開けて、窓際に置いてあるベッドへと倒れ込んだ。

 ふかふかとは言い難い麦藁の上にシーツを敷いただけの様なベッドだが、洗い立てのシーツと乾草の香りが漂っている。ああ、これはダメな奴だ……。一気に頭の回転が鈍くなり始めた。

 ベッドの端に置いてあった毛布を体にかけて目をつぶった。


 今日は本当に色々あった……。

 いきなり気が付いたら異世界に居て、変な生き物に襲われた。

 森を歩いて抜けて王都に着いて公園でワークロに襲われた。

 ティコに助けてもらって一緒に食事して宿を探して家に来た。

 それから、お風呂に……。


 そう言えば他人とこんなにも長く一緒に居たのは一体いつぶりだろう……。いや、これが初めてなのかもしれない。たった一日で一年分の出来事が押し寄せてきた気がする……。一生に一度有るか無いかの出来事……いや、無いだろう普通! どうして、こうなった!

 そして、俺の意識は遠のいた……。




 ――んん、なんだか暑くて寝苦しいな……。不意に目が覚めた。

 窓を閉じている木戸の隙間から見える外の景色がわずかに明るい。夜明け前の時間だろうか。


 ――あれ? 何か生暖かいものが小脇に横たわっている? 何だろう?

 暗闇に目を凝らしてみる。毛布の中に何かいる?


 あっ! ティコだった……。


「おい、ティコ起き……「とうちゃん……」んぐ……」


 ああ、そうだ、俺は多分勘違いしていた。

 ティコは見た目元気一杯で不安とかを感じさせないが、実際には年端もいかない少女なのだ。そんな少女が一人で暮らし、そして戦争が始まろうとしている。そんな状況で孤独や不安を感じないはずは無いのだ。

 だから彼女は俺に手を差し伸べた。そして、俺に善くしてくれた。きっと彼女の孤独がそうさせたのだ……。


「ティコ……」


 俺は彼女の頭を優しい手つきでそっと撫でた。


「ん?」


 ティコは薄目を開けた。


「きゃあ! な、何でにーちゃんがあたいのベッドに居るんだー!」


 ――へっ? あっれー?


「も、もしかしてあたいを襲う気か! あたいはまだ子供だから相手できねーぞ!」


 顔を真っ赤にさせて怒鳴るティコ。


 流石にそんな犯罪紛いな事は俺はしない。年端もいかない子供に手は出さない。


「いや、違うぞティコ。お前が俺のベッドにもぐりこんできたんだぞ」

「ん? あれ? そっか最近はいつも親父のベッドで寝てたからつい間違えた。てへ」

「おい!」


 可愛く言っても駄目だ。俺の感動を返せ。


「悪い、悪い……」


 そう言いながらティコはそそくさと自分の部屋へと帰っていった。

 それからは何事もなく朝を迎えた。



 表にあるトイレで用を済ませ、井戸に行って水を汲んできた。家に戻ってくるとティコは例の米茶を淹れて待っていた。


「お茶入ったぜ、にーちゃん」

「おう、あんがと。なあ、ティコはいつも朝ご飯はどうしてんだ」


 俺は朝はしっかり食べる派だ。桶に汲んできた水を水瓶に移し替えながらそう聞いた。


「うーん、いつもなら港に言って漁師の炊き出し一緒に貰ってるけど、今日はそもそも漁に誰も行ってねえからな……。うーん、市場の方に行けばどっかの店が開いてると思うけど……」

「よし、それならこれから市場に行ってみよう」

「うん、お茶飲んでからな」


 二人でまったりとお茶を飲み、後片付けをしてからウエストバッグだけ身に着けて日の出門市場へ向けて歩き出した。

 人気の少ない朝の一般兵士の宿舎街。一人の若奥さんだけが家の前を箒で掃いていた。


「なあ、ティコ。さらに人が減ってないか」

「うん……」

「皆どこへ行ったんだ」

「街道が閉鎖されてるから街の外には行けないし……。うーん、避難所のある神殿か高い壁で覆われてる色町じゃないかな」

「何だと……。色町だと……」


 ――そ、そんな素敵な場所があったのか!


「うん、町の北西の外壁の一角にあるんだぜ。高い壁に囲われてるし、宿もあるからお金のある人はそっちに行ったんじゃないかな」

「ふーん」


 よし、そこには後で必ず行ってみよう!


 俺たちは裏路地を歩き市場へと向かった。

 通りに面したお店はどこも閉まっている。昨日僅かに開いていた魚屋や八百屋も今日は店じまいのようだ。


「ちぇ! せめてパン屋だけでも開いてると思ったんだけどな」


 ティコが閉まっているお店の前でつぶやいた。


「先の広場まで行ってみようぜ」

「うん」


 二人でぶらぶらと商店街を歩き、いつも露天市が立つという日の出門近くの広場までやってきた。数は多くないが人が居る。幾人かが広場の地面に敷物を敷き、商品を広げて売っている。ん? あの赤い実は……。


「リンゴだ!」


 思わず声に出して叫んでしまった。


「何だよにーちゃんリンゴがそんなに珍しいのかよ。この辺じゃよくある果実だぜ」

「ん、そうか……」


 リンゴがある事にも驚いたが、リンゴがリンゴとして翻訳されていることにも驚いた。ワークロやメロウは翻訳されないのに……。どいう仕組みなのだろう? まあ、いいか。とりあえず保存食としていくつか買っておこう。

 俺はリンゴを売っているお爺さんに近づき声をかけた。


「そのリンゴ十個くれ」

「あいよー」


 おじいさんは手慣れた手つきでリンゴを十個紙袋に入れて差し出した。


「銅貨一枚だ」


 俺はお金を払い紙袋を受け取った。その隙に横からティコが話しかける。


「なあ、爺さん。あんたこの街の近くの農家だろ。家に帰らなくていいのか」

「ああ、門が閉じちまって出れねえだよ。それに、荷物を持ったままじゃ逃げられねえから少しでも今のうちにお金に換えておきてえんだ」

「え? 日の出門まで閉じちまったのか」

「んだ、もうこの戦が終わるまで街からは出れねえだ」

「そっか、ありがとうな爺さん」


 そして、俺たちはその場を去った。それから、広場の隅にあるベンチへ腰かけ朝食の代わりにリンゴを食べることにした。


「これは、いよいよまずい事になったかもしれねえな」


 真面目な顔をしたティコがつぶやいた。


「ん? どういう事だ」

「わかんねえのかよ、にーちゃん。こんなに早くに門を閉じちまったってことは、これから街に立てこもって〝籠城戦〟を始めるんだよ」

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