第33話『帰る場所』
その歌声は夜半まで続いた。その頃になると大方の火事は収まり街は夜の帳を取り戻しつつあった。
外からは兵士たちの靴音だけが大きく響いて来る。三人一組で巡回している様子を頻繁に見かける。例のチェインメイルだけでなく白いマントの人影も見かけるようになった。
「にーちゃん。これ、食べるか」
薄明りの中、ティコはそう言って紙に包まれたものを自分のバックから取り出した。どうやら一度眠り気落ちしていたのはある程度回復したようだ。俺はティコからその包みを受け取って開いてみた。それはあの集会所で食べたブリトーだった。
「マルエラおばさんから渡されてたんだ」
ちょっと悲しそうな表情でティコは言った。
「そうか……」
実際には数時間前の出来事なのに、もう数日経ってしまったような感覚がある。俺はそのブリトーを両手でしっかりと掴み齧り付いた。
「そんで、にーちゃん。これからどうすんだ」
「そうだな……」
このままいつまでも此処に居続ける事は出来ない。しかし、現状では敵兵の巡回が厳しくおいそれと表に出ることは危険である。それに、ここを出てここより安全な場所は……俺には一つしか思い浮かばない。
「……なあ、ティコ。お前はどうしたい」
「あたいか……。うーん、家はもう燃えちまったみたいだし、しばらくは兵士から身を隠しながら生活して、その後は空き家でも見つけてそこで暮らすことになると思うよ」
「この街を離れるつもりは無いか」
「街を離れてどこへ行くつもりなんだよ。隣国かい。あたいは嫌だよ。敵国なんだから」
「いいや、もっと遠くだ」
「遠く? 中央帝国とか?」
「いや、もっと遠くだ。戦争が無くて、食べるものに困らなくて、あったかい寝床がある場所だ」
「遠くは嫌だな……。戦争が無いのはいいけど、あたいはこの街で生まれてこの街で育ったんだ。だから、遠くに離れるのは嫌だよ」
そう言ってティコは寂しげな表情を見せた。
「そうか……」
ティコは嫌だと言った。正直な事をいえば今の俺には判断が出来ない。
俺から見ればこの世界は危険に満ちていて、いつも死と隣り合わせだと感じている。しかし、その分自分が今、生きていると実感できる。それに比べて俺の居た日本は生きて行くことは容易い。しかし、生きているという実感はまるで無かった……。それでも俺は無理やりでもティコを連れ帰る方が正解なのだろうか?
「なあ、にーちゃんはどうしたいんだ」
「どうって……。うん、今、迷ってる」
「それは自分の国に帰るかどうかで迷ってるって事なのか」
「うん」
「あたいは帰るべき場所があるなら帰る方が良いと思うよ」
「帰るべき場所か……」
果たして日本は俺の帰るべき場所なのだろうか……。両親と離れて一人暮らし。人間関係で揉めて最後には人に裏切られて前の仕事は辞めてしまった。それからは、ずっと自宅であるアパートで引き籠り同然の一人暮らし。時折、日雇いのアルバイトをしながら貯金を食いつぶして生きてきた。果たして、そんな世界が俺の帰るべき場所と呼べるのだろうか……。
「でも、にーちゃんは明日の昼までにアウケラス神殿の跡地に行かないといけないんだろ」
「なっ! どうしてそれを知っている!」
思わず俺は声を荒げた。
「さっき魔法を使って女の人と話してただろ」
――しまった! この通信機は骨伝導式だった! そう言えば通信があったときにティコの肩に手を置いていた。その所為で音が伝わってしまったのだ。だけど、あの時、俺は日本語を話していたはず……。
「内容はわからないはずだろ……」
「女の人の言ってる言葉はわからなかったけど、にーちゃんの言ってることの意味はわかったよ」
「……」
翻訳機能が働いた……仕事しすぎだ。
「まあ、仕方ない」
今更ティコに黙っていてもしょうがない。
「なあ、あたいが跡地の近くまで船を出してやるよ」
「しかし、敵兵が追ってきたらどうする」
「大丈夫だよ、にーちゃん。隣国には海が無いから櫓の船は動かせないんだ。矢だけ避ければ港から湾に出れるはずだよ。ただ、問題はどうやって船まで行くかだよ」
外は頻繁に兵が巡回している。見つからずに移動するのは難しいかもしれない。だけど……。
「いや、それについては俺に少し考えがある」
「そうなのかよ、だったら、夜が明ける前の暗い内に……」
「いや、夜明けだ……」
夜明けと同時に聖女奪還作戦が始まる。俺には確信に近いものがある。それは、須佐英雄と建比良鳥を見たから言える。この二人は元来、隠れて行動するような性格ではないはずだ。それでもその二人が今は静かに潜伏をしている……。
「……夜が明けると同時にきっと騒動が起こる。移動はその様子を見てからにしよう」
「でも、本当に起こるのかよそんな騒動。敵兵の警戒が緩むような騒動が」
「うん、多分起きる。もし、そうならなかったら大人しくここに隠れてやり過ごそう」
「それって、にーちゃん帰れなくなるんじゃ無いのか」
「それでいい」
「そっか」
そう言ってティコは口をつぐんだ。
場合によっては日本へ帰る事が出来なくなるかもしれない。だけど俺にとってはそれはさほど重要な事に思えなかった。
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