第25話『真名』
成る程、聖女には傷を癒す力がある。無理して聖女の方を探さなくても、怪我人の行方を追えばたどり着けるという訳だ。しかし……。
もしかすると、会社の連中はこうなるという事が分かっていたというのだろうか?
まるで、狙いすましたかのように戦争が始まり怪我人が出た。これは最初からこうなるとわかっていなければできない行動だろう。一体どういう仕組みなのだ? まあ、作戦に参加していない俺には関係ない話だが……。
その時、街の外壁の上に明かりが灯った。ポツポツと明かりが増えていく。恐らく外壁の上で
「きれいだね」
扉の隙間から外を覗いたティコが呟く。
これが戦場の明かりでなければ俺も素直にそう思えただろう。だが悲しい事にこれは暗闇で敵を見つけるための明かりなのだ。近づく敵兵を矢で射殺す明かりである。
「さて、晩飯でも作るか」
俺はティコには答えず、キッチンに立ち夕食の準備を始めた。
フライパンに貝の残りを並べ昨日貰ってきたお酒を振りかけ酒蒸しにする。塩と鷹の爪で味付けする。
次にタマネギを薄くスライスし、鍋に油を敷いて炒める。色が付き始めたら水と魚粉を入れてお塩で味を調える。オニオンスープの完成だ。
貰ってきた堅パンにバターのようなものをつけて頂く。このバターはどうやら発酵バターの一種のようだ。濃厚なバターの風味に軽やかな酸味を感じる。
最後にデザートのリンゴを切って仕上げる。よし……。
「「頂きます!」」
二人でそろって食事を始めた。
「なあ、ティコ。先程の話の続きだが俺の持っている通行証を使って王城へ避難するというのはどうだろう」
「それは無理だぜ、にーちゃん。神殿と王宮は別物なんだぜ。王宮から見ればいちいち政治に口出して来る神殿は目の上のたん瘤みたいな存在さ。特にこのホーネス王国は国王の権威が強いから神官の意向は無視される。ましてやにーちゃんは巡礼者の扱いだから全く相手にされないぜ」
「そうか……だったら逆に神殿で見せたらどうなる」
「きっと大騒ぎになって通行証を取り上げられる。なにせ一目見ただけで本物とわかる聖紋なんてどんだけ希少な物かわかんない」
「そ、そうなのか」
「最悪、宗教戦争に発展してもおかしくない代物だよ。扱いとしてはアウケラス教の所有している聖遺物と同等かそれ以上だよ」
「うむ……」
ままならぬ。これはそんなに危険な代物だったのか……。おいそれと人に見せるのも躊躇われる。奪われた挙句に拉致監禁などシャレにならない。
「なあ、だったらお前だけでも神殿に保護してもらう事は出来ないのか」
「あたいだけ……」
ティコは一瞬考えこみ神妙な面持ちで語り始めた。
「前に言ったろ、あたいはどこの神殿でも洗礼を受けてないんだ。だから
「真名?」
「神様に付けてもらう名前だよ。それが無いとどこの宗派にも改宗できないんだ」
「それって今からもらう事は出来ないのか」
「出来るよ。簡単だよ。孤児院に行って神の子になればいい」
「だったら、そうすれば良いじゃないのか」
「ティレイ・アーバインそれがあたいの名前だよ。でも神の子になるというのはそれを捨てる事なんだ」
「……」
俺は言葉を失った。名前を捨てる……。
ティコを見ていればわかる。ティコは死んだ親父さんの事が好きなのだ。だからこれまで孤児院にもいかず一人で頑張ってきたのだ。それを今更というのはわからないでもないが……。
「それに、にーちゃん。神殿で神様に守られるのは神官だけで一般信者は保護されないんだぜ。避難したとしてもあんま意味ねーよ」
そうだった、忘れていた。
「せめてどこかに身を隠せるところはないのか」
「うーん。身を隠すのとは違うけど神殿に行かない人たちなら、多分、港の集会所に集まってると思うよ」
「だったら、そこへ避難しよう」
「今からかよ……。今から行っても寝床を確保できねーぞ」
「だったら、明日だな。朝になったら避難しよう」
「うん、わかった……」
でも、どうしたのだろう? ティコは少し暗い表情で頷いた。何かあるのか?
それでも今、家に閉じこもっている状態は不安が募る。とにかく情報が欲しいのだ。人が居るのなら何らかの情報が集まるだろう。俺は食事を終え後片付けを始めた。
その後、いつでも出発できるように必要なものを集め荷物をまとめた。ちなみに俺はボストンバッグの中身を着替えだけを残し、他はアイテムボックスパンドーラへ仕舞い込んだ。
流石、収納無限のアイテムボックス。仕組みはよくわからないがこのウエストバッグの口に入るものならいくら仕舞い込んでも大きさも重さも変わらない。本当に一体どんな仕組みなのだろう? 今度海に投げ込んでどうなるか試してみたい。
流石に今晩は体を洗う事は躊躇われたので、お湯を沸かして体をタオルで拭いておいた。そして、早めに就寝することにした。
何故か当然のようにティコがベッドに居る……。
「戦の時は眠れる時に眠るもんだぜ。にーちゃんも早く寝なよ」
すました顔でティコが言う。
――いや、わかってるんだけど……。まあ、いいか。
俺はティコから体を少し離しベッドで横になった。
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