第30話『秘密基地』


 皆が一斉に移動を始めた。手当たり次第に荷物をあさり、それを抱えて入口へと殺到した。悲鳴と叫び声が方々から上がっている。


 もう、俺にはどうしようもない……。いや、神殿に避難するのが間違いとは言い切れない。あそこに行けば神官とやらが住人をしっかりと守ってくれるかもしれない。非戦闘員として保護してもらえるかもしれない。今の俺には判断が付けられない。


「ティコ」

「あたいは神殿には行かない……。にーちゃんだけで行ってくれ」


 ティコは少し俯き寂しそうにそう答えた。


「はぁ? こんな時に何言ってる?」

「あたいは……神殿の敷地へ入れない理由があるんだ……」

「それは、真名が無い事と関係してるのか」

「うん……。詳しくは話せないけどそんなとこ……。だから、にーちゃんだけ避難してくれよ」

「……」


 今にして思えば、ティコは何かと理由をつけて神殿に行きたくない素振りしていたのかもしれない……。多分、それに俺が気が付かなかっただけなのだ。一体どういう理由で……。いや、今はそんな事はどうでもいい。これからどうするか考えなくては……。


「だったら……ティコ。さっき言ってた身を隠せる場所を教えてくれ。一緒にそこに行こう」


 俺も通行証の件があるし多分そちらが正解だ。


「うん」


 俺たちは作業場を通り抜け裏口から外へ出た。西の空を見上げると門の方角からは真っ黒な煙がもくもくと上がっていた。街のあちこちから石畳を走る靴音が響き、叫び声が聞こえて来る。


「こっちだぜ、にーちゃん」


 ティコはそう言うと集会所の裏庭の壁によじ登った。高さ一メートル五十センチほどのレンガ積みの壁。そこに俺も後に続いてよじ登り、乗り越えた。


 倉庫街の裏路地に飛び降りた。レンガの壁に挟まれた細い路地。俺たちは東に向かって走り出した。道は碁盤の目の様になっており細い路地と太い路地が交互に通っている。二本目の太い路地……。その手前でティコは急に立ち止まった。


「どうした?」

「しぃー、静かに。にーちゃん、あれ見て」


 ティコは路地に顔だけ出して呟いた。俺も上からそっと通りを覗いた。

 太い路地の数ブロック先に三人の人が居る。上半身に銀に輝くチェーンメイル。手には細くて長い剣を持っている。この街の兵士では無いようだ。さらに数名が地面に横たわっているのが見えた。


「隣国の兵士だよ。もうこんなとこまで来てる」


 囁くようにティコが呟く。


 一人が剣を振り上げ地面に倒れている人に向けて、それを振り下ろした!


 ――あっ! 人が殺される……。


 地面に倒れているのは兵士ではない。この街の住人のようだ。女性らしき人が倒れているのも窺える。

 まるで現実感の無い光景……。恐怖心すら湧いてこない。まるで舞台劇でも見ているかのようだ……。路地にどす黒い血液が流れていく。


 この兵士たち明らかに様子が変だ。三人共に体中に矢が刺さったままでせわしなげに辺りをうろつきまわり大声をあげている。狂戦士とみて間違いないだろう。

 そう言えば、薬物依存者は疲れも感じなくなると聞いたことがある。こいつらは恐らく門を突破してそのままここまで走ってきたのだろう。


「にーちゃん、ここは駄目だ。一本前の道を行こう」

「うん」


 俺たちは気付かれないようにそっと身を引き、一本手前の細い路地を南へと走った。すぐに駅のプラットホームのような魚河岸が見えてきた。突き当りの壁を左へ曲がる。もう一度、先程の太い路地に出た。

 ティコが立ち止まりそっと通りを窺う。


「距離があるから大丈夫だと思う。にーちゃん一気にいくよ」

「わかった」


 俺たちは通りに躍り出た。五メートルほどの路地を全速力で駆け抜けた。


 ――どうだ? 気づかれた様子はない。俺たちはそのまま壁伝いに東へと走った。


 突然、ティコが立ち止まり右の石積みの壁に手を付けた。ロッククライミングの要領でするすると二メートルほどの壁を登っていった。


「にーちゃん、こっちだ」


 俺も張り出した石に指をかけ後に続いた。壁の内側は背の高い雑草の生えた空き地だった。その空き地の先に崩れかけたレンガの建物が見える。


「こっち」


 ティコは容赦なくその藪の中へと飛び込んだ。人の背丈ほどもある藪の中へその姿が消えていく。俺も意を決して飛び込んだ。

 ティコは顔の前にバッグを掲げ藪の中を一直線に突き進んでいく。俺は両腕で顔面をガードして後に続いた。すぐにレンガの瓦礫の上に出た。


 ――これは……。何かの工場の跡地だろう。東と南の壁は大きく崩れその上に屋根が落ちている。


 ティコは迷わず隙間からその屋根の下へともぐりこんだ。光の差し込まない薄明りの中、中腰になったままで這うようにして前進する。一番奥のレンガの壁に突き当たった。ティコの姿がそのレンガの壁の中へと消えた。

 近づいてみるとそのレンガの壁は二重になっており、隙間に二階へ上がる階段が設けてあった。俺は階段を上った。

 そこは、落ちた屋根の間に四畳ほどの板の間が残っているスペースだった。


「大人たちは危ないから入るなって言うけど。ここがあたいの隠れ家だぜ、にーちゃん」


 うん、どうやらここはティコの秘密基地のようだ……。

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