第26話

 太陽光の反射が眩しい。口からは白い息が出る。

 空は抜けるように青く、雲ひとつなかった。


「ぜっこうの登山日和だな!」

「そうですね」

「……」


 上機嫌のテーリヒェン師とは違い、寒さに震えながらイザングランはコートを首元にかき寄せた。リザードマンは寒さが苦手なのに、首をひねりたかったが、寒さでそれどころではない。

 耳当て、マフラー、断熱コート、手袋、帽子、とイザングランと装備は変わらない。アレクだって同じなのにイザングランのように寒がっているようには見えなかった。

 冬休み終盤、新学期を目前に控えたアレクとイザングランは新学期の準備をしつつ、のんびりまったりとすごしてた。そんな二人の部屋に応用魔術の教員であるバプティスト・テーリヒェンが押しかけてきたのは昨日のことだ。

 開口一番「熊狩るぞ!!」とのたまい、準備をするよう促してきた。

 雪山が狩場だと聞いて、イザングランはもちろん参加する気などなかった。だが、アレクが行くならイザングランも行く。

 寒いのは嫌だし、体も動かすのも苦手だが、アレクが行くならイザングランは行くのだ。


「ブルデュー、ガードナー、これ持ってろ」


 テーリヒェン師が投げてよこしたのは小型の魔道具だった。腕輪型のそれをつけて魔力を流すと、肌を刺していた冷たい空気が遮断され、イザングランは縮めていた首をようやく伸ばすことが叶い、ほう、と息を吐く。アレクのほうはテーリヒェン師が配慮してくれたようで、魔石に魔力を充てん済みであったらしい、問題なく作動していた。


「はあ……、寒かった」

「だなあ」


 テーリヒェン師に渡されていたクロスボウを担ぎなおすアレクにイザングランは疑念の視線を向ける。


「アレクも平気そうな顔をしてたじゃないか」

「実家でも降るからな。でも寒いもんは寒いぞ」

「それもそうか」

「こっちだ! 罠は仕掛けといたんだ!」


 ウキウキと俺たちゃ少年探検隊♪ とでも歌い出しそうな足の軽やかさで前を進むテーリヒェン師の後をついていく。時折、杖代わりのハルバートで雪をつついて深さを確かめるテーリヒェン師を見て、自分も杖を持ってくればよかった、と思ったイザングランである。


「罠を仕掛けたなら僕たちはいらないんじゃないか……?」

「まあまあ。バイト代出るからいいじゃねーか。熊鍋もご馳走してくれるって言うし」

「熊鍋……」


 イザングランにとって肉といえば牛か豚か鳥に魚、たまに魔獣なのだが、熊肉は初めてだ。テーリヒェン師があそこまで上機嫌なのだからよほど美味しいのだろう、とイザングランは少しだけ気分を浮き立たせた。昼食に期待が募る。

 ざっくざっくと戦闘で雪をかき分けて進むテーリヒェン師についてひたすら山道を進んでいく。

 罠を仕掛けた場所まで転移する訳にはいかないのだろうか。ハルバートを持ち、背には何が入っているのかやたらめったら大きいリュックを背負うテーリヒェン師や、鍋や食材、燃料など、重量のある荷物を背負っているアレクと違って、イザングランが背負うのは小ぶりの薬缶と茶葉などの茶器類だったのだが、慣れない山道に雪道と、一番先に息が上がってしまった。


「荷物持つか?」

「いい……大丈夫だ……」


 ぜえはあ、息を大いに乱しながらの返答だったので信憑性は皆無だったろうが、アレクはそうか、と引き下がってくれた。だが、テーリヒェン師は見逃してくれなかった。


「ちゃっちゃと行くぞー」


 イザングランはひょい、とテーリヒェン師の肩に担がれ、アレクに情けない姿を披露するハメになった。当然、暴れたのだが、疲労と不安定さで不発に終わる。


「おろしてください、テーリヒェン師……」

「おとなしく担がれとけ。いざってときに動けないと死ぬぞ」

「……はい」


 ぐうの音も出ない正論だった。

 肩の上からアレクと目が合う。気まずそうに苦笑いされ、イザングランは無事テーリヒェン師の肩に沈んだ。腹が痛まないよう絶妙に保護されているのがまた憎らしい、これでは腹の痛みを理由に降ろせとも言えない。

 自分にもっと体力があれば、とイザングランは明日からトレーニングを増やす決意をした。


***


「テーリヒェン師、これが熊ですか?」

「ああ! 新鮮でウマイぞ!」


 新鮮というか、まだ生きていた。

 辺りを震わせる咆哮を上げ、威嚇をしており、片足を引っ張り上げられ宙ぶらりんになっているのに、根性のある熊系魔獣だった。


「熊というか、魔獣ですが」

「モンブラノスは美味いぞ!」


 そういう問題じゃない。

 真っ白な毛皮のモンブラノスはアレクよりも体の大きいテーリヒェン師よりもさらに図体が大きい。おそらくふつうの熊の1.5倍ほども縦にも横にも巨大だと思われた。イザングランがモンブラノスを見たのは初めてで、普通サイズの熊も見たことはないのだが。

 あれだけの巨躯をぶら下げていてもびくともしない鎖はいったいなんでできているのだろう。


「グオオオオオオオオオオ!」

「あれはまだ元気いっぱいだが、通常は弱らせてから血抜きをする」

「グオオオオオオオオオオ!」

「血抜きの有無で肉の美味さが違ってくるからな!」

「グオオオオオオオオオオ!」

「血抜きは大事だぞ!」


 モンブラノスの雄叫びをコーラスに心を躍らせて解説するテーリヒェン師にさっさと黙らせてほしい、とイザングランは切に願った。耳が痛い。


「テーリヒェン師、あのモンブラノスはまったく弱っているように見えないのですが、どうやって弱らせるのですか?」

「魔術や魔道具、薬といろいろ方法はあるが、俺の場合は殴って気絶させてから頸動脈を切るな」

「俺んとこは反撃が怖いからとにかく絶命させてから血抜きだなー。斧かハンマーで頭潰してから心臓から出てるぶっとい血管を切る」


 どちらもイザングランにはとうていできなさそうだった。

 吊られているモンブラノスは地上五メートルほどの上空にいるのである。どうやってそこまで飛び上がれというのか。モンブラノスの頭を潰せる斧もハンマーも持ち上げられる気がしない。


「どーだ、ブルデューもやるか? 初血抜き!」


 いつも独りで狩りをしているらしいテーリヒェン師はアレクとイザングランのいる今日、はしゃいでいるのかもしれなかった。

 チャレンジチャレンジ! と小躍りするテーリヒェン師に眉根をよせつつも、イザングランは肯いた。今までの、アレクに知り合う前のイザングランならば失敗するのが嫌で決して肯かなかっただろう。

 けれど今は失敗してもいいと思える。失敗を恐れないのとは違う。失敗しても次があると思える。挑戦することに意義があると思える。この場でイザングランが血抜きに失敗したとして、アレクが、テーリヒェン師がいるのだ、と素直に思うことができる。


「魔術の使用制限はありますか?」

「いんや、ここは学園じゃないしな。好きにやっていいぞ。ただし肉はなるべく残してくれると嬉しい」

「努力します」


 イザングランの所持属性は闇と水と火と風だが、得意なのは闇属性だ。まず闇魔術でモンブラノスの頭部を覆い、空気――酸素を遮断した。

 次第にモンブラノスの叫びが小さくなっていき、肺から空気を出し尽くしたらしくだらりと両腕が下がり、身動ぎをしなくなったところで、イザングランは調べておいた熊の頸動脈がある場所を魔術で切り割いた。熊ではなく熊系魔獣だが、似たようなものだろう。

 夥しいおびただしい量の血がモンブラノスの首から流れ出す。どうやらうまくいったようだった。


「上手くいったな! 初めてでこれとは、才能があるぞ!」

「ありがとうございます」


 リザードマンの膂力で叩かないでほしかった。

 よし、とテーリヒェン師がハルバートを構える。


「モンブラノスの血は他の魔物獣たちが寄ってくるからな、油断するなよ」


 言いながら、テーリヒェン師は草むらから飛び出してきた狼系の魔物を頭と胴の二つに切り飛ばした。そのまま魔物だったものは別の草むらに飛んでいったが、なにかが肉を食べるような音が聞こえてきて、イザングランは魔道具のおかげで寒気を感じている訳ではないのに首をすくめた。


「イジー、対物防壁!」

「ああ!」


 アレクの声に肯いて、イザングランはすぐさま自分とアレクを囲む形で対物防壁を張った。テーリヒェン師が取りこぼした魔物が壁に衝突する。

 大口を開けて笑いながら魔物獣を切り飛ばしていくテーリヒェン師は控えめに言って狂化がかかっているようだった。


「狂戦士は現実にいたんだな。物語の中だけかと思ってた」


 防壁が破られないよう魔力を大量に込めながら、イザングランは背負ってきたリュックの中から小瓶を取り出した。


「それって俺が前にやったやつ?」

「ああ」


 イザングランはふりかぶり小瓶を力いっぱい投げた。地面につく前に魔術で破壊し、中身を散布する。小瓶が割れる音ともに魔物獣の鳴き声が響き、イザングランの防壁に突撃してきていた魔物は姿を消した。魔物除けは正常に作用したようだった。


「ぐぎゃー――、ひどい臭い! ブルデュー、使うならもっと良いやつ使えよ!」

「すみません、人には無臭なのでいいかな、と。鼻に詰め物をして対処してください。あと貰い物です。

 と、言いますか本来ならこういうのは先導役のテーリヒェン師が用意するものでは?」

「だって食材が増えると嬉しいだもん」

「そーですか」


 テーリヒェン師の応用魔術の授業は素晴らしいが、隙あらば筋肉を推すだけあってテーリヒェン師はやはり脳筋なんだな、とイザングランとアレクは再確認した。


「それより血抜きはあとどれくらいで終わるんですか」

「そうだなあ」


 テーリヒェン師はハルバートを地面に突き立てモンブラノスを見る。流れ続ける血は地面に水溜まりを作っていた。


「あと二十分くらいか?」


 テーリヒェン師が倒した狼を防壁内部まで引きずってきて皮を剥ぐアレクがイザングランに言う。


「あの魔物除けって薬草学で俺が作ったやつだよな?」

「ああ。念のために持ってきておいた」

「じゃあ最低ランクのやつだな」

「そうだな」


 アレクの皮剥ぎを及び腰で手伝いながらイザングランが答える。


「つまり」

「中位から高位の魔物獣は除けられない」


 一匹目の皮剥ぎが終わり、二匹目に取り掛かる。


「うーん、見事に縦に真っ二つだなあ。価値が下がる」

「そういうものか」

「やっぱ毛皮は大きいほうが高く売れるぜ」

「ああ、なるほど」

「持って帰れるのは五匹分くらいかなー」

「手伝う」

「ありがとな」


 ほのぼのと会話を続けながら手早く三匹目の毛皮に取り掛かったところでテーリヒェン師から非難の声が上がった。


「さすがの先生もモンブラノス二匹と氷雷鳥ひらいちょう三羽をいっぺんに相手するのは厳しいな?!」

「よかったですね、食材が増えて」

「魔物除け用意しなくて悪かったよ! 次はちゃんと用意するから! お願いします手伝ってください!」


 アレクの手を水魔術で洗ってからイザングランはテーリヒェン師の背後を陣取っているモンブラノスの頭部を闇の魔術で覆い目隠しをし、空気を断った。

 なぜか聞こえた破裂音に首を傾げているうちにアレクがクロスボウを構え、氷雷鳥を次々に撃ち落としていく。翼を撃ち抜かれ、地面でもがく鳥たちの首をイザングランが魔術で落とした。


「クロスボウは威力があるのはいいけど、矢を番える時間がかかるよな、やっぱ」

「次は弓を選ばせてもらったらどうだ?」

「んー、でも慣れた弓じゃないのを使うよりは当たり易いと思う」

「そういうものか」


 イザングランが酸欠にさせていたモンブラノスが膝をついたのと同時に、テーリヒェン師と相対していたモンブラノスも倒された。


「あー、しんどかったー……」


 テーリヒェン師はしおしおと肩を落としながらモンブラノスと氷雷鳥をマジックバックにしまっていく。かなり容量の大きい種類のようだった。


「持ってたんですね、マジックバック。最初からそれを使って学園で血抜きをすればよかったのでは?」

「……」


 イザングランの指摘にテーリヒェン師はさりげなく視線を明後日の方向へ向ける。


「……」

「……」


 食材の追加が欲しかったのか、とアレクとイザングランは顔を見合わせ、皮剥ぎに戻った。


「ごめんって! 悪かったって! 次はぜったいに魔物除け持ってくるから! 使うから!」


 モンブラノスの血抜きが終わるまで防壁の外で魔物獣と延々戦闘をくり返すハメになったテーリヒェン師に時々助け船を出しながら、その日アレクとイザングランは狼系魔物の皮を八枚手に入れた。

 モンブラノス鍋はとても美味しかった。

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