第2話
寮の部屋はイザングランの実家の自室より少し狭いくらいの大きさだ。
しかし、二人の人間が暮らすにはなんら支障ない。
部屋に入った左手に、クローゼット、ベッド、机、本棚が一体化したシステムベッドが、向かい合った壁際にひとつずつあり、その間は共有スペースとなっており、一人掛けのソファが二脚と、その間に小さなテーブルが置かれ、その奥には小さなキャビネットが設置されている。
イザングランの知るキャビネットよりだいぶ小さめのそれには、やはり小さな薬缶やティーカップ、マグカップに皿などが揃っており、天板に誂えられた加熱用の魔法陣と自動湧水の水差しを使えば、簡単に茶が飲めるようになっていた。
共有スペースのソファに身を沈めながら、イザングラン・ブルデューは痛む頭を押さえた。
イザングランの目の前で能天気に着替えをし終えたアレク――本名はアレキサンドリアと言うそうだ――はやはり呑気にお茶なぞをすすっていた。
嗅ぎ慣れない匂いのそれは、アレクが実家から持って来た茶だということだった。
「いやあ、水をかぶったから冷えちゃってさあ」
と本人は笑っていた。
「貴様はもう少し危機感を覚えろ。危機管理をしろ」
「難しい言葉知ってんなー。十三だろ? 俺の弟と同じくらいなのになあ」
アレク本人が己の性別をどう認識していようとイザングランの知った事ではないが、アレクが女性でイザングランが男性であるのは事実だ。そういった性差を気にしろ、とイザングランがして当然の忠告をしても、からからと笑うばかり。
完全に子ども扱いされていた。
事実、認めたくはないが、見た目は子どもと大人なので強く反論できない。大変悔しい事に。
「音を立てるな。耳障りだ」
行儀悪く音を立てて茶をすするアレクにいちいち注意をして、イザングランはソファーに座りなおす。
腕を組んだのはなんとなくだ。別に威圧感を出したいとかではない。決して。
「悪い悪い。上流階級と付き合いがなかったからさ」
悪びれる事なく笑って、しかし直す気はあったらしい。今度は静かに茶を飲み始めるアレクにイザングラン鼻を鳴らして今度は足を組んだ。
「で、貴様が僕の同室者な訳か」
「おう。そうそう。よろしくな、イジー」
「……なんだそれは」
「あ、これか? うちで取れた薬草を煎じたやつで、飲む人によっちゃ好みが分かれるんだが、イジーも飲んでみるか?」
「違う。そっちじゃない。そのイジーというのはなんなんだ」
「あだ名だよあだ名」
「許可した覚えはない」
「固いこと言うなよ。もしかしたら六年間いっしょにすごすかもしれないんだぜ、俺達」
「移動願いを出せ」
「受理されねえと思う。俺だって同室者が男だって聞いていちおう抗議したんだぜ? でも理事長の占い? で一番相性が良い者同士を選んでるから、性別ごときで変更は許可できないって言われてさあ。
イジーから言ってみたらどうだ? 親父さんがお偉いさんなんだろ?」
「………家の力は借りない」
事実は借りる事ができない、であるのだが、それを知らないアレクは感心したようだった。
「へえ! ますます偉いなあ。親の威を借りて威張り散らしてる金持ちばっかかと思ってた」
「否定はしないが」
イザングランにももちろん心当たりはある。
まず兄姉達やその取り巻き。父と付き合いのある家の子息達はそういった手合いばかりだった。例外は幼馴染くらいのものだ。
長年良い友達付き合いをしてきていたが、学園を卒業する頃には彼女との婚約がまとまっていることだろう。
良き理解者を伴侶とできるのなら、自分はまだ幸せ者の部類に入るのだろうな、と実母を見る度に思うイザングランである。
イザングランは短くため息を吐いた。
「お前な、もう少し口を慎め。僕は気にしないが他の低能共がうるさいぞ。人は図星を突かれると怒り出すものだ」
「ははあ、なるほどなあ。うんうん、そういうもんだよなあ」
アレクは何度も肯き、それから人差し指を立てた。
「お前じゃなくてアレクな」
「………わかった」
再度ため息を吐きながら了承したイザングランに、歯を見せて笑うアレクは茶を淹れるために席を立った。
「いやあ、理事長の占いってすげえな。眉唾モンかとばっか思ってたよ」
「……お前、……アレクはどうしてその年で学園に来たんだ。経済難が理由か? それともその
「いんや、まさか。十六だよ」
ゆったりとした動作で茶を淹れていくアレクを目で追いながら、イザングランは続きを待つ。
まだ嗅ぎ慣れない茶の匂いが濃くなった。
「親父がさあ、うちの山で遭難してる人を救助したらそれが理事長で」
「……………それで」
いきなりパワーワードが出てきた。
うちの山で遭難。それが理事長。
「命の恩人だーって事でえらい感謝されて、何かお礼を、自分にできる事なら何でもしますって理事長が言っちまって」
「……………」
「親父がそれなら、って俺を入学させてくれって頼んじまったんだよなあ。エンリョとかしねえんだ、基本」
「許可するほうもするほうだろう……。
……試験は」
「受けた。座学だけな」
「実技はどうした」
「ムリムリ。俺魔力無ぇもん」
本人に取っては特に大した事実ではないらしい。
朝食が目玉焼きである、というくらいの気軽さで、アレクはそれを告げた。
一方、告げられた側であるイザングランは瞬時に様々な思考を巡らせ、一言
「そうか」
と言うに留めた。
「………おい」
「なんだ?」
「魔力がないというのはどういう感覚なんだ?」
訂正。
留めようとしたが無理だった。
「俺からすると魔力があるってどういう感じなのか気になるけどな。
えーと、そうだなあ。何をするにも人力だから力はつくな。ホレ」
アレクは腕まくりをして力こぶを作って見せる。
イザングランはおそるおそるそれに手を触れてみた。
「…………」
「そんなに珍しいもんかあ? 俺は親父のとかで見慣れてるけどなあ」
イザングランはアレクの言葉が耳に入らないようで、瞳を輝かせながら力こぶを指で押したり、手のひらで形を確認したりと忙しない。
アレクがくすぐったさに耐えていると、自分も腕まくりをしてイザングランも力こぶを作り出した。
作り出した、が。
「…………」
「………ふっ」
今まで何をするにしても術具や魔術に頼ってきたイザングランにアレクのような筋肉がついているはずもなく。
こぶはできず、触ってもちっとも硬くない己の腕にイザングランは落胆し、次いで顔に血を上らせた
目の前のアレクが腹を抱えていたからである。
口も押えて笑い声を上げるのは辛うじて耐えていたが、肩は震えて、腰は折り曲がり、と全身で笑っていた。
「笑うな」
「………ぐふ、わりぃ。ぶふっ」
「……」
ぶすくれたイザングランの表情になんとか笑いを収める事に成功したアレクは、淹れたての茶を差し出した。
「悪かったって。弟と同じような反応するもんだから、つい。機嫌直せよ、茶ぁやるから」
「………」
ティーカップではなく、マグカップに並々と注がれた茶は無粋そのものだったが、イザングランは黙って受けとった。
そして一口飲む。
「……まずい」
「そっか! ごめんな!」
次はブレンド変えるわ! と目尻の涙を拭うアレクの足を蹴って、イザングランは茶をもう一度飲んだ。
やはりまずかった。
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