魔術学園寮で同室になったやつがおかしすぎる。

結城暁

第1話

「俺はアレックス。気軽にアレクって呼んでくれよ、イザングラン」


 笑って差し出された手にイザングランはわずか眩暈を覚えた。

 ここでそのセリフはたぶん場違いだ、と思いながら。


***


 コルーズ魔術学園。

 永世中立を謳い、どこの国からでも生徒を受け入れる稀有な学園だ。

 イザングランもルナール帝国の重鎮の息子であったが、入学を許可された。

 ルナール帝国は近隣諸国から嫌われている軍事帝国である、と言えばだいたいどのような国かは察しがつくだろう。

 いくら全ての者に門戸を開き平等に学ばせる、という教育理念でも限度があるのではないか。

 学園長の脳内は花畑なんだろう、とさして興味も持たずにイザングランは学園長の話を右から左へ聞き流していた。

 この後は新入生代表挨拶をしなければならないが、用意された原稿を読むだけだ。何の問題もない。

 それよりも気になる事があった。

 コルーズには基本教育を終えた者で年齢に関係なくあればどんな者でも入学できる。

 だが、ほとんどは基本教育を終えてすぐに入学する者ばかりなので、たいていの新入生は十二か十三、もしくは十四までがせいぜいだ。

 子どもと変わらない体躯ばかりが並ぶホールで、そいつは他より頭ひとつ分以上飛びぬけて背が高く、体つきもがっしりとして出来上がっているようだった。

 特に指定されている訳ではないが、入学式という事で全員が学園のローブを着用しているというのに、一人だけ明らかに私服だとわかる出で立ちも、目立つ要因のひとつだろう。周りの新入生達もたびたび視線を送っている。

 光に反射する短めの金髪は、少しの身動ぎもイザングランに伝えてきた。眠たそうに、半ば落ちているように見える空色の瞳はそれでも理事長に向けられていた。


「―――それでは新入生代表、イザングラン・ブルデュー。前へ」

「はい」


 渡されていた原稿を手に壇上へ上がる。

 己の家名がホールに響いた瞬間から、生徒達のざわめきと視線が煩わしかった。

 いつもの事だった。家名で自分を判断されるのは。

 ルナール帝国のブルデューと言えば、悪逆非道、冷酷無比、と悪名高き一族なのは周知の事実だった。

 よどみなく原稿を読み上げる。

 なんとはなしに上げた視線の先に、ひときわ目立つ金色と空色があった。黒一色のローブばかりの中で浮いているのだから、目に付くのは当然だろう。

 学園長を見ていたときと同じようにその空色の瞳はやはり眠たげに壇上にいる人物イザングランを見つめていた。

 案外と真面目なのかもしれなかった。

 それならどうしてローブを着なかったのだろう。年中着ている者はいないが、式典に着てこないという者も珍しい。

 イザングランがそれを知るのはすぐ後の事だった。


 退屈な式が終わるとすぐに学年主任から解散を言い渡された。

 それなら式も手短に済ませれば良いものを、とイザングランは自室のある寮へ向かった。

 基本は六年制である学園の寮は、学年ごとに分かれているため六つある。

 学年が上がっても寮が変わる事はなく、卒業まで同じ寮、同じ部屋ですごす事になる。

 よほどの理由がなければ同室者の変更も認められないらしい。

 つまり、同室者によっては学園生活が左右される場合が大いにあるという事なのだ。

 兄姉の話を漏れ聞いただけだが、同室者と馬が合わな過ぎて、学園生活のほとんどを自分の所属する実験棟で過ごしたという豪の者もいたらしい。

 イザングランはといえば、同室者とはまだ顔を合わせていない。

 実家にいたくなかったイザングランは入学前から早々に入寮を済ませていたが、同室者は入寮が遅れるらしく、もしかしたら入学式にも間に合わないかもしれない、という話だった。

 早々に辞めてくれるならば一人部屋が確保できるのだが、とイザングランは視線を庭に向けた。

 目の端に金色がちらついたのだ。

 金髪の者などどこにでもいるのに、妙に目に付くな、といささかうんざりしながらもイザングランの靴は庭の芝生を踏んでいた。



「オマエ、ローブも買えないくせにこのコルーズに来たのかよ」

「この貧乏人が! どんな手を使って入って来たんだ?」

「ここは由緒正しい魔術師の家系しか入れないんだぞ」

「学園が汚れるだろ、さっさと辞めろよ貧乏人が!」


 なるほど。

 ローブは着ないのではなく、着れなかったのか、とイザングランは一人で納得した。

 複数人に囲まれ、的外れな罵倒を受けていても、聳え立つ大木の様に背筋を伸ばしている金髪はわずかばかり瞳を見開いた。イザングランに気付いたらしい。眠たげな印象しかなかった瞳は存外大きかった。

 イザングランに背を向けている、恐らくは同学年の、まるで大木にたかる羽虫のごとき子ども達はまったく気付いていない。ギャアギャアと狂った鳥か獣のように喚いていた。

 こんな低能共と机を並べて学ばなければならないのかと思うと頭が痛くなってくる。

 コルーズ魔術学園は、裕福だろうが貧乏だろうが、貴族だろうが平民だろうが、男だろうが女だろうが、老人だろうが若人だろうが、人間種だろうがそれ以外だろうが、学ぶ意思のある者ならどんな者であろうとも受け入れているのだ。入学試験を通過できたのならば何の問題もない。

 そんな事すら理解できていないとは、とイザングランが大きく溜め息を吐いたのと、子どもらの一人が魔術を使ったのは同時だった。

 まさか自分の背後に人がいるとは考えもしなかったようで、小さな水球を形作った少年は肩を大仰に震わせ、狼狽えた拍子にそれを頭上へぶちまけてしまった。

 金髪も、イザングランも、子ども達も、その場にいた全員が濡れ鼠になるはめになった。

 恐る恐る背後を振り返った子ども達に、イザングランは努めて美しく微笑みかけてやった。

 少年達は青褪め、中には震え出す者もいたが、イザングランの知った事ではない。


「こんな所で暇潰しができるなんて随分余裕だな。この程度の魔術を使って入学早々学務規定を破るとは、学ぶことが豊富にある人間はいいな。羨ましいよ」


 学務規定違反をする、または知らないような低能共が、と笑顔で皮肉られた仮称同級生たちは、あ、とかう、とか呻き声を漏らした後、曖昧な謝罪を口にし、そそくさと消えていった。いったい、何に対しての謝罪だったのだろう。

 誰にでも門戸を開いている学園だが、辞めていく人間も多い。来年の今頃はあの中の何人が在学している事やら。

 イザングランは鼻を鳴らして金髪を見上げた。

 そう。見上げた。

 百四十センチそこそこのイザングランでは、見上げなくてはならないくらい金髪は背が高かったのだ。


「次からはさっさと逃げた方がいいぞ。時間の無駄だ」

「お、おう」


 言って、即座に踵を返す。

 同い年ではないにしてもこの差はあんまりだ、とイザングランは苛立つ心を宥めなくてはならなくなった。


「ありがとな!」


 振り向きはしなかった。


***


 魔術で服を乾かし、イザングランはちょっとした寄り道をして寮に帰って来た。


「あの猫め……。ケモノのくせに……。必ず懐かせてやる……」


 自分を思い切り振って走り去った猫の後ろ姿を思い出しつつ、自室のドアノブを握る。

 配布された腕輪が光り、開錠を知らせた。


「―――――――……………」

「あ、どうも」


 入った先の自室には人がいた。

 イザングランの使っていない方の机の上の荷物からして、おそらく同室者なのだろう。

 いったいいつの間に入寮したのだろう。さっきか。自分が猫を追いかけている間か。

 先程の金髪がそこに立って、着替えていた。

 水に濡れたのだから当然だろう、という思いと、何故魔術で乾かさない、という思いとがない交ぜになり、扉をすぐに閉めておいて良かったと心底思った。

 目を閉じなければ、目を逸らさなければ、と考えはするものの、それができない。

 しっとりと濡れた金の髪が張り付いた首筋。なだらかな線を描く肩。すらりと伸びた手足。シャワーを浴びたのか赤く色めいた肌。

 それから、丸みを帯びた柔らかそうな胸。

 そう。胸だ。

 ふんわりとした見た目であるが、しかし重量のありそうな、持ち主が動くたびに揺れるそれ。

 イザングランの視線は、しっかりと目の前の人物の胸に固定されてしまっていた。

 それらを隠すように、実際そうなのだろう、手早く着替えを終えた金髪は照れたように頭を掻いた。


「いやあ、奇遇だな。まさかお前さんと同室だったとは。さっきはありがとうな、助かった」


 イザングランは何も言えず固まったままだった。


「俺はアレックス。気軽にアレクって呼んでくれよ、イザングラン」


 笑って差し出された手にイザングランはわずか眩暈を覚えた。

 ここでそのセリフはたぶん場違いだ、と思いながら。


 女だったのかあああああ!!!!!


 近年一番の絶叫をイザングランはあげた。

 心の中でだったが。

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