第4話
薬草学を選択している生徒は薬草園の水やりが当番制で回ってくる。
二人一組のその当番を真面目にこなす者もいるが、貴族籍の人間にはさぼったり相手に押し付けたりする者が多く出た。
さぼれば当然
イザングランはそういった不真面目な貴族子息令嬢達とは違い、いたって真面目に自分の当番をこなしていた。
早起きは得意ではないが、体を動かすのはたいして苦ではなかったし、アレクと当番をこなすのは楽しかった。
アレクはイザングランが書物では知りえなかったことをいくつも教えてくれた。
例えば薬味に使われるザンチョのピリリとした辛みが多量になれば毒になることや、それを利用して漁に使われるなんてことは知らなかったし、猛毒として知られるムチャカはごくごく少量ならば痛み止めになるとこも知らなかった。
本さえ読んでいれば世界の全てを知ることができると思い込んでいた自分が恥ずかしい。自分の知らないことなどこの世にいくらでもあったのだ。
一週間の当番が終わってしまえば次の当番は数か月は先だ。
面倒だ、誰か代わってくれ、と言い合う同級生の声を聞き流す。
アレクと一緒ならば当番も代わってやってもいい、と思えるくらいに充実した時間だった。明日からは早起きしなくてもいいのか、と気付いて嬉しいはずなのにどこかさみしかった。
翌日、イザングランが起きたときにはアレクの姿はもうなかった。
しんとする部屋の中で着替えをし、顔を洗う。
共に飲む相手がいないとなると日課になっていた茶を淹れる気にもならなかった。
本を開いてもいても上の空でアレクを待っていたイザングランがとうとう我慢ができず、探しに行こうと立ち上がったところで部屋の扉が開きアレクが戻ってきた。
「お。一人で起きれたのか、エライなー。おはよう、イジー」
「……おはよう。どこへ行ってたんだ」
「ん? 水やり」
汗かいたからシャワー浴びるな、と浴室にアレクは消えて行った。
イザングランはなぜかささくれだった気持ちを落ち着けるために茶を淹れることにした。
もちろんアレクの特製ブレンドではなく、自分が気に入っている銘柄の茶だった。
***
「なんで当番は終わったのに水やりに行ったんだ」
「当番を代わってくれって頼まれてさー」
無精をして濡れた髪のまま食堂に行こうとするアレクを無理矢理に座らせ、(悔しいことに身長が足りず、アレクの頭に手が届かないのだ)髪を拭いながら事のあらましを聞いたイザングランは憤慨した。
「なんでおまえがやつらの肩代わりなんかをしなきゃいけないんだ!」
「まあまあ。さすがに無償じゃやらねえよ、ちゃんと金貰ってるから。二人から水やり一回五百リーレ、つまり一日千リーレ。これが七日間だぜ? いい小遣い稼ぎになる」
「小遣い稼ぎ……」
「それにじいちゃん先生から感心じゃってお菓子とか薬草とかもらえるし」
「またゴルツ先生にもらったのか」
食う? と差し出されたそれを素直に受け取る。ヴァルター・ゴルツ師の作る焼き菓子は美味しいのだ。
髪がすっかり乾いたアレクは笑ってイザングランに礼を言う。
「ありがとな。
「明日からは僕も行く」
「うん? だから朝飯はやく行こうぜ」
「明日から薬草園に僕も行く」
「ええ? いや、いいよ。イジーは早起き苦手だろ? めちゃめちゃ辛そうだったじゃん。俺の請け負った
「押し付けられた、の間違いだろう。代価を要求したのは褒めてやる。
起こせ。そうしたら起きられる。本来なら二人一組でやることをおまえ一人でやるなんておかしいだろうが」
「ええー? そうかあ?」
今週の当番はエンリコ・ヴェッラとベニャミーノ・リマリッリだったはずだ。やはり二人ともがアレクに当番を押し付けていたようだ。
どちらも貴族かつ、アレクを軽視している人間だった。
「そうだ。それに僕にもちゃんとメリットがある。薬草の勉強になるし、ゴルツ先生の焼き菓子は美味しい」
「ああ、たしかに。
そうかあ。じゃあ分け前は半分……」
「いらん。僕は金に困ってないからな」
「……そうかあ」
果たして、アレクの経済状況に気を使ったことを感付かれただろうか。
おそらく、気が付いているのだろう。
けれど、アレクはそんなことになどまるきり気付いていやしない、というように笑みを浮かべた。
「ありがとうな」
***
アレクの手伝いをするようになって、どちらかと言えば夜型だったイザングランは連日の早起きのせいで夜遅くまでおきていられず、早寝をするようになった。
そのおかげで早起きもずいぶんと楽になったし、毎朝学園と薬草園を往復しているのだから、体力もついた。薬草園に行く前にアレクと飲む茶の時間も気に入っている。
ただ、やはりアレクの淹れてくれる特製ブレンドはマズかった。
マズイというか、イザングランの口に合わないのだ。後年、年を重ねた彼の口にはあうようになるのだが。
言ってしまえばアレクの特製ブレンドは大人の味で、イザングランは単なる子ども舌なのであった。
けれど、未だそのことには気付かない十三才の彼は一度、とっておきの飲み物をアレクに振る舞った。
イザングランの好きなその飲み物の名はココアという。
ルナール帝国では貴重品として扱われていて、イザングランも少ししか持ってこられなかった一品だ。
鍋で牛乳を温めるところから始め、砂糖をたっぷり淹れた久しぶりのココアはイザングランの頬をゆるませた。
「どうだ、美味しいだろう」
「うん。なるほどなあ、イジーはこういうのが好きなのか」
ふんふんとうなずきながらココアをすするアレクになんだか馬鹿にされたような気がして、疑いの目を向ける。
そんなイザングランの視線に気付いたアレクがひらひらと手をふった。
「よし。イジーの好みはわかった。明日からのお茶は期待してろよ、ぜったいに美味いって言わせて見せるからな!」
「ああ」
宣言通り、翌日からアレクの特製ブレンドは格段に飲み易くなった。
かすかに香る花の匂いと、うっすら甘い茶にイザングランは満足感を覚えていた。
いたのだが、これはこれで不愉快な気分になるのはなぜだろう。
「このブレンドは弟が好きなやつでさー。イジーと味覚が似てんのかもなあ。他にも弟が好きなやつがあるから、楽しみにしてろよ」
とアレクに言われたからだろうか。
年は違っても同級生だぞ、子ども扱いするな、と声を大にして言いたかった。
けれども、以前の特製ブレンドが口にあわなかったのは事実であったし、弟が好きだという今のブレンドのほうが口にし易いので、なにも言えないイザングランだった。
その代わりイザングランは時々、思い出したように以前のブレンドを頼むようになった。
小腹が減るから、と午後三時に二人で軽食を取るようになってからのことだ。
甘い菓子が軽食になったときに、眉間にしわをよせながら、アレクに以前の特製ブレンドを淹れるように頼む。
アレクはもちろん快諾して甘くない、むしろ苦く感じるであろう茶を淹れてやる。
笑い声をあげないよう、腹筋に渾身の力を入れながら。
甘いものと一緒に食べれば
ここまで弟と似ているなら、茶の葉をまぜた
眉間にしわをよせて茶をちびちびとなめ飲むイザングランをながめながら、アレクは今は遠くの家族を思う。
今夜にでも手紙を書こう、と。
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