第5話

 朝食の食事は寮の食堂で、昼食は学園の食堂で取るものが大半だ。例外は実験棟に住み込んでいる者達くらいだろう。

 なぜなら、学園と寮とは徒歩三十分以上離れているからだ。

 貴重な昼休みを歩いて潰そう、という者はいない。

 ただ、健脚のアレクに限っていえば二十分ほどで歩いていけたし、走れば二十分で往復できた。

 他の生徒達はなぜ魔術が使用禁止なのだ、と日々学務規定を決めた学園創始者に恨み言を垂れ流し重たい足取りで往復しているのだった。


 四時限目は魔術の実技だった。

 それぞれ習った魔術を試験官の前で披露する。

 火球を維持するだけの簡単な試験だ。内蔵魔力量に違いはあれど、試験内容は特に変わらない。

 安定した大きさで、なるべく長く維持すればいい。魔力量の少ないならば小さな火球を維持し続ければいいのだ。

 イザングランにとっては呼吸と同じくらいに簡単なものだったが、他の生徒達にはそうでもなかったらしい。

 火力が強すぎ炎を燃え上がらせてしまうもの、逆に弱すぎて消えてしまうもの、そうそうに魔力切れを起こしてしまうものが少なくなかった。

 イザングランは手のひらサイズの火球をきっかり十分維持し、誰よりも早く合格をもらって学園の食堂へ向かった。

 寮とは違い、全生徒が集まる学園食堂は混んでくると騒がしくてたまらない。

 だからはやめの昼食を済ませてしまおうと考えたのだった。


 広々とした食堂には自動人形たちが忙しく働いていた。

 イザングランにはどれもこれも同じに見えるが、アレクには違って見えるらしく、かってに名前を付けて青ばらさんだの、赤ばらさんだのと呼んでいた。

 アレクは四時限目に不参加だった。

 魔力の無いアレクが参加していないのは当然だと思っても、イザングランはいっしょに授業を受けたかった。本人にはぜったいに言わないが。

 入学式からずっと一緒に行動していたものだから、隣にいないと落ち着かないのだ。

 五、六時限目は薬草学だからすぐに会えるのにな、とイザングランは今日のメニューを見た。

 食事は無料で提供されているので、たくさん食べた方がお得だ! とアレクはいつでも大盛を頼むのだが、イザングランの胃袋はそんなに大きくない。

 薬草学の実習は体を使うからきちんと食べないと、とは思う。思うのだが、体の動きを鈍らせる訳にもいかないしな、と誰も聞いていない言い訳をして、イザングランは一番量の少なさそうなサンドイッチを選んだ。

 食券を出すと「おいおいこれだけか? ちゃんと食えよ、倒れちまうぞ」デザートやスープを無断でトレイに乗せられた。

 文句を言おうとイザングランが顔を上げると歯を見せて笑う金髪がそこにいた。

 イザングランのいる食堂側ではなく、カウンターを挟んだ厨房側である。


「な、ん……?!」

「バイト」


 サンドイッチを置かれ、行け行けと追い払われる。

 生徒が他にいる訳でもないのだから、と思ったものの、厨房のアレクは忙しそうに見えた。しぶしぶ席に着いて食事を始める。

 ふわふわ柔らかい四枚分のパンにサンドされた新鮮な野菜に、玉子にハム。小さな小鉢のサラダにドレッシングをかけて口に運ぶ。スープマグの中身はオニオンコンソメだった。鶏肉の揚げ物もなぜかついていて、これは衣がカリカリ、中身はふっくらジューシーな一品だった。

 ここまで食べきったイザングランの胃袋は限界に近付いていた。デザートは別腹で良かった。

 デザートのプリンは表面が焦げている。焼きプリンだろう。

 一口一口噛みしめながら食べる。美味しかった。

 美味しいのに満腹に近いせいで心の底からそうとは思えないのが悔しかった。

 どうにかこうにか皿を空にして返却口へ持って行くとアレクに手放しで褒められた。


「ちゃんと全部食べれたな、すごいぞイジー!」

「……このくらい、当然だ」


 腹が苦しかったが、それでも涼しい顔を作って胸を張って見せた。


 が、やはりきついものはきつい。

 イザングランは重い腹を抱えてのろのろと薬草園まで移動した。

 忙しそうに働くアレクを見ているのも楽しかったが、そろそろ食堂が混んでくる時間帯になったのだ。

 温室にほど近いベンチに座る。寝転びたいくらいだが、いつ人が来るかもしれない場所でそんな無作法はできない。

 胃はまだ重いままだ。医務室で胃薬を処方してもらうべきか迷ったがやめた。

 アレクの好意を踏みにじるような気がしたし、万が一家に報せがいけば面倒な事になりかねない。

 干渉の過ぎる母に知られれば帰って来いとごねられかねない。

 家にいるよりはるかに楽に呼吸のできる場所から離れる気などない。イザングランをかわいがればかわいがるほど兄姉がうるさくなることをあのひとは理解してくれない。


「ほっほっほっ。始業前なのに温室前で待機とは感心じゃのう。えらいえらい。ほうれ、そんな良い子にはお菓子をあげよう」

「ありがとうございます。ゴルツ先生」


 子ども扱いは好きではないが、ゴルツ師の焼き菓子がもらえるなら別だ。

 おやつに食べようと決めて道具入れにしまう。

 イザングランの道具入れは時空間魔術が使われていて、小さなポシェットの見た目にあわず物が大量に入れられたし、経過時間もゆっくりになるので菓子が痛むこともない。母からの餞別だったが、便利なので使っている。はやく自分で作れる様になりたかった。

 ゴルツ師は味の感想を求めているようで、無言の圧力を感じたが気付かないふりをする。

 いくら美味しいものでも今はこれ以上入らない。


「今日の授業は薬草探しじゃがどうする? 先にやってしまうか?」

「いえ、アレクを待ちます」

「ほっほっほっ。そうかそうか」


 伸びた顎髭をなでながらゴルツ師は朗らかに笑った。


 そのうちに生徒達が集まり始め、ゴルツ師から実習内容を聞いて三々五々に散っていく。

 アレクが温室前に来たのは生徒達が全て薬草園に散ってからだった。


「すいません、遅れました」

「えぇて、えぇて。もとから君は最後に出発させるつもりじゃったからのう。答えが目の前を歩いてちゃあズルする輩も出るからのう。答えは自分で探すもんじゃて」


 おおらかに笑って、ゴルツ師は同じように実習内容を説明した。


「お待ちどうさま」

「ああ。行くぞアレク」

「おう」


 ゴルツ師に見送られ、二人は薬草探しを開始した。

 とはいえ、ここ最近は毎朝通い、アレクの解説を聞きながら水やりをしてきた場所だ。

 物覚えは良い方なので、指定された薬草がどこにあるのかはすぐに見当が付いた。

 それはアレクも同様で、なるほどゴルツ師が言う事もよくわかる。

 二人は早々に薬草を取り終えた。あとは洗浄して乾燥させるだけだ。

 薬草たちを丁寧に洗浄したあと束ねて干す。

 イザングランは魔術で手早く乾燥させ、合格をもらった。

 アレクは魔術が使えないので自然乾燥だ。

 アレクが束ねた薬草を吊るすのを見ながらイザングランは食堂でのことを聞いた。


「なんでバイトなんてしてたんだ」

「んー? だって魔術の実技って見てるだけで俺なんもやることないし。あ、先生の許可はもらってるからな?」

「そういうことではなく……」


 水やりの肩代わりで小遣いを稼いでいるじゃないか、と言いかけたイザングランは口を噤んだ。

 おそらく、それで足りないからバイトをしているのだ。


「金ないからなー」

「………」


 あっけらかんと言い放つ。


「旅費もけっこうかかったし、でも父ちゃんは借金してでも行けって言うし」

「借金……」


 知識としては知っていたが、実際にしている者を見るのは初めてだった。


「父ちゃんももう若くねえし、こっちでの生活費くらいは稼がないとな。あわよくば実家むこうに仕送りしたい」


 実家にいるのが嫌で、家族との関りが嫌で、家族を嫌っている自分の生活費や学費は家が全額を賄っている。

 食べすぎのせいだけではなく、腹のあたりがむかむかとしていた。


「よし、吊るし終わり! 先生、終わりましたー」

「どれどれ。うむ。よくできておる。洗浄も吊るしも丁寧じゃのう。乾燥しだいじゃが、おそらくアレクも合格じゃろ。ワシの実験塔でも同じように干しておいとくれ。ほい許可刻印スペアキー


 ゴルツ師はアレクに実験塔の開錠印を刻印した。


「おーすげー」

「一回こっきりじゃがの。干し終わったらそのまま帰っていいぞい。怪我をしたくなかったら中の物には触らんことじゃ」

「了解っす」


 まだ水気の残るアレクの薬草の束を当然のごとく持ちながら、アレクについて行くイザングランをゴルツはほのぼのとした気持ちで見送った。


「ほっほっほっ。まるでカルガモの親子じゃのう」


***


「夕食もバイトか?」

「いんや」

「ならいつも通りだな」

「おう。なんだあ? もしかして昼飯いっしょに食べれなくてさみしかったのかあ?」

「……そんなわけあるか」


 ニヤニヤと口角を上げるアレクに背けたほおを指でうりうりとされる。

 アレクがいない間の違和感がさみしいという事に指摘されて初めて気付いて、耳まで赤くしたイザングランにプハッ、と笑いを耐えかねたアレクの吹き出す声が届いた。

 見れば笑い声までは立てていなかったものの、いつもはしゃんと伸びている腰を折り曲げ、肩を震わせているアレクがいた。

 折よく近くにあるアレクの顔をつねったり叩いたりするための両手は薬草でふさがっている。イザングランは尻でも蹴り上げてやろうかとも思ったが、結局止めた。

 代わりに体当たりをかましてやる。予想の範囲内ではあったが、腹の立つことにアレクはびくともしなかった。

 肩のあたりにぶつけた頭をぐりぐりと動かし追撃する。

 これには効果があったようで、まだ笑いを多分に含んでいたが情けない声がアレクから上がった。


「いてぇー―」

「笑うな」

「ごめんごめん。悪かったって」


 何が楽しいのか、けたけたと涙さえ浮かべたアレクが笑う。

 笑われるのは嫌だが、その相手がアレクならまあいいか、と思えた。


 きっとアレクの事情を知ってはいても理解していない他の人間せいとはアレクが働いている事を揶揄するのだろう。自身は稼いだこともないくせに。

 自分には何ができるだろう。

 金銭の援助はできなくもないが、それはイザングランの金ではなく家の金だ。そんなのはイザングランも嫌だったし、きっとアレクも受け取ったりはしないだろう。

 イザングランにできるのは嫌っている家の力を利用して、アレクに難癖をつけようとする輩をできるだけ遠ざけることくらいだった。

 悪名高いルナール帝国のブルデューの家名にはそのくらいは役に立って欲しい。


「まかないのパウンドケーキもらったから三時に食べようぜ」

「ああ。僕もゴルツ先生から焼き菓子をいただいた」

「やった。今日のブレンドはどうする?」

「……アレク特製で」

「了解!」

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