第13話
「私が研究に没頭している間にそんなことがあったなんて……」
マデレイネは悔しそうに眉をしかめた。
イザングランがアレク離れをしようと奮闘していた時にマデレイネが何をしていたのかというと、お察しの通り機巧の研究開発だ。
なんでも、アレクとの会話で新たな着眼点を見つけただとかで、外出を必要最低限に済ませてずっと研究棟にこもっていたらしい。
イザングランがアレクの傍にいたのはああいった手合いからの接近を避けるためでもあったのに、自分の代わりに防波堤になると思っていたマデレイネが側を離れているとは思いもしなかった。
思い込みで行動するのはよくない。まずは自分で確認する事が大事なのだ、と今回の騒動で学んだ。
ちなみに、こわごわとアレクに確認をしてみたところ、イザングランが傍にいて助かる事こそあれど、迷惑になることはない、と断言してもらえた。
勇気を出して聞いてよかった、と胸をなでおろすイザングランにアレクは朗らかに笑った。
「本当に嫌だったら殴ってでもやめさせるしな!」
そう言って拳を握って見せるアレクにイザングランは鷹揚に肯いた。
いつか自分の失態でアレクに殴られる時がきても致命傷を負ってアレクを人殺しにしないよう体を鍛えぬこう、と。
「そういう訳だ。僕達はしばらく竜籠に通うんでな。放課後の君との学習時間は大幅に減る訳だ。非常に残念な事だが」
「……」
大層無念さを前面に押し出しているマデレイネとは対照的に、うっすら笑みさえ浮かべ、まったく残念そうには見えず優越感丸出しのイザングランはふんぞり返りだしそうな雰囲気である。
「……その戯け者どもは今どこに? 保健室……?」
アレクに暴言を吐いた奴らの所在を知ってどうするつもりなのか。じとっとした目でマデレイネが呟く。
大方痛めつけて自分達と同じく罰掃除を言い渡してもらうつもりなのだろう。
「気持ちはわかるがやめておけ。お前の専門は機巧だから下手をすれば死人が出るだろ」
「そんなの上手く加減するに決まってる」
「こら、物騒な話をしてんなよ、二人とも。
ほい、イジーのぶん」
「アレク」
二人そろってアレクに小突かれる。その手には竜籠で食べる今日のおやつが入った小さな包みがある。
イザングランは礼を言って包みを受け取った。
竜籠の掃除はけっこうな重労働らしく、終わったあとは小腹が空くというので毎回おやつを作っているアレクがイザングランの分も作ってくれたのだった。
「ほい、こっちはマデレイネの分な」
「ありがとう」
おやつを受け取ったマデレイネは先刻までの不機嫌さはどこへやら、頬を紅潮させて嬉しそうに目を細めた。
黙ってそうしていれば美人という枠組みに入るのにな、とイザングランは残念な生き物を見る思いでマデレイネを見た。
「じゃあ行くな。気をつけて帰れよ」
「うん」
幼児が母親に相対するような無防備さでマデレイネは肯いた。そうしておとなしく寮――ではなく、実験棟のほうへ歩いて行く。
また研究するつもりか。アレクが渡したのはおやつであって非常食ではないのだが。
「竜籠にいるのは
「気のいいじいちゃんだよ」
「気のいいじいちゃん」
「おう」
アレクが楽しそうに通っているのだから、おおらかで扱い易い気性をしているのだろうと予想はしていたが、気のいいじいちゃん、とは。
竜籠への道すがら首をひねるイザングランだが、答えが出るはずもない。そんなイザングランをアレクは微笑まし気に眺めていた。
「いやあ、しかし品行方正なイジーが罰掃除なんてなあ」
「………」
「イジーもなかなかのワルだな?」
「フン。おまえには負けるさ」
アレクに絡んだ同級生達が保健室送りになったことはもう知っているだろう。保健室送りにした犯人も、その動機もおそらくわかっているはずだ。
けれどアレクは何も言わなかった。
イザングランに感謝する訳でもなければ余計な事を、と非難するでもない。
自分でも余計な世話を焼いたという自覚はあったので、触れずにいてくれるのはありがたかった。
竜籠は教師達の実験棟に近い森に設えてあった。
かなり高度な魔術式が幾重にも張られていると見ただけでわかる。
「こんにちはー」
「……お邪魔します……?」
人用としては大きいけれど、竜が通るには小さすぎるであろう扉を無警戒に開けて入っていくアレクに倣ってイザングランも扉をくぐる。
風が柔らかく頬を撫で、土の匂いが鼻をくすぐる。鳥の鳴き声や水のせせらぎまで聞こえる。天井は抜ける様に高く籠と空の境界がわからないほどだった。側面の境界も木々に阻まれ視認できない。まるで本物の森の中に足を踏み入れたようだ。
籠の中とは思えない空間にイザングランは圧倒されるしかなかった。
「すげえだろ? ここが籠の中とか信じられねーよな」
「ああ……」
それでも歩き易い道が舗装されているのだから、やはり実際の森ではないのだろう。
初めてみる
「よお、じいちゃん。調子はどうだ?」
「ふぉっふぉっ。お前さんのようなかわい子ちゃんに毎日訪ねてきてもらえるでの、最近はホレこの通り。鱗もツヤッツヤじゃぞい」
「そっかー、よかったなー。鱗見えねえけども」
「ふぉっふぉっふぉっ」
好々爺といった体の竜にイザングランはとまどった。
竜の全長はおおよそ十五メートルといったところだろうか。その巨大な身体を地面に這わせている。翼がないのでトカゲのようにも見えた。
目を通しておいた図鑑によると、緑鱗の竜は前足が翼になっているいわゆる
緑鱗の竜は己の身体に様々な植物を寄生させているが故に付いた名だ。イザングランの眼前にいる竜もまた、その名の通り数多の植物をその身に生やしていた。
「お前さんが新入りじゃな? よろしく頼むぞい。ワシのことをじーちゃんと読んで慕ってくれても構わんぞい」
「は、はあ……。よろしくお願いします」
なるほど、気の好い爺ちゃんだった。
イザングランがアレクの指示に従って掃除をしている間も竜は腹這いになったまま動かず、日光浴をしているようだった。尻尾さえぴくりとも動かない。静かな寝息が時折聞こえてくるだけだ。
そんな様子が少しばかり猫を連想させた。
掃除がすっかり終わった頃にはイザングランは汗に塗れていた。
竜の体が大きいものだから、当然餌や糞の量も膨大になるのである。それらを運ぶだけでイザングランはくたくになっていた。
アレクといえばうっすら汗をかいているものの、涼しい顔をしている。イザングランほど疲れている様子は見られない。
「ふぉっふぉっ。新入りは疲れた様じゃのう。休憩していきんさい。ホレ、ワシに生えとる木の実はけっこう美味いぞい。二人で食べんさい」
「いつもありがとな」
「ありがとうございます」
竜が顎で示した辺りをアレクが探り、真っ赤に熟れた実を二つもいできた。ありがたくいただく。
歯を立てただけで勢いよく果汁があふれ出てくる、とても瑞々しい実だった。
水分を失っていた身に染みるほど美味しい。
「おいしい……」
「うまいよなー」
夢中で食べ進めていると竜が細く笑った。
「ふぉっふっ。思い出すのう。ワシの嫁さんもお前さん達のようにワシになった実が好物でのう。食べる姿がめちゃぷりてぃーでなあ。夜食として齧りながら二人で生まれてくる子どもの名前を夜通し考えたものじゃった。
まあ子どもが生まれる前に嫁さんとは死に別れてしまったんじゃが」
「……」
どう答えたものか。イザングランが困惑しているとアレクが呆れた声をかける。
「じいちゃん、それ笑えねえから。ほらイジーも困ってんじゃん」
「ふぉっふぉっふぉっ。すまんすまん」
どうやらそうとうにお茶目な性格をしているようだった。
アレクのようにじいちゃんとはさすがに呼べなかったので翁、と呼ぶことにした。
そんなイザングランに竜は事あるごとに「じーちゃんと呼んでもいいんじゃぞ?」と囁くのだった。
こんな気の好い翁を見る前から怖がって竜籠に近付きもしなかった同級生達の姿はその内見なくなった。退学したと後に聞いた。
卒業するのは極めて難しいのがコールズ学園なのだ。
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