第14話

 竜籠の掃除をするようになってから、毎日確実にアレクとの時間が持てるようになったイザングランの機嫌は右肩上がりだった。

 掃除の翌日からそれはもう見事な筋肉痛になったが、アレクが手ずから調合してくれた塗り薬のおかげで随分と楽に日常生活が送れた。ただし、臭いはきつかったが。

 今も少しばかり腕や足の筋肉が痛むが、それにも耐えられるくらいイザングランは上機嫌だった。

 朝の図書館でマデレイネがどれだけアレクに引っ付こうとも、余裕の笑みを浮かべていられたし、そんな二人を残して本を探しに行く事さえ可能であった。

 反対にマデレイネはそんなイザングランのドヤァ……顔に機嫌を損ねていた。

 イザングランが目当ての本を探し当てて戻ってくると、本棚に隠れるようにしてアレク達のいる席を覗く男の後ろ姿を見つけた。

 その後ろ姿に見覚えは当然ながらない。これといった特徴のない、凡庸な後ろ姿だった。背丈からいって同級生だろうか。

 足音を忍ばせて近寄っているとはいえ、至近距離までイザングランが近付いても気付く様子はない。随分と熱心にアレク達を見つめいた。

 もしやアレクに因縁でもつける隙をうかがっているのだろうか。

 その考えに思い至った瞬間に頭に血が上りそうになったが、まだ落とし物を届けにきたなどの可能性も残されているため、まずは声をかけてみることにした。


「おい」

「うひゃああああ!?」

「?!」


 図書館内であるため静かに声を発したのだが、男は飛び上がらんばかりに、というか、実際飛び上がって驚いた。どれだけ驚くんだ。

 男の予想外の振る舞いに、逆にイザングランが驚いたくらいだ。

 男の上げた大声にアレク達がこちらに気付く。

 二人に存在を認知された男は真っ赤になりながら忙しなくイザングランとアレク達へ視線を右往左往させ、口を何度も開閉させ、しかし何も音を発する事なく脱兎の如く走り去っていった。

 それを見届ける形になってしまったイザングランは開いた口を引き結び、眉間に皺を寄せながら席に戻った。


「なに、アレ」

「僕が知るか」

「二人とも顔ぐらい覚えててやれよ。授業でいっしょのミゲルじゃん」


 微苦笑するアレクによればイザングランは応用魔術、マデレイネは機巧の授業で一緒だという。

 思い返してみるが、判然としない。マデレイネも同様のようだ。


「マデレイネ……。機巧の授業では毎回近くに座ってるだろ?」

「へえ」

「ほう」


 アレクの近くに。毎回。なるほど。


「二人ともどうした?」

「別に」

「ああ何の問題もない」

「……そうかあ?」


 イザングランとマデレイネは目配せをしあった。そしてここにアレクに近付く虫を退治し隊が誕生したのだった。

 先だっての出来事で二人ともアレクに近付いて来る人間には過敏になっているのだった。

 ふだんはイザングランやマデレイネが盾となっているためアレクに近付く人間は教師を除けば皆無なのだが、二人がずっと張り付いている訳にもいかない。そのため二人の隙をついてアレクに近付こうとする人間で、アレクに有害であると二人に判定されればアレクには内緒で人知れず排除するつもりなのだ。

 さっそく隊の初仕事を遂行しようと、応用魔術の授業の前後にイザングランがアレクにどういうつもりで近付こうとしているのかを聞き出そうとした。

 だがミゲルは素早い身のこなしで持ってイザングランの追及を逃れて姿を消した。


「声をかけただけなのに逃げられた」

「あなたの敏捷さが足りないだけじゃないの?」

「……ぐ。そんな事はない」


 マデレイネが挑戦しても結果は同じだった。むしろひどくなったと言ってもいいだろう。


「声をかけようとしたら逃げられた」

「お前の敏捷さが足りないだけじゃないのか?」

「……そんな事ないもん」


 昼食を頬張りながら今後の相談をする。今日は奇跡的にマデレイネが実験棟に籠っていないのだ。

 本人曰く「アレクのピンチかもしれないのに実験してる場合じゃない」とのことだ。それにはイザングランも同感だった。


「あれ以来図書館でも見かけないし、どうしよう」

「寮で捕まえるか?」

「部屋がわからない。知ってるの?」

「知らん」


 いきなり隊務が滞っている。どうしたものか。

 頭を捻りながら昼食を食べる二人を子猫二匹がぷうぷう眠る様を眺めるような朗らかな笑顔で、仲良くなったなあ、とアレクは頬を緩ませていた。


 さて、ミゲルをどうやって捕まえたものかとイザングランが悩んでいると、思いがけず向こうから接触してきた。


「あのー、ブルデュー君、ちょといいかな……」

「ああ。ちょうどこちらも言いたい事があった」


 極めて長い釘をしっかり奥深くまで刺しておこう、とイザングランはどのような脅し文句ことばをかけようかと思案した。

 だがミゲルのほうが早く口を開く。


「ブルデュー君はマデレイネさんが好きなのかい?!」

「いや別に」


 即答した。

 マデレイネの事は嫌いではないが、では好きかと聞かれても別に、としか答えられない。アレクを巡るライバルであるが故に二つ返事で好き! と言える日は来ないように思う。

 拍子抜けしたミゲルが間抜けな声を上げる。


「へあ?! そ、そうなの?」

「ああ」


 逆にどこを見てそう思ったのか聞きたいくらいだった。

 しかしそんな事よりも、とイザングランはミゲルを睨みつけた。


「アレクに変な事を言ったりしてみろ。僕もマデレイネも酷い事をする」


 それはもう考え付く限りの酷い事を。もちろん退学にならない程度に。


 ヒェッ。と息をし損ねたような音がミゲルから漏れた。

 しかし、次に深く息を吐く。安堵の息のようだった。


「よ、良かったよ。最近、ブルデュー君とマデレイネさんは仲が良いから心配だったんだ……」


 仲が良い? 誰と誰が? どこを見て?

 ミゲルの言葉にイザングランは理解できないものを見た猫の様な表情になった。イザングランの一番直近の記憶にあるのは餌とともに精一杯の猫なで声と笑顔を披露した中庭の新入り猫にその様な顔をされてへこんだ記憶だ。


「その年で目が腐っているのか。哀れだな」

「断定された?!」


 いやいや、と何を否定したいのか、彼なりにイザングランとマデレイネの仲が良く見えた理由を述べていく。

 イザングランはそれらに丁寧に答えてやり、ひとつひとつ丹念に潰していってやった。


「最近は二人でよく話してるよね?」

「アレクの話をな」

「一緒に図書館で勉強してるし」

「アレクと読書をしてたらあいつが合流してきたんだ」

「朝食や夕食も一緒に食べてるし、今日なんか昼食もいっしょだったじゃないか」

「アレクと食べてるとあいつが来るんだ」

「えーと、ふだんは笑わない二人がいっしょにいるとよく笑ってない?」

「普段がどうかは知らないが、アレクがいるからだ。やはり目が腐っているな」

「ええ~………」


 マデレイネと仲が良いなど心外である。一緒にいるのは利害の一致によるものでしかない。

 イザングランとマデレイネの仲が特別良いという訳ではないとようやく理解したらしいミゲルは心の平穏を得たようだった。強張っていた肩から力が抜けていく。

 次いで期待を込めた目をイザングランに向けてきた。

 嫌な予感に踵を返したイザングランの肩をミゲルが掴む。


「そう急がなくてもいいじゃないか。マデレイネさんとお近付きになりたいんだ、よかったら協力して――」

「よくないから協力しない。邪魔はしないから勝手にがんばれ」

「ひどい!!」

「どこが?」


 手を払われてもミゲルはめげない。


「頼むよ~、後生だから~」

「来世まで君に関わりたくないので……」

「しんらつ!」


 うっうっ、と四つ這いになって涙ぐむミゲルに冷え冷えとした視線を送って、それじゃと今度こそ去ろうとするイザングランの足にミゲルが縋り付く。


「放せ」

「待って! お願いだから! あっほら! おれとマデレイネさんが仲良くなったらアレクくんとの時間が増えるよ!」

「……まあ協力してやってもいい」

「ヤッター――!」


 鼻水を垂らして感涙にむせぶミゲルに辟易しつつ、協力を取り付けられたイザングランは人と人との仲を取り持つなどどうすればいいのかさっぱりわからなかったので、アレクに相談する事にした。

 ミゲルには同情をした。自分ではなく最初からアレクに頼んでいれば二つ返事で承諾してもらえたものを。


 ミゲルがアレクの性別を勘違いしていたと知れたのは数日後の事だった。


「ええっ?! あんなにかっこいいのに?!」

「わかる」

「わかる」

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