第12話

 禁止されている生徒同士での喧嘩沙汰を起こしたアレクは絡まれた側であっても、手を出して相手を保健室送りにしてしまったものだから、罰として竜籠での掃除を命じられた。

 アレクの怪我は保険医の見立て通り大したものではなく、治ったら始めるよう言われていた罰掃除に翌日から出ているというのに、保健室で唸っていた同級生らは目に見えない精神がまだ癒えていないと言って罰掃除にはまだ一回たりとも出ていないようだった。

 コールズ学園では教師は皆、生徒を平等に扱うが、とりわけ生徒指導を担当しているテーリヒェン師は貴族相手だろうと鉄拳制裁を行うような性質たちであったので、喧嘩両成敗ということで明瞭な罰を全員に与えたはずなのだが。

 竜籠はその名の通り竜が飼育されている場所だ。

 竜と言えば種類によって姿は様々だが、人間種よりも長大な寿命と強大な力と魔力を持つ生物だ。

 そして竜と聞いて、まずどの国の生まれでも大抵の人間が思い浮かべるのが邪竜アルバータだ。太古の時代に国をいくつも焼いただとか、世界を滅ぼしかけただとかで、物語になって広く知られている。

 もちろん学園に邪竜がいるはずもない。そもそもアルバータは勇者に討ち取られたという話だ。

 だが、竜と聞いて同級生達は怖気づいたのだろう。だから罰掃除に出ないのだ。

 竜を飼育しているのだから籠はさぞかし広いだろう。そんな場所を罰とはいえ一人で掃除させるのも忍びなく、手伝いを申し出たイザングランだったが、それじゃ罰にならないと断られた。

 アレクは楽しそうに通っているが、やはり大変なのではと保険医に同級生達の症状を確認してみた。同級生達は全快している、とお墨付きをもらった。やはり仮病だったようだ。腹立たしい事この上ない。

 テーリヒェン師には報告しておいた。もちろんテーリヒェン師はご存じであったので、今期の奴らの成績は推して知るべし、だろう。

 入るのは容易く、出るのも容易いが、卒業は極めて難しいのがコールズだ。来期も奴らの姿がこの学園にあるのか見ものだ。

 ちなみに、ダメもとでテーリヒェン師にも打診してみたが「おまえは罰掃除をする必要なんかないだろうが。変わった奴だなあ」と笑われた。叩かれた背中が痛い。見た目通りの腕力だった。

 自分も将来はあれくらい成長できたらな、と思うも、リザードマンを目標にするのはやめよう、とすぐに切り替えた。


 今日も楽しげに竜籠へ向かうアレクを見送って、イザングランは息を吐いた。


 アレクが帰ってくるまで何をしていよう。

 読書もいいが、少しは体を動かしてみようか。そうして体力をつけて、アレクを驚かせてみようか。


「すごいな!」とアレクに手放しで褒められる自分を想像して、イザングランは頬を緩ませた。

 そうと決まればまずは着替えだ。散歩から始めよう。ゆくゆくは効率的な筋肉の付け方も確立しなくては。

 そんなやる気に満ちたイザングランの出鼻を挫くかのように表れたのは、件の同級生達だった。

 なるほど、見る限り動くのになんら支障があるようには見受けられない。

 罰掃除を不当にさぼっているというのに、ニヤニヤと癇に障る笑みをそれぞれの顔に貼り付けていた。

 余裕ぶっていられるのも今のうちだけだろう。せいぜい残り少ない学園生活を満喫していればいい。

 内心で忠告をして、さぞかし頭に多量の花が咲いているだろう彼らの横を通り過ぎる。こいつらにかかずらう時間も意味もイザングランにはない。

 だというのに、同級生達バカ共はイザングランを呼び止めた。

 その声を無視して歩みを進めていくイザングランに構わず声をかけてくる。


「いやあ、この間はすまなかった」

「ただの冗談だったんだよ」


 不快な音をふんだんに含んでいる声だった。

 不愉快さを隠さず顔を歪め、振り返ったイザングランには案の定ニタニタと笑う、先ほどよりも不快指数の上がった同級生共がいた。

 眉を顰めているイザングランを面白がるように、彼らの口が動く。


「あんな冗談を真に受けるヤツといっしょにいないほうがいいと思うなあ。キミはあの有名なブルデュー家の出なのだし」

「そうそう、あんな野蛮な貧乏人といっしょにいたら君の品位が疑われるよ?」

「父君にも怒られてしまうのではないのかなあ」


 同級生共こいつらが自分とアレクを引き離したいらしい、という事は理解した。

 おおかたアレクに報復をしたいのだろう。そのためにいつも一緒にいるイザングランの存在が不都合なのだ。

 だからといって同級生共の意を汲んでやる必要はない。イザングランがアレクから離れる理由など、もうないのだ。


 こいつらには自分がこれしきの事でアレクから離れていくような人間に映っているのだろうか。

 ……。ぼんくら、節穴、愚か者。お前らの首上はただの帽子置きだな。


 一通り感想を並べ立て終え、いっそう冷めた目で同級生共を見る。

 彼らは一瞬たじろぐが、引く気はないようだった。

 それどころかまだ笑っている。何がそんなに楽しいのだろう。それとも虚勢だろうか。

 後者だろうな、と見当をつけてイザングランはその辺に生えている雑草を見ている気分になった。

 自動人形達が日々抜いて回っているのに、知らぬ間にあちこちに生えるあれだ。生命力と繁殖力が高く、大量に取れても肥料くらいにしか使えない。雑草はしゃべらず、故意に人を不快にする事もないのだから、雑草のほうがいっそマシだろう。

 このまま立ち去ってもよかったのだが、アレクを怒らせた冗談とやらの内容が気になる。

 アレクの言葉を濁すほどの冗談を言った本人達ならさぞかし正確に教えてくれる事だろう。

 事実、同級生共は聞いてもいないのにベラベラと喋り出した。

 曰く。


アレクアレイザングランキミのお気に入りだものなあ」

「ベッドでよろしくやってるんだろう? 顔だけは見られるもんなあ!」

「そんな小さな体で満足させられるのかなあ?」

「それともキミがあえぐほうか!」

「ああ嫌だ、これだから貧乏人は。体で稼ぐしか能がないものなあ、ブルデュー君もかわいそうに」

「この学園に入れたのだって、学園長に身体で取り入ったからなんだろうさ」

「若作りだもの、若い男に弱いのも仕方ない」

「キミもそう思うだろう?」

「教えてくれよ。あの貧乏人の身体の具合はどんなだった?」

「さぞかし具合がいいんだろうな」


 ゲラゲラと笑い顔を立てる彼らの顔は覚えていない。過去、見た事もない程醜悪だったという印象だけは覚えている。

 他にもアレクについて罵詈雑言を吐いていたように思う。忌々しすぎてまったく記憶に残さなかったが。

 彼らはアレクに報復しようなどと考えていない。敵わないと悟り、なぜかイザングランを標的にして八つ当たりをしているのだ。

 兎にも角にもただただ不愉快で疎ましくて、どうしようもなかった。

 きっと、アレクもこいつらのせいであんなに怒っていたのだ。


***


 アレクはまず冷静になろうと努めた。息を深く吐き、そして深く吸う。

 しかし腹は立ったままだ。煮えくり返っている。


「なあ、対物防御壁は張れるか?」


 アレクの静かな声に同級生一同は顔を見合わせる。

 張れるに決まってるだろう、と魔力を持たず、基本の魔術すら使えないアレクを馬鹿にしきったように答えた面々にアレクは、


「見せてくれよ」


 と、やはり静かに言った。

 ああそうか、かわいそうに、魔力のないおまえは防御癖壁さえ展開できないもんなあ、と同級生の一人がアレクを見下しながら、せせら笑いながら、軽く魔力をこめて防御壁を展開した。


 パリン。


 間髪入れずに割れた――割られた防壁の破片が散らばり、空気に解けていく。

 信じられないものを見る思いでそれらを目に映していた彼は体の内が軋むような、ひび割れるような痛みに胸元をわし掴む。防壁を破壊された反動だと気付く前に膝が折れ、地面に手をついていた。

 視界の端にアレクの靴が目に入った。


「早く次を張れよ。まさか今のが全力な訳でもあるまいし」


 無表情でそう言ってのけたアレックスは手をぶらぶら振って付け加えた。


「別に張らなくてもいいけどな。直に殴った方がすっきりしそうだ」


 その声音に背筋が凍った。後ろに這いずりながら障壁を張りなおす。今砕かれたのは、油断していたからだ。不意討ちだったからだ。今度はそう簡単に――


 ガシャン。


 砕け散った障壁の欠片がいやにゆっくりと自分の回りに降り注いだかと思えば、先ほどよりも強い痛みが身体の内側を襲った。


「うああああっ!!」


 身をよじる事さえ叶わず、ただ叫んで、床の上に転がった男をアレックスは冷めた目で見下ろしていた。


「お貴族様もこんなもんか」


 その凍てついた視線を遮るように三度目の障壁をはる。魔力も精神力も練り込められていない脆すぎる壁だったが、張らないよりはましに思えた。

 そして、三度目の破壊音がする。さっきよりもはるかに軽い弱々しい音。そこで彼の意識は途切れた。

 倒れたまま動かなくなった仲間から自分たちに移されたアレクの凍てついた青色に恐怖を覚えた。思わず殴りかかった一人の拳をかわしてアレクはその腕を掴み、捻り上げた。


「これって正当防衛だよな」

「は、放せっ!」


 喚く声に従い、アレクはまるでゴミを捨てるかのように、同級生を放った。


「殴りあいがお望みならそうしてやろうか。骨が折れても知らねえけど」

「ひっ…」


 アレクの本気を見てとった上級生達は慌てて防壁を張る。瞬く間すらなく、彼らの防壁は砕け散った。


***


 学園内で生徒の魔術行使は禁止されている。だが、もちろん例外はある。

 それが防御に関する魔術だ。

 イザングランは薄い防御壁を展開した。彼らの前方と後方の一枚ずつの計六枚。

 その前後を近付けていく。

 ゆっくりとだが、確実に。万力のような力強さでもって。

 防壁に挟まれた同級生達が何事かを呻いていたが、無視した。

 痛かろう、とは思うものの、謂れのない暴言を浴びせられたアレクのほうがよほど痛かったのだろうから、これくらいは我慢して然るべきだろう。

 ミシミシという音が聞こえる。

 浮かんだ予測を見ぬふりで、なんの音だろうな、と呟いた。

 保険医は優秀なので、どんな怪我であろうと治療してくれるだろう。安心して長期入院してほしい。


 こうして、同級生三人に怪我をさせたイザングランはテーリヒェン師にゲンコツをもらい、晴れて竜籠の罰掃除を言い渡された。

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