第11話

 イザングランは落ち込んでいた。思わず重いため息がまたこぼれる。

 ため息の原因はアレクとケンカをしたからだ。

 アレク離れをし、自立を決意したイザングランはさっそく一人で行動し始めた。

 いつも一緒にいたがるイザングランが突然そうなったのだから、アレクが不思議に思うのは当然だろう。

 もちろん理由を問われた。

 まさか馬鹿正直にアレクに依存し過ぎている自分を恥じて、独り立ちするためだ、とは言えるはずもなく。

 うまくごまかすために焦り、上手く言えずに苛立ち、結果、一方的な言い合いになってしまった。

 明晰な記憶力もこの時ばかりは疎ましかった。

 アレクに投げつけてしまった言葉の数々を思い返しては深くため息を吐く。控えめにいって消えたい。

 アレクにそれほど応えた様子が見られなかったのがせめてもの救いだろうか。

 それでも自己嫌悪に塗れてのたうちまわっているイザングランは、アレクと顔をあわせ辛くて仕方がなかった。

 授業ではどうにか組めているが、気まずくてろくな会話もできていない。

 アレクが側にいない事をこれ幸いと機嫌をどん底にまで落としているイザングランの様子にも構わず、ブルデュー家へ媚びへつらうために近寄って来る馬鹿共を追い返しながら、今日何度目かになる深い溜息を吐いた。


 その日は目覚めるとすでにアレクの姿はなかった。

 どうやら水やり当番をまた肩代わりしてやっているようだ。置いていかれてさみしいやら、ホッとするやら。

 声ぐらいかけていけばいいものを、と思う自分の考えを振り払う。

 自立するのだから、これでいいのだ。

 朝食をもちろん一人でとる。

 自動人形達が作った、慣れた味だ。

 美味しいはずのそれを咀嚼しながら、少しだけ胸の奥が重い気がした。

 アレクの手料理をもう何日食べていないだろう。

 すぐさまその日数を弾き出そうとする優秀な脳みその活動を止めて、イザングランは無心で朝食を胃に収めた。

 授業だって一人で受ける。

 選択がかぶらず、実技ばかりだったので当たり前の事であるのに、やはりさみしかった。

 それを認めるのは癪だったので、気持ちを紛らわせるためにも授業に打ち込んだところ、優良の判をいただいた。褒めてくれる人がいないのではちっとも嬉しくなかった。

 昼食も一人でとる。

 最近はずっと一人だ。

 学園の食堂は人で溢れており、騒がしいという表現がぴったりの有様だったが、今のイザングランにはそれも気にならない。大勢の人間が周りにいるのに一人でいる気分だ。

 いつもの三時のおやつも購買で買った自動人形さくのものだ。

 甘さ控えめでも美味しいクッキーで、前にアレクと一緒に食べた時にそう感じたことを覚えている。けれど、今日は甘さが足りない様な気がした。

 もそもそと食べ終える。日向にいるのになぜか寒い。


 隣にいつもアレクがいたせいか。あいつが風除けになっていからこんなに寒さをかんじるのだろうか。


 寒さの理由に見当はついていたが、わからないということにしておいた。

 認めてしまえば永遠にアレク離れができなくなるような予感がしたからだ。


 午後の授業もすべて終わってしまい、けれど寮にまっすぐ帰る気も起らず、図書館に行こうか、猫を愛でに行こうか、とイザングランは珍しく学園内をぶらついていた。

 今ごろ、アレクはマデレイネと仲良く遊んでいるのだろうか、と考えれば言うまでもなく胃の腑が重たくなった。

 アレクに抱き着いて勝ち誇ったような笑みを浮かべるマデレイネまでが浮かんできて、イザングランは青筋を立てながらそのニヤケ面を打ち払った。


「……どこだ、ここは」


 気付けばひと気のない場所まで来てしまっていた。学園は広いし、隅々まで知っている訳でもないから、初めて見る場所だった。

 呆けすぎだ、とイザングランは舌打ちをする。

 とりあえず来た道を戻ろうときびすを返したイザングランの耳に悲鳴が届いた。

 気配を探るとうっすら魔術を展開したらしい名残を感じる。

 イザングランは数舜迷ったあと、声のした方向へと足を向けた。

 以前なら放っておいたが、万が一にもアレクが巻き込まれていたら、と思うといてもたってもいられなくなってしまったのだ。



 小走りで駆けて行った先にはまさかのアレクがいた。

 万が一の可能性に賭けてきてよかった、とイザングランは安堵の息を吐く。

 悲鳴は耳障りな男子のものだったはずだが、と視線を下げていくと、三人、恐らく同級生であろう男共が倒れていた。見たところ外傷はない。

 アレクにも外傷はないようで、イザングランは胸を撫でおろそうとした――……アレクの白い、握られた手から、血が滴っていた。


「アレク!!」

「イジー」


 いきなりの大声に驚いたのか、アレクは少し目を見開いてイザングランを見た。そうしてすぐに笑みを形作る。

 イザングランはそれが癇に障った。

 こちらを心配させまいとしてのことなのだろうが、少しくらい自分を頼って欲しかった。辛うじて怒鳴り声を上げずにすんだのは僥倖だった。


「ちょうどよかった。こいつらを運ぶの手伝って……」

「そんなやつらは後回しだ! 人形達に任せておけばいい!」


 冷静でいようとしているのに、どうしても語気は荒くなった。その事に更に苛立ちが募る。舌打ちは危ういところでこらえた。


「行くぞ!」

「あ、おい」


 手を掴んで引くと、いつもはびくともしないアレクは諦めたのか、抵抗する気をなくしたのか、素直にイザングランに引きずられるままになっている。

 久しぶりに触れたアレクの手はわずかにひんやりとしていた。



 初めて訪れる事になった保健室は治療をする場所、というより実験をする場所、という印象だった。

 あちらこちらに設置されている実験道具達が怪しげな音を立てており、とてもじゃないが清潔感に溢れた場所とは言い辛い。

 そんな保健室のヌシである性別不詳の保健医は実験準備で忙しいからと、アレクの手当をイザングランに押し付けていた。

 アレクの怪我はそこまでひどいものではなく、軽度の打撲程度だったのだが、職務放棄にも程がある。

 本で読んだことがあるから手順さえ知ってはいるものの、実践は初めてであったイザングランの巻いた包帯は見事にガッタガタになった。

 巻いた本人ですらそう思ったのだから、巻かれたアレクだってそう思っただろう。

 イザングランへの指示は見事なものであったから、怪我をしたのが利き手でなければ自分で手当ができただろうに。

 だと言うのに、アレクは文句ひとつ言わず、嬉しそうに笑って礼を言う。

 いかにも不器用が巻きました、というのが丸わかりなアレクの右手に、次の機会など無いに越した事はないが、あれば絶対にまともな手当てをする! とイザングランはひっそりと決意した。



「……ごめん」

「いーっていーって。初めてなんだからこんなもんだって」


 それもあるが、自分が傍を離れたりしなければ、アレクは絡まれる事もなく、ケガをしなかったのではないか。

 そう考え至ったイザングランは俯いた。


「………ごめん」


 イザングランの心中を察したらしいアレクがいいって、と艶やかな黒髪を撫でた。


 自動人形達が運んできた同級生たちはアレクの手当が終わってもベッドで唸っていた。

 保険医の見立てでは精神的な外傷を受けたのが原因のようだ。


「うふふふ。実験台ができてよかったわあ。ちょうど効果を試したかったのよねえ」


 そう言いながら保険医が手にした試験管の中身は紫色をしていた。


「……帰るか」

「……ああ」


 何も見なかったし、聞かなかった事にした。


 保健室からの帰り道に同級生達と何があったのか聞いたが、曖昧に笑いながらはぐらかしてきたので、深く聞くのはやめておいた。

 少なくとも、今回はブルデュー家イザングランが近くにいなかったから起きた事は間違いない。

 イザングランは目を閉じ口角を上げた。ここ最近の不機嫌さは鳴りを潜め、苦行の末に悟りを開いた賢者のように穏やかな表情だった。


 アレク離れは卒業してから考える事にする。

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