第36話
せっかくの休日なのに、と眉間にシワを寄せたイザングランは重々しいため息をついた。
向かいで茶を飲んでいるアレクがなにかあったのかと気遣わしげに首をかしげる。
「昨日も言ったが今日は地元に行く。できるだけ早く帰るつもりだがいつになるか分からないから昼食は先に食べていてくれ。夕食までには絶対に帰る。絶対に帰る」
大事なことなので二回言った。夕食までには絶対に帰る。なにがなんでも帰る。
「お、おう。でも実家に帰るんなら明日も休みなんだし別にゆっくりしてきても……」
「絶対に帰ってくる」
「お、おう」
いいんじゃないか、とは言わせてもらえずアレクはそっか、と返すしかない。
実家と折り合いが悪そうだと思ってはいたが、予想以上に仲が悪そうである。仲が悪いというよりイザングランが一方的に毛嫌いしているようだ。
鼻を鳴らしたイザングランがそれに、と続ける。
「実家に行くわけじゃない。婚約者から話がある、直接会って話したいと呼び出されたんだ」
「へえー、婚約者……婚約者?!」
目を丸くして常にない様子で驚くアレクに今度はイザングランが首を傾げる番だった。
なにをそんなに驚いているんだろう。
***
「久しぶりね、イザングラン。去年の新年挨拶振り?」
「ああ、そうだな」
応えてイザングランは出された紅茶を啜った。
コールズ学園に入学するまでは毎日飲んでいた味だったが、アレクの淹れてくれる茶に馴染んだ今となってはどこか違和感を覚えてしまう。
違和感といえば今いるこの部屋もそうだった。寝起きしている寮の部屋の倍以上広い空間に洗練された調度品の数々が配置されている。そのどれもが部屋の主の趣味で、フリルやレース、淡い夢見がちな色彩で溢れていた。気は合うが趣味は合わないな、とイザングランはカップをソーサに戻す。
「それでなんでわざわざ僕を呼び出したんだ。手紙でも良かっただろう」
「あら、手紙なんて無理よ。お父様にすべてチェックされているのですもの」
相変わらずプライバシーがない。イザングランも似たようなものだから今さら騒ぐこともなかった。
「それもそうだったな」
「あなたが年末に帰ってきてくれたらよかったのに」
「僕があの家に自主的に戻ると思うのか?」
「思わなーい。ようやく出られたものね。私もはやく出たいわー」
くすくすとカリーナが笑う。カリーナはイザングランの物心が付く前に父が決めた婚約者だ。二人の間に恋情はもちろん存在しておらず、お互いに幼馴染みとしか見ていない。いるだけで息の詰まる家の愚痴を言い合えるいわば仲間のようなものだった。
「手紙に書けないような問題に僕を巻き込むのはやめてくれ」
「あら。幼馴染みのよしみで協力するくらいいいじゃない。あなたも無関係ではないのだし」
「何をやらかしたんだ」
「ひどーい」
カリーナがきゃらきゃら無邪気そうに笑っている。イザングランも人のことは言えないが、家が家なだけあってカリーナも一筋縄ではいかないイイ性格をしている。幼少期は大人に叱られるイタズラをしでかしては互いのせいにしていたものだ。ちなみにイザングランが負け越している。大人達はカリーナの涙目上目遣いに弱いのだ。
妹のようなカリーナにはイザングランも強く出られない。今回はどんなとばっちりを受けるのか、と腹に力を入れ直した。
「実はね、私好きな人ができたの」
「それは目出度いな。相手はどこの魔物だ?」
「はっ倒すわよ」
「冗談だ」
良かった、無茶振りじゃなかった、とイザングランは背もたれに体重を預けて格好を崩す。無作法だが相手は気のおけないカリーナだから問題ない。
けれど元来真面目なものだからすぐに背筋を伸ばして椅子に座り直した。
「いつ婚約を解消するんだ? 僕はいつでもいいぞ」
想像していたよりずっと難度の低かった話にイザングランは安堵して茶と茶菓子に手を付けていく。無茶振りされて断るときに茶菓子をたてに取られては断りづらくなってしまうからだ。久しぶりの砂糖増し増しの茶菓子をアレクの土産に包んでもらおう、と決める、ついでにミゲルとマデレイネの分も。
「できればすぐにでもしたいだけど、そうはいかないの」
「……まさか本当に魔物相手なのか?」
「どうしてそうなるのよ。イザングランは私をなんだと思っているのかしら?」
「美少女の皮を被ったガキ大将」
「イザングランは美少年の皮を被った悪の参謀よね」
ハハハ、ウフフ、と笑い合い、恒例行事を終える。
「身分差か」
「大当たり。お父様もお母様もぜったい許してくれないわ。ラザールはすっごく素敵な人なのに。
ね? とカリーナが傍らに控えていた使用人に微笑みかける。それまで従者らしく無表情で目を伏せていた青年は顔を真っ赤にさせてお嬢様! と咎めの声を上げた。
使用人相手では無理だろうな、とイザングランは気に入った菓子を四人分包むようラザール青年に頼んだ。
ラザールは赤みの引かない頬のままテキパキと指示に従う。
「だからイザングランには申し訳ないのだけれど、もう少し私と婚約していて欲しいのよ」
「別に構わないさ。他の人間に見つかるようなヘマをされると困るが」
婚約者のいる身で、とカリーナの立場が悪くなるのはもちろん、イザングランもなぜ婚約者を繋ぎ止めておけなかった、と主に父親から叱責される羽目になるだろう。
人の心など自由にできるわけもなし、勝手に婚約者を決められただけなのに理不尽すぎる。
「私はヘマなんてしませーん」
「どうだか」
笑ってイザングランは次の菓子に手を伸ばした、美味い。
「好きな人ができたら婚約解消するって約束していたのにごめんね。イザングランはどう? 好きな人はいないの?」
「別に僕は……」
問われた瞬間イザングランの脳裏に浮かんだのは嬉しそうに笑うアレクだった。二人で新年を祝って、贈り物を嬉しいと笑った、蝋燭の灯りに照らされながら瞳を細めたアレクだ。
「……?」
「どうしたの?」
「いや、べつに。
それより将来ラザールと結婚する案はどんなものだ? 考えてあるんだろう」
「んふふ。ラザールは商人になって大成功する予定なの!」
立ち上がり両手を広げて宣言するカリーナにまず正気か? と呆れの視線を送り、次いで本当か? とラザールを見る。
照れながら、けれどしっかりと頷いたラザールにならいいか、とイザングランは土産の菓子を追加した。
「ラザールは本当にすごいのよ、私の横で家庭教師の授業を聞いていただけなのに私より覚えがいいの!」
「カリーナはもう少し教師の言うことを聞いてやれ。家庭教師泣かせが」
「聞こえませーん。
経済とか商売の勉強を独学でしていてね、この前出入りの商人に紹介したらすごく誉められていて、奉公にきて欲しいってスカウトされたの! うちに出入りしているわりにクリーンな商会だから目を付けていたのだけれど、ドンピシャだったわ。それで近々そこに奉公してゆくゆくは独立して大富豪になって私を迎えに来るって寸法よ!」
「長期計画だな」
「
」
「そうか。いいんじゃないか。がんばれ」
その時がくれば家計に大打撃を与えてでも結婚する気でいるらしい。打算や妥協渦巻く世界を見てきたイザングランには眩しいくらいの純愛だった。
「君達の結婚式には呼んでくれ。
「元婚約者を結婚式に呼ぶ新婦ってヤバくない?」
「そうか?」
「ヤバいですね」
「そうか……」
じゃあご祝儀は弾ませてくれ、と言えばそれもヤバくない? とカリーナに大笑いされた。
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