第20話
「けっこうにぎわってるな」
「もうすぐ年末だからね。長期休暇前になるべく在庫を減らしておきたいんだと思うよ」
ミゲルの言う通り、なるほどあちらこちらに大売り出しののぼりが立っている。在庫処分なのだとミゲルが説明してくれた。
学内販売所は購買と違い、教員や生徒が主だって店を出している。売っている物は多種多様で、品質もピンからキリまで。魔術の触媒を売るささやかな店から人体実験を目的にした店まである。
もちろん合意のない人体実験は禁止されているし、それを破って強行すれば処罰される。しかし、年に何人かは無断人体実験の被害者が出るらしい。恐ろしい事だ。
そういった事情も含め、出店での買い食い経験のないイザングランとマデレイネは素性の知れない他人の作ったものを口にするは、と尻込みをし、それぞれアレクとミゲルが買ったものをわけてもらい、おそるおそる食べたのだった。
アレクの作ったクッキーのほうが美味しいな、などと店主が聞けば怒り出しそうな感想を抱きながら、イザングランは初めて見る販売所に少しだけ気分を高揚させていた。
マデレイネとミゲルは早々に家族への土産を買うと、機巧の材料になりそうなものを楽しそうに物色しはじめた。
イザングランにしてみればどの魔石も鉱石も似たようなものだと思うのだが、機巧職人を目指す二人には違って見えているらしい。
店主にいろいろ聞いたり、魔石を
一軒終わったかと思えばまた次の一軒へ、と移動する。どうやらこの辺りにある店は二人にとって宝の山であったらしい。
「長くなりそうだな」
「昼食には拾ってやろう」
「だな」
あいにくと、イザングランとアレクには買う物がない。
アレクもイザングランも里帰りをしないので家族への土産は必要なく、手紙を送るために必要な便せんも封筒も購買で売っている。
もっとも、イザングランは手紙ではなく、当たり障りのない定型文を羅列したカードを送るつもりである。やはりこれも購買で売っている。
「ぼられるなよー」
「おれがついてるから大丈夫」
「はっはっは。違いない」
目の肥えたマデレイネがいれば偽物を掴まされる事はないだろうし、商家出身のミゲルがいればぼられる心配はないだろう。
商人を目指しているらしい生徒の店には商魂逞しく新年用の品物が置いてあり、売り子まで用意して呼び込みに精を出す店さえあった。
飛び交う賑やかな声にアレクが瞳を細めた。
「もう年末だなあ」
「そうだな」
「イジーも家には帰んねーの?」
「ああ」
イザングランは力強く肯いた。
年始年末といえば家にいることの少ない父親が帰って来る可能性が頗る高い時期だ。父に母を取られた姉兄の八つ当たりの標的にされるくらいなら学園で年越しをしたほうがよほど平和である。
「お前こそ帰らないんだろう?」
「旅費も時間もねえからなあ」
アレクがぼやいた。
学園には空間転移装置があり、各国の主要都市群に繋がっている。
イザングランの実家はルナール帝国の王都にあるので、転送装置を使えば日帰りどころか、実家から学園に通えるくらい近いのだが、アレクの実家は辺境の辺境のド田舎にあるそうで、おまけに魔力と金がないのも重なり、徒歩で移動するほかなく、到着にひと月はかかってしまうらしい。入学式に間に合わないかもしれなかったのはそのためだ。
自分よりもはるかに健脚なアレクがひと月かかるほどの道程に、イザングランは背筋を寒くさせた。
「夏休みも戻らないんだろう?」
「おう。卒業するまでは戻らねえつもり」
そうか、と返して、イザングランは改めてアレクの凄さを思い知った。
約九十日、三か月程ある夏休みのうち、一日か二日くらいは実家に顔を見せなくてはならないのだろうな、とぼんやりと思っていたのだが、一日も帰らないという選択肢があったとは。目から鱗が落ちるとはこの事だ。
学園にはアレクがいるのだし、帰りたくもない実家に帰る理由もない。イザングランも家に帰らない事に決めた。
アレクと違って卒業しても戻る気はないが。
家に戻る事を考えると、どこか陰鬱だった気分が吹き飛んだ。
わずか心を躍らせたイザングランは新年祭の準備をする事にした。
なにせアレクとすごす初めての新年なのだから、素晴らしいものにしたい。
学内販売所でどの程度の物が手に入るかわからないが、そこはコルーズなのだし、だいたいの物は売っているのではないだろうか。
ソワソワとしながら店を見回す。
新年祭ではおなじみのキャンドルやリースが数多くの店先を飾り立てていた。
値札を見比べて予算を組み立てる。
イザングランの軍資金はあまり多くはない。イザングランをブルデュー家の人間だと知る人間が目を向くくらいには少ない。
そんな訳でイザングランが持っているわずかな金は、ゴルツ師や緑鱗の翁からもらった薬草や実などを売ってできた金だ。
売ったというか、なんというか。もらったものをさてどうしようかと歩いていたら、先輩らしき薄汚れたローブの生徒に是非売ってくれ、金なら出す!! と縋り付かれた。
よほど欲しかったのだろう。その勢いにアレクも引いていた。
目を付けられたらしく、薄汚れた先輩らしき生徒には度々遭遇し、薬草や実などを引き取ってもらった。そういう経緯で貯まった金なので、自分で稼いだ金だといえるだろう。
新年を迎える時に灯す蝋燭は買うとして、他は何を買おうか。どんなものなら喜んでもらえるだろう。
イザングランはかつてないほど高揚していた。
アレクと一緒に販売所をぐるりと回る。
いい匂いのしていた蝋燭と、アレクに隠れて新年の贈り物を買った。気に入ってもらえると良いのだが。
「なんか飲むか」
「ああ」
休憩所を兼ねた飲食スペースの周りには飲食店が軒を連ねており、まだ昼前だというのにそれなりに賑わっていた。
見るからに美味しそうなものや、どうやって作ったのかまるで見当もつかないものもあった。
販売所では売り物の飲食物に関しては完成品や材料に魔術をかけることは禁止されている。
だから材料は魔獣や魔木の果実などを材料にしていても、調理は魔術を使っていないはずであるので、なんとも不思議だった。
ちょうど客のいなくなった茶の出店があったので、そこで茶を注文することにした。
看板に書かれているメニューを眺めていると店主らしき女生徒が「いらっしゃいませ~」と声をかけてきた。
甘そうな名前の甘茶にしようとイザングランが顔を上げると、目をかっ開いた店主と目が合った。口もあんぐりと開けていて、たいそう間の抜けた顔をしていた。
店主の妙な態度に首を傾げるイザングランとアレクに、店主は興奮した様子で「どうぞ!」と勢いよく茶を提供してきた。勢いが良すぎて杯から茶が飛び出すところだった。
まだ注文もしていないのに出てきた茶を胡乱気に見て、次にアレクと顔を見合わせる。
違う店にしようかと考えるくらいには怪しい。
「あの、まだ注文してないですけど」
「サービスです!!」
怪しい。
甘そうな匂いがする茶は美味しそうではあるが、見ず知らずの他人が淹れた得体の知れない液体だ。飲む気には到底なれない。
提供者の目は血走っているし、鼻息も妙に荒い。気持ち悪いし、怖い。
無理矢理渡された茶はとても良い匂いだったが、仕方ない。
茶を捨てようとしたイザングランは目を剥いた。
「うん、美味い。甘いからイジーは好きかもな」
飲むか? と杯を差し出してきたアレクに呆ける。目の前の店主の様子をちゃんと見たのかと問いたい。
「無警戒に飲むな。どう考えても怪しいだろう」
「ええ?」
アレクはちら、と店主を見て、
「まあ、たしかにちょっと様子はおかしいけども」
「ちょっと?」
「でも飲み物はちゃんと事前に学園が安全を確認してるって話だし、人体実験するなら同意書にサインが必要だろ?」
「それはそうだが」
「なっ、店長さん」
「えええ! もちろんです! 私のお茶は安心安全ですとも! オホホホホホホホホホ!」
怪しい。目が泳ぎまくっている。怪しい。
「滝の様な汗を流しているな?」
「いえいえいえいえ、本当に何も怪しいものは入れておりませんよさあどうぞぐぐいっと一気にお飲みになってくださいな黒髪の美少年君様!」
怪しすぎる。
イザングランは体ごと引いた。さすがのアレクもちょっと引いた。
「ほら見ろ危険物を仕込んでるじゃないか。保健室に行くか?」
「そうかもなー……。行っとくか……」
「ちょっ、いやいやいやいやいや、ぜんっぜん! ぜんっぜん怪しくないし、安全も安全ですよ?!」
「ならまずは自分で飲んで見ろ」
「ウグゥッ」
イザングランの言葉に喉を詰まらせ、脂汗を垂らす店主を冷たく一瞥する。茶を付き返し、アレクを伴って別の店に行こうとした。
「待ってください、美少年君様!」
店主がイザングランから返された杯を一気に飲み干した。
ダァンッ! と音を立ててカウンターに空になった杯を叩き付けた店主はぐい、と口元を拭い、勝ち誇ったように笑う。
「どうですか飲みましたよ! ぜったいに安全ですのでどうか! どうか飲んでください! お代はいりませんから!」
「……だってさ?」
「………」
イザングランはこれ見よがしに大きなため息を吐いた。
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