第19話
期末試験がようやく終わったミゲルは思い切り伸びをした。
「ヤッター! 解放感スゲー!」
「……」
「……」
しかしイザングランもマデレイネもミゲル程は喜びを露わにしていない。どちらかといえば冷めた表情をしていたし、珍獣でも見ているかのような視線をミゲルに送っていた。
「ちょ、もう少し盛り上がろうよ! ようやく自由の身だよ? 冬休みも目の前だよ?」
「浮かれすぎだ」
「実技はともかく筆記はまだ返ってきてないからなー」
「……」
「はうっ。マデレイネさんの無言がいちばん辛い!」
胸元を押さえ項垂れるミゲルだったが、イザングランとマデレイネの塩対応にもなんだかんだ慣れてきているミゲルであったので、なんとか復活をとげる。
「ぐ、ぐうう。でもでも三人とも成績優秀じゃん? 赤点取るとしたら一番可能性が高いのはおれじゃん?」
「そうだな」
「そうね」
「ちょっとくらい否定してくれてもいいと思う」
「ははは……」
容赦のない二人にアレクが渇いた笑い声を上げた。
しゅん、と肩を落としたミゲルだが、これくらいでしょげ続けていてはイザングランとマデレイネとは会話などできない。すぐに顔を上げた。きらきらと目が輝いている。
「まあそれはともかく! 試験は終わったし、冬休みはすぐそこだし! 四人で何かやろうよ! ね!」
「断る。勉強をしていたほうが有意義だ」
「機巧の研究をしたいから断らせてもらうわ」
返された断りに殴打されたミゲルは膝をついた。
アレクがいつものようにミゲルを慰める。そしてイザングランもこれまたいつものごとくミゲルの頬を抓った。
「通過儀礼みたいになってるけど、イザングランくん、いいかげん人のほっぺをつねるのやめない???」
「やめない」
「即答かよ」
「それよりも――」
「それよりも?」
「……なんでもない」
「え、気になるんだけど」
「なんでもない」
「つねるのやめて?
言いかけてやめられるのちょー気になるから話してくれると嬉しーなー」
「……」
「ねーねー、イザングランくーん」
「…………でいい」
「え?」
「……呼び捨てでいいと言ったんだ」
「……!」
イザングランの言葉を理解したミゲルの顔は喜色に塗りつぶされる。反対にイザングランは苦虫を潰したかのような形相になっていた。
「こっちは呼び捨てなのに君付けされるのは座りが悪い。……ような気がする。
……なんだ」
へにゃりと力の抜けた顔で涙ぐむミゲルをイザングランは渋面のまま睨みつけた。もちろんミゲルは怯えるはずもない。
「とうとうおれもイザングランくん、んにゃ、イザングランに友達認定してもらえたかと思うと嬉しくて……」
「………」
顔から火が出そうな羞恥心から、友達認定などしていない! と大声で否定したかったが、しかし実際に友達認定しているのは間違いないなかったので、イザングランは照れ隠しに顔をそむける事しかできなかった。
「じゃあ俺も呼び捨てでいいぞ」
「うん、アレク!」
「私も呼び捨てで構わないわ」
「う、うう、うん! よろこんで!」
先程とは別の感涙にむせぶミゲルが顔を背けたままだったイザングランの肩を組んできた。馴れ馴れしいと思ったが、積極的に払いのける理由もないのでされるがままにしておく。
耳元にこそこそとしたミゲルの声が届く。
「ありがとうイジーくん! おかげでマデレイネさんを呼び捨てに゛っ」
「
「ごめんっ! イザングラン! 意外と力強いアイアンクロー!」
「意外は余計だ」
速やかな降伏に応じて、イザングランは着実に筋トレの効果が現れているらしい手をミゲルの顔から外してやった。
「はー、イタタ。イザングランは外見のわりに手が早いなあ」
「外見は関係ないだろ」
「うちに来てたお客さんはわりと関係あったよ。いいもの着てるお客はだいたい金払いが良かった」
「……商家の出か」
「うん」
こっくりとミゲルは肯く。
「今は二番目の兄ちゃんがお嫁さんと店を切り盛りしてて、三番目の兄ちゃんがそれを手伝ってる」
「一番目は」
「姉ちゃんは嫁に行った先で楽しくやってるって手紙が来た。でも時々姪っ子と甥っ子たちをつれて家出してくる。嫁ぎ先が近くだから。その度旦那さんが大慌てで謝りに来るよ」
「そうなのか。賑やかだな」
「うん。静かな時がないくらいだったよ。
おれは七人兄弟の四番目で、家は継がなくていいし、そもそも商才ないし、機巧が好きだから機巧職人になろうと思って
「……意外と将来を考えていたんだな」
「あはは、意外は余計だー」
一見、能天気そうに見えるミゲルが、自分よりもよほど将来設計がしっかりしていた事に驚きが隠せない。ともすれば羨ましくさえあった。
イザングランはとにかく実家を出たくてコルーズに来ただけであって、ミゲルのように明確な将来を見据えていた訳ではない。
きちんと考えるべきなのだろうな、と考え込み始めたイザングランの背中をミゲルが叩いた。少しばかり強めに。痛かった。
「まだ一回生だし、これからじっくり考えてけばいいよ。おれだってまだまだ志望が変わるかもしれないし。
おれがちっちゃいころなりたかったものね、トマト」
「ぶふっ」
予想外の答えに思わず吹き出したイザングランにミゲルが歯を見せて笑った。
「姉ちゃんに言われたときおれも笑った。ちっさいころってわけのわかんねー考えかたするよなー」
育ちの良さから大っぴらに口を開けて笑う事を良しとしないイザングランは肩を震わせながら、ミゲルは構わず大口を開けて笑いながら談笑するアレクとマデレイネのところまで戻った。
心なし得意満面のマデレイネが気になったが、さして気に留める事もせずアレクの隣に並ぶ。
「レニーと話してたんだけどさ、買い物に行くのはどうだ? 年末に里帰りするなら土産いるだろ?」
「いいんじゃないか」
「いいね」
イザングランとミゲルも同意した。
それからややあって二人して首を傾げる。
「レニー?」
「レニーってもしかしてマデレイネ……さんのこと?」
ふふふふん、と胸を張ってふんぞり返るマデレイネはやはり得意満面だった。イザングランの米神に青筋が浮かぶ。
「アレクに私も愛称で呼んでもらえる事になったの」
イザングランはその場に人目もはばからず崩れ落ちそうになったが、なんとか耐えた。心の中では見事に崩れ落ちていたが。
「れ、レニーって響きがかわいいよね! お、おれも呼んでい……」
「……え?」
「あ、ダメだよね、うん……」
ミゲルは実家での手伝いで培った人心を察する技術を持ってして、潔く引き下がった。さん付けが取れただけでも良かったじゃないか、と。顔も心も涙に暮れながら。
一人は頗る上機嫌で、一人は絶望のどん底並みの不機嫌さで、一人は弱弱しい笑みを浮かべながら涙を流し、という異様な三人を見渡しながらアレクは頬をかいた。
「えーと。で、どうする? 買い物行くか?」
「行く……」
「もちろん行くわ!」
「行くよ……」
今度の休みに学内販売所に行く事が決まった。
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