第34話

 窓から入る光の中にちらちらとほこりが舞っているのが見える図書館でイザングランは黙々と本を眺めていた。

 いつもの早朝読書会だが、ミゲルとマデレイネは欠席だ。アレクは本を探している最中だ。一人で窓際の大きな席に座ってぶ厚い本のページをめくってはため息に近いものをその薄い唇から零していた。

 イザングランは猫が好きだ。

 大きな瞳、ふわふわの毛皮、尻尾は長くても短くても鍵でもかわいい。肉球は言うに及ばず、様々な模様の被毛、気分屋な性格が故にもたらされるデレの威力と言ったら。筆舌に尽くし難い。

 猫はかわいい。かわいいは正義。故に猫は正義であり、正義は猫である。


「イジー、なに読んでんだ?」

「アレク」


 猫への愛が妙な方向に飛んでいたらしい。イザングランは咳払いをひとつ、読んでいた図鑑をアレクに見せた。従魔契約を結べる魔物獣の載った図鑑だ。


「へえ、いろいろ載ってるな。あ、こいつけっこう美味いぞ」

「食べるな」


 可愛らしいイタチ型の魔獣を指差してアレクが笑う。猫ほどではないが、それ以外の可愛らしい生き物も好きなので食料として見るのはやめてほしかった。


「従魔契約ができる魔物獣を見ていたんだ。授業で習得するのはまだ先だが、どんな姿形をしているのか見ておこうと思って」

「へえ」


 神秘に溢れた古代と違って現代ではそこまで必要とされなくなった従魔、使い魔だったが、イザングランは従魔を持つことに憧れていた。なにせ従魔は主人に忠実だ。

 そう。忠実なのだ。

 つまり好みの魔物獣を従魔にすればモフり放題なのだ。

 猫系魔獣を従魔にすれば魅惑のお腹をモフモフ。触ればぴるぴる震える耳。ぷにぷにの肉球。長さに関係なく愛らしい尻尾。それら全てを余すことなく堪能できるのだ。なんて素晴らしいんだ。

 しかし、問題もあった。イザングランの所持属性は闇と水属性で、従魔契約できるレベルの属性は闇だけだ。

 闇属性は他の属性と違ってなぜか可愛くない魔物が多い。可愛くないというか、いっそ醜い。さすがに醜いは言い過ぎなのかもしれないが、とにかくイザングランの好みから外れているものばかりだった。

 せっかく従魔契約をするのだから、と力の強い魔物獣を見てみればどれもこれもごつい、でかい、こわい、と可愛さの欠片もない。イザングランに従魔契約の才能があれば強い魔物獣と契約した上でかわいい猫系の魔獣と契約するのだが、悲しいかなイザングランには従魔契約の才はなかったので、契約できるのは一頭がせいぜいだった。


「こいつとかかっこいいよな」

「……」


 そんなイザングランの気持ちを知らないアレクは楽しそうに図鑑を覗いている。

 アレクが指差したのは鋭い牙と蝙蝠羽を持つ魔獣だった。たしかにかっこいいが、可愛さは全くない。アレクはかっこいいほうが好きなのだろうか。図鑑を眺めながらイザングランは頬杖をついた。むう、と頬が膨らみ眉根もわずかばかり寄る。

 イザングランの身長はお世辞にも高いとは言えない。認めたくはないが同学年の生徒の中でも低身長に分類される。顔立ちもこれまた自慢じゃないが可愛らしいと言っていいだろう。


「小さくて可愛らしい生き物をどう思う?」

「へ? そりゃかわいいと思うけど」

「そうか」

「いきなりどうした」

「別に」


 当然だ。可愛い生き物がかっこよく見えるわけがない。

 イザングランは不貞腐れた気分のまま図鑑のページを捲る。やはり可愛さの欠片もない魔物獣が並んでいた。


「本当にどうして闇属性はいかつい生き物ばかりなんだ」

「? かっこよくていいじゃないか」

「僕は猫みたいなかわいくてふわふわした従魔を持ちたいんだ」

「ならそうすればいいじゃないか」

「どうせなら強い魔物獣を持ちたいじゃないか……」

「かわいいのと強いのと両方を持てばいいじゃないか」

「できれば迷わない」

「……つまりできないのか」


 それは残念だったな、とアレクに頭を撫でられ慰められた。

 いつもなら心が浮き立ち、同じように機嫌も上向くのだが、今に限ってはそうではなかった。何故かはわからないが神経を逆撫でされて、下降していく気分のままアレクの手を払った。

 思いの外大きく響いた音にはたかれたアレクはもちろん、むしろイザングランのほうがよほど驚いた。

想定外の出来事に固まるイザングランに数秒目を丸くしていたアレクだったが、すぐいつものように破顔してなんでもないと言うようにひらひらと手を振る。

 ほんのり赤くなっているアレクの手にイザングランには津波の如く後悔が押し寄せてきた。


「ア、アレク……」

「わるいわるい、いきなり触られてびっくりしたよな」


 にかっと太陽光のように眩しい笑顔だった。あまりにも眩しすぎてそれに照らされたイザングランは言葉に詰まる。

 謝らなければと思えば思うほど上手く口が動いてくれない。嫌な汗が背中を伝う。岸に打ち上げられた間抜けな魚のように口を数回開閉させて、けれどなんの謝罪も出てこない。それが悔しくて情けなくて、イザングランは口を真一文字に引き結んだ。

 握り込んだ手のひらは力を込めすぎて痛んでいたが、それよりも胸の内のほうが多痛む。


「ア、アレク……」

「うん?」

「……アレク……」


 握りしめた手のひらをアレクの手がそっと包んだ。自分よりも幾分か温度の高いそれにイザングランは詰めていた息を吐き出せた。


「その……手を払ってしまって……す…………すまなかった」

「ん」


 イザングランの手のひらに食い込んだ爪のあとを検分するようにアレクが撫でる。くすぐったくて、けれどもイザングランはおとなしくされるがままでいた。


「ちゃんと謝れて偉いなー」

「……バカにしてるのか?」

「してないって」


 眉根を下げて笑うアレクの手にイザングランも同じように触れた。イザングランがこまめにハンドケアをしているおかげですべすべもちもちしているが、やはり指先は固い。労働者の手をしてる。


「お、イジーはけっこう手がでかいな」

「手が大きいと何かあるのか?」


 アレクが手のひら同士を合わせ大きさを比べる。確かにイザングランの手はアレクと同じくらいの大きさだった。


「よく言うだろ、手が大きいと背も大きくなるって」

「そうなのか?」


 それが本当になるならば成長したイザングランはアレクと同じかそれ以上に背が伸びると期待してもいいのだろうか。


「聞いたことないか? あれ、俺んとこだけかな」

「早急に調べる必要があるな……」

「っぶふ……っ」


 至極真面目に発言をしたイザングランは脈絡なく吹き出し、肩を震わせ始めたアレクに困惑しきりだ。


「なんで笑うんだ」

「いや……っ、なんでも……」

「ないわけあるか」


 身長を気にしてばか正直に自分の言葉を信じたイザングランがかわいくて、と言えるはずもない。アレクはなんとか誤魔化そうと言い訳を考えようとしたが、腹筋の痙攣を押さえつけるのに忙しくてそれどころではなかった。


「ごめ……ったぶん、迷信のたぐいだから、これ……調べなくてもいいと思うぜ……っ」


 息も絶え絶えに伝わった情報を噛み砕くこと三秒。真っ赤に熟れたリンゴより頬を赤く染めたイザングランは力の入っていない拳でアレクをはたいた。アレクの腕に当たり、ぱすんと間の抜けた音を出す。


「そんなに笑わなくてもいいだろう。こっちは毎日お前に見下ろされてるんだぞ」

「ンッひひひ。ごめんって、そんな気にしなくてもイジーはこれから伸びるって」


 腹を抱えて本格的に笑い始めたアレクを睨むイザングランだったが、羞恥で赤らんだ顔と潤んだ瞳では普段の迫力なぞ出ようはずもない。そもそもイザングランの眼光に怯むアレクではないのだ。

 やっぱりかわいいなあ、と目元を和ませたアレクは肩を寄せ、金と黒の髪が混じらせながらそろりと自分よりも白い手の甲に指先を這わせた。すべすべとしていて少しひんやりしている。

 気持ちの良い感触を堪能し、イザングランの手指と自分の体温が混じりあったころ、イザングランにお伺いを立てた。


「なあ、頭なでてもいい?」

「………………」


 やっぱりまだ触られんのはイヤなのかなあといつの間にか俯いていた顔を覗き込む。


「……」

「………………」

「イジー、あのさ」

「何も言うな」

「いや、でもすっげえ顔赤……」

「な に も 言 う な」

「うん……」


 イザングランは自由に動く腕で顔を覆って隠してしまったけれど、夕日よりもなお赤くなったイザングランの顔をばっちり目撃してしまったアレクは突発性の熱でも出たのかと少し慌てて、どうやら病気ではないらしいと肩の力を抜いた。

 おそらくはさっきと同じで照れているのだろうが、どこに照れる箇所があったのかわからず首をアレクはひねる。少し間考えて、本人に聞いたほうが早いと思考を放棄する。

 けれどもその本人に発言を禁止されてしまったので結局黙っているしかなかった。今のイザングランには何を言っても機嫌を損ねてしまいそうだったので。

 それでも手は振り払われたりせずにそのままであったから、アレクは笑いを噛み殺しながら読み手のいなくなってしまった図鑑に手を伸ばした。

 これは美味かった、これはイマイチ、と心内で呟きながらページを捲っていく。

 たしかに闇属性の従魔たちはイザングランの好む可愛らしい魔物獣が少なかった。

 強くてかわいいのがいればよかったのに、と思う。イザングランだって強くて可愛らしいのだから、そんな魔物獣だっていてもいいだろうに。

 そう思いながらページを捲っていくと、可愛らしい猫系魔物が目に入った。属性は残念ながら光属性だったが、猫のような外見で額に宝石のようなものがついており、背中には鳥のような羽が生えている。体毛は白か薄金茶だと記載されていた。


「なあイジー」

「……なんだ」


 ちょいちょいと手の甲を指の腹で叩くと短い返答があった。


「こいつ、かわいいな」

「……ああ」


 ちらりと対象属性を確かめた瞳が悔しげに揺れる。


「色は白か薄い金茶だってさ。赤とか青もいたらおもしろいのにな」

「そんなに色とりどりだと目にうるさそうだな」

「違いない」


 赤みの取れてきたイザングランと密やかに笑い合う。


「イザングランがこいつを従魔にするんだったら色は紺かな」

「アレクなら金色だろうな」


 太陽よりも眩しそうだと笑ってイザングランがアレクの前髪を払った。少し切ったほうがいいのかもしれない。


「属性とか適正とか関係なく選べたらよかったのにな」

「それなら僕はこいつを従魔にしていただろうな」


 イザングランは羨望の籠った瞳で図鑑の絵を撫でる。


「好きな色も選べるとしたらやっぱ黒か?」


 私物に黒が多いイザングランだが別に黒が好きな訳ではなかった。無難な色に落ち着いてしまうだけだ。


「色も選べるとしたら、そうだな。金がいい」


 畑一面を覆い尽くし風に揺れる黄金色と、その上に広がるんだ秋空を連想しながらアレクを見た。


「瞳は青空みたいに清んでいて額の宝玉を覗くときっと宇宙が見えるんだ。肉球はたぶん桃色で、しっぽは短くても長くてもかわいいだろうが、長いほうがバランスを取り易そうだな、と思う。

 ……まあ、僕は従魔にできないんだが。空想するだけなら自由だろう」


 そうだな、とアレクが力強く笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る