第32話

 コルーズ学園は古くから続く由緒ある魔術学園だ。故に校舎にも歴史がある。

 そんなわけでイザングランは古くなっていた木製の柱の角のささくれに制服の袖を引っかけて破いてしまった。


「………これは、だめだな」


 袖を目の高さまで上げてまじまじと確かめてみたが、それで直るわけもなく。誤魔化しようもないほど破れてしまった袖を見つめながらイザングランは思案した。

 実家では服がほつれればすぐに新しい服が与えられていたが、学園ではそうもいかない。

 申請すれば割引価格で制服が買えるが、袖を少しくらい破いただけで買い替えるのはもったいない気がした。

 今までは少しのほつれはイザングランが気付く前にアレクがいつの間にやら繕ってくれていて、針仕事をしているアレクを見かけて初めてほつれていたことを知ったのだが。

 しかしながらアレクは今現在バイトに精を出していて忙しい。それならば、とイザングランは一念発起した。

 最近アレクに助けられてばかりいたのだ、服の繕いぐらい自分一人でなんとかしてみせよう。

 柱のささくれを自動人形に報告してから気合を入れて袖を繕おうとしたイザングランはさっそく躓いた。

 服を繕うのに必要な道具がない。アレクは自前の裁縫道具を持っていたようだったが、本人の許可なく荷物を漁るわけにもいかない。自動人形ならば貸し出してくれるだろう、とイザングランは赤バラに声をかけた。


「赤バラさん、すまないが裁縫道具を貸してもらえないだろうか」

「………」


 こくこく、と頷いた赤バラはすぐさま裁縫道具を出してきてくれた。そのままイザングランの袖を繕おうとしてくれる赤バラを制して、イザングランは自分でやりたいのだと伝える。


「自分でできることを増やしたいんだ、手間をかけて悪いんだがやり方を教えてくれないか?」

「……!」


 再びこくこくと嬉しそうに赤バラは頷いた。

 しかし赤バラたち自動人形は話せない。取りまとめ役のアンフィーサしか言葉を発する機能を持っていないのだ。

 そしてアンフィーサにはアンフィーサにしかできない仕事が任されていた。いち生徒に縫い物を教えているような時間はなかった。イザングランは身振り手振り、時にはお手本を見せてくれる赤バラに教わり、四苦八苦しながらもなんとか袖を繕い終えた。

 イザングランは礼を言って仕事に戻っていく赤バラを見送ると大きく息を吐いた。肩を回し、指を伸ばし、背筋を伸ばす。


「つ、疲れた……。裁縫はこんなに疲れるものだったんだな……」


 幾度か針で突いてしまった指先を気にしながらイザングランは茶を淹れようとした。しかし、どうにもその気にならなかった。ソファに座って背もたれに体重をかける。

 袖の繕いはまず序盤も序盤、針穴に糸を通すことからして難しかった。布に通した糸が抜けないように糸を結ぶのも、糸をもつれさせないように縫うのも、布地に余計な皺が寄らないようにするのも、イザングランには嫌になるくらい難しかった。初心者が喋れない自動人形から身振り手振りだけで教わるのは難易度が高かったのかもしれない。

 イザングランはソファに沈み込みながら繕ったばかりの袖を見やった。


「うん……まあ……うん……初めてにしては上出来だろう」


 そういうことにしておいた。

 どうせならばアレクに裁縫を教わりたかったが、バイトで多忙であるのにその時間を削って教えてくれとは言い辛かった。言えばアレクが快く教えてくれるだろうことがわかりきっているだけに余計に。

 アレクが自分に教えることが収入に繋がればいいのに。

 そこまで考えてイザングランはお茶を淹れに立ち上がることに成功した。

 いつものように流れ作業で二人分の茶葉を入れそうになり、息を吐いてスプーンから茶葉を落とす。自分の茶葉ふつうのこうちゃをカップに注ぎ一服した。

 アレクがイザングランに教えることで収入を得られれば、心置きなく教われるのだが。

 熱い茶をちびちびと飲みながらイザングランは思索にふける。

 アレクに教わりたい。そうするとアレクのバイトの時間がなくなる。アレクが教えることが仕事になれば。教えるのが仕事……講師……。


「そうだ、講師があるじゃないか!」



「というわけで新しく活動団体を作った。その名も生活技能修練課。講師はアレクだ」

「よく申請が通ったなあ」


 驚きと呆れの混じらせてアレクが笑う。マデレイネは憤慨した様子で、ミゲルは驚嘆の声をあげた。


「ずるい! 私だってアレクに教わりたい!」

「イザングランってめちゃめちゃ努力の人だよね」

「ははは、残念だったなマデレイネ」


 微笑ましいキャットファイトを始めた二人の横でミゲルとアレクは戦いが終わるのを見守る。下手に仲裁せずに放っておいたほうが早く治まるのだった。


「やっぱり講師のほうがバイト代いいの?」

「学生だから飛びぬけて良いってわけじゃないけどな。天気に左右されないし、机仕事だと服の汚れがないのがいいよな」

「そっかあ」



 生活技能修練課の初活動は大掃除から始まった。

 実験棟に新しく設けられた部屋を上から下まで人力ではたいて、掃いて、拭き清めるだけで初日の活動が終わった。

 魔術や自動人形の力を借りない大掃除は翌日のイザングランにそれは見事な筋肉痛をもたらした。

 本人曰く、軽度の痛みで日常生活を送るのになんら支障はない、と見栄を張っていたが、他の三人から見れば「どこか体を痛めてるの?」と思ってしまうくらいにはぎこちない動きを数日していたイザングランだった。


「普段使わない筋肉を使うからな、仕方ねえよ」

「大掃除って大変だもんね」

「掃除ってそんなに大変なものだったのね……」

「僕は別に大変じゃなかった」

「うんうん。そうだな、張り切って掃除してたもんな」


 イザングランの精一杯の強がりはアレクにはお見通しのようだった。

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