第31話

「じゃああとでね」

「またね」

「おー、気をつけてなー」


 放課後になり機巧研究所に行くミゲルとマデレイネを揃って見送って、アレクはバイトへ、イザングランは図書館へとそれぞれ出掛けて行った。

 ついこの間遭遇してしまった怪異はようやく退治されたので遭遇する危険はない。逃げ隠れするのが巧妙で、骨が折れたとテーリヒェン師がエールジョッキ片手にぼやいてた。

 図書館に赴いたイザングランはその門前でぱちくりと目を瞬いた。図書館では忙しそうに自動人形たちが司書たちの指示で動き回っている。しばらく呆然とその光景を見つめたイザングランは、三歩後戻りして扉の貼り紙を見た。貼り紙には『本日、大掃除のため休館いたします』と書かれている。

 休館なら仕方ないな、とイザングランはほこりが舞う図書館を後にした。

 自室で復習と予習をすませてしまったイザングランは背もたれに体重を預けて、しばし天井を見つめた。ふと思い出して引き出しの中に閉まっておいたものを取り出す。アレクを真似てメモ用紙にでもしようと思っていた紙の一枚に視線を滑らせた。紙に書かれている活動団体一覧を見て時計を確認すれば夕食にはまだ時間がある。

 よし、と気合いを入れて椅子から立ち上がると、イザングランは実験棟へと向かった。


***


 アレクは今日もバイトに精を出していた。

 故郷いなかとは比べ物にならないほどの高時給で働けてありがたい限りだ。

 コルーズ学園は魔術学園とも呼ばれる場所であるので、アレクのような肉体労働従事者はあまりおらず、魔術を使ってはいけないような場所でアレクは重宝されていた。あとは世話人の好き嫌いが激しい魔物獣を相手するのが主だった。


「今日も世話してもらって悪いのう」

「そんな気にしなくても大丈夫だって。ちゃんと給料出てるからさ。それにじいちゃんにもらう果物美味いし」

「ふぁっふぁっふぁっ。そう言ってもらえるのは気分が良い。どおれ、じーちゃんがご褒美をやろうな」

「そうやってあんまりあげすぎるとまたハゲ作って怒られるぞー」

「ぐんぬう」


 つい先ごろ贔屓にしているアレクやイザングランに果実をあげすぎた結果、植物を育てる魔力が偏り見事なハゲ部分を作り上げ竜医師のルスラン・フルィチョフに怒られたばかりの緑鱗の竜は首をすくめた。

 床ずれはようやく完治し、最近では竜籠を歩き回って運動するまでに回復してきた竜は時折アレクを世話人に指名して、がんばったご褒美と称したお菓子をもらうのを楽しみしている。


「まったく、どんな種族の雄も若い雌には鼻の下を伸ばすんですねえ。私の言うことなんかちっとも聞かなかったくせに、アレクが通うようになってから急に健康志向になって」

「おお、ルスランか。今日もご苦労ご苦労。それについてはすまんかった、反省しとるから広い心で許して欲しい」

「嫌ですよ。私が死ぬまで言い続けます。

 アレクもありがとうございます、偏屈な老人の相手をしてもらって助かってますよ」

「いやあ。俺もじいちゃん、翁にはいろいろ貰って助かってるんで」


 竜の日課健診に訪れたフルィチョフ師は腰に手を当てて竜をジト目で見た。竜は音の出ていない口笛を吹きながらあらぬ方向へ視線を滑らせた。


「若い子がかわいいのは分かりますけどね、ハゲを作るまで果実をあげないでくださいよ。いいですか、昨日も言いましたけどね、本調子になるまで人に果実をあげるのは禁止ですからね」

「そんな殺生な。ワシの数少ない楽しみなんじゃぞ? イザングラン坊なんかな、甘い果実をあげるとそりゃあもう嬉しそうに……」

「はいはい、栄養剤打ちますねえ」

「ぎゃあ!!」


 竜用の大きく太い注射を容赦なく突き刺されて叫んでも、配慮のできる竜はのたうちまわって竜籠を破壊するようなことはせず、ただただ痛みに耐えていた。これはご褒美を五キロくらいもらいたい、と涙目になりながら。


「そうそう、イザングランといえばさっき会いましたよ。実験棟へ見学しにいくんだそうです」

「へえ」


 図書館が閉まっていたからだそうですよ、とフルィチョフ師は二本目の栄養剤をやはり容赦なく竜に打つ。竜が食いしばった口のすき間から悲鳴をもらした。


「実験棟か……。たしかあそこは生きているんだったのう」

「ええ、そうですよ」

「生きてる?」


 竜とフルィチョフ師の言葉にアレクは雑草を抜く手を止めた。野生の緑鱗の竜には要らない草木を食べてくれる小動物がいるのだが、竜籠にいる翁は定期的に人が抜かなくてはすぐ草が生い茂ってしまうのだ。


「おや、知りませんでしたか? 実験棟には多種多様な活動団体が入りますからね、部屋数が変わる様に作られたんだそうですよ。そのせいで生きた地図を持っていかないとすぐに迷うそうです」

「地図がいるんですか?」

「ええ、教員室で言えば貸し出してもらえますが……もしかして、イザングランはこのことを」

「知らないと思います」


 アレクは草を抜く手を早めた。鱗のすき間から生えている草は、丁寧にゆっくりと取らなくては竜に痛みを与える。しかし明日以降は別のバイトを予定に組み込んでいて、竜を訪ねるのは一週間は先になってしまう。七日も放っておけば草などすぐ成長してしまう。他の世話人もいるが、自分が担当してる箇所はどうしても今日中に取ってしまいたい。


「痛かったらごめん、じいちゃん!」

「大丈夫じゃ、ルスランの注射の方が万倍痛い!」

「三本目いきますねえ」

「ぎゃあああ!」


***


 活動団体一覧を片手に着いた実験棟の庭は広く、大小さまざまな小屋が立っていて、聞いたことのない声が聞こえてくる。猫のようにかわいらしい鳴き声ならばふらふらと近寄っていたイザングランだったが、どう聞いても獰猛そうな鳴き声だったので覗くこともせずにさっさと実験棟へ足を踏み入れた。

 実験棟は薄暗く、昼間でも魔術灯がついていた。正面に階段があり、左右に廊下が伸びている。少し肌寒く感じたイザングランは腕をさすりながら活動団体一覧表を改めて見た。階ごとに団体の名前が書かれており、まずは一階にある魔術部を覗いてみることにした。しかし階数しか書かれていないので右と左、どちらに行けばいいのか分からない。行けば分かるのだろうか、とイザングランは左の廊下を進んだ。

 左側の廊下を進んでいくと魔薬製作所という看板が目に入った。年末に勝手に猫耳を生やされたことを思い出してむかっ腹が立ったイザングランはもちろん覗かず、扉の前を通り過ぎる。猫耳の手触りは極上だったが、それはそれ、だからといって勝手に猫耳を生やされた恨みは忘れられるものではない。

 生物飼育と書かれた看板がかかった部屋の中からはいかにもな獣臭さが流れてきた。あの広い庭で飼っているのがすべてではないらしい。室内で飼っているのだから小動物だろう、と予測を立てて、いったいどんなものが買われているのか興味が湧いたイザングランは少しだけ見せてもらおう、と扉をノックした。しかし返答はない。

 留守か、と肩を落としてイザングランは廊下の奥へと進んだ。いくつかの団体と空き部屋を通り過ぎると行き止まりになってしまった。こっち側ではなかったか、とイザングランが来た道を戻ったが、途中でハテと首を傾げた。


「こんなところに階段などあったか……?」


 記憶違いでなければ実験棟の出入り口まで続いているはずの廊下は壁に遮られて行き止まりになっていて、その突き当りから階段が伸びていた。

 イザングランは石壁を触ったり叩いたりしてみたが、壊れるでもなく、隠し扉があるわけでもなく、仕方ないのでイザングランは階段を登っていった。二階に上がるだけなのにずい分長い階段を息を切らせながら登りきって、イザングランは目に入った長椅子で休憩をとることにした。

 休みがてら二階の活動団体に目を通し、機巧研究所に行ってみよう、と腰を上げた。


「……天体観測所?」


 一番初めに見つけた看板には確かに天体観測所とある。イザングランは首を捻りながら一覧表を見直す。天体観測所は屋上のすぐ下の階にある活動団体だ。二階にあるはずがない。

 一覧表に間違って載ってしまったのだろうか、とイザングランは疲れた気分で窓の外を見た。そろそろ夕暮れも近いようだ。まだひとつも見学をしていないのに、とイザングランはため息をつき、そして目頭を揉む。

 窓から見える景色は素晴らしいものだった。学園をすみずみまで、とはいかないが、ずい分遠くまで見渡せた。見間違いでもなんでもないことを確認してイザングランは理解した。どう見ても二階から見える景色ではない。つまり、イザングランがいるのは二階ではないようだった。

 あの妙に長いと感じていた階段は、その通り、一階から最上階まで伸びていたようだ。とにかく階下へ下る階段を探すしかない。イザングランは疲れた足を動かし始めた。


 いつの間にか出現する壁に、扉に、階段に、手を焼きながらイザングランはなんとか最上階から三階まで降りてきていた。かつてないほど階段の上り下りをしたせいで、膝が笑い始めてきている。

 ぜえはあと乱れた息をなだめてイザングランは歩く。ここで人のいる活動団体を訪ねて出口までの道を聞けないのがイザングランだった。多くの生徒が問題なく通う実験棟で迷ったなんて、かっこ悪くて言えやしない。

 なんとか夕食までに外にでるぞ、と階段を探すが、なかなか見つからない。水筒を持ってくるべきだった、とイザングランは壁にもたれた。石造りとはいえ廊下を水浸しにしてまで魔術で水を飲もうという気は起らなかったが、いよいよ喉の渇きが限界に達したら飲むと決める。

 自分はこのまま実験棟で迷ったままなのか、と考えて頭を振る。さすがにそれはない。遅くなれば教員が探しに来るだろう。

 教員が探しに来る、ということは注意喚起が行われる、ということで、つまり同級生に失態が知れ渡る、ということでもある。

 それはいやだ、まずい、どうにかせねば!

 イザングランは慌てて壁から背を離し、再び廊下を歩き始める。少しばかり早足になったイザングランの耳に誰かが廊下を歩いて来る音が届いた。

 音の主はたいそう急いでいるらしく、イザングランよりも早足だ。ここは恥を忍んで出口までの道を聞くしか、と覚悟したイザングランの目の前に現れたのはアレクだった。


「アレク?」

「よかった、見つかった、探したぜ、イジー」

「本物か? イザングランといえば?」

「猫」

「本物か」


 安堵の息を吐いて、なぜ実験棟ここに? と問うと、アレクは地図を広げてみせた。


「今日のバイトはじいちゃんのとこだったんだけど、そこでルスラン先生に実験棟に行くなら地図を借りてかなきゃいけないって聞いてさ。実験棟って中がよく変わるんだって」

「ああ、その通りだ」


 げっそりとしながらうなずいたイザングランの頭を軽くなで、アレクはお疲れさん、と労う。


「この地図便利だぞ。行きたい場所を言うだけで最短距離を教えてくれるんだ」

「実験棟の外に出たい」


 アレクに笑われようとも今のイザングランの偽らざる本心だった。喉は乾いたし、お腹は減っているし、疲労困憊で足が震えている。さっさと寮に戻って美味しいご飯を食べて、ゆっくり風呂に浸かって、やわらかなベッドで眠りたい。

 イザングランの求めに従って地図に線が走る。その線がまっすぐ窓の外を示したのを見てアレクが腹を抱えて笑い、イザングランは地図を握り潰しそうになった。


「確かに最短距離で外に出れるな」


 笑いすぎて浮かんだ目尻の涙を拭ってアレクが言う。イザングランは分かりやすく機嫌を損ねた。


「一階に行きたい」


 アレクとイザングランの現在地を示す丸印からすう、と一本の線が地図に伸びていく。


「よし、行こうぜ」


 返事をする気力もなくなったイザングランはこっくりうなずいて、アレクのあとについて行った。


 実験棟の地図を帰した帰り道、眉間に皺をよせたままのイザングランに頭を掻いて、アレクはイザングランの顔を覗き込んだ。


「あー、疲れたなら、………おぶるか?」

「ありがたいが、やだ」


 かっこ悪いじゃないか、とますますむくれるイザングランに苦笑して、アレクはそうか、と返すのみに留めた。

 翌日のイザングランは見事に筋肉痛になった。


「……おぶろうか?」

「いい。ぜったいにことわる」

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