第30話

 夕食後の寮の食堂に集った一回生たちをぐるりと見回し、自動人形たちの取りまとめ役であるアンフィーサは学園からの報せを話し始めた。


「学園で先生方から聞いている方もおられるでしょうが、重大な注意事項ですのでわたくしからも報告いたします。

 近ごろ図書館へ続く第三中庭付近の渡り廊下で不審な声かけが発生しております。うっかり返答をしてしまい、あちら・・・側に連れて行かれそうになった方もおられますので、むやみに返答を行わないでください。皆さまの知人に変化している可能性もあるようです。些細な違和感でも疑い、本人確認を怠らないでください。合言葉を決めておくのも有効だそうです。できるだけ二人以上で行動をし、一人になりませんよう、お気をつけください。

 話は以上です。皆さまどうぞよい学園生活を」


 アンフィーサがお辞儀をし、他の自動人形たちと共に通常業務に戻っていく。

 人間となんら遜色のないアンフィーサの動きを見て、マデレイネはうっとりと息を吐き、そんなマデレイネに見惚れたミゲルもまた同じように息を吐いた。他の自動人形たちと違って言葉を発するアンフィーサのような機巧を作るのがマデレイネの夢のひとつであるらしかった。

 ざわざわと食堂のあちらこちらで声かけの犯人や対策を練る生徒たちに漏れず、イザングランたちも顔を突き合わせる。


「怪異ってやつか。怖いなー」

せんせいたちが調査してるならすぐに解決するんじゃないか?」

「そうだな。しっかし、コールズには怪異なんて出ないもんだと思ってた。コールズの怪異は冬に出るんだな」

「冬でも怪異は出るんじゃないか?」


 小首を傾げたイザングランにミゲルも頷いた。マデレイネは眠そうな目を細めながらちびちびと紅茶を飲んでいる。


「俺んとこじゃ夏によく出るかな」

「そうなんだ」

「地域差があるのね」

「冬に活発になるやつなら実家うちの近所にいるよ」

「僕は聞いたことがないな。聞くのはせいぜい真偽不明の噂程度だ。実際の怪異の話は始めて聞いた」

「私もだわ」


 そうなのか、とアレクも茶に手を伸ばした。


怪異こういうのって、都会より田舎に多いよね」

「そういうものなの?」

「そういうものか」


 ウェリエーズ国の王都に住んでいたマデレイネが興味深げにミゲルを見た。ルナール帝国の帝都に住んでいたイザングランはマデレイネに見つめられてあたふたするミゲルを見た。


「そ、そうだよ。おれのとこは冬の季節風に乗って厳冬馬が走り回るんだって」

「それは魔物じゃないのか?」

「そうかも」


 笑ったミゲルにアレクがなんでもないかのように言う。


「俺のとこはいろいろだな。動物っぽいのとか、人っぽいのとか。名前は知らないけど。あいつらが出てくるとなんでか部屋が冷えるんで、暑いときに出てきたら一晩は家に置いとくな」

「すごいわね……」

「すごいね……」

「それは大丈夫なのか……?」


 心配する三人にアレクはからりと笑んだ。


「親父が脅してるから大人しいもんだ」


 イザングランが予想するに、突然変異でもなければ魔力のないアレクの父親もアレクと同じように魔力がないか、あってもとても少ないはずだ。それなのに怪異を脅せるなど、怪異よりアレクの父親のほうがよほど恐ろしい。

 いつか会ったときに仲良くなれるだろうか、と不安に体を冷えさせたイザングランはココアの入ったマグカップを両手で包んだ。一口、二口と飲んで体を温めたイザングランはキリリと顔を引き締める。


「念のために合言葉を決めるぞ」

「いいね! なんだかちょっとワクワクするなー、合言葉!」

「山と言ったら川、とかかしら?」

「それはありきたりすぎるだろう。せっかくなんだからもう少し捻りたい」

「そこまでする必要あるの?」


 先生が怪異をどうにかするまでの間なのに、と眉根をわずかに寄せたマデレイネの肩を宥めるようにアレクが叩く。


「まあまあ。合言葉とか秘密基地とか、憧れる時分が誰にだってあるもんだ」


 アレクの言葉にうんうんと深く頷くミゲルと、控えめに頷いたイザングランに理解できないものを見る視線を向けて、マデレイネは紅茶を飲んだ。


「どんなのがいいかな」

「海と言ったら空……もありきたりか」

「かっこいいのがいいなあ」

「図書館で暗号大全でも借りてくるか?」

「そのほうがいいかもしれないね。明日さっそく行こう!」

「本当にそこまでする必要があるの……?」


 暗号作りに熱中するイザングランとミゲルたちから少しばかり距離を取ったマデレイネは完全に引いている。アレクは困ったように笑って、温度差の著しい三人を見ていた。


「イザングランといったら猫、はどうだ?」

「それだ」

「それね」

「………まあいいだろう」


 ミゲルが即答し、暗号作りに時間をかける気のないマデレイネも首肯する。眉間に皺を作って不機嫌な表情を作ったイザングランも猫と名前を並べられるのはまんざらでもないようで、ほのかに嬉しそうに肯く。

 暗号が無事決まったその日以降はなにごともなく過ぎていった。

 それはイザングランが怪異の話を忘れかけたころのことだった。

 アレクはいつものようにバイトで、ミゲルとマデレイネは機巧研究所に出ている。イザングランは図書館へ行った帰りだった。

 アレクは授業中や休み時間のちょっとした時間に出された課題を片付け、余った時間を予習や復習に当てている。けれどバイトが最優先でそれほどたくさんの時間を予習復習に当てられているわけではない。

 だからイザングランは自分の予習復習のついでにアレクのために要点をわかりやすくまとめた資料作りをしている。アレクには無理するなよ、と言われているけれどイザングランはやりたくてやっているのだ。人に教えると自分の理解も深まるからから、お節介でなければさせて欲しい、と言ってある。幸い、ありがたいと受け取ってくれるので、その度にイザングランは次も分かり易いようにまとめよう、と決意を新たにするのだった。就寝前のアレクとの勉強時間はイザングランにとってとても落ち着く時間だ。図書館や寮の談話室などでミゲルやマデレイネの四人でする勉強会も楽しいが、イザングランはアレクと二人きりでする勉強時間が一番好きなのだ。

 今日の分の資料を作り終えたイザングランは図書館を出て寮へと向かう。今日のアレクは夕飯の時間近くまでバイトをしているそうなので、イザングランも遅くまで図書館に残っていた。冬至が終わってだんだんと日が長くなっているとはいえ、まだ太陽が沈むのは早い。辺りはすっかり暗くなり、魔術灯が点いていた。襟足を撫でる寒さに首を竦めながらイザングランは帰路を急ぐ。早く温度調節のなされた寮の自室で寛ぎたかった。


「なあ」


 イザングランは足を止める。アレクの声だった。背後から聞こえたその声に振り返る。そこにいたのはアレクだった。


「もうバイトが終わったのか?」

「ああ、終わった」


 何か良いことでもあったのか、アレクは機嫌よく笑っていた。いつもなら心が浮き立つイザングランだったが、目の前にいるアレクの笑顔になんだか背筋の冷える思いがして、わずかに後ずさりした。

 そんなイザングランに気づいているのかいないのか、アレクはやはりにこにこと笑っている。


「今日のバイトはどこでやってたんだ?」

「うん。今日のバイトはな」


 笑ったままのアレクが答える。


「バイトはな。あっちだ」


 イザングランから目を離さないまま、アレクが渡り廊下の外を指さす。イザングランは息を飲んだ。

 今日のバイトはゴルツ師の実験棟室の掃除を頼まれたと言っていた。アレクが指さした方向にあるのは森だけで、教員の実験棟はない。

 イザングランはそれまで忘れていた注意喚起を思い出した。


『不審な声かけが発生しております』

あちら・・・側に連れて行かれそうになった方もおられますので』


アンフィーサの平坦な声が思い出された。じとりと背中が汗で湿ったが、体は冷えていた。


「どうしたんだ?」

「………イザングランといえば?」


 アレクは笑ったまま首を傾げた。合言葉を決めたのはアレクなのだから、忘れるはずがないのに何も答えない。


「行こうぜ」


 そう言って笑ったままのアレクが手を差し出してきたが、その手を取る気にはなれなかった。なぜ、と沸いた疑問にすぐさま答えがはじき出された。ここはくだんの廊下じゃないか!

 気付いてイザングランはいよいよ体を震わせた。これ・・はアレクじゃない。ぜったいに。

 イザングランはじりじりとアレクに見えるモノから距離を取り始めた。怪異は馬鹿の一つ覚えのように「行こうぜ」だの、「こっちこいよ」だのと口にしている。誰が行くか。

 隙を見て逃げ出そうと、イザングランは身構えた。未だアレクに見える怪異を睨みつける。イザングランの態度ににぃ、と口の端を釣り上げた怪異はようやくアレクに見えなくなった。


「行こうぜ。こっちこいよ」


 手を伸べて近づいてくる怪異からさらに距離を取ろうとイザングランは後ろに下がろうとした。なのに体が動かない。ここでイザングランは自分の失態に気づいた。

 魔性の中には目を合わせると体の自由を奪ったり、精神汚染を仕掛けてくるものがいると授業で習ったではないか。では目を閉じようとしてもそれも叶わない。

 ニタニタ笑う怪異はどんどんイザングランに近づいてきた。


「きれイだなア。きれイだなア。なアオれと行こウぜ。な? 行こウ」


 ところどころ音が外れ、掠れて聞こえる怪異の声は腹の立つことにアレクの声によく似ていた。

 怪異の指先がイザングランに触れようとした、そのとき。唐突に視界が覆われ、耳に心地の良いこえが届いた。


「行かない。退がれ」


 覆われた目元と背中が温かい。嗅ぎ慣れたアレクの匂いにイザングランの強張った体から知らず知らずのうちに力が抜けていった。


「こいつはおまえと行かない。行くならおまえ一人で行け」


 アレクは怪異と会話しているようだったが、もはやイザングランの耳に届くのは人語ではなく、なにかが喚いているような、呻いているような、薄気味の悪い雑音ばかりだった。

 アレクが下がるのにあわせてイザングランも下がる。すっかり雑音が聞こえなくなったところで目の覆いが外された。見慣れた金の髪と青い目がすぐ目の前にあった。


「大丈夫だったか、イジー。どっか変なとこないか? ケガは?」


 心配そうに自身を覗き込んでくるアレクに頷いて、イザングランは自分の体を動かしてみた。手も足も、先ほどとは違いきちんと自分の意思で動く。ほう、と安堵の息を吐いた。


「大丈夫だ。変なところも痛みもない」

「そっか」


 アレクも大きく安堵の息を吐いて、イザングランの手を引いて歩き出す。小走りのアレクに遅れないよう、イザングランも息を弾ませる。


「教員室行って、今の報告して、保健室行くぞ。変な呪いとかかけられてるかもしんねえし」

「大丈夫だ。どこもおかしいところはないと言っただろう」

「念のためだよ。イジーに呪いがかかってても俺じゃわかんねえし。な?」


 眉を下げ切ったアレクにそう言われてしまうとイザングランは首を縦に振るしかなかった。

 教員室に報告し、教員にも保健室へ行くよう念を押され、気乗りはしなかったものの保健室に寄り、イザングランもアレクも呪われていないと太鼓判を押されたころには夕飯の時間などとっくに過ぎていた。

 冷え切った廊下をアレクと歩く。呪詛検査に時間がかかったせいだった。だんだんと短くなってきているとはいえ、まだ夜は長い。

 イザングランは隣を歩くアレクを見上げる。魔術灯に照らされたアレクの瞳は、やはり青空を思わせる輝きを放っていた。

 そのうちにイザングランからの視線に気づいたアレクが目線を合わせて、ゆるくイザングランの手を握ってきた。


「どうした? やっぱ怖かったか?」


 そりゃあそうか、あんな怪異に行きあったんだものなあ、でも寮ならもっと明るいぞ、とアレクはイザングランを労わるように微笑んだ。別に怪異に遭遇したせいで夜の闇が怖くなったわけではなかったが、アレクの手を離しがたかったので、訂正せずにおいた。


「アレクはよく怪異アレを前にして動けたな。僕は不覚にも目を合わせてしまったせいで身動きが取れなくなった」


 自分の不甲斐なさを思い出したイザングランの眉間に皺が寄る。顔を顰めたイザングランを宥めるような声色でアレクが答えた。


「ホラ、俺って魔力がないだろ。よくわかんないんだけど、なんかそのせいで魔術がききにくい? らいしぞ。あとは慣れだな」


 瞠目するイザングランにアレクは歯を見せて笑った。快活な笑みだった。

 魔力がないから魔術がききにくい、というのにも驚いたが、怪異に慣れ、というのにも驚いた。慣れてしまうほど怪異と遭遇しているのだろうか。


「話しただろ、うちはよく夏に出るって」

「ああ」

「特に夏になるとよく出るってだけで、他の季節も出てくるんだよ。年がら年中怪異が出るから、嫌でも慣れる」

「………」


 イザングランは呆気に取られてただアレクを見ることしかできない。

 魔物や魔獣と違って規則性や実体がないとされる怪異は、魔界や天界が存在していた古代ならばありふれていたようだが、魔界と天界がなくなってからは数を減らし続けていき、現代ではほとんど聞かない。時折山奥や辺境で噂を聞くくらいだ。


「……田舎だとは聞いていたが、アレクの実家はすごいところにあるんだな」


 イザングランの心の底からの感嘆に、アレクは照れたように頭をかき、それでいて誇らしげに笑った。


「僕もいつかアレクの故郷に行ってみたいな」

「おう。来い来い。そんときゃ歓迎するぜ」


 イザングランは楽しみにしておく、と笑い返した。

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