第41話


「暑い…」

「暑いな…」

「暑い…わ……」

「みんな水分補給しろよー」


 竜籠の木陰でイザングラン、マデレイネ、ミゲルはだらりと座っていた。他の三人ほどではないが、アレクもうっすらと汗をかき、普段よりもわずかに鈍い動きをしている。

 夏休みも終わり、暦の上では秋になりつつあるが、今年は残暑が厳しく、生徒も教員も、夏の装いのまま生活していた。その例にもれず、イザングラン達もまた半袖の涼しげな格好である。教員、生徒の中には暑さが苦手な種族もいて、気温の影響を受けやすい蜥蜴人リザードマンのテーリヒェン師はあまり動くとオーバーヒートを起こすとかで、実技の授業も日陰でじっとしていることが多い。


「なんで今年はこんなに暑いんだろ」


 ぼやきながらミゲルはイザングランが魔術で冷やした果実水をマデレイネに給仕する。暑さに溶けながらもマデレイネはそれを飲もうとするが、動く気力が足りずにのろのろと亀よりも蟻よりも遅い速度でグラスに手を伸ばした。


「だなあ。蝉すら鳴かない暑さなんて、初めて体験した」

「マデレイネもスライム並みに溶けてるしな」

「スライムといえば、魔物飼育部のスライムが暑過ぎて全滅したんだって」


 言って、ミゲルはマデレイネに断りを入れてからその髪をまとめ始める。首元が少しは涼しくなるだろう。

 学園の空調はもちろん稼働しているが、魔力の節約のために冷蔵、冷凍が必要設備、施設に重点が置かれており、涼しいと感じるほどには冷えていないし、稼働する部屋も限定されている。すべての部屋の空調をフル稼働させる、なんてことになれば龍脈からの魔力供給が追いつかないのは明白なのだ。一部屋を冷やすならともかく、学園全体を快適な温度に冷やすとなれば魔力源がいくらあっても足りない。よって、水や氷属性の魔術を使える生徒は商売が成立するくらいだった。

 いつもは快適な温度に保たれている図書館も、その快適さを求めた人の熱気がこもり、本に悪影響だと本狂いの司書達が閉ざしてしまった。涼を求めてさ迷う生徒達はさながら屍人である。


「イザングランの水魔術や翁の風魔術がなかったら俺らも溶けてたんだろうな」

「だろうな。属性魔術に水があって良かったと、今日ほど思ったことはない」

「ワシも水属性が欲しいのお……。いくら竜種は気温の変化に強いと言っても程度があるぞい……。ワシは別に火龍でもなし……」


 ぼやく緑鱗の翁もぐったりと地面に寝転んでいた。イザングランは黙って氷塊を作り出して翁に差し出す。

 竜籠は飼育場所であるが、竜は気温の変化に強い種であるため冷房はついていない。しかし木陰があり、水場があり、最低限の配慮はなされている。緑鱗の翁が風魔術で風を起こし、風上にイザングランが出した氷塊を置いてあるので、外よりは冷えた空気が循環している。竜を恐れて生徒が近寄らない場所なので人いきれの心配もない。それでも暑いものは暑いのだが。竜のために広い竜籠であったが、今日はみな冷風の当たる場所でじっとしてた。

 今日のおやつは盥に水を浮かべ、そこに翁からもらった果実を冷やして各自が食べるようになっている。

 人間の作る甘味が好きな翁のためにアレクが手製のお菓子を持参するのが常なのだが、普段は借りられる厨房も、この暑さで自動人形以外は立ち入り禁止になってしまった。料理中は洒落にならないほど室温が上昇してしまうらしく、生身は厳しいとのことだ。降って沸いた休日を満喫すべく、生身の料理人が庭で野外料理をしているのが目撃されている。その匂いに誘われた生徒や教員たちが集まりちょっとした宴になっているとか。

 何もする気の起きないアレク以外は死体のように木陰で寝転がっているが、アレクは図書館が閉鎖される前に借りた本をめくっている。世界の料理が載っている料理書だ。イザングランはのそのそと匍匐前進でアレクに近寄り、その本を覗き込んだ。


「……料理だけでなく、デザートの類も載っているのか。幅広いな」

「これとか面白いぞ、島国で夏に食べてるらしい」


 アレクの指さすページをイザングランが身る。説明を読んでいると竜籠の扉が開く音がした。


「誰だろ、竜医のフルィチョフ先生……にしては乱暴な開け方……」

「すごい……勢い……」

「この重量感のある足音は……テーリヒェン師か?」

「じいちゃんに用かな?」

「ワシに? なんの用じゃろ」


 億劫そうに首をもたげた翁の視線の先に勢いこんだテーリヒェンが駆けてきた。


「氷を取りに行こう!」


 マデレイネとミゲル、それからイザングランが「また極端なことを言い出したな……」という風にテーリヒェンを見る。アレクがそれなら、と見ていた料理本を指し示した。


「氷を取ってきたらかき氷ってのを作ってみるか?」


 料理本は先ほどイザングランも見ていたページが開かれている。ミゲルとマデレイネがそれを読み、頷きあった。イザングランも力強く頷く。


「「「作る」」」



 そうしてアレク、イザングラン、ミゲルの三人はテーリヒェンに連れられて雪山にいた。マデレイネは雪山専用機巧でもない限り凍死一直線の体力底辺なので、もちろん留守番である。


「涼しい通り越して冷たいどころか痛い、凍え死ぬ」

「死ぬ前にさっさと氷を切り出すぞ!」

「身体強化を使ってるのに辛い!」


 蜥蜴人のテーリヒェンはもちろん、人種の三人も完全防寒の装いに加えて対寒冷地用の魔導具を装備しているのだが、いるのは永久氷山である。通常装備では近づくことができず、耐寒装備で固めていても、数時間しかいられない場所だった。さすがのアレクも早く帰りたいと黙々作業した。

 一時間近くの作業で収納鞄を氷で満たした四人は、震えながら学園に舞い戻ったのだった。


「ほほー、さすがは永久氷山の氷! めっちゃ冷えるぅ〜。四人ともありがとうの」

「翁に喜んでもらえて良かったです。かき氷も美味しいし、痛寒い思いをした甲斐がありました」

「それで、のう、イザングランや? そのいちご味のかき氷、ワシも一口食べたいのう……」

「おかわりを持ってきますね」

「ああん、ひとくち、ひとくちでいいんじゃよお」

「翁の一口は僕の一杯なので……」


 食べかけの器を持ったままイザングランは立ち上がった。アレクやミゲルの真似をして歩きながらでも物を食べられるようになったのだ。冷たい氷のシャリシャリとした食感と、苺の甘みに感じ入りながら、イザングランは氷を削っているアレクの元へ歩いて行く。

 テーリヒェンはかき氷を一杯食べた後、必要箇所に氷を配ってくる! と慌ただしく行ってしまった。


「涼しい……、冷たくて美味しい……。ありがとう、ミゲル」

「どういたしまして!  もしまた暑すぎる日があったら取ってくるね!」


 マデレイネに微笑みかけられてデレデレとしているミゲルに良かったな、これでアレクとの時間がもっと増えるといいのだが、とイザングランはかき氷にトッピングしている最中のアレクに声をかけた。


「翁がいちご味を食べたいそうだ」

「ええ? もう何杯目だ? けっこう食べてるだろ」

「ミゾレ、レモン、ブドウ、練乳、と僕のいちご味で六杯目だな」

「全員の味を試してるなあ……」


 アレクが今しがたトッピングし終えた大皿は、トッピングを迷いに迷った翁のための特別製だ。人間用の五倍はあろうかというほど山盛りになったかき氷の上に用意した氷蜜を全種かけてあり、翁が提供してくれた果物も載っている。


「いちご味はこれにもかけてあるからいいとして、これで六杯目かあ……。五杯目までは味見サイズだったけど、でもなあ。冷たいもんを食べ過ぎはよくないよなあ」

「それもそうだな。翁は高齢だし、一応フルィチョフ師に報告しておこう」

「待っておくれ、イザングラン! せっかくのかき氷が食べられないという、なんだかとっても不吉な予感がしておるのだが!」

「じいちゃんもああ言ってるし、きっちり報告しとこう」

「ああ、まったくだ」

「のおおおおおおお!」


 かき氷の摂取制限を告げられた翁は、いたくかき氷を気に入ったため、竜医のフルィチョフに泣きついて、気温の高すぎる日は氷採集隊を結成し、氷を取ってきてもらえることになった。

 フルィチョフから学園長に陳情が上がり、竜の飼育に必要なものとして、テーリヒェンが依頼を受け、助手としてアレク、イザングラン、ミゲルの三人が採集隊に選ばれた。


「はあ、これこれ、暑い日はかき氷に限るのう」

「食べ過ぎはだめだぞー、じいちゃん」


 自分をジト目で観察しているフルィチョフが隣にいても、上機嫌でかき氷を食す翁を見ながら、ミゲルは自分のかき氷をちびちびと食べる。


「俺たちが氷採集隊に選ばれたのって、翁を怖がらないからだよねえ」

「ああ、テーリヒェン師が、「氷が早く欲しいから自分を怖がらない人選にしてくれ」と言われたと」

「その気持ちわかるわ……。かき氷は早く食べたい……」


 残暑の厳しい日差しの中、テーリヒェンは一気にかき氷をかき込んだせいで、頭痛に襲われ身悶えしていた。

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