第40話
アレクの実家近くの宿泊所で三日寝込んだイザングランはすっかり元気になって、夏休みの残りをほとんど使って学園に戻ってきた。
行きで旅慣れたのか帰りの道程は順調で、学園に到着したのは始業日の五日前だった。始業日に間に合わないことも考慮していたイザングランは逆に驚いてしまった。
二ヶ月ぶりの自室は懐かしい気がした。日常にもどるために荷を解いていく。気を利かせて訪ねてきてくれた自動人形に洗濯物を渡し、部屋も軽く掃除する。二人の留守中は自動人形たちに任せていたので、目立った汚れはない。本当に軽く掃除するだけで済んでしまった。
「よし、飯食いに行こうぜ」
「ああ」
掃除をしてほどよく疲れた体は空腹を訴えていた。学食も久しぶりに食べるな、とイザングランはアレクと食堂に向かう。歩いていても陽射しを感じないのも久しぶりだった。
食堂にはまばらに人がいた。時計を見れば昼食には少し遅い。旅の間に時計を見る癖が抜けてしまっていたらしい。
授業が始まったら気をつけないとな、とイザングランはB定食を選び、アレクはA定食を選んだ。席に着いてさあ食べよう、とフォークを手にしたイザングランに懐かしい声が届く。
「イザングラン! おかえり!」
「ミゲル、久しぶり……だな?」
声の主はやはりミゲルで、なぜか背にはマデレイネが背負われていた。
「久しぶりだな、元気だったかミゲル」
「アレクもおかえりー! おれは元気だよ! ちょっとマデレイネさんのことよろしくね!」
アレクにマデレイネを預けて詳しい説明もなしにミゲルは食事をとりに行ってしまう。マデレイネは眠っているのかと思えば、白目をむいていて気絶に近い有様だった。
「顔色悪いなあ。まーた徹夜でもしたんかな」
「……かもしれないな。そういえば、アレクの手料理目当てに渋々まともな日常生活を送るやつだったな、マデレイネは」
夏休み中に無茶をしたのだろう。うっすらとした隈が見てとれた。アレクが口元に茶を近づけてやると、もたれながらちびちびと茶を飲んだ。まるで病人だが、自分の健康状態が分かって気をつけているだけ病人のほうがマシかもしれなかった。
「実家に帰って体調を崩すなんて珍しいやつだな」
「それがさあ! 聞いてよ!」
戻ってきたミゲルは両手に昼食のプレートを持っていた。わずかに起こっているらしい、いつになく乱暴にプレートをテーブルに置く。
「マデレイネさんはおれより前に学園に戻ってきてて、おれが戻ってきたのは一昨日なんだけど、その時はまだぜんぜん健康体だったんだよ。色ツヤ良かったもん」
ミゲルはオレンジジュースをアレクに手渡し、話が読めたのか少しばかり呆れた風のアレクがそれをマデレイネに飲ませる。茶の時よりも多めに飲んでいる。
「ちょっと挨拶して、世間話して、それからおれは新学期の準備とかでマデレイネさんと会ってなかったんだけど……!」
マデレイネがオレンジジュースを飲んでいるうちにせっせとマデレイネの昼食を食べやすく潰すミゲルをイザングランも手伝ってやる。食べやすく、消化しやすくなったそれを微苦笑を浮かべたアレクが雛鳥に餌を運ぶ親鳥よろしくマデレイネに食べさせてやった。半ば気絶しているのにもむもむとマデレイネは咀嚼する。誤飲の心配がないのは良い事だ。
「食堂でもぜんっぜん見かけないのはさあ! 実験棟にお弁当持ってってこもってるのかと思ってたんだよ……!」
アレクが力なく笑って首を横に振る。イザングランも同じように首を振った。
「それで学食の自動人形たちに聞いたらお弁当は作ってないって! もしかしてって機巧研究所の実験棟に行ってみたらさあ……!」
だん、と音を立ててミゲルがプレートのからあげにフォークを刺した。怒気収まらぬ様子で口に運んでいく。
介護食と化した昼食を三分の一程度食べさせられたマデレイネはなんとか自力で食べられるほどに回復して、今は気まずそうに視線を落として昼食をつついている。
「個人実験室にこもってるって聞いて扉を開けたらマデレイネさんが倒れてたおれの気持ち分かる……?!」
「大変だったな……」
「うんうん、怖かったよな」
マデレイネは明後日の方向を見ながら、それでもせっせと胃袋に栄養を取り込んでいる。
「研究所の人たちはまたかー、って笑ってるし、そもそも全員顔色やばかったし! よく死人が出ないと思うよ!」
「それはそう」
「本当にそう」
実験棟にこもっている生徒や教員は不摂生をくり返している者が多く、寿命は確実に縮めているだろう。
「マデレイネさん、華奢だな~細いな~とは思ってたけど! 思ってたけど! 背負ったら予想外に軽かった! 骨と皮! 肉がない!」
「
嘆くミゲルにマデレイネが小さく反論したが、黙殺された。
「マデレイネは僕以上に小食で、運動もしていないし太陽にも当たってないしな」
「そう! そうなんだよ!
太陽といえば焼けたねー、イザングラン。すっごく健康的で、かっこいいよ」
「そうか?」
満更でもないようで、イザングランが照れる。話を逸らすためにマデレイネも褒めた。
「ええ、とてもたくましく見えるわ。背も伸びたんじゃないかしら。ね、アレク」
「そうかもな。毎日見てるから俺はちょっとわかんねえけど」
「イザングランはたくましく成長したのにマデレイネさんは……」
「より白くなったか?」
「ちょっとやつ……やせたか?」
藪ドラゴンだった。マデレイネはミゲルと視線を合わせないよう必死だ。すでに満腹感があるのだが、食べ終われば腰を据えての説教があると思うと無理にでも食事を続けるしかないのだった。
「おれさあ、今回のことで痛感したよ。マデレイネさんから眼を離しちゃいけないって……。嫌われるのが怖くて踏み込めないでいたけど、それじゃダメなんだ。嫌われてもいいからマデレイネさんに付きまとうよ、おれ……。マデレイネさんが死ぬより嫌われたほうがマシだから……」
「そうか、ミゲルは立派だな」
「ミゲルも倒れないように気をつけろよ」
「うん! 頑張るよ!」
「私に拒否権は……」
「この状況であると思ってるのか?」
「……」
一度夢中になってしまうと他のことが考えられない自覚のあるマデレイネは反論できなかった。
「良いほうに考えろ。徹夜でぶっ倒れるよりミゲルに生活を管理してもらって規則正しい生活を送ったほうが効率がいいぞ、絶対」
「それは、そうなんでしょうけど」
マデレイネは乗り気ではないようだった。ミゲルは笑顔だが、さっそく嫌われたかと震えて青褪めている。器用なやつだ、とイザングランは感心した。
「今日だけでも
そう思う頭があるなら自己管理をしろと言ってやりたいが、できるのなら倒れているところを発見されたうえに背負われて食堂まで運ばれ、介護されていないだろう。嫌われてなかった! とミゲルが眼を輝かせた。
「迷惑なんかじゃないよ! マデレイネさんが倒れるほうがよっぽど嫌だから! お世話させてね、マデレイネさんの命のためにも! お願い! 嫌がられてもするんだけど! ごめん!」
聞きようによってはちょっと危ない発言なのだろうが、ミゲルの心の底から心配しているという気持ちが伝わったらしいマデレイネは困ったように眉根を寄せた。
「あなたにはあなたの生活があるじゃない。手を煩わせるのは悪いわ、やっぱり」
「気にしないで。マデレイネさんの安否を気にしながら生活するのは嫌なんだ」
B定食を食べ終え、デザートのプリンに着手し始めたイザングランは自分の胃袋が以前より大きくなっているのでは、と感じていた。デザートを食べたいがあまりひいこら言いながら食べて腹に収めていた食事なのだが、最近はすんなり食べ終えられるようになっている。言われた通り自分も成長しているのだな、とイザングランはひっそり感動した。
「マデレイネ。ひとりだと倒れるおまえが悪い。ミゲルに心配をかけた罰だと思っておとなしく世話をされていろ」
満腹感の一歩手前で食べるプリンはいつもより美味しく感じる。大きくなった胃袋バンザイ。
「もうこれ以上ミゲルに心配をかけるな。怒るぞ」
「なんであなたが怒るの?」
「ミゲルが友達だからだ。友達に心配かけるようなやつはアレクの手料理抜きの刑にしてやる」
「なんであなたにアレクの手料理の有無の決定権があるの? おかしいわ」
子猫同士のケンカのようなものを始めてしまった二人の横でミゲルは赤面していた。
「うわー……うわー……、イザングランがおれのこと友達だってー……。うわー……うれしい……」
「よかったな、ミゲル」
結局、この日からミゲルはマデレイネにまとわりついて甲斐甲斐しく世話をするようになり、マデレイネは実験棟内で行き倒れることがなくなった。教師たちからもマデレイネ係として重宝されるようになったのだった。
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