第42話

 夏休みが終わり、始まった新学期。

 二回生に無事進級し、ミゲルもマデレイネも、そしてイザングランも新しく取った授業に慣れ、一回生のころと変わらない余裕を持てるようになったころ。

 厳しかった残暑もようやく終わり、秋風の気持ち良い、本来の季節らしい、見上げた空が高く、雲が泳ぐように流れ、朝夜に冬の気配を感じる気候になってきた。

 今年の、短くなってしまった秋が終われば、冬がすぐにやってくる。そして冬が来れば、新年もすぐそこだ。

 イザングランは学内販売所で行きつけにしている薬屋を物色していた。新年祭でアレクに贈ったボディクリームを買った店だ。

 効能が高く、それでいて安価であるため、継続購入がしやすい。おまけにクリームの入った缶の意匠もかわいらしく、アレクによく似合っていた。

 店主がときおり手を合わせ「イケショタテェテェ」と唱え始める信心深い一面も見られる。おそらく神に祈りを捧げて薬効を高めているのだろう。

 いったいどんな神に祈っているのだろうか。さぞかし霊験あらたかな神に違いない。おかげでアレクもイザングランもあかぎれ知らずだ。

 今日は新作だという金木犀の香り付きクリームをおまけにもらった。匂いは甘めで、それほど強くなく、他のハーブも混ぜているのか、どこか爽やかさも感じるアレクに似合いそうな香りだ。

 アレクが気に入るなら次回も買おう、とイザングランはいつも買っているボディクリームと共に手提げ袋に入れた。

 店主はやはり両手を合わせ、ひたすらに「テェテェ……テェテェ……」と唱えていた。新作の薬効をさらに高めてくれるらしい。商売熱心、かつ信心深いのだな、とイザングランは感心した。

 なんの神に祈っているのか気にはなっているが、いつもたいへん熱心に祈っているので毎回聞けず仕舞いだ。今回もまた来ます、と会釈して帰るイザングランだった。


「はぁ……同室者を気遣うイケショタ君が夏休み明けたら成長してた……イケメンになりつつある……尊いテェテェ……尊いテェテェ……」



 アレクとの待ち合わせ場所に着いたが、まだアレクの姿は見えなかった。時計を見れば早く着きすぎたようで、約束まではまだ時間がある。

 待たせるよりはずっといい。イザングランはとりあえず茶を飲むことにした。


「店主、茶を一杯くれ」

「ハァイ! よろこんでェ!」


 威勢のいい店主に試飲と称して渡されたそれを、イザングランは舌を火傷しないよう冷まして飲んだ。期待の籠った視線を裏切って悪いが、もちろん解毒術をしっかり発動させている。

 そう、待ち合わせ場所は無断で人に薬を盛って猫耳を生やす常習犯が店主アイラ・ヘイナルオマの店である。

 店主のヤバさに目をつむればなかなか良い給水所だ。店主のヤバさに目をつむれば。

 現に試飲した茶はなかなか美味しい。毎日のティータイムで茶葉の消費はそれなりなので、定期的にこの店を訪れているのだが、店主しかキズが見当たらない。

 茶は美味しいし、量も多く、その上安い。店主のヤバささえなければもう少し流行っていただろうに。


他人ひとに無断で猫耳を生やす悪癖さえなければな……」

「悪癖だなんて人聞きの悪い! そこに美少女美少年がいれば猫耳を生やしたいと思うのは当然だよ!」

「僕は思わないが」

「ええーっ! ブルデュー君だってアレクさんに猫耳が生えたら嬉しいよね?!」


 店主の言葉にイザングランは猫耳の生えたアレクを想像してみた。やはりかわいい。悪くない。むしろ良い。

 しかし嬉しいかといえばそうでもなかった。ソワソワ、ムズムズとしてなぜだか落ち着かない。アレクはそのままで十分なんだな、とイザングランは今度は料金を払ってお茶をお代わりした。

 店主は返答のないイザングランにかまわずひたすらに持論を展開していた。


「前は猫耳最高! 猫耳こそ至高! って感じだったけど、学園に入ってからは獣人たちとも交流する機会が増えて、そのせいか動物の耳が全般いいなあ、って思えてきて……犬耳も垂れ耳と立ち耳で違う良さがあるじゃない? 同じように兎耳も立ちと垂れで良さが違って……獣耳はみーんな違ってみんな“イイ”んだよね……。短毛の子も長毛の子も手触りが違ってさ……。体温が直に感じられる短さの子も、ふわふわとかさらさらの手触りを堪能できる長毛の子も、それぞれ良くてさ、人間が髪を結んだり髪飾りをするのといっしょでさ……」

「おーい、イジー、待たせてごめん」

「いや、今来たところだ。お茶飲むか?」

「もらう」


 イザングランは試飲の茶を渡した。アレクが茶を飲んでいる間も店主は語り続けている。


「さすがにさ、今まで向き出しの手足で生きてきた人達の生活リズムを崩すわけにもいかないから、やっぱり獣耳ケモミミを生やすくらいに留めようと思って今試作を重ねてるんだけどね、まだまだ完成には遠いんだ。

 ……ところでアレク君、体調はどう?」

「特になにもないですね」

「そっかー、やっぱり効かないかー」

「見回りの先生、常習犯こいつです」


 そうして店主は連行されていった。


「かくなるうえはーッ! ガードナーさんにも獣耳ケモミミを生やせる薬を作るためにーッ! 体の隅から隅まで診させてくださーいッ!」

「アイラ・ヘイナルオマ。黙りなさいよ、マジで。退学になっても知らないぞ」


 訴えられたら負けるからね? と教員に追加の反省文を決定され、引きずられていく店主にイザングランは舌を出した。ついでにミゲルに教わったハンドサインでもって自身の不快を表現する。


「それを僕が許すと思うのか?」

「まあまあ、イジー。落ち着こうな」


 人に向けてやっちゃいけません、とそっとハンドサインを隠された。


「やっちゃだめなのか」

「だめだな」

「そうか、次から気をつける」


 そういえばミゲルも人に向けてやるな、と言っていたことを思い出して、イザングランは自分のうかつさにしょんぼりと肩を落とす。

 気落ちしたイザングランの頭をアレクが軽く撫でた。


「昼飯でも買ってくか?」

「……いや、食堂で食べよう。卵焼きの成果を見てほしい」

「おう、まかせろ」


 アレクがいないとき、自動人形達に教わった料理の名前を出して、イザングランは食堂へ歩き出す。

 最近のアレクはバイトが忙しく、なかなか以前のように二人ですごせないでいた。今日は久しぶりに出かける予定が合ったのだ。

 それが嬉しいのは間違いないのに、どこか悔しく感じるのはなぜなのだろう。

 もう少しバイトを控えてほしい、と言うのは簡単だ。しかし、アレクの家庭の事情もあるうえ、自分を構ってほしいから、という理由で我がままをいうのは、とイザングランは口を噤んでいた。それ以外にもアレクに言いたいことがあるような気がしているが、判然としない。

 自分でも理解しきれず、口にも出せない心の中を悟られないよう、視線は自然と足元に落ちる。いつもならアレクの顔を見て話すのに、だ。それに気付いているだろうに何も言わないアレクの気遣いがありがたかった。


 のちに、このときちゃんと話し合っていれば、とイザングランは後悔することになる。

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