第44話

「よし、もう一度実習内容を確認するぞ」


 学園ではめったに見せることのない気の張り詰めた様子で、テーリヒェン師が実習装備を身につけた生徒達を見回す。


「今日の実習は前々から言っておいた通り野生生物を相手取る野外実習だ。どんなものでもいいから、魔物獣の素材をひとつは採取すること。

 全員、収納鞄マジックバックは持ったな?」


 生徒全員の頷きを確認し、さらに続ける。


「採取の仕方は問わん。拾って良し、魔物獣を罠にかけても良し、討伐しても良し、だ。

 採取後は安全確保を第一に考えろ。無用の接触を控えるため、薬草学科等、他学科、活動団体等で作った魔物避けがある者はどんどん使え。持っていなければ配布する、取りに来い」


 イザングランもアレクももちろん自作の魔物避けを持っているが、イザングランは念の為に胸ポケットにいれておいたそれがきちんとあるかを確認した。薬草学で作った、魔物獣が忌避する薬草を数種類混ぜて作ったお守り型だ。たいていの魔物獣は寄ってこないが、しかしなんにでも例外はあるためけして過信しないように、と薬草学担当のゴルツ師が言っていたため、目眩しの光弾も腰に提げている。

 ちなみに、薬草の分量を測るより、薬草を入れる袋を縫うほうがイザングランには難しかった。

 やはり魔物避けをまったく持っていない生徒は少ないようで、魔物避けを貰いにいったのは数人だった。


「転移前に学園で配った傷薬ポーション魔力回復薬マナポーション、その他自前の回復薬ポーションは持っているな?  よし。緊急時の信号筒はいつでも使えるようにしとけよ。同行者と逸れたり、迷ったりした場合も迷わずに使え。

 このママテ山に生息している危険生物は頭に入れたな? 遭遇した場合、下手したら死ぬ可能性がある。そうなったら倒そうとはせず、逃げに徹しろ。逃げられない場合は信号筒を撃ち、防御に徹して俺の到着を待て」


 言って、槍斧ハルバートの石突で地面を打ち鳴らすテーリヒェン師はおおいに頼もしい。危険な魔物獣相手でも、きっと自分達を守りきってくれるだろう師に、少なからず安心を覚え、胸を撫で下ろした生徒も大勢いた。


「危険に駆けつけるのはテーリヒェン先生だけじゃないからね! 戦闘が大好きな先生や臨時で冒険者さんの皆さんにも来てもらっているから、身の危険を感じたらどんどん助けを呼んで大丈夫よ! 怪我した子は遠慮せずに私のところに来てね~!」


 テーリヒェン師の後ろに控えていた保健医が小型拡声器で喋り、並んでいた教師や冒険者を紹介した。これだけいれば万が一の事態にはならないだろう。


「今日の目的は魔物の素材採取だが、何より大事なのはお前達の生命いのちだ。怪我なく学園に帰り着くのが一番の目標だからな。無理して怪我した奴は評価が下がると思え。

 ーーいいな?」


 いつになく真剣な面持ちのテーリヒェン師に、生徒達も固唾を呑んで頷いた。

 もちろんイザングランも頷いたが、休日にやれ熊鍋だ、氷塊採取だ、とテーリヒェン師にアレク共々連れ回されていた分、山歩きには慣れているし、夏休みにはアレクの故郷を目指して徒歩の小旅行をしたのだから、と平かな気持ちで周囲の同回生より落ち着いていた。

 後から思い返せば。

 イザングランは油断していたのだ。

 自分には経験があって、さらに傍には経験が豊富なアレクがいるからと、己の力を過信していたのだ。


 ママテ山の森の中をイザングランは意気揚々と進んでいた。

 事前にこママテ山の植生も生息動物も調べておいたし、その中で高値で売れるものも調査済みだ。もちろん、採取禁止のものも頭に入れてある。

 魔力回復薬マナポーションも緑鱗の翁の協力を得て材料を入手でき、多めに用意できたため、魔力切れを気にせず魔術を行使できる。

 高価な素材を大量に手に入れば、そしてそれをアレクに渡せば、少しくらいはバイトの時間を減らせるはずだ。そうすればまたアレクと一緒にいられる、とイザングランは内心でほくそ笑んでいた。

 目についた薬草やキノコを手当たりしだい収納鞄マジックバッグに入れていくイザングランを不思議に思ったアレクがわずか首を傾げた。

 見た目の美しい、けれどもずしりと重い金属製の杖を担いで、不思議そうにイザングランへ問いかけた。


「イジー、今日はずいぶんと張り切ってるな」

「ああ。実習で山に入るのは貴重な機会だからな。できるだけ素材を入手しておきたい」

「でも今からそんなに取ると鞄がいっぱいになっちまうぞ?」

「大丈夫だろう。内容量はそれなりだし、入らなくなったら整理する」


 見つかりにくいから貴重なのだ。帰るまで鞄が満杯になることはあるまいが、──アレクの言うことも一理ある、とイザングランは薬草に伸ばしていた手を引いた。

 今取ろうとしていた薬草はママテ山でしか取れない植物ではあるが、それほど高価なものでもない。魔薬製作においては学園で栽培している薬草でも代替が可能だ。


「あんまり取りすぎるなよ、イジー。一人が取りすぎたくらいなんてことないだろうけど、この山で暮らしてる生き物に影響が出たらダメだからさ」

「……ああ」


 素材の売却に眼が眩んでいたな、とイザングランは内省したが、せっかくのやる気に水を差された気分で、幾分、投げやりに返事をした。

 アレクの言い分は正しい。

 それは理解しているのに、いじけた気持ちになった。わずかなりともアレクのためになれば、としたことなのに。

 むくむくと反抗心が頭をもたげた。それを押し込んで、イザングランは獣道に足を進める。目指せ希少素材、だ。


「イジー、あんまり奥へ行くのはやめとこうぜ。素材はその辺に落ちてるのでもいいんだし──」

「どうせなら高評価を狙ったほうがいいだろう」


 また自分の行動を止められた、とイザングランが眉根を寄せながらイザングランが応えると、一瞬だけ面食らった様子を見せたアレクだったが、すぐに普段通りになって頭をかいた。


「でも怪我したら減点なんだから、高評価の素材のために奥に入りすぎて怪我したら意味がないだろ」

「怪我なんてしない。実習着は強度があるし、僕は対物、対魔共に防御魔術が得意だ。この山にいる生物を調べたが、僕の防御魔術が突破できるほど強いやつはいなかった」

「それはそうかもだけどさあ……」


 アレクはなおも説得をしようとしたが、頑として譲らない様子のイザングランに、結局、ため息を吐いて折れた。


「張り切るのはいいけど、天気が変わったりしたらすぐ集合場所に戻るぞ?」

「ああ、わかってる」


 アレクの許可を得た、とイザングランは期限良く歩いていく。

 その後ろに続くアレクは肩を落としたあと、気持ちを切り替えて周囲の気配を鋭く探った。幸い、殺気立っている生物の気配はない。しかし、こちらを窺う気配はある。

 早めに切り上げてくれるといいんだが、とアレクは獣道を踏みしめた。


 イザングランは歩きながら見つけた植物を収納鞄にしまい込んだ。あれからずいぶん歩いて、それなりの量を採集できた。鞄の中身は半分より下、といったところだろう。

 そろそろ魔物の素材も入手すべきだな、とアレクを見上げる。


「たくさん取ったな。満足したか? したならそろそろ戻ろうぜ」


 こちらに気付いたアレクが笑った。少しの呆れを含んでいるように感じられて、イザングランは刹那、怒りに近い感情が突沸が起こった鍋のように急に噴き上がってきて、そんな感情をアレクに対して抱いた自分に狼狽うろたえた。


「イジー? どうした? 疲れたか?」

「い、いや、大丈夫だ。疲れていない」

「それならいいんだけどさ、無理してないよな? 熱はないか?」

「大丈夫だと言っている!」


 思いの外、大声を出してしまい、輪をかけてイザングランは狼狽えた。動揺したまま、イザングランの熱を計ろうと額に伸ばされたアレクの手を払ってしまい、これにもまた狼狽えた。


「イジー、」

「本当に大丈夫だ! 体調に問題はない! 集合地点に戻りながら魔物素材を探すぞ!」

「……おう」


 何か言いたそうにしているアレクを無視して、来た道を戻る。

 謝らなくてはならないと理解している。それなのに謝罪の言葉が出てこない。アレクの顔も見られなかった。

 一心不乱に足を動かしながら、落ち着こうと深呼吸をしようとするが、もちろん上手くいかない。早歩きをしているのだから当然なのだが、酸素をうまく取り込めていないものだから、脳の回転が鈍り、そこに考えが至らない。そして焦りで足取りを早め、と完全な悪循環に陥っていた。


「イジー! おい、イジー!」


 アレクに腕を取られて、歩行を強制的に止められた時にはすっかり息が上がっていて、イザングランは肩を激しく上下させ、汗も大量にかいていた。


「イジー、どうしたんだよ……?!」


 アレクが困惑した様子で、それでもイザングランを心配しているのがわかった。

 顔に、頭に血が昇っている。腹の奥底にマグマのように熱く、煮えたぎる感情なにかがあった。

 イザングランは感情それを理解したくなくて、咄嗟に、また、アレクの腕を振り払った。

 体ごと捻って、大振りに払ったものだから、イザングランは体勢を崩した。不運にも、踏み外した足の先が斜面で、イザングランは見事にそこを転がり落ちた。


「……何をやっているんだ、僕は……」


 間抜けなホールチーズのように斜面を転がった先で、イザングランはようやく頭が冷えた。


「イジー! 大丈夫か!」

「大丈夫だ! 怪我もない!」


 転がったときに作ったのだろう擦り傷がわずかに痛むが、これくらいならば怪我の範疇には入らないだろう。

 イザングランは立ち上がり、作業着や髪のあちこちにくっついた葉や木屑を払いながら辺りを見回す。

 先ほどまで歩いていた場所と比べ、鬱蒼として薄暗い。自分が転がってきた斜面を見上げれば、アレクが逆光を背負う形でこちらを見ていた。

 表情は分からないが、声音からしてぜったいに心配をかけている。

 慌てて斜面を登ろうとして、視界の隅、暗がりで淡く光るものを見つけた。フユゾラダケが群生している。


「イジー、上がって来れそうか?」

「ああ、行ける。ちょっと待っててくれ、希少素材があった」

「イジー?」


 実習用手袋をしっかりとはめ直し、収納鞄から袋を取り出す。フユゾラダケは毒があるため念のためだ。


「おい、イジー! 早く上がってこい!」


 慌てたアレクのを背中で聞く。なにをそんなに慌てているのだろう。

 鬱蒼とした木々の影に生えているフユゾラダケは暗色の傘にあるイボが光り、その名の通り冬の夜空のように見えるきのこだ。

 分布地帯は多く、このママテ山には特に多く自生している。そしてママテ産のものは他の地域より触媒効果が高く、様々な魔薬に持ちいられる。

 人が口にした場合、嘔吐、下痢などの症状が見られ、大量に摂取すると最悪死亡するが、稀である。毒抜きが可能であるため、山間部では非常食などに用いられる。

 なお、野生動物も食することがある。ママテ山に生息する魔物獣の中には好んで食するものも多い。

 図鑑で調べておいた知識を思い返しながらフユゾラダケを採取していたイザングランの手が止まった。

 いつの間にか生物の呼吸音が間近に聞こえている。興奮しているのか、ひどく早い。

 イザングランはおそるおそる、視線をフユゾラダケから外し、呼吸音のする方へ顔を上向けた。

 木々の、黒々とした闇の間に、イザングランを睨む一対の光が浮かんでいる。

 息を呑んで、イザングランは咄嗟に対物防御壁を展開した。

 大きなヘラのような角、鹿によく似ているが、それよりも大きい体躯から見るにヘラジカ──


「!!」


 ガアン、と防壁に角が当たって重い音を立てた。

 早々に防壁にヒビが入り、途端走った痛みにイザングランは胸元を握りしめた。焦って展開してしまった防壁は強度がイマイチであったらしい。

 再び衝撃が加わり、ヒビがさらに広がる。明らかな失策だった。アレクが慌てていた理由はこのためだったのだと遅まきに理解する。

 防壁を強化すべき? 後ろに退がれ。ヘラジカによく似る魔獣のムース種。ヨゾラダケを食べに来た? よく見れば若い個体。

 思考が忙しなく流れていく。

 魔物獣は魔力に反応する。だから、いたずらに魔術を発動してはいけない、これ以上魔獣を刺激してはいけない、と頭では分かっていても、思わず後ろに下がってしまったように、本能が自身をまもろうと魔術回路に魔力を流し、防壁を作り直そうとする。

 やはりそれに反応した魔獣は今度は雄叫びを上げて、防壁の中にいるイザングラン目掛けて角を振り下ろした。

 防壁が砕ける、体内に鋭い痛みが走る、魔獣が前脚を上げた、今度は強固な防壁を展開しなくては。

 痛む体を無視して、けれども激烈な痛みを訴える体が、術式の発動を邪魔する。

 はやく、はやく、発動しないと、

 角の勢いを増すために上げられた前脚が、蹄の先が埋まるほどに力強く地面を踏み叩き、それに伴い、角が、ものすごい、勢いで、

 イザングランは瞬きもできずにそれを見ているしかできない。

 魔獣の角がイザングランの脳天をかち割ろうとしたその刹那に、魔獣の顔が横を向いて、よろめいた。

 アレクだ。アレクが杖で、魔獣の横っ面を殴ったのだ。

 よろめいた魔獣はそのまま倒れてくれればよいものを、踏みとどまり、今度はアレクを睨みつけた。次の瞬間には──アレクに防御壁を、──アレクが魔獣の体当たりで吹き飛ばされいた。


「アレク!!」

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