第17話

 コルーズ学園の授業は選択制で、一年ごとに生徒が好きに選ぶ方式である。

 しかし、時折教諭から学年全員共通の課題と称して雑用を押し付けられる事がある。それが今日だった。

 今回は大繁殖した薬草を取って取って取りまくり、洗浄し、束ねて吊るし、乾燥準備までをするという雑用かだいだった。職権乱用とはこのことである。

 とはいえ、もちろんうま味はある。

 成績の振るわない生徒にとってはここが挽回時なのである。もっとも、成績優秀者であるイザングランには関係のないことだったが。


「くそう。おれも薬草学を取っておけばよかった」

「……右に同じ」


 ミゲルとマデレイネはモタモタと覚束ない手つきで薬草を束ねる。

 薬草を取るのも一苦労だった。ただの草と薬草の見分けがつかなかったのである。事前に配布された小冊子と睨めっこをしながら集めていたが、先に集め終えたアレクとイザングランに教えてもらいながら採取をしたほうが早かった。

 薬草学を選択していたアレクとイザングランは手馴れた様子で一連の作業をこなしていた。

 その他の生徒も、薬草学を選択していなかった生徒は苦戦していたし、薬草学を選択している生徒も不真面目であった者はそれなりに苦労しているようだった。


「おれも来年は薬草学取ろうかなあ。けっこう便利そうだし。今からなら追い付けそうだし」

「いいかもな。わりといろんなことに応用きくから便利っちゃあ便利だし。基礎だけなら俺も教えてやれるぜ?」

「マジ? 感謝しかない。今度実家に頼んでなんか送ってもらうわ。何がいい?」

「んー、やっぱ茶かなー」


 ゴルツ師はアレクのように勉強熱心な生徒には喜んで知識を披露するタイプなので、アレクは同学年の誰より薬草学に詳しい。

 座学だけならばイザングランに軍配があがるだろうが、薬草学には調剤や選別などの実技も必要なのである。

 そんなアレクを気に入った緑鱗の翁も、罰掃除が終わった今でも竜籠へ招いてくれ、自身に生えた希少な薬草やら果実やらを惜しげもなくわけてくれる。アレクはそれらを茶や菓子にしてイザングラン達に振る舞ってくれていた。


「機巧にも応用がきいたりー……はしない? そしたらめちゃくちゃ嬉しいんだけど」

「それはさすがに。きくとしたら作る側の体調管理かな」

「そりゃそうだ」


 薬草学を取ることにしたらしいミゲルを見ながら、マデレイネも考えこんでいる。

 おそらく、この先も薬草の大繁殖は定期的にあるだろから、薬草の取り扱いを学んでおいて損はないだろう。なにせこの課題ざつようは一人五十束がノルマだ。もちろん教諭の合格をもらえれば、の話であるが、手馴れていればそれだけ拘束時間は短くて済む。

 しかし薬草学を選択するということは、マデレイネにとって機巧以外に時間を割く、という事でもある。

 機巧好きをとうに越えた、機巧狂いはさて、どんな判断をくだすのだろう。

 イザングランがマデレイネを観察していると、黙っていればかわいらしい、美人、という評価をできなくもないマデレイネの口の端が歪んだ。念の為に言っておけば、笑い顔に分類される表情である。

 おおかた薬草学を選択すればアレクと一緒に授業を受けられるという事に気付いたのだろう。イザングランは内心で舌打ちした。


「……私も薬草学を取るわ、アレク」

「ええっ! 本当、マデレイネさん!」

「え、ええ……」

「ヤッター!」


 ミゲルはマデレイネが少しばかり引き気味なのに早く気付いたほうが良い。

 イザングランもまた口の端をわずかに引き上げた。

 薬学の実習や実験は二人一組になる事が多い。マデレイネはミゲルに押し付けよう。


「おいおい、ミゲル。はしゃぐ気持ちはわかるけど、手を動かせ?」

「うんっ、かあちゃ……ん……」

「…………」

「…………」

「…………」


 ミゲルの顔はマグマもかくや、という風に赤く染まり、沸騰したヤカンのごとく蒸気を吹き出さんばかりになった。


「ぶはは! いいぞ、別にかあちゃんて呼んでも。弟もよく間違えてたしな!」

「ゴメン! ヤメテ! ワスレテ! ゴメンナサイ!」


 オギャア! と耳障りな叫び声を瀕死の状態で発し、ミゲルは顔を覆いながら作業台に突っ伏した。


「ヒイィィィ、ゴメン、ワスレテ、ゴメン、シニタイ……」


 恥ずかしさから耳まで真っ赤にしたミゲルが呪文のように謝罪を口にする。

 イザングランとマデレイネにはよくわからないのだが、どうやらアレクを母親と間違えるのは、そうとうに恥ずかしい事のようだった。

 ミゲルが間違えるほどにアレクの母性、つまり母親力が発揮されただけでは? と首を傾げるイザングランとマデレイネである。


「わかったわかった。忘れるからさっさと片付けちまおうぜ」

「ウン……ゴメン……」


 ワスレテ……ワスレテ……、とうわ言のように呻くミゲルは、血でも吐き出しそうな顔色をしていた。



「だって恥ずかしいだろ、この年になって母親離れできてないとかさ」

「そうなのか」


 夕飯時である。

 イザングランは珍しくミゲルと食事をとっていた。アレクはマデレイネと食事をしている。

 男同士で話す事があるからと言えば、元々人を束縛などしたりしないアレクなので、あっさり別れた。ちょっとさみしかったのは内緒だ。

 夕飯のパンをちぎって口に運びながら昼間の雑用の時に発した『かあちゃん』発言の何が恥ずかしかったのか、ミゲルに聞いたイザングランはやはり首をかしげた。家族仲が良好なのは良い事ではないのか。


「しかもそれをマデレイネさんに聞かれちゃうとか、あああぁぁぁぁマザコンだと思われたらどうしようぅぅぅ」


 そういうものか、と一応納得しておくことにした。やはり家族間の感情にも個人差があるという事なのだろう。

 悶々として夕食の進まないミゲルを放って、イザングランはさっさと食べ進めた。


「ご馳走様でした」

「イザングラン君ちょっと待って?! 今食べちゃうからあ!」

「待たない」


 イザングランはミゲルに厳しいのである。

 けれどもイザングランも鬼ではないので、おそらく自分と感覚の似ているマデレイネも別段、昼間のかあちゃん発言を気にしていないだろうことを告げておいた。


「ありがとうイザングラン君!」


 単純な奴である。

 今日の雑用も一応課題らしさを見せ、取った薬草の種類や効能を記して提出せよとのお達しがあったので、イザングランもアレクも自室でおとなしく書き進めていた。

 もとより薬草学の授業の延長のような雑用であったので、他はどうか知らないが、二人には大した負担ではない。

 早々に描き終えた紙をまとめて、イザングランは立ち上がり、伸びをする。アレクも丁度書き終わったようで、「茶でも飲むか」と誘われた。もちろんお相伴にあずかることにした。


「今日はイジー用の特製ブレンドだぞー」


 茶を待つ間、イザングランはミゲルの言葉を思い返す。自分はどうだろうか、と。

 確かにアレクは様々な事柄に詳しくて、頼りになるし、包容力というものがあるように感じる。世話好きなところも母性、母親力と言っていいだろう。

 だからといって、アレクを母親のような存在として見られるだろうか。

 世間一般の母親像というものは、ぼんやりとだが理解している。

 読んだ数は少ないが、おそらく子ども向けの物語に出てくるような母親の事を指しているのだろう。

 けれど、イザングランの持つ母親の印象というものはあまり良いものではない。

 人の気持ちも、置かれている状況も頓着せず、自分の願望を押し付けてくる存在。それがイザングランの中にある母親像だ。

 イザングランには姉と兄がいる。

 そのどちらもが母親に似た容姿で、父の髪色を持って産まれたのはイザングランだけだった。

 父親が軍将校として忙しく各地を飛び回る仕事中毒者なせいで、家にはそうそう帰らない。そんな父親を恋しく思っているらしい母親は、イザングランを父の代わりとして猫かわいがりした。

 姉兄きょうだいは大好きな母親が自分達よりも劣る存在である弟を溺愛するのが気に食わず、イザングランは陰でずいぶんいじめられた。

 それを嫌がったイザングランが自分に構わないでくれ、姉と兄にも構ってやってくれ、と懇願しても意に介さず、それなのに父が帰ってきた日は決まって捨て置かれた。熱を出して寝込んでいても、必ず。

 今思い出しても反吐しか出ない。

 そんな訳でイザングランは実家を早く出たくて仕方なかったし、もう二度と戻るつもりはない。卒業までになんとしてでもルナール帝国外に職を見つける気でいる。

 ミゲルの母親がどんな人かは知らないが、きっと良い母親なのだろう。だからアレクを母と呼んでしまったのだ。それのどこに恥じ入る必要があるのだろう。

 ただし、イザングランがアレクを母親と混同する事は絶対にない。それだけは断言できた。

 アレクならば良い母親になりそうではあるが。


「……?」


 そこまで考えて、イザングランは自分の頬を押さえた。

 なぜか熱い、気がする。


「どーした? ほい、お茶。熱いから気をつけてな」

「ああ。ありがとう」


 忠告通り慎重に口をつける。

 飲んだ茶はいつもより甘く感じた。

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