第28話
新年が明けてからイザングランには日課が増えた。それはアレクがハンドクリームを使っているか確認することだ。
アレクはもったいないから、と朝一回、少ししか塗らずに、水仕事のあとも塗りなおしたりしない。
だからイザングランはその度に急いで自分用のハンドクリームを自身の手に塗り、「うわー塗りすぎてしまったー、困ったなー」とひどい棒読みで嘆き、「よければもらってくれ」と言葉とは裏腹に拒否を許さない強引さでアレクの手を取り、丁寧に塗り込んでいる。
アレクの手荒れを防ぐために仕方なくしているはずなのに、するたびに胸の内側からほこほことしてくるのはなぜだろう。
きっとクリームに血行が良くなる成分が入っているのだろう。荒れていたアレクの手も滑らかになってきた。なかなか良い腕の薬師のようだ。これからも継続購買しようと思う。
しかし、この至福の習慣はマデレイネに知られてからは役目を取られるようになった。
「ミゲル。マデレイネがハンドクリームをアレクに塗る前に奪え。お前の手につけろ」
「ええっ、むりだよおぉー」
イライラとした調子で、目の座っているイザングランがミゲルに訴えるが、ミゲルは顔を赤くしながら首を振り、情けなく肩を落とす。
「アレ、けっこうハードル高いってぇ!」
「そうなのか?」
心底不思議そうに首をかしげるイザングランに眉尻を下げ切ったミゲルが諭す。
「想像してみてよ、おれとイザングランで!」
言われて、イザングランは素直にハンドクリームを分け合う自分とミゲルを想像してみた。
「うえ……」
「わかった?」
「わかった……」
口元を押さえてこくこくうなずく青褪めたイザングランにミゲルが安堵の息を吐いた。
おぞ気の収まったイザングランはもしかして、と考えを巡らせた。自分はアレクにものすごく恥ずかしいことをしていたのではないだろうか。
思い返してみればアレクにクリームを塗りわけるイザングランを見ている周囲の視線が生ぬるかったような。
今さらながらに頬が熱くなってきて、イザングランはその場にうずくまった。
「……大丈夫?」
「大丈夫なわけあるか」
見上げたミゲルの顔までもが生温さに満ちていたので、お約束のアイアンクローを見舞ってやりたかったが、そんな余裕もなく、ただ熱が下がるまでうずくまっているしかできなかった。
それ以来、イザングランは人前でクリームの塗り合いをやめた。
アレクはときおり水に濡れた手をイザングランが渡したハンカチで拭いながら、意地悪く笑って、もうクリームを分けてくれないのか、と聞いてくるが、それは決まって周囲に人がいる時なのでイザングランは赤面しながら黙るしかないのだった。勝ち誇るマデレイネの顔が憎らしい。
その代わり、風呂上りには昼間からかわれた意趣返しとして念入りに、それはもう丁寧にアレクのスキンケアをするようになった。
周囲に花を飛ばしているような朗らかな様子でアレクはマッサージを受け入れているので果たして本当に意趣返しになっているかはわからない。
わからないので、イザングランはひたすら力を入れてケアをし続けるしかない。
爪や肌の手入れの仕方はハンドクリームを購入した店の店主からいろいろと聞いた。
店主は話の途中で顔を両手で覆い震え始めたのだが、もしや体調が悪かったのだろうか。病弱だとしたら悪い事をした。次回からは会話をはやめに切り上げよう。
ハンドケアをしているとアレクはいつもくすぐったそうにしている。今は爪にやすりをかけているだけなのにどうしてこそばゆそうにするのか。
くすくすと笑いをこぼす理由を聞こうとも思ったが、アレクが嬉しそうにしている表情は嫌いではないので、聞かずにいる。
なんだかとっても恥ずかしい返答をされる気がしているので。
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