ー第十章~魔狼の追憶(後編)
フィーロが来なくなったから二週間が過ぎた。
一カ月半前に負った傷はすっかり良くなり、ランスはこの先の事を考えるようになっていた。
このまま、この小屋で穏やかに過ごすのも悪くない。この辺りは住んでいた村からもずっと離れている上、周りは森に囲まれた谷の合間にあるので、そう簡単の見つかることもないだろう。
首都である聖都にも以前の村よりは近いようで、木々の合間から時折、やまびこに乗せて蒸気機関車の声が聴こえていた。
目の前には湖があり、周囲を囲む森には食料も豊富だ。
フィーロがちょくちょく買い物をしてくるところを見ると、どうやら街も近いらしい。
腰を落ち着ける条件としては申し分ない環境である。
だが、平穏な暮らしを望む一方で、ずっとフィーロの言葉が引っ掛かっていた。
『僕のサーヴァントになって下さい』
ライカンスロープという種族として生まれ、幼い頃から夢物語のように母親から聞かされていたヴェドゴニヤに仕える騎士になる役目。 幼い頃はずっと憧れていた事だが、家族を捨ててその役目に奔走した父親のせいでその憧れは今は呪いでしかない。
村にいた間も、ずっとヴェドゴニヤに会わなければいいと思っていた。
だが、運命とは不思議なもので、自分が死を覚悟したその時、その瞬間は唐突に現れたのである。
普通なら、それを宿命と信じてフィーロの申し出を受け入れただろう。
だが、父親の存在がランスの決断をずっと躊躇わせていた。
肩慣らしに、暖炉に焚べるマキを斧でたたき割る作業をしていると、森の中から白い影が現れた。
「こんにちは...」
「あ、お前。随分訪ねて来ないからどうしたのかと気になってたんだぞ」
振り上げていた斧を下ろし、久し振りに姿を見せたフィーロをランスは呆れた様子で出迎えた。
「すみません...少し用事があって...聖都に戻っていました...」
繁みの中から出て来たフィーロは何処か気まずそうにしながらランスの傍に歩み寄った。
「見習いもなかなか忙しいな...そういや、左腕あれからどうした?」
ランスの問いかけにフィーロはびくりと肩を震わせ、僅かに左側を隠すように身体を斜めにして顔を伏せた。
その反応にランスは、弾かれたようにフィーロの傍に近づくと、隠された左腕をそっと掴んだ。
「...すみません...折角少し動くようになったのに...」
罪悪感を感じているのかフィーロの声は微かに震え、叱られるのが分かっている子供のように顔は蒼白していた。
「...なんだよ、俺が教えたマッサージし忘れるくらい忙しかったのか...?」
怒られると思っていたのか、ランスの口から出た落胆する言葉にフィーロは左右で異なる瞳を溢れんばかりに見開いた。
その
「それで、二週間ぶりの訪問の理由は?」
話を逸らすようにランスはここにフィーロが再訪した理由を訊ねた。
「ランス...僕のサーヴァントになって下さい」
俯き、目元を拭ってから再び顔を上げたフィーロの双眸は真剣さと何処か焦りを含んだものだった。
「お願いします。僕とサーヴァント契約を結んでください」
深々と、銀色の頭を垂れてフィーロは切実に懇願する。
その幼い肩が微かに震えているのにランスは戸惑った。
フィーロが来ない二週間の間。ずっと考えて答えを出せずにいた。
その答えを求められ、ランスは未だ自分の気持ちに踏ん切りがついていないのを自覚した。
「...その事なんだが...俺じゃないと駄目なのか?俺は、別に強い訳じゃねえし...ましてや、退魔師のサーヴァントなんて...」
答えを濁すランスの言葉にフィーロは顔を伏せたまま唇を引き結んだ。
「...時間がないのに...」
「え?」
不意に聞こえた呟きにランスは目を見張る。
時間がないというのは、試験に間に合わないという意味だろうか。
「おい、それ、どういう...」
呟きの真意を確かめたくてランスが聞き返そうとした時、フィーロは勢いよく顔を上げたかと思うと、まるで振り切るように来た道を駈け出した。
「おいっ」
咄嗟に追いかけようとして、何故か足が止まった。
追いかけてどうする。
フィーロの申し出を受ける決意も覚悟もないのに、安易に慰めるのか。
それは、恐らくフィーロのプライドが良しとしない。
手を祓われて、もっと相手を傷付けるだけだ。
それなら、このまま何もせずにいるのが一番じゃないのか。
胸の奥に蟠りの種を残し、ランスはフィーロが去って行った森の中を茫然と見つめ、その場に立ち尽くした。
その夜。
ランスは昼間のフィーロの絶望に似た表情が離れす、寝付けずにいた。
ベッドに身体を横たえ、天井を見据えて、溜息を吐いた。
もう、何度寝返りを打ったか分からない程にシーツの上で右へ左へと身体を転がしている。
瞼を閉じれば浮かんでくるのは、まだ出逢って一月程しか経っていない子供の表情。
左腕のマッサージという名目の下、色々な話をした。
それは、今まで友もなく、周りから差別されて生きて来たランスにとって、母以外の者と初めて過ごした平穏な時間だった。
最初こそ慇懃無礼でニヒルな子供かと思っていたフィーロは、意外にもコロコロ表情を変え、時にその年齢らしい反応をする素直な人物だった。
ヴェドゴニヤの孤児。恐らく生まれてから僅かな生の中で、苦労もしてきたのだろう。
あの年齢で退魔師を目指しているのを考えれば、それも想像に難くない。
自分と変わらない、孤独な生を生きて来た子供。
踏み出す時が来たのかもしれない。
「はあ...」
大仰に溜息を吐いてランスはゆっくりと身体を起こした。
まだ、決意も覚悟も出来たとは言えない。
それでも、もう一度フィーロに会う必要を感じる。
このまま、何も言わないのは助けてくれたフィーロに対して失礼だ。
「退魔師見習いか...」
それなら、聖都に行けば居場所が分かるかもしれない。
ベッドから降りたランスは、真夜中にも関わらずに荷支度を始めた。
****
薄暗い、地下の空間。
一人の少女と対峙したフィーロは琥珀と瑠璃の双眸に強い光を宿し、目の前で蠱惑的に微笑む魔女を見据えた。
「いい?三カ月よ。この情報の代償の有効期限は三か月。その間に例の狼を見つけてサーヴァント契約を結べたら貴方の勝ち。貴方は晴れて自由の身。もう貴方に干渉はしないわ。
でも、契約出来なかったら、退魔師になるのを諦めて私のモルモットになる」
「...分かりました。その勝負、受けて立ちます」
唇を引き結び、フィーロは真っ直ぐに魔女を見つめて宣言する。
「僕の力だけで、ライカンスロープを見つけてサーヴァント契約を必ず結んで見せる。これ以上、貴方の好きにはさせない」
「ええ、楽しみにしているわ。貴方がここに貴方の騎士を連れて戻って来るのを」
翠の瞳に少女とは思えない邪悪な笑みを滲ませて、魔女はフィーロに微笑みかけた。
****
早朝の気汽車でランスは聖都を目指していた。
駅で聞いた所、最寄りの駅から聖都までは約三時間程で辿り着けるらしい。
それを考えると、フィーロは一月もの間聖都からあの小屋まで随分時間をかけて通っていた事になる。
いや、駅のある街に宿を取っていたのかもしれないが、通っていても不思議ではなかった。
車窓の向こうに聖都の城壁が見えてくる。
聖都を訪れるのは子供の頃以来だ。
それからは、父親のいる場所に足を踏み入れるのすら躊躇っていたのだから、今回の自身の決断は驚くべきものだった。
蒸気機関車はゆっくりとこの国の首都たる聖都のターミナル駅に停車する。
島国であるクリスタリア公国の各地に伸びる線路の執着駅にして出発点。
その広大にして、現在の技術の推移を詰め込んだ巨大な駅の構内をランスは迷いながらも進んで外に出た。
「はあ~こりゃ凄いな...」
駅の外に広がっていたのは、ついこの間まで荒廃していたとは思えない、煉瓦ので築かれた街並みと、整備された通路。
行き交う人々と馬車で賑わう活気に満ち溢れた都の姿だった。
中央に白亜の宮殿が聳え、その少し後ろにある小高い丘にはゴシック建築の神髄を極めたような豪奢な邸が軒を連ねている。
行き交う人々の波に半ば飲み込まれながらランスは、退魔師の本部がある中央区を目指した。
「ここか...」
太陽が中天を差そうとする頃、人伝に尋ね歩いたランスは、聖天教会退魔師課本部のある庁舎へと辿り着いた。
(さて...この中から本人もしくは知り合いを捜して居場所を突き止めないとならないのか...)
庁舎の目の前でランスは肩を竦めた。
知り合いもいない中、国の中枢機関である場所に属する人物を捜すのは骨が折れそうな内容だ。
だが、フィーロが再びあの小屋を訊ねてきてくれるとは思えい。
それなら、自ら探すしかないのだろう。
フィーロは、何処で知ったのかは分からないが、自分を捜してあの村の近くまで来てくれた。
それなら、今度は自分が探す番であるし、居場所の検討は付いているのだから自分を捜してくれた時より容易い。
(手っ取り早いのは退魔師掴まえて聞く事か...)
そう思いながら庁舎の前をうろうろしていると、フィーロが身に着けていた白い詰襟の
おもむろに胸元に視線を向ければ、フィーロが首から下げていた鞘に収まった剣を模したロザリオに目が留まった。
それは、退魔師見習いが見習いの証として授けられるロザリオ。
つまり、彼等はフィーロの同期という訳だ。
それが分かった途端、ランスは自分の横を何気なく通り過ぎようとしていた二人組を呼び止めた。
「悪い、人を捜しているんだ。心当たりないか」
呼び止めたうち、一人は黒い長髪を旋毛に近い位置で結い上げた黒曜石目つきの悪い瞳の十代後半の少年と癖のある金色の髪に空色の瞳の二十代前半の青年。
背格好も年齢も微妙に違う二人だが、服装や胸元のロザリアが探し人と同じ所属だというのは直ぐに確認できた。
「どなたをお探しですか?ここは聖天教会退魔師課本部ですよ」
「依頼の受付ならこの建物のエントランスで」
「お前等は退魔師見習いだろ?なあ、お前らの同期にフィーロって奴はいないか?そいつに会いたいんだ」
ランスがフィーロの名を出した途端、それまで平然としていた二人の頬が急に強張った。
「フィーロだって」
「貴様!アイツが何所にいるか知っているのか!」
突然豹変した黒髪の少年が、ランスの胸倉を掴もうと食ってかかってくる。
それを金髪の青年が友人の肩を掴んで制止した。
「シンヤ、落ち着いて、どうどう...あ、すみません、私達そのフィーロの兄弟子なんです。貴方は?」
少年を押さえながら金髪の青年はランスの素性を訊ねる。
「俺は、ランス...フィーロにサーヴァント契約を持ちかけられたライカンスロープだ...」
「え?貴方が?」
今度は金髪の青年も目を円くした驚いた。
「どうして僕等の弟弟子を捜しているんです?貴方の所に私達はフィーロが行っていると思っていたのに...」
「確かに昨日フィーロは俺の所を訪ねてきたが...ちょっと待て、フィーロをなんでアンタらが捜しているんだ?」
たまたま出逢った二人がフィーロの兄弟弟子だというのは幸運だったが、その二人までもがフィーロを捜しているのにランスは疑問を感じた。
「ちょっと待って、整理しよう。えっと、私達はてっきり貴方の所にフィーロが行っていると思っていた。けれど、貴方はそのフィーロを捜してここまで来ている...じゃあ、フィーロは何処にという疑問が浮かぶね」
「呑気な事を言うなヒューイ。もう二週間もフィーロが帰って来ないんだぞ。可笑しいだろ」
冷静な青年の制止を解き、黒髪の少年はじっと金髪の青年を睨む。
その少年が口にした二週間という単語にランスは更に困惑した。
(二週間って、俺のとこにも来てなかった期間じゃねえか)
二人の話を聞いた瞬間、ランスは突如その場から走り出した。
「あっおいっ待てよ」
後方から引き留める声が聴こえてきたが、そんなのに構っている暇はなかった。
初めてに近い聖都をランスはがむしゃらに走り抜けていく。
やがて、彼は宮殿の背後に聳える小高い丘の入口近くへと辿り着いたいた。
この時はまさかこの丘の地区がヴァンパイアの貴族の居住区だとは知らなかった。
(この丘の上からなら街を見渡せるかも...)
ただ、そんな事だけを考えて、丘へ足を踏み入れようとした所で、不意に呼びかけられた。
「君が、騎士ミフネ・シュバルツ・ルーガルーの息子だね」
ぞわりと、背筋を伝う寒気にランスは思わず息を飲んだ。
背後に、まるで霧のように現れた存在を凝視してランスは、微かに唇を震わせる。
「あんたは...まさか」
「僕が誰かは今は知らない方がいい。それより、君の捜し人はここから西に進んだ場所にある魔女の邸にいるよ。僕では手を出せない...どうか、哀れな子羊を救ってやってもらえないかな?」
唐突に現れた長い金糸の髪を靡かせた長身痩躯の小奇麗な紳士は、その気配とは裏腹に何処かその端正な顔に憂いを帯びていた。
捜し人。
魔女の邸。
その意味は問うまでもなかった。
「...恩に着る...」
短くそれだけ告げてランスは地面に縫い留められたように固まっていた足を無理矢理引き上げて、指示された方へと駆け出した。
西の一角には、聖王付きとされる魔女の邸が存在している。
『緑柱の魔女』と呼ばれる神に選ばれし三人の魔女の一柱である彼女は、先の大戦の折り、聖王に味方した事でその名声を馳せた。
だが、研究者であったその経緯から、サディストとして知られていた。
黒光る槍を並べたような門をランスは一気に地面を蹴って飛び越えた。
結界が張ってあったらどうしようかと思ったが、門を飛び越えた瞬間、そんなものはなくホッとした。
だが、地面に足を付けた瞬間、ランスの目の前に二頭の巨大な猛獣が現れた。
獅子の身体に鷲の翼、蛇の尾を持つ巨大な猛獣。
キメラと呼ばれるその猛獣をランスは静かに見据えた。
「万番って訳かよ」
吐き捨てるように呟いたランスの手には、銀を加工して造り出した槍が握られていた。
「ここを、通してもらうぜっ」
迫りくる鋭い爪と牙に向かい、ランスは握り締めた槍を突き出した。
どれ程意識を失っていたのか。
長い睫毛を揺らして、フィーロはゆっくりと目を覚ました。
「あら、目が覚めたのね」
どんなものを使っているのか、頭上にはまるで太陽のように輝く光が降り注ぎ、その陰になるようにして顔を覗いていたのは、一人の少女だった。
自分を覗き込んでくる少女をフィーロは何処か諦めた双眸で見つめた。
「意外と諦めが早いよね。まあ、約束は約束だもんね」
愛らしい笑みを浮かべて魔女は仰向けに横たわるフィーロの細い頬をそっと撫でた。
ジャラリと、耳元で金属の擦れる音が響く。唯一動く右腕と手足は鎖に繋がれ、フィーロの身体は手術台の様な場所で繋がれていた。
「もう少し足掻いてくれても良かったのに。残念だよ」
「...僕は期限までに約束を果たせなかった。そんな僕に今更足掻くなんて意味がないでしょう...」
所詮は、地獄に蜘蛛の糸が一筋垂らされたような幸運だった。
退魔師になる為に費やしたこの二年の日々だけでも、価値はあった。
(どうせ...望まれた命じゃない...)
結局、この動かぬ左腕と見えぬ左眼の意味は分からぬままだった。
これからの生はこの魔女の実験動物として過ごす事になる。
「さあ、騎士との契約を出来なかった哀れなお姫様、今度は魔女と契約を結ぶ番だよ」
ニヤリと、紅を引いた唇を綻ばせて緑柱の魔女ーレベッカ・ラングレーはほくそ笑んだ。
チラリと、周囲を見渡すようにフィーロが視線を移すと、光の先にもう一人人物がいるのに気が付いた。
長身痩躯で青い髪の精悍な顔つきの男。何処か、あのライカンスロープの青年ににた彼は、痛みを堪えるような表情で自分を見つめていた。
その人物が誰かをフィーロは知らない。
魔女の護衛かもしれないが、彼が魔女に向ける視線は忠誠を誓う者のそれではなく、まるで監視者のような眼差しだった。
「さて、それじゃ、早速契約を」
レースのあしらわれたラッパのように広がる袖から、蜜蝋を押すスタンプを取り出した時、レベッカは地上から聞こえて来た騒音に眉を顰めた。
「番犬が暴れているぞ、魔女」
冷ややかな声音でそう告げた男の言葉にレベッカは肩を竦めて溜息を吐く。
「なによ、これからだってのに...ミフネ、見てきてよ」
「俺はお前の下僕じゃない。自分で何とかしろ」
「もう、融通利かないな...」
その容姿に合わせたように頬を膨らませてレベッカは小刻みに揺れる建物の天井に視線を向ける。
直後、入口に近い場所の天井を突き破って一頭のキメラが落ちて来た。
瓦礫と共に舞い上がった埃が、地下室の中に充満する。
キメラに続いて地上から降りて来たのは、折れた槍を握りしめた一人の青年だった。
青混じりの黒髪に長身痩躯の体躯。
狼の如く牙を剥きだしたランスは、地下室に立つ魔女と男を見据えた。
「ちょっと、あんた誰だよ。人の可愛いキメラぶっ飛ばして、邸に穴開けて何様のつもりさっ」
瓦礫に埋もれて息絶えて自身のペットと破壊された自身の邸の姿に憤慨し、レベッカは突如現れた青年を睨みつけた。
「俺は...」
瓦礫を掻き分け、ゆらりと幽鬼の如き歩みで近づきながら、彼はゆっくりとその単語を紡ぐ。
その言葉を己に刻むように。
その決意を受け入れるように。
「俺は、そこの退魔師見習いのサーヴァントだ!」
地下の壁を震わせる腹の底からの咆哮にレベッカは珍しく小さな肩を震わせてたじろいだ。
「ミフネ、アイツ何とかしてよ」
僅かな焦りを含んだ声でレベッカは横に控えた男ーミフネに告げる。
魔女の命令に眉間に皺を寄せて溜息を吐いてミフネは、腰に携えていた剣を静かに引き抜いた。
「親父...」
「久し振りだなランス...」
剣を斜に構え、ミフネは近づいてきたランスに切っ先を向けた。
そこに移り込んだ疲れ切った表情を見つめてランスは更に牙を剥いた。
「なんでアンタがここにいるっ聖王のサーヴァントだろ!」
怒気に満ちた問いかけに一言も応えず、ミフネは無言のままランスに刃を向け、床を蹴った。
懐に飛び込んできた切っ先をランスは折れた槍の柄で受け止める。
ギリリと、金属の擦れる音が響き、互いの視線が混じり合う。
それは、望まぬの形の数十年ぶりの再開だった。
息の合った稽古のように人狼の父子は刃をぶつけ合う。
その光景を横目にしながら、レベッカは手術台に横たわるフィーロを再び覗き込んだ。
「やれやれ...折角ヴェドゴニヤの研究が出来ると思ったのにさ...これじゃ、興ざめだよ」
パチンと、指を鳴らすと、フィーロを拘束していた鎖が砕け散り、キラキラと光の中に散る。
「僕の負けだ、これで君は晴れて自由の身。ミフネ、もういいよ」
魔女の言葉に、ランスと交えていた刃を押し出し、半ばランスを突き飛ばす形で引放したミフネは対峙した息子から距離を取った。
突き飛ばされ、体制を立て直したランスは再びミフネに向かって行こうとして、ぴたりと動きを止めた。
その視線の先には、手術台から身体を起こし、ゆっくりと地面に降り立つフィーロの姿が映り込んだ。
弾かれたようにランスはフィーロの前に駆け寄ると、騎士がするそれのように跪いた。
「どうして、来てくれたんですか?」
苦笑を浮かべて問いかけてくるフィーロにランスは答えるより先に、恭しく頭を垂れた。
それが、彼の答えだったのだろう。
次に続いた言葉をフィーロは静かに受け入れた。
「退魔師フィーロ。貴殿の申し出謹んでお受け致します。この身は貴殿の剣となり、楯となり、この身と魂が滅ぶまで忠誠を...俺は今日からアンタのサーヴァントだ」
ニヤリと、およそ騎士らしくない野暮な笑みにフィーロは彼等示唆を感じて頷いた。
やはり、会いに行って良かった。
「我が騎士の誓いに感謝する」
少し声を曇らせてフィーロはポケットから青い石の嵌められた銀色のアンクレットを取り出し、ランスの左腕に通した。
それは、主が従者に誓いの証を渡す儀式の名残。
アンクレットを見つめてからランスはフィーロの手の甲に口づけを施した。
退魔師見習いと新たなサーヴァントの契約が済んだ直後、魔女の邸の地下室に白銀の甲冑を身に纏った兵士たちが流れ込んだ来た。
「な、なんで聖天騎士団が来るのさ」
突然現れたこの国の軍に等しき者達の登場にレベッカは戸惑った。
「緑柱の魔女レベッカ、退魔師見習い誘拐の容疑で嫌疑が掛かっている。ご同行願いたい」
隊長らしき男の述べた口上にレベッカは大仰に声を荒らげた。
「はああ、何それっ」
何処からそんな情報が漏れたのか。
レベッカは自分を取り囲んだ騎士達を不満げに睨みつけた。
「...覚えてなよ」
吐き捨てるように言うレベッカをよそに、フィーロとランスはこの状況に乗じて姿を晦ませた。
後で分かった事だがレベッカの邸に聖天騎士団が流れ込んできたのは、当時フィーロのブラザーであったギルベルトが上層部に掛け合った結果だったらしい。
ギルベルトが何故上層部を動かせたのかまでは未だに謎だが、弟子が一人行方不明になった退魔師の必死の訴えが上層部を動かしたと今では語り継がれている。
真相は誰も知らない。
だが、フィーロとランスのマスターとサーヴァントの関係はここから始まった。
****
「色々大変だったんですね...」
所々を伏せながらランスはハンスに己とフィーロとの出逢いを語って聞かせた。
ランスの話を聞き終えてハンスは感心したように目を円くする。
「あの時俺は、フィーロの傍に居続けるって決めたんだ」
ハンスに語った後のランスの表情は何処か誇らしげで、ハンスはその横顔に熱い視線を送った。
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