ー第三章~北の工業都市と大聖堂~
クリスタリア公国四大都市の一つにして、北部最大の工業都市として栄える街『ツアーンラート』
青白い屏風のように聳え立つ『フリーレン山脈』を背に、周囲を針葉樹林と万年雪の山々に囲まれた窪みに、ツアーンラートの街はあった。
一年の半分を雪と氷に閉ざされ、作物も育ちにくい土地にあったこの街が発展したのは、数少ない資源の中で豊富にあった、松やヒノキ、スギなどの樹木の加工技術が発達したことと、ある人物が持ち込んだカラクリ技術の発展によるところが大きな理由だった。
別名“人形使いの街”と呼ばれ、街の至る所に小さな部隊や劇場があるこの街は、音楽や芸術でもその名を各地に知られていた。
本来なら穏やかで平和な街なのだが、ここ一月程、奇妙な事件が起きていた。けれど、その事実を把握しているのは教会と一部の関係者のみである。
それを調査、解決をするべく、クリスタリア公国の聖都にある聖天教会退魔師課本部から退魔師が派遣されてくるとのことだ。
その退魔師を迎えに行くようにと司教に言われて、アルシャは駅へとやって来た。
(そろそろ来る頃なんだけどなぁ…)
待合室のベンチに腰を下ろし、ブラブラと足を揺らしてアルシャは今か今かと待ち人の到着を待っていた。
詰襟の黒い神父服に身を包み、焦げ茶色の短い髪と鳶色の瞳を持った12歳位の少年は、今だ現れぬ退魔師に期待を寄せていた。
(でも…どんな方が来るんだろ?写真はとても綺麗な方だけど…)
孤児であったアルシャは教会の孤児院で育った為、自然と聖職者の道へ入った。けれど、生まれてからずっとこのツアーンラートで育ったアルシャは、街を出たことがなく、“退魔師”と呼ばれる部類の聖職者にも出会ったことがなかった。
北のヴァンパイア王の厳格な統治により、古くから魔族に対する人間への襲撃の少なかったことや、先の大戦が南や東が主な戦場であったこと等が重なり、駐在の専属退魔師はアルシャが暮す大聖堂にはいなかった。
アルシャが生まれる数年前には巡回退魔師がやってきていたが、国の政治が落ち着きを見せてきた昨今では、それすら途絶えていた。だから、今日来る退魔師がアルシャにとって初めて出逢う退魔師なのである。
(楽しみだなぁ~)
理由が理由だが、初めて対面する退魔師という存在をアルシャ心待ちにしていた。
到着を今か今かと待ちわびていたアルシャの視界に、それらしき二人組が映り込んだ。
(あの方かも…)
ぎゅっと握り閉めていた大聖堂へ送られてきた資料に添付されていた写真と、駅舎の待合室に入って来た人物を見比べて、アルシャは座っていたベンチから飛び降り、その勢いのまま駆けだした。
改札を出るまでの僅かな間、フィーロはランスから荷物を奪い返そうと躍起になった。本人は大丈夫と繰り返すが、明らかに顔色が悪い。そんな彼にいくら従者であるとはいえ、自分で持てる荷物を持ってもらうのはなんとなく申し訳なかった。
「自分で持つから荷物返しなさい、命令っ」
「却下。その命令は受け付けられません。
「こんな時だけ変な呼び方しないで下さい」
むすっと頬を膨らませてフィーロは荷物を掴もうと腕を伸ばす。が、頭一つ半程背の高いランスから荷物を奪取するのは、小柄なフィーロにとって、容易なことではなかった。
「だから、少しは威厳を示せっての」
「こんな山奥まで来て威厳も何もないでしょうが」
荷物を巡っての攻防を繰り広げていたフィーロとランスは、自分達に近づいて来た人物に気づかなかった。
「あのっ」
勢いよく張り上げた呼び掛けが、自分達に向けられたものだと気づき、二人は歩みを止めた。
声のした方に視線を向けると、フィーロより更に背の低い、神父服の少年がこちらを見ていた。
「あの、フィーロ・フィロフェロイ・ストラウス神父でしょうか?」
確かめるように訊ねてきた少年にフィーロはこくりと頷く。
「はい、僕がそうですけど…もしかして、君が教会からの迎えの方ですか?」
自分の目の前に立つ少年の服装を見てフィーロは、彼が教会に属するものだという事は直ぐに分かった。
フィーロの問いかけに少年は強く頷き、姿勢を正して胸の前で手を添えて恭しく一礼した。
「わ、私は『ミッテンヴァルト大聖堂』に仕えるアルシャと申します。司教様の仰せでお迎えに上がりました」
僅かに声を上ずらせつつも、アルシャは感極まった様子で名乗りを上げる。その瞳は興奮と感動、歓喜を帯びて少し潤んでいた。
「初めましてアルシャ。僕は聖都退魔師本部より派遣されてきました、フィーロ・フィロフェロイ・ストラウスです。こっちは僕のサーヴァントのランス・シュヴァルツ・ルーガルー…出迎えご苦労様です。短い間ですが宜しくお願いしますね」
「はいっ、よろしくお願いします」
聖職者らしい柔らかな表情でフィーロはアルシャに微笑みかける。
その、天使の様な微笑みにアルシャは頬を赤らめながら、声を張り上げた。
「ではこちらに。外に馬車を待たせてありますので」
幼いながらも懸命にエスコートするアルシャの姿を微笑ましく思いながら、フィーロはその小さな背中の後をついて行く。更にその後をランスも追いかけた。
『ツアーンラート』の街の西側にフィーロとランスが今回の任務で世話になる『ミッテンヴァルト大聖堂』がある。
そこは、街の中にありながその場所だけが周囲を木立に囲まれ、あたかも森の中に佇むように存在していた。
アルシャが手繰る馬車は鬱蒼と茂る針葉樹のトンネルを抜けていく。すると、街のシンボルともいうべき建物が見えてきた。
左右対称の二つの塔を持つゴシック様式の教会は、古くは三百年前に建設され、長い年月の中でその姿は移り変わり、今もなお当時の姿を残しているのは礼拝堂のみだ。礼拝堂を中心に後方と左右に聖職者達が暮す僧房と修行場、孤児院や食堂、風呂場等の共同施設が敷地内には立ち並び、石畳の道が各建物を繋いでいる。その場所は厳かな雰囲気に包まれていた。
二頭立ての馬車に揺られて二十分。フィーロ達はアルシャの案内の元、大聖堂へ辿り着いた。
馬車に揺られる間、緊張していたのか、馬車の操縦に集中していたからなのか、アルシャからあまり会話はなく、フィーロはツアーンラートの街並みを見つめていた。
「お疲れ様でした」
馬車の停まる振動に、物思いに耽っていたフィーロは、ハッと意識を現実に戻した。
「着いたんですね」
馬車の壁に横たわっていた身体を起こしてフィーロは伸びをする。
「ランス、大丈夫ですか?」
馬車に乗るなり腕を組んで俯いていたランスにフィーロは声を掛ける。
フィーロの声に、半分寝ていたらしいランスは目を擦りながら顔を上げた。
「あぁ…大丈夫だ」
頭を左右に振って意識を安定させてランスは身体を起こす。
「降りますよ」
馬車の荷台からフィーロは先に地面へと降り立った。それに続いてランスも馬車を降りる。
地面に足を付けて、眩暈が少し落ち着いていることを確認したランスはホッとする。
(少しはましになったみたいだな…)
歩行にも支障がない事を確認したランスは、荷台から荷物を降ろそうと背伸びをしているフィーロを、後ろから支えた。
「ランス」
「届かないなら無理するな」
大丈夫なんですか、と声を掛けてくるフィーロの手から荷物を取り、ゆっくりと地面に降ろした。
「フィーロ様、お部屋に案内しますのでこちらへ」
馬車馬を綱木に括り付けたアルシャは、フィーロとランスの傍に駆け寄って来た。
「アルシャ君、先に司教様へご挨拶をしたいのですが?司教様はどちらですか?」
フィーロの問いかけに、アルシャは少し困った顔をした。
「申し訳ありません…司教様は今、不在でして、お二人の事は私が任されておりますので」
「そうですか…」
アルシャの謝罪にフィーロは一瞬、眉を顰めたが直ぐに笑みを浮かべた。
「司教様は夕方にはお戻りになります。夕食の際にはお二人にご挨拶させて頂くと申しておりました」
アルシャ自身も司教から言われたであろう言伝をフィーロに伝える。
「分かりました。では、お戻りになったら、僕に教えて下さい。正式な依頼ですから、司教様に承認の印を頂かないとならないので」
退魔師の仕事は、どんなものであってもその地域を統括する教会の承認がないと正式な物とは認められない。
教会に常駐する専属退魔師であれば自身の所属する教会の統括範囲でなら制約なく行動できるが、フィーロのような巡回退魔師は、各地を転々としているために、仕事をする地域ではその場所を統括する教会に一時所属という形を取ることで初めて退魔師としての仕事が出来る。
教会内にある派閥や、専属退魔師への配慮を込めて、教会の責任者からの承認は絶対だった。
いっそ、巡回退魔師はどんな地域でも本部の名の元にありとあらゆる権限が与えられればいいのに、とフィーロは思っていた。
「分かりました。司教者様がお帰りになられたら直ぐに」
「お願いしますね」
柔らかく微笑むフィーロにアルシャは元気よく頷いた。
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