ー第四章~聖職者失踪事件~



「失踪事件ですか?」


 クリスタリア公国聖都・聖天教会退魔師課本部。


 上司である所長専用の執務室へ入るなり渡された資料の束を捲りながら、フィーロは眉を顰めた。


 目の前の執務卓に座り、溜息と共に頷いたのはフィーロの直属の上司であり、全ての退魔師の頂点に立つ人物。


「そう、北部最大の工業都市『ツアーンラート』で、聖職者が行方不明になっているという事件が起きている。今回は調査及び事件の解決だ。行ってくれるよね?」


 ふわりとウエーブのかかった長い栗色の髪を項で緩く一つに纏め、フィーロ同様に白の詰襟の神父服カソックを身に纏う三十代半ばの男ーギルベルト・ハイライトは、モノクルの光る青みかかった灰色の右目で自身直属の部下を見据えた。


「所長の命令とあれば行かない訳にはいかないでしょう。それに僕は聖都にいるより巡回の旅に出ている方が性にあっていますし。依頼を選べる程、僕は偉くはないですからね」


「助かるよ。流石は、12歳で退魔師国家試験を突破した最年少退魔師。このクリスタリア公国の若きホープだ」


 まるで、我が子を誇るような口調にフィーロは少しだけ頬を赤らめた。


 ギルベルトの口上はいつ聞いても恥ずかしい。褒められていることは分かっているのだが、妙な恥ずかしさがあって素直に受け入れられなかった。


「それにしても、ツアーンラートと言えば、北のヴァンパイア王が納める領地の目と鼻の先ですよね?あちらからは何か言ってきていないんですか?」


 かの地を実質的に統べる古よりの賢者の姿を脳裏に思い出しながら、フィーロはそれとなしにギルベルトに訊ねた。


 人間と魔族が手を取り合い国の繁栄に共に着手している今日ではあるが、仮にも国境に近いような土地に首都から退魔師が派遣されるのは、いささかまずいのではないかと疑問が浮かんだ。


「あぁ、それなら心配いらないよ。北のおうは先の大戦以前から人間には好意的でね。それに…多分、この件は君が行くのが適任だと思ったからね」


 ギルベルトの意味深な言葉にフィーロは頭に疑問符を浮かべた。

 キョトンと目を円くしているフィーロをギルベルトは優しく見詰めた。


「どういう意味ですか…?」


「この事件は北の翁からの依頼でね、そして彼は君をご指名なんだよ」


「何故、一介の退魔師である僕を?」


 依頼主が北のヴァンパイア王であるのにも驚いたが、自分が指名されている方がフィーロには疑問だった。


「そりゃ、最年少退魔師だからだよ。君の名声は北の大地にも届いているということさ。七年前の悪名高き邪竜ファヴニール退治の折から、君の噂は地方にまで届いているのは、君自身も知っているだろう?」


 ギルベルトが話す理由を聞きながら、フィーロは後ろ手に組んでいた左腕を、右手で強く握った。何かを抑え込むように。


「はぁ、なんですかそれ…僕以上に優秀な退魔師は沢山いるのに。まあ、大きな仕事は評価点も大きいですから、有難いですけど」


「まぁいいじゃないの。とにかく、明日の朝に出発出来るように汽車のチケットは手配したから、今日は早く帰って支度をしなさい」

「分かりました。フィーロ・フィロフェロイ・ストラウス。北部『ツアーンラート工業都市』への巡回へ行って参ります」


 一糸乱れぬ動作で敬礼をして、フィーロは真っ直ぐにギルベルトを見据えた。






 ギルベルトとそんなやり取りをしたのがかれこれ三日前の話。


 首都である『聖都』を離れ、任務地である北の工業都市『ツアーンラート』の『ミッテンヴァルト大聖堂』内の宿坊にフィーロとランスは通された。


 二人に与えられた居室は、三階建ての宿坊の左端に位置する二人部屋だった。


「こちらが、フィーロ様とランスさんのお部屋になります」


 部屋の扉を開き、アルシャは二人に入室を促した。


 室内は窓に向かって左右に同じ造りのベッドと書き物をするための机、衣類を仕舞うクローゼットが備えられた簡素な造りで、いかにも厳粛な宿坊といった雰囲気だったが、手入れが行き届いているのか、清涼な空気が流れていた。


「ありがとうございます」


「何か必要な物がありましたら、遠慮なく仰って下さい。お二人の事は僕に一任されていますから」


 ポンと、胸を叩いて興奮に頬を染めながらアルシャは二人に告げた。


「頼もしいですね」


 ベッドの傍に荷物を置きながらフィーロはクスリと笑った。


「それでは私は一度失礼します」


「ええ、案内ご苦労様でした。ありがとう、アルシャ君」


 朗らかに微笑むフィーロの天使のような笑みに、アルシャは頬を染めつつ返事をして、居室を出て行った。


「はぁ、フィーロ、お前相手が自分に好意的だからって弄ってやるなよ」




 居室に入るなりベッドに腰を下ろしていたランスは、ニヤニヤと悪戯っ子の笑みを刻んでいる主人を呆れた様子で見詰めた。


「いえ、なんか可愛くて」


 口許に手を添えてフィーロは楽しげに笑う。


「お前…そのうち痛い目見るぞ…」


 人の不幸は蜜の味とまでは思っていないが、人をからかうのをフィーロは秘かな楽しみにしている。その被害の大半は自分なのだが、今回はまだ年端もいかない純粋な少年に向けられて、ランスは少しアルシャが気の毒になっていた。


(自分がからかわれるのは嫌なくせになあ…)


 荷物を整理しているフィーロを眺めてランスは内心嘆息した。


「ところでランス。体調は大丈夫なんですか?」


 ベッドに座り込んでいるランスをフィーロは振り返る。さっきまでアルシャをからかっていた意地悪な表情を消えて、今は心配そうに顔を曇らせていた。


 フィーロの問いかけにランスは深く溜息を零した。


「教会の精錬された空気のお陰で大分マシにはなったな」


 額に手を押し当てて、ランスは天井を仰ぐ。駅のホームに降り立った時の様な不快感は今は薄れていた。


「フィーロ、この街なんかやばいぞ。聖職者の失踪と何か関係があるも知れない。用心しといた方がいいぞ」


「そうですね…」


 駅に着いた途端具合の悪くなった相棒を気遣い顔色を伺っていたフィーロは、窓の外に視線を向けた。ゆっくりと窓辺に歩み寄り、結界の様に教会を囲む木立の合間から見える街並みを眺めた。


 蒼き『フリーレン山脈』が屏風のように聳え、周囲を針葉樹林の森と万年雪に囲まれた工業都市ツアーンラートは、まるで絵本から飛び出てきたかのようにその街の外壁や建物は色とりどりに塗られており、実にカラフルだ。家屋の屋根や扉には歯車を模した模様が施され、通りの至る所に青銅で出来た人形が設置されている。


 その人形達は、この雪と氷に閉ざされた大地で、この街が工業都市として発展するに至った由来を物語っている。


 おもちゃ箱の様な街並みからはランスが感じているような危険は一切なさそうだが、今回の任務が聖職者の失踪事件だけに何か関わりがあるとみた方がいいだろう。


「僕は少し街の方へ行ってみようと思います。承認がもらえていないのでまだ大掛かりには動けませんが、少しでも調査はしておこうと思います」


 白い神父服の下、ズボンのベルトに装着しているポシェットや銃のホルスターを確認してフィーロはランスの方を見る。


「ランスはどうしますか?別に無理して同行する必要はないですよ」


 いざという時は呼べばいいだけですし、万一の時に力を発揮できないと困るので、と若干の皮肉を込めたフィーロの不器用な気遣いに、ランスは苦笑した。


「それじゃ、お言葉に甘えてもう少し休ませてもらうよ」


 ベッドに身体をランスは横たえる。


「そうして下さい」


「何かあったら直ぐ呼べよ」


「えぇ、その時は頼みますよ」


 ニコリと笑みを零したフィーロは愛用のリボルバーの点検を終えて、ホルスターにそれを収めた。


「それじゃ、行ってきます」


 ローブの裾を翻してフィーロは居室を出て行く


 主の背中が扉の向こうに消えるのを見届けてから、ランスは大きな溜息を零し、大の字になってぼんやりと恋情を見上げた。


 この土地はどうもおかしい。北のヴァンパイア王の領地に近いとは言え、魔力の質が違う…


 街に着いた時に感じた違和感を思い出しランスは目を閉じる。


 まるで何かがこの街を覆っているような澱んだ空気。何か事件と関わりがあるのかも知れない。


 そんなことを考えながらランスはいつしか眠りの底へと落ちて行った。





 滞在先にと宛がわれた居室のある三階から降りてくると、一階の廊下でアルシャと出くわした。


「フィーロ様、お出掛けですか?」


 両手で洗濯物の入った籠を抱えたアルシャは、目を輝かせてフィーロを見詰めた。


「えぇ、少し調査も兼ねて街の散歩へ行ってきます。日が沈む頃には戻りますから」


 ニコリとアルシャに笑いかけてフィーロは階段を降りきった。

 そんなフィーロの傍にアルシャは駆け寄った。


「あのっ」


 何か言い難そうにアルシャは視線を右往左往彷徨わせたが、思い切ってフィーロに進言した。


「私も一緒に連れて行ってはもらえませんか」


 突然の申し出にフィーロはキョトンと目を見張る。


「君は退魔師ではなく修道士でしょう?それに、今この教会人がいないようですし」


 ミッテンヴァルト大聖堂に入ってから、フィーロは人の気配を感じていなかった。北部最大にして、街のシンボルでもある大きな大聖堂、司教が不在とはいえ、アルシャ以外の人がいないのは奇妙だった。


(これも、失踪事件の影響か…)


「君が残っている必要があるのでは?」


 小首を傾げながらフィーロはアルシャに問いかけた。


 初めての街で土地勘がない上、ランスが不調で同行できない今、ついてきてもらえるのは有難いが。教会の現状を考えてフィーロは当惑する。


 だが、フィーロの心配は杞憂で終わった。


「それなら問題ありません。退魔師様」


 不意に聞こえ来た第三者の声を追ってアルシャの背後に視線を向けると、そこには二人のシスターが立っていた。


 一人は黄緑色のウェーブが掛かった胸元までの長さの髪に、エメラルドの瞳の20代前半の女性と、水色のストレートの髪をショートにした18、9歳の女性。二人はその身分を表す僧服に身を包み、僧帽を被った、シスターだった。


 先程まで気配すら感じなかったが、唐突に現れた二人のシスターは、フィーロに恭しく頭を垂れて一礼した。


「この度はツアーンラートへ、ようこそお越し下さいました。私は、この教会でシスターをしておりますアンジェリカと申します」


「同じく、シスターのフランチェスカです」


 それぞれ丁寧に名乗りを上げた二人のシスターに応えるように、フィーロも退魔師らしく規則正しい礼を返した。


「初めまして、僕はフィーロ・フィロフェロイ・ストラウス。本部からの要請でこのツアーンラートで起きている事件についての調査と解決に参りました。以後お見知り置きを、シスター」


 優雅で紳士然としたフィーロの礼に二人のシスターは僅かに頬を緩めたが、直ぐに表情を引き締めた。


「フィーロ様のご来訪の内容は司教様より伺っております」


 年長のアンジェリカは伏し目がちに話しを切り出す。


「今いるシスターや聖職者は貴方達だけなのですか?いくら教会が厳粛な場所とはいえ、これだけの規模の教会なら人の気配がもう少ししてもいい気がしますが…今いるのは貴方たちだけなのですか?」


 アルシャ、アンジェリカ、フランチェスカを交互に見つめてから、フィーロは天井を振り仰ぐ。


「フィーロ様の仰る通りです。この教会は本来であれば司教様をはじめ、神父が4名、シスターが6名。修道士が2名、見習いが3名。それに加えて孤児院の子供達が12人が共に暮らしていて賑やかなのですが、ご存知の通り例の事件のせいで」


 言い悪げなアンジェリカの肩をフランチェスカはそっと寄り添うように抱く。


「今、司教様の外出にシスターが2名と神父様が1名同行しています。他に私達の他には修道士が一人と見習いの者が孤児院んで子供たちの世話に当たっていますが…」


「その他は失踪事件の被害者ですね」


 二人の話をメモを取りながら聞いていたフィーロは、内容から現状を割り出す。

 現状で失踪したのは四人の様だ。

 二人がここまで言い難そうなのは、失踪者と親しかったせいだろう。


(シスター同士の仲がいいのか、あるいは、神父と恋仲にあるのかも…)


 聖天教会は聖職者の結婚や恋愛を禁止してはいない。教会の最高指導者である聖女と呼ばれる人物ですら既婚者で子持ちだ。


 教会内で懇意の仲になっているのも珍しい事ではないだろう。


「今回の件でお二人が心を痛めているのはよく分かりました。しかし、一刻も早く事件を解決するためには協力をして頂かなくてはなりません。失踪者の資料などありませんか?何か手がかりがあれば事件に繋がるヒントが見つかるかもしれないので」


「分かりました。直ぐに用意をしますが、少しお時間を頂けないでしょうか」


「構いません。その間に僕は少し街の方を調べてきますので」


「では、夕食までには揃えておきます」


 こくりと頷くアンジェリカにフィーロは「お願いします」と会釈をする。


「あの、その代わりといっては何ですが…アルシャの同行をお許し頂けませんか?」


 アルシャの肩を押すように手を添えてフランチェスカは唐突にフィーロに申し出る。

 フランチェスカに後押しされ、アルシャはじっとフィーロを見詰める。

 アルシャの真剣な眼差しと、出された条件にフィーロは内心溜息を吐いた。


 交換条件というのはあまり好きではないが、人手があるのは助かるし、教会の状況も問題なさそうだ。

 フランチェスカの申し出をフィーロは了承した。


「分かりました。この街に来るのは初めてなので、案内役がいるのはこちらも助かります。アルシャ君、ついてきてください」


「はい。任せて下さい」


 フィーロからの頼みにアルシャは力強く返事をする。

 それに苦笑しながらフィーロは踵を返した。


「行きますよ」


 アルシャを連れ、フィーロはミッテンヴァルト大聖堂の外へ出かけた。

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