ー第二章~北の大地へ~



 それは、凍てつく大地で起こった哀しき恋の物語の再演だった。

 愛しき者を追う、魂の叫び。

 美しき人形はただ求める。己を創造せし、神とも呼べる主人を...



 汽車が出発するまで、そう時間はなかった。

「たくっ、フィーロ急げっ。汽車が出る」

「わかってますよ!」


 左程大きくもない駅のホームへ、奇妙な二人組が駆け込んで来る。一人は肩口で切り揃えられた銀髪に白いフード付きのローブを纏い、革のグローブを付けた手に使い古されたトランクを持った15,6歳の若者。もう一人は黒の皮のジャケットを羽織り、襟足を人房だけ項まで伸ばした黒髪の21、2歳の青年。


「ほら、もうちょいだ」


 フィーロより先に汽車へ辿り着いたランスは、追い付いた主の腕を掴んで、勢いよく列車へと引き上げた。


 フィーロがランスによって引き上げられた直後、二人を待っていてくれたのか否か、汽車は甲高い汽笛を鳴らし、ゆっくりと車輪を回し始めた。


 ガタン、ゴトン。線路の上を規則正しい車輪の回転音が響きだし、車体を揺らしながら速度を上げていく。


「はあ~間に合った…」 

 汽車の乗車口の壁に寄りかかって床に座り込み、フィーロとランスは走って乱れた呼吸を整えた。


「たくっ…だから早く起きろって言っただろ」

 怒り交じりの何処か呆れたような声にフィーロは苦笑しながら声の主を振り返った。

「どうせ汽車の中で寝られるんだしさ」

「すみませんでした。今度は気を付けます。起こしてくれてありがとう…」

 手摺りを掴んで立ち上がるランスへフィーロは礼を口にした。

 おう、とフィーロに返事を返してランスは客室へ続く内扉を開けた。


「ほら、客室行くぞ。立てるか?」

 扉を足で押さえながらランスはフィーロに手を伸ばす。その手に掴まって立ち上がり、フィーロは小さく首を横に振った。

「先に行っていて下さい。僕はもう少しここにいます」

 ローブのポケットから汽車のチケットを取出し、一枚をランスに手渡す。

「分かった。じゃあ、荷物だけ運んどくぞ」

「はい、お願いします」

 フィーロからの応答に了解したランスは、主の持っていたトトランクを持ち上げて、一人先に汽車の中へ入って行った。


 従者の背中を見送った後、フィーロは銀色の髪を手で梳きながら、左右で異なるオッドアイの瞳を過ぎて行く景色に向けた。

 (まさか…中継地点の街で任務に就くとは思わなかったなぁ…)

 胸中で呟き、フィーロは昨晩突然舞い込んだ任務へ思いを馳せた。


 昨夜の事件は本当に偶然だったのだ。

 ある事件の調査の為に北を目指していたフィーロとランスは、汽車の乗り換えの為に、たまたまあの街に立ち寄ったのだ。


 (もう少し手こずるかと思ったけど…さっさと終わって良かった)

 無意識に、少しだけ長く伸ばした前髪に隠された左眼に触れながらフィーロは遠ざかって行く街を眺めた。

 滞在した時間は短かったが、それでもいい街だったと思う。


 (でもまあ、これであの街の人々が安心して夜を過ごせるなら退魔師エクソシストとして職務を全うしたといえるからいいか…報告書に書けば評価もしてもらえるし)


 ホッと息を吐いたフィーロは、唐突に顔を曇らせると、不意に古傷のように痛んだ左腕 をぎゅっと押さえた。

 (まだ少し痛いな…やっぱり、小瓶くらいの血であれやるのは無理があるのかな…でも、あの後あのヴァンパイアの血を吸わせたから大丈夫かと思ったのに…)

 溜息をついてフィーロは壁に寄り掛かった。


 突然の街の教会からの依頼を引き受けたのは、巡回退魔師エクソシストとしての使命感からだけではなかった。この左腕を鎮める餌が必要だったのもある。


 あのヴァンパイアも、ヒトさへ襲わなければもう少し違う人生を送れたかもしれないのにね…

 昨夜のヴァンパイアの男がヒトを襲って血液を得ていた理由など知らないが。先の大戦の終結から今日、魔族がヒトを襲う事は厳しく罰せられた。


 数多存在する種族の中で、最弱と言われる人間を護る事こそ、魔族の美学であると、上位のヴァンパイア達が協議の末に決めた。

 これまで魔族と人間は争いを幾度となく繰り返してきたが、つい四半世紀前の大戦の際、ある種族と人間、ヴァンパイアを筆頭にした魔族達が協定を結び、国を建てた。それがフィーロの生まれた祖国の直近の歴史。


 フィーロ・フィロフェロイ・ストラウスの職業は、人々に神の教えを説き、善き道へと導く聖職者の中の、魔族と呼ばれる人ならざる者達がヒトを襲った場合に取り締まり、状況においては退治することを赦された“退魔師”である。


(そろそろ、あの人に会いに行った方がいいのかも…)

 脳裏にあることを思い浮かべてからフィーロは身体を起こした。


「さて、そろそろランスの所に行こう。心配して迎えに来そうだし」

 先に客室に行った自身の従者の姿を思い出しながらフィーロは内扉を開ける。汽車の中に入る直前、フィーロは胸の中で聖職者らしく祈りを捧げ、素早く十字を切った。

 (人々の命を脅かした吸血鬼に、一抹の救済と夜の女神の慈悲があらんことを…)


「遅いから迷ってんのかと思っただろ」

 フィーロの予想通り、個室の扉を開くと、今まさに外に出て行こうとしていたランスと鉢合わせ。


「ちょっと物思いにふけっていただけですよ…子供じゃないんだから」

 心配性な自身の従者にフィーロは肩を竦めた。客室の中を見ると、テーブルにはティーセットがセッティングされ、ベーグルとマフィンが用意されていた。

 まめな我が従者は朝ご飯を食べ損ねた主人の為に軽食を準備して待っていたらしい。

 それは心配にもなるか。とフィーロは内心反省した。


「紅茶、冷めてしまいました?」

「いや、まだお湯は入れてないから問題はないけどさ。腹減っただろ?飯にするぞ」

 フィーロをソファに座るよう促してランスは客室の扉を閉めた。


 ローブを脱いでフィーロは客室の壁にそれを掛ける。ローブの下にはローブと同じ白の詰襟の神父服カソックを身に着け、胸元には退魔師という身分を表す剣を模した十字架のロザリオが揺れていた。


 進行方向の反対側のソファ席にフィーロは腰を下ろす。

 主が座ったのを見計らい、ランスはお湯をティーポットへ注ぐ。砂時計をセットして紅茶を蒸らす。

 紅茶が出来るまでフィーロは鞄から手帳を取り出して、昨夜の任務の内容を書き留めた。


 ティーポットからカップへと紅茶が注がれる。立ち上る湯気と共に、華やかな茶葉の香りが狭い室内に広がっていく。

 その香りを胸いっぱいに吸い込むと、気持ちがスッと落ち着くのを感じた。


「今日はハーブティーにしたからミルクは入れない方がいいぞ」

 ティーカップをフィーロの前に置き、ランスはさりげなく忠告する。前に、ハーブティーにミルクを入れて、悲惨な目に遭ったのを覚えていたらしい。

「ありがとうございます」

 カップを受け取り、砂糖だけを入れてフィーロは、一口紅茶を口にした。

 ほんのりと酸味のある茶葉の味が、口の中に広がる。暖かい液体が喉の奥に流れ込み、全身を温めてくれる感触にフィーロはホッと息を吐いた。


「そういや、今回の任務って、この先の街が目的地なんだよな?」

 ベーグルを頬張りながらランスはフィーロに問いかけた。

「そうですよ。ほら、ここに依頼書もありますから」

 そう言ってフィーロは手帳に挟んであった本部からの書類を取り出すと、ランスへ手渡した。


 紙片の中央に刻印された剣を模した十字架の刻印は、フィーロが所属する退魔師の組織の紋章であり、その刻印が押された紙に記された文章はれっきとした公文書だ。


『退魔師フィーロ・フィロフェロイ・ストラウス殿。

 並びに、サーヴァント、ランス・シュヴァルツ・ルーガルー殿。

 貴殿等に北部工業都市『ツアーンラート』にて発生している連続聖職者失踪事件の調査及び、その解決を依頼する。

 この任務は退魔師課所長ギルベルト・ハイライトの命を持って任ずる。

 早急に任務遂行されたし。

 貴君らの健闘と、武運を祈る

 退魔師課所長ギルベルト。ハイライト』


 書類にざっと目を通したランスは、ふうん、と頷きながらフィーロに書類を返した。


「あの所長から直々の任務か…」

 ソファに沈み込んでランスは溜息をつく。


 フィーロの上司たる男が少々癖の強い人物だという事はランスも良く知っていた。変わり者の所長ともっぱらの噂なのも。


 だが、その上司はフィーロにとっては都合のいい人物でもある。

 フィーロの抱える事情を知りながら、何かと支援してくれる人物の直接の任務とあって、無下には出来ない。


「聖職者失踪事件?」

「目的地に行ってみないと分からないですが、ギルから直接言われた任務なので、多分厄介な奴ですよ」

 ベーグルを食べ終えて、口元を拭きながらフィーロは小さく溜息を吐く。


「そういう訳で、詳しい事は現地に行かないと分からないので僕は寝ます。着いたら起こして下さい」

 ソファ席に身体を横たえてフィーロは瞼を閉じた。


 昨夜、突然舞い込んだ任務で碌に寝る事が出来なかった。それはランスも同じなのだが、フィーロの方が疲れているを分かっていたので、ランスはフィーロが寝たのに不満はなかった。


 (たく…)

 いつの間にかスヤスヤと規則正しい寝息を立てているフィーロを眺めてランスはゆっくりと立ち上がる。

 客室の荷台に備え付けられたブランケットを下ろし、それをフィーロの上に掛けた。


 よほど眠かったのか、無防備に眠る姿はその見た目相応にあどけない。黙っていればそれなりに可愛いのだ。


 しばらくフィーロの寝顔を眺めていたランスは、不意にフィーロの眉根が寄せられたのを見逃さなかった。

 眉を顰め、考え込んだ末に、ランスはフィーロの左腕を持ち上げて手袋を外す。すると、そこから現れた手は赤黒く変色し、血管が浮き出て強く脈打っていた。


「…」

 フィーロの左手を無言で見つめた後ランスは袖を捲って左腕を外気に晒した。

「たく、やっぱ無理してたんじゃねえか…」

 フィーロの状態を前にランスは項垂れた。


 筋の様に浮かび上がった血管に血液が流れる度に引き攣る腕が、痛々しい。

 やれやれと肩を落としながらランスは、自身の鞄から医療器具を取出し、そこから注射器とアンプルの小瓶を取り出した。

 フィーロの腕に、ランスは注射針を刺し、アンプルから吸い上げた赤い液体をフィーロの腕に注入した。

 すると、フィーロの左腕は、色はそのままながら、浮き出ていた血管は落ち着き、フィーロの表情も穏やかになった。


「お疲れさん、フィーロ。よく頑張ったな」

 注射器を片付けてランスは、小さな子供をあやすようにフィーロの銀色の髪を優しく撫で、ホッと安堵した。


 座席に腰を下ろしてランスは車窓に視線を向ける。汽車はいつしか平原を抜けて森の中を進んでいく。

 過ぎて行く木々の風景を眺めながら、ランスも腕を組んで俯き、仮眠の姿勢を取る。

 二人を乗せた汽車は、やがて雪深い山奥へと入って行った。



***



 その日の午後、太陽の陽が中天から少し西に傾き始めた頃。フィーロとランスを乗せた汽車は目的の街へと到着した。

 クリスタリア公国北部最大の都市『ツアーンラート』。そこは、工業と芸術の街として遥か昔からその栄華を誇っていた。


 木製の彫刻の施された北部ならではの温かみと趣のある駅舎。そのホームへ降り立つと、晩夏にも関わらず、北部の空気は既に冬の気配を色濃く漂わせ、吐き出した息が白くなった。


「うーん、着いたぁ~」

 ホームに降り立つなり、フィーロは腕を夏空へと伸ばして汽車の中で縮こまっていた関節を動かし、北部の冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。汽車の中は既に暖炉が焚かれ、少し暑かったのでひんやりとした空気はとても心地が良かった。


「汽車での移動って好きだけど肩がこりますよね、ランス」

「呑気なこと言って…ずっと寝てたくせに」

 フィーロのトランクと自分の荷物を手にホームへ降り立ったランスは、小さく溜息を吐く。そんなランスを見上げてフィーロは「あはは」と、何処か楽しげに笑った。


「そりゃそうと、どうだよ、腕の調子はどうだよ」

 唐突に訊ねられ、フィーロはキョトンと目を見張る。が、直ぐに口許を緩めて笑みを零し、左腕をそっと押さえた。

「うん、今は調子いいよ。寝てる間にランスが“血清”打ってくれたお陰かな」

「マスターの体調管理もサーヴァントの役目だからな。無茶しやがって」

「ごめん。急な仕事だったし、すっかり餌を忘れてたのは認める。この旅が終わって聖都に戻ったら、師匠のとこ行こうと思う」

「その提案には賛成だ」

 珍しくしおらしいフィーロの言葉にランスは頷く。


「その前にまずはお仕事、お仕事」

 何処か遠くを見つめていた視界を現実に引き戻し、フィーロはホームから駅舎の方へと歩き出す。

 フィーロの後を付いて歩き出したランスは、駅舎の入り口に入るなり、突然急激な眩暈に襲われて立ち止まった。


「ランス?」

 不意に視界から消えたランスを捜したフィーロは後ろを振り返る。すると、後方の駅舎の入り口で床に膝をついて蹲っている従者の姿があった。


「ランスっ」

 さっきまでなんともなかったランスが膝をついているのに驚き、フィーロは慌ててその傍に駆け寄った。


「大丈夫ですか?転びました?」

 ランスの顔を覗き込むように屈みこんだフィーロは、ランスが苦悶の表情を浮かべているのに息を飲んだ。

「汽車に酔いました?」

「…フィーロ…お前、何も感じないか?」

 眉根を寄せながらランスは、フィーロに問いかける。ランスの問いかけにフィーロは何のことか分からずに小首を傾げた。


「僕は何も感じませんが…」

 ランスの問いかけにフィーロは首を振る。それを聞いてランスは「そうか…」と、溜息と共に呟いた。

 眉を顰めているフィーロにランスはある見解を口にした。

「今が昼間だからか…気を付けろフィーロ、この街、なんかやばいぞ」

 ランスの忠告にフィーロは目を細めて辺りの様子を伺った。だが、彼が言うような気配は特に感じられない。

(ランスのいう通り、昼間だからかな…)

 忠告の際に聞いたランスの一言に納得しながらフィーロは、ローブの裾に付いた埃を払いつつ、立ち上がった。


「兎に角、『ミッテンヴァルト大聖堂』に向かいましょう。調査は少し休んでからでもできますし、まずは荷物を置いて身軽になってから」

 ランスの横に置かれていた自身のトランクを手に、フィーロはランスに手を差し伸べた。

「そうだな。それに、迎え来るんだろ?教会から」

「その手筈になっていると思います。汽車の到着時刻は伝えてありますから、もう来てるかも知れませんし」

 フィーロが伸ばす手を取る。

「じゃあ、待たせているかもな」


 深呼吸をして、フィーロの手に支えられながらランスは気合を入れて立ち上がる。少しよろめいたが、いくらかこの街の空気に慣れたのか、さっきより眩暈はましになっている。歩けなくもなさそうだ。

「歩けます?」

「なんとか大丈夫そうだ…まだ、頭痛いけど」

 苦笑いを浮かべて気丈に振る舞いながら、ランスはフィーロの手からひょいっと、トランクを取る。それにフィーロは「あっ」と、驚き、咄嗟にそれを追いかけた。


「自分で持ちますよ」

「いいって。これくらい大したことじゃねえから」

 そう行ってランスはスタスタと歩き出す。

「無理されたら困るんですけど」

「別に無理はしてねえから…サーヴァントに荷物持ち位させないと威厳保てないぞ、退魔師様」

「意味わかんないんですけど…」

「ほら、さっさと行くぞ」

 うだうだ行っているフィーロを強引に促してランスは先に駅舎の待合室の方へと歩いて行く。

 大丈夫かな…

 内心当惑しつつ、フィーロは仕方なくランスの後を追ってホームを降りた。




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