ー第九章~魔狼の追憶(前編)





 あの時...お前の手を取っていなければ、今ここに俺はいなかったかもしれない





 鬱蒼と繁る東方の樹海の中を一匹の狼が駆け抜けて行く。

 何かから逃れるように、時折肩越しに背後を伺っては、懸命に大地を蹴り上げる。

 黒々とした漆黒の毛並みに覆われた身体には、所々が裂けて真っ赤な血糊がこびり付いていた。


 鋭利で岩をも砕く爪はその半分が割れ、使い物にならなくなっている。

 次第に重く、鈍くなっていく身体を叱責しながらただ彼は森を駆け抜ける。


(くそっ何処まで追って来るんだよっ)

 追手のしつこさに嫌気が差し、内心ランスは舌打ちした。


 休んでいる所を襲われるのは、そう珍しい事でもなかった。

 『人狼』でありながら、他の者達と違う自分は異質な存在だとされ、母親を亡くす前から様々な嫌がらせを受けて来た。


 それでも、そんなことは慣れっこで、これまでは無視してこれた。

 だが、今夜はどういう訳か違っていた。

 突如寝込みを襲われたかと思えば、5、6人の人狼にリンチされ、今はこうして森の中を駆け回っていた。


「ハア、ハア、ハア、ハア...」


 どれくらいの時間走っていたのか分からない。

 いつしか呼吸が上がり、身体に付いた傷が大気に触れてズキリと痛む。


 赦されるなら、ここで膝を折って休んでしまいたい。しかし、そんな事をすれば確実に自分は奴らに殺されるだろう。

 生きなくては、生き続けなくては。そんな衝動が今のランスを突き動かし、ボロボロになった身体を懸命に奮い立たせていた。


(生き抜かなきゃならない...まだ、俺にはやりたい事があるんだ...)


 胸中で呟いた時、不意にランスの中に疑問が浮かんだ。

 なんの為に生きようとしているんだ。助けたかった母親はとうにこの世を去ったのに。

 自分がやりたかったこと。その夢はとうに果たせなかった。

 ならば、何故自分は今懸命に生きようとしているのか。

 唐突に浮かんだ疑問が、胸に虚しさを満たして行く。


 その直後、土から張り出した木の根に足を取られ、ランスはバランスを崩して激しく地面夷突っ伏した。


「くそっ」

 舌打ちし、起き上がろうとするが、動かした直後、足に激痛が走った。

(足を挫いたのか...)


 冷や汗を流し、必死に起き上がろうとして藻掻いたていると、ランスの周囲を殺気に満ちた気配が取り囲んだ。


(しまった...)


「ようやく追い詰めたぞ」

「てこずらせやがって」


 銀色の毛並みをしたランスよりも大柄な二足歩行の人狼が二頭、ランスの目の前に繁みの中から現れる。

 更に背後には四頭の人狼が辿ってきた道を塞いでいた。


「俺は殺される訳にはいかねえ...」


「そうはいかねえ、お前にはここで死んでもらう必要がある」


 やっとの思いで立ち上がったランスは、自身の目の前に立ちはだかる二頭の人狼を睨みつける。

 その二頭のうち、額に菱形の傷を持つ人狼がランスの言葉を否定するように言い放つ。


「誰の差し金だ!俺が何をしたっていうんだっそれとも、俺がライカンスロープだからか...」


 その問いかけに人狼達は顔を見合わせ、ニヤリと笑う。

 問いかけに答える事もせず、六頭の人狼がランスへと向かって牙を剥いた。


「それをお前が知る必要はないっ大人しく地獄に落ちろっ」


 リーダーである菱形の傷を持つ人狼がの鋭い爪がランス目掛けて振り翳される。

 それをギリギリのところで躱し、ランスはその反動を利用して前方に跳んだ。


 ズキズキと痛む足に歯を食いしばりながら這いつくばるようにして再び駈け出した。

 だが、思った以上に身体が動かない。そのことに悔しさを感じ、自嘲気味に口元を緩めた。


(ここで俺は終わるのか...くそっまだ何も成し遂げていないのに)


 不意に浮かぶのは、幼い頃に母から聞かされた物語。


『いい、ランス。私達ライカンスロープは守護者の末裔の騎士になるのよ。貴方もお父様を見習って、いつかはあの方の子孫を護らなくてはね』

 

 優しく逞しかった母が語ってくれた己の役目をランスはまだ果たせずにいた。

 世界の中立者であるヴェドゴニヤと違い、ライカンスロープは完全に魔族を、同胞であるヴェアヴォルフを裏切った存在である。


 ヴェドゴニヤを護る事で繋いできた種族も時を追うごとにその数を減らした。

 有色の人狼であるだけでも疎まれるのに、ライカンスロープにとって、先の大戦でヴェドゴニヤが減った事はその数を減らすのに拍車をかけた。


 子供の頃は、覚醒をしたら自分が護るべき主に会えるものと漠然と考えていた。

 けれど、現実はそうではなくて。


 母が誇りにしていた父は、その護るべ主の下に行ったきり、結局帰って来なかった。

 母が亡くなった時も。


 歯を食いしばり、ランスは、次々に振り下ろされる爪を自身の折れた爪と腕が傷つくのも厭わずに受け止めて、振り払った。


「しぶといな」


 追って来た人狼のうちの一頭から舌打ちが零れる。

 相手の攻撃を躱すのも既に限界に来ていた。

 それを察したのか、リーダーである菱形の傷を持つ人狼がニヤリと笑った。


「これで終わりだ」


 鋭い一閃が、ランス目掛けて振り下ろされる。

 閃く白銀に殺されるのを覚悟し、ランスは目を閉じた。



「女神の御名において風よ、悪しき者を切り裂く刃となれ」


 澄んだ声音が、騒然とした森の空気を一掃し、風刃となって駆け抜ける。

 風の刃は今まさにランスへ振り下ろされようとしていた人狼の腕を肘の先から斬り落とした。

 鮮血が、噴水となって夜空の下に噴き上がる。


「ぐああー腕がっ腕があー」


「な、誰だっ」


 何処からともなく現れた風の刃に人狼達は狼狽した。


 その直後、バン、バンと乾いた銃声が響き、暗闇から飛来した銃弾が二匹の人狼の身体を撃ち抜いた。


 銃弾が当たった瞬間、身体に食い込ん銃弾から火柱が上がり、声もなく二頭は燃え尽きた。


 残された三頭の人狼は、突如仲間を襲った得体のしれない存在に恐怖し、来た道を戻るように逃げだした。


「くそっ今夜は見逃してやる!」


 風の刃に腕を切り落とされた菱形の傷を持つ人狼は、落ちた腕を拾い上げると、先に逃げ出した仲間を追って自身もその場から去って行った。


「......」


 何が起こったのか分からず茫然と辺りを見渡していると、近くの繁みが乾いた音を立てる。

 その音のした方を睨み、ランスは唸りながら暗闇の中に問いかけた。


「誰だ」


「良かった...無事みたいですね」


 不意に響いたのは、少女とも少年ともつかぬ声音の、何処か安堵した言葉。

 突然そんな事を言われてランスは小首を傾げた。

 ガサ、ガサと草を掻き分けて姿を見せた者に、ランスは思わず息を飲んだ。


 白いフード付きのローブを身に纏い、白磁の中性的な美貌に琥珀と瑠璃のオッドアイ。肩口で切り揃えられた銀糸の髪は星明りに照らされてキラキラと煌めいている。


 右手には、先程人狼達を撃ったと思われる銀色の銃が握られている。

 天使がいるのなら丁度こんな感じなのだろうと思わせる程の神々しい雰囲気の十一、二歳の子供は、ランスの目の前に歩み寄ると、淡い紅色の唇を綻ばせた。


「今晩は」


 ニコリと、穏やかで他者を引き付ける笑みを浮かべて、子供はランスに話かけて来た。


「...お前は、誰だ?」


 同じ村の、仲間だと思っていた人狼達から殺されかけた後とあったか、ランスは新たに現れた子供を警戒していた。

 その鋭い視線を受け止め、子供は何かを察したのか、再び唇を持ち上げた。


「僕は、退魔師見習いのフィーロ・フィロフェロイ。貴方にお願いがあって訪ねてきました。ライカンスロープのランスさん」

 愛らしく小首を傾げて告げたフィーロと名乗る者の言葉にランスは目を見張った。


「なんで俺の名前を...それに、訪ねて来たって...」

 半信半疑で問い返すランスにフィーロは笑みを絶やすことなく頷いた。


「僕はずっと、貴方を捜していたんです。僕にとって貴方はとても大切な存在だから」


 ゆっくりと、更に距離を縮めてフィーロはランスの目の前まで来ると、白いズボンの裾が汚れるのも厭わずに地面に跪いた。


「俺は、お前に会うのは初めてだぞ」


 目線を合わせて来た子供を見据え、ランスは眉を顰める。

 だが、自分を見つめてくる二色の瞳に何処か懐かしさを感じた。


「僕も、貴方に直接会うのは初めてです。でも、貴方は僕を...僕の一族を知っている筈です。その魂に、その血脈に刻まれたライカンスロープの本能が覚えている筈だから」


 その言葉にランスはハッと、息を飲む。

 自分をライカンスロープと呼び、魂の血脈の話をする者。

 その瞬間、本能が理解した。目の前の存在を。


「お前...まさか、ヴェドゴニヤなのか...」


 大きく目を見開き、驚いたように確かめてくるランスにフィーロは首を縦に振った。


「歩けますか?まずはその怪我の治療をしないと...ここではいつさっきの輩に見つかってしまうか分からないので、一先ずここを離れましょう」


 腰を上げ、手を差し伸べてくるフィーロを見上げ、ランスは未だ警戒しながら痛む足を引きずって立ち上がった。




 フィーロがランスを連れて来たのは、ランスが住んでいた村のある森から南に移動した湖の畔だった。

 静かに波立水面を望む場所に、一棟の小屋が建っていた。

 使われなくなってから大分経っているのか、小屋の中には埃が溜まっていたが、特に木材が腐ったり、雨漏りをしていたりする様子はなく、住むには十分な場所だった。


 その小屋の中で、ランスはフィーロから治療を受けていた。

 治療といっても、薬草を磨り潰した塗り薬を傷口に塗り、包帯を巻いただけの手当。


 最初は警戒したが、強引に押し切られランスは大人しくフィーロに手当をされていた。


 その間に、フィーロから自分が退魔師の見習いで、自分を捜していたのは、自身のサーヴァントになってもらうためだという話を聞かされた。


「俺があんたのサーヴァントに?」

「はい。承諾して頂けませんか?」


 挫いた足首に湿布を張りながらフィーロは幼い顔で縋るようにランスを見つめた。


「...そう言われてもな...」


 出逢って突然の願いにランスは当惑した。

 自分は目の前の子供の事を何も知らない。 

 助けてくれたからには、敵ではないのだろうが、自分の事をどこで知ったのか謎が多い。


 そんな相手の要望を二つ返事で承諾できる程、この時のランスはお人よしではなかった。

 それとは別に、サーヴァント契約を結ぶという事に抵抗があったのである。


「...直ぐにとは言いません。ゆっくり考えてくれたらいいですから...あ、この小屋は傷が癒えるまで使って下さい」


 湿布を張り終えたフィーロは、ゆっくりと腰を上げる。と、脱いでいたローブを纏って入口の方へ向かった。


「また明日来ます。この辺りには僕の血界が張ってあるので心配せずに休んで下さい」


 そう言って、フィーロは夜も更けた空の下に消えて行った。

 静かに絞められた扉をじっと見つめてから、ランスは獣の毛皮が敷かれた床に寝転んだ。

 暫く天井を見上げていたが、傷の痛みと疲労感からその日は気が付くと意識を手放していた。




 翌日、再びフィーロは湖の畔の小屋を訪れた。


「おはようございます」


 挨拶をしながら小屋の中に入ると、そこにいたのは青混じりの黒髪を一房肩にかかるまで尻尾の様に伸ばした長身の背年だった。


「それが、普段の姿なんですね」


 昨夜とは違う、人型を取ったランスをまじまじと眺めてフィーロは感心したように笑みを浮かべた。


「逃げるなら獣の方が早いからな...いつもはこっちの姿だよ」


 ライカンスロープに限らず、『人狼』と呼ばれる種族は大抵獣と人型、両方の姿を有している。


 ライカンスロープと呼ばれる人狼達はその殆どが四足歩行の、二、三メートルの体格がある狼の姿をする事が多く、一般的に人狼と呼ばれるウェアヴェルフは二足歩行の場合が多い。


 そんな知識を脳内で思い出しながら、好奇心に満ちた目でフィーロはランスに詰め寄った。


「今度でいいので昨日の姿をまた見せて下さい。四足歩行の人狼は初めて見たので」


「お前な...人をペットかなんかと思うなよ...」


「思ってませんよ」


 憮然と見据えてくるランスの言葉を即座に否定してフィーロは右腕に抱えて来た紙袋をテーブルに載せた。


「当面の食料を買って来ました。これで足りればいいのですけど...他に必要な物があったら言って下さい。出来る限り揃えますから」


 そう言ってフィーロは缶詰や袋に入った食品やリンゴやオレンジなどの果物をテーブルに並べて行く。


 その作業をじっと眺めていてランスは、ふとある事に気が対いて、昨夜捻挫をした足を引きずりながらフィーロの傍に近づいた。


「お前」


 まるで、確かめるようにランスはフィーロの左腕を掴むと、ゆっくりと持ち上げた。


「あっ」

「左腕、動かないのか?」


 ランスの問いかけに、フィーロは視線を逸らして俯く。

 それが、答えだった。


 普通、いきなり腕を掴まれたら反所的に振り払おうとする。だが、フィーロはそれをせず僅かに身を引こうとしただけだった。

 それと返答のない沈黙にランスは合点がいった。


「いつからだ?そういや、昨日も右手しか使ってなかったな」


 昨夜、自分を追ってから助けてくれた時も、手当をしてくれた時も、フィーロは器用に右手だけで処置をしていた。

 その時は、てっきり左腕を負傷していたのかと思っていたが、どうやら違うらしい。


 ランスの問いかけに、暫しの沈黙をしてからフィーロは観念したように溜息を吐いた。


「...これは、生まれつきです...」

「生まれつき...そうか」

「...」


 自分の左腕を見つめながら何かを案が得込んでいるランスを、フィーロは無言で凝視する。


「...ちょっとそこ座れ」


 暫しの沈黙の後、ランスはフィーロに小屋の中にあるダイニングテーブルの椅子に座るように促した。

 戸惑ったものの、フィーロは手招きしてくるランスの圧に負け、渋々促された椅子に腰を下ろした。


 フィーロの椅子の横に椅子を一脚持ってきたランスは、そこに座りフィーロの左腕をテーブルの上に載せた。


 何をするのかとじっとフィーロはランスの動きを見つめる。

 その視線に気づいてランスは、困ったように眉を垂らした。


「そんな不安そうな顔すんなよ...」


 そう言ってランスはフィーロの左腕をゆっくりと体幹から指先である末梢に向かって摩るように指でなぞり始めた。


 唐突に繰り返される動きにフィーロはキョトンと目を見張る。

 肩側から指先へ、指先は関節を一つ一つ、ゆっくりと曲げては、優しく揉み解していく。


「俺が触った感触は分かるか?」


 問いかけにフィーロは頷く。

 それから、更にランスは同じ動きを丹念に繰り返していく。


(可動性は問題ないのか...これが生まれつきなら、もっと拘縮していても可笑しくはないんだが...)


 拘縮とは、麻痺などで動かなくなった四肢が固まって曲がってしまう現象である。

 生まれつきで長い事動かせていないなら、多少指先が曲がったりしていても可笑しくはないのだが、フィーロの左腕は赤黒く皮膚が変色し、青い血管が植物の蔓のように浮き出ているだけで、弾力もあり、曲げれば健常者の腕と同じように曲げる事が出来た。


 見た目と、自らの医意志で動かす事が出来ないという事以外、何も不自由のない左腕にランスは微かな希望を抱いた。


(これは、マッサージを続けたら動くようになるかもしれない)


「今まで痛みを感じた事は?」

「えっと...」


 質問の意味を掴み損ねたのか、フィーロが答えに手間取ると、ランスは質問を変えて問いを重ねる。


「ぶつけたり、刃物で切ったりした時の痛みの感覚はあるか?」


 改めた問いかけに頷くフィーロ。

 それを聞いてランスはその答えを記憶する。


(神経は通っているのか...)


 痛みを感じたり誰かに触れられた感覚が分かるのは、生き物のとして重要な事だ。

 そうでなければ、例え動かなくとも自身の身体の一部を護るのは不可能であるからだ。


 使えないモノは切り捨てるのが自然界というもの。

 何故フィーロがこの左腕を綺麗に保っているのか、その理由は分からないが、何か意味はあるのだろう。


(俺ならさっさと切り落として義手にするしな...)


 錬金術の発達したクリスタリアでは、戦争や事故で四肢を失ったらまず、義手義足を選択する。

 生まれた頃からそうなら、もっと早くそうしていても不思議ではないのだが。


「...なんでこんな不自由なもん抱えてんだ?義手とか選択しあっただろう」


 何気ない質問にフィーロは一瞬ランスから視線を逸らす。

 それは、何かを隠している証拠なのだが、出逢って間もない相手に詮索をするのもどうかと思ったので指摘はしなかった。


 じっとマッサージをしながら相手が話すのを待っていると、フィーロは静かに唇を持ち上げた。


「...僕は、孤児なんです。義手にするお金なんてありません」


「ああ、そういう理由ね...まあ、身近な技術だが成長期のあるお子様は成長に合わせて部品交換や作り直しが必要だからな。孤児なら難しか」


「だ、誰がお子様ですかっ僕は子供じゃないです」


 ランスの一言が余程癇に障ったのか、突然フィーロは頬を膨らませて憤慨した。

 それは、出逢ってから初めて見る、目の前の人物の年相応の反応だった。


「おいおい、まさか、その見た目で既に覚醒踏んでるとかじゃないよな...ヴァンパイアなら稀に幼女とかで歳止まる奴もいるが、ヴェドゴニヤはそれなりに年齢いかないと覚醒しないだろ...」


 魔族が自身の一族の能力や特性を獲得し、老化が止まるまたは緩やかになる覚醒という現象は、種族によってもバラバラだ。


 幼い見た目で時を止める種族もあるが、美しく華やかな時代で止まる者、ある程歳を取ってから止まる者と千差万別である。が、それなりに平均値というものはあり、子孫を残すという意味合いからでも、十代前半で覚醒を迎える例は少数である。


「お前、幾つだよ」


「...今年で、十二歳になります」


 顔を逸らしながらフィーロは自身の年齢を伝える。

 それを聞いてランスはふと、フィーロが前日に言った言葉を思い出した。


『僕は、退魔師見習いのフィーロ・フィロェロイ』


(しかも、こいつサーヴァントを捜してるって言って俺を訊ねて来たんだよ...)


 目の前の幼ない少女なのか少年なのか分からない子供を前に、ランスは困惑する。


 自分の知識が正しければ、退魔師見習いと呼ばれる者が自身のサポーターであるサーヴァントとの契約交渉に向かうのは、退魔師への最終試験を控えての課題だからだ。


 魔族と人間の調停役である退魔師はその証として魔族である者に自らのサポートをしてもらうサーヴァントになってもらうのが習わしである。


 サーヴァントの数に上限はないが、最低でも一人はサーヴァントを従えなければならない。


 サーヴァントと契約すらできない者は、調停役の勤めを担う退魔師には適さないのである。


 だが、普通退魔師になる者はそれなりに年齢のいった若者が多いのだが、目の前の子供は自身の歳を十二歳と言った。


(孤児で試験制度があるとは言え...こいつの年齢で退魔師見習いは早すぎだろ)


 ランスが驚くのも無理は無かった。

 退魔師になるには、二つの道がある。

 一つは、九年生の専門学部機関に通い、過程を終了する方法。

 もう一つは、司教以上の者からの推薦を受けた者が適正判断と筆記試験を突破した上での方法。


 恐らくフィーロは後者なのだろうが、司教の推薦を受けるのはそれなりに骨が折れる。


 余程実力が伴っているか、コネクションがある者位だ。

 だからこそ、後者の方法で退魔師を目指す者はそれなりに成長した者が多い。


 しかし、逆に言えば、推薦さえもらえれば適正検査と筆記試験をクリアできれば、見習いまで上り詰められる上、本来年齢は問われない実力優先の方法なので、フィーロの様な者が現れる可能性は以前から示唆されていた。


(流石ヴェドゴニヤって奴なのかもな...それにしても、もし今年無事に退魔師になれたら最年少記録じゃねか...)


 そう考えた所で、その条件を満たすのに自分が関わっている事を思い出し、ランスは複雑な気持ちになった。


(...サーヴァント...か)


 胸中で溜息を吐いてランスは無言でフィーロの腕を摩り続けた。




「これから毎日マッサージしてやるから、ここに来られるなら来い」


 夕暮れが迫る頃。

 帰り際にランスから言われてフィーロは大きく目を見開いた。


「お前の腕、続けたら動く様になるかもしれないだろ。後、風呂上がりとかに自分でも指曲げたり摩ったりする事。それだけで大分違うから」


 まるで、診療に来た患者に告げる医者のような口ぶりでランスはフィーロに助言を施した。


「...分かりました。なら、僕のお願いも考えて下さいね」

 素直に受け入れたかと思った矢先、フィーロはランスにニヤリと笑いかけた。


「少し考えさせてくれんだろ」

 げんなりとして譲歩を求めるランスにフィーロは悪戯っ子の如き笑みで頷いた。



 それから、フィーロはランスのいる小屋を毎日のように訊ね、他愛のない会話と共にマッサージを受ける日々を送った。


 そんな穏やかな日々を、ランスはいつしか心地いいと感じるようになっていた。

 少しずつだが、フィーロの左腕も指が動かせるようになるなど、ランスの見立て通り希望が見えていた。


 だが、一カ月程そんな日々が続いた後、フィーロはぱったりと来なくなったのである。

 初めは、見習いとしての修行が忙しいのかと思う程度だったが、その裏にはとてつもない真実が隠されていたことを、ランスはまだこの時は知る由もなかった。


 そして、その真実を知った時、ランスの中で何かが変わったのである。

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