ー第八章~サーヴァント・ランス





 フィーロがハンスとブラザー契約を交わし、退魔師用の寮に移ってから一週間が過ぎた。

 一人アパートに残されたランスは、大学に通い学生としての日々を過ごしていた。


「あ...」

 サニーサイドアップを二人分焼いた所で額を押さえた。


(あ~やっちまった...あいつ、いないんだった...)


 主の不在を思い出し、朝から溜息を吐く。

 一週間経って慣れたかと思ったが、意識から外れただけだったようだ。


 苦笑を滲ませ、余分に作ってしまった分は今日の昼用の弁当にすることにする。

 気を取り直して一人分の朝食を用意してランスは一人で使うには広いダイニングテーブルで朝食を取った。

 サラダを頬張りながらふと、ここにはいない主の事を思い出す。


(あれからなんも連絡来ねえけど、しっかり食ってんのかな...あいつ)


 フィーロとランスがマスターとサーヴァントという主従契約を結んでから既に十年近くが経つ。

初めて出逢った頃、フィーロはまだ退魔師になる前で、まだまだ幼さを残していた。


 十二歳だったフィーロがどうやって自分を見つけたのか、その理由は今も知らない。

 大方予想はついているが、出逢えた事を運命とランスは受け止めていた。

 偶然も時が経てば必然になる。


 そこに至るまでの経緯がどうであれ、フィーロとの出逢いはランスにとってはプラスに働く形となったのだから。


 その恩恵の一つが、家が貧しくて通う事が出来なかった大学に行ける事だ。

 亡くなった母の影響か、ランスは昔から医術や錬金術に慣れ下できた。母のような錬金術師になる事が彼の目標であり、その為の勉学はずっと続けて来た。


 魔術が一般的な技術として成立しているこの世界で、自称錬金術師はいくらでもいるし、別に個人で勝手にやっている者の方が多い。


 だが、ランスは国から正式に資格を与えられた錬金術を目指していた。

 まだまだ資格など一部の都市などでしか通用しない新しい制度である。

 けれど、それに固執する理由がランスにはあったのだ。

 過去の感傷に浸りながら、朝食を終えたランスは、支度をしてアパートをでた。





「久し振りね、ルーガルーの坊や」


 大学での授業を終え、学友達と共に昼食を取る為に教室を出た所で、ランスは不意に呼び止められられた。


 嫌な予感しかしない。

 人狼としての本能がそう叫びながら、何故か抗えない呪詛の様なその呼びかけに、ランスはぎこちなく後ろを振り返った。


 そこに立っていたのは、黒いフリルの広がった黒いひざ丈のドレスを着た、黒髪の少女。

 翡翠を思わせる翠の瞳が、じっとランスを見つめていた。


「緑柱の魔女...」


「久し振りね、元気そうじゃない」


 ニコリと、少女らしい可憐な笑顔でレベッカはランスを見つめる。

 その何か含んだような視線から少しでも逃れようとランスは視線を僅かに逸らした。


「アンタの講義は今週はなかった筈だぞ。課題も出してる」


「それは知ってるわよ。私の講義を取っている中でアンタは優秀な方だもの」


「そりゃどうも、つか、講義の話じゃないなら俺を呼び止めて何の用だよ...」


 胸の前で腕を組むレベッカ・ラングレーを憮然といた表情で見据えてランスは彼女が自分を呼び止めた理由を訊ねた。


 不敵な笑みを零し、レベッカはラッパの様に広がったレースのあしらわれた袖の中から、綺麗な封筒に納められた手紙を差し出した。


「これ、あの子に渡して」


 あの子と彼女がいうのが誰かを察してランスは眉を寄せる。


「フィーロに魔女が何の用だ。悪いが俺はあの時の事をまだ赦した訳じゃねえからな」


「別にボクも君達から赦しを請うつもりはないよ。だから、これからも君達に信用される気もない。ただ、これは別に悪い物じゃないし、あの子に危害を加えるモノでもないから」


 すっと差し出された手紙を、ランスは渋々受け取る。


「きちんとあの子に渡してね」


 ニコリと満面の笑みを浮かべ、ひらひらと手を振ってレベッカは廊下の向こうへと消えて行く。

 その小柄な背を見つめた後、ランスは手の中にある手紙に視線を落とした。


「...この間の任務といい、今日といい...魔女には碌な目に遭わないな...」


 深い溜息を零し、手紙をノートの間に挟んだランスは、レベッカが歩いて行った方角とは反対側の廊下に向かって歩き出した。






 ランスが大学で勉学に励んでいる頃、フィーロは弟子であるハンスが振るう剣の動きを見つめていた。


 ハンスの目の前には、フィーロが自身の血から創り出したゴーレムに近い人型の的が立ちはだかっていた。


 横薙ぎに紅いゴーレムを切り裂くが、ゴーレムは直ぐに再生し、ハンスの目の前でゆらゆらと揺らめく。

 そんな練習体が四体。ハンスの周りを囲み、槍や短剣、弓矢と銃をそれぞれ手にしてハンスに攻撃を仕掛けていた。


「くっ」


 背後に回った槍を構えたゴーレムを炎の魔術で創り出して壁で防ぎ、眼前に迫った日本の短剣を受け止める。

 短剣を押し返し、横に跳んで避けた先に飛来した矢をハンスは自身の血から創り出した鎖で弾き返す。

 四方八方からの攻撃を躱し、時に反撃を加えてハンスはまるで演武を興じるかのようにその身を翻していた。


(一週間前に比べて、大分動きは俊敏になってきたな...)


 最初に手合わせをした時、ハンスの太刀筋は型にはまったどちらかと言えば試合としての剣術だった。

 実戦でのあらゆる状況に対応するにはいささか不安の残るそれをフィーロはまずは実践を積ませることから始めた。


 先の大戦の頃なら、戦場に出ればそれだけで経験を積めたが、平和になって今ではそうもいかない。


 だが、退魔師が相手にするのは時に強力な力を持つ魔物であり、時に魔術に秀でた魔族である。

 彼等と渡り歩くには、それなりの動きを身に付けなければ、簡単に命を落とす。

 ヴェドゴニヤの皇子だからと、相手は手加減などしてくれないだろう。


(もともと筋はよかったですからね、これだけ毎日動く相手と剣を振るえば自然と動きは身に着く)


 フィーロが取っている方法は、かつて退魔師の師匠であるギルベルトではなく、当代のクルースニクであり、自身が師匠と呼称するレビンの教えだった。


(魔術と一族の能力、剣の技と全てを組み合わせた攻撃と防御の戦法も上達してきたし...これは近いうちに任務に同行させてもいいかもしれないなあ...)


 銃弾を弾き返し、槍を持ったゴーレムをハンスが炎で焼き切った所で、フィーロは次の事を考え始めていた。



「フィロフェロイ神父はこちらですか?」


 練習場としてフィーロが借りている中庭に一人の神父が現れる。


「はい」


「稽古中失礼致します。ハイライト所長からの書状をお持ちしました」


 やってきたのは、詰襟の黒い僧服に身を包んだ神父。

 彼は教会に属する聖職者だ。胸元に光るロザリオの形状は羽ペンを模した十字。

 それは、書記や伝令を司る部署の所属を表している。


「ありがとうございます。次の任務の件ですね」


 伝令の神父から書簡を預かりフィーロは胸の前に左手を添えて礼をする。


「貴殿に女神の加護があらんことを」


「ええ、女神の加護を」


 聖職者らしく清廉に満ちた言葉を交わし、互いの武運を祈りあい、伝令の神父はその場から去って行った。

 神父が去った後、フィーロは腰かけていたベンチに再び腰を下ろし、渡された書簡に視線を落とした。


「さて...次はどんな任務かな」


 受け取った書簡を広げ、フィーロは任務の内容を確認する。

 退魔師には依頼がきても基本的には依頼を選ぶ権利がある。

 たとえ任務の依頼が来ても、本人が承諾するまでは正式な任務にはならない。


 フィーロは基本仕事は選ばないが、事前に確認してから承諾をするようにはしていた。

 書簡に記された任務の内容にフィーロは目を通す。

 どうやら今度の任務は魔物退治らしい。

 ハンスに実践を積ませるには丁度いい任務かもしれない。


 書簡の一番下にある任務の承諾をするか否かの項目にチェックを入れ、フィーロはサインをする。と、書簡を渡された時の状態に戻してベンチから腰を上げた。


 パチンと、指を鳴らすと、ハンスと対峙していた血のゴーレム達がぐにゃりと解けてフィーロの方に戻って行く。


 相手が突如消えた事に一瞬驚きつつもハンスは態勢を立て直して構えていた剣を下ろした。


「ハンス君、今日の稽古はここまでにしましょう」


「はい、師匠」


 剣を鞘に納めてハンスは師匠の元へと駆け寄る。

 フィーロの傍に駆け寄ったハンスは、フィーロが手にした書簡を見遣り、小首を傾げた。


「師匠、それは?」


「次の巡回の任務の依頼書です。内容は魔物退治なので、君を連れて行こうと思っています。行きますか?」


「師匠が同行を赦して下さるなら、是非お供させて下さい」


 フィーロの誘いにハンスは目を輝かせて即答する。

 そのやる気に満ちた視線に少しだけ危うさを感じながらフィーロは頷いた。


「では、僕は承諾の旨を所長に伝えてきますので、君は寮に戻っていつものように今日の反省と分析の報告書を書いていて下さい」


「分かりました」


 フィーロに一礼してハンスは一人先に量がある棟の方に駆けて行く。

 あれだけ動いてもまだ走る余力があるのに感心しながら、フィーロも退魔師課の棟へと向かった。





 フィーロに言われて先に寮の居室に戻ったハンスは机に向かい、日課である一日の反省と成果を報告書として認めてしく。

 初日にフィーロから言い渡されたこの日課は、いずれ退魔師として独り立ちした時に、報告書を書く上での練習にもなるからと言われたものだ。


 真面目なハンスは昔から課題はきちんと提出するタイプなのだが、稽古を行った上での自己分析をするのはなかなか難しい課題だった。


 取り合えず反省点を書き出しながら頭を悩ませていると、トントン、と居室の扉がノックされた。

 突然の来訪者にハンスは机に向けていた顔を上げて扉の方へ視線を向けた。


(誰だろう...)


 フィーロが戻ってきたのならノックなどしないで勝手に入ってくる。

 知り合いなら、外から声を掛けて来るが、それもない。

 再びのノックの音に、ハンスは椅子から腰を上げて返事をした。


「どちら様ですか?」


 扉を少しだけ開けて、ハンスは廊下に顔を覗かせる。

 扉の前に立っていたのは、青の混じる黒髪を襟足だけ伸ばし、瑠璃色の瞳をした長身の体躯のいい青年。

 少しだけ伸びた犬歯がまるで牙の様に伸びているその容姿は、何処か狼を連想させる。

 自分より頭一つ分背の高い青年を見上げ、ハンスはキョトンと目を円くした。


「あの、どちら様でしょうか?」


「あ~俺は」



「ランス、来てたんですか?」


 ハンスが青年の名前を聞くより先に、廊下の向こうから声が響いた。

 ハンスと青年、それぞれが声の方を振り返ると、丁度フィーロが戻って来た所だった。


「おう、元気そうだな。マスター」


「そっちも相変わらずですね。でも、丁度良かった、そろそろ呼びに行こうと思っていたんで」


 フィーロの方に振り返りランスは少し安堵したように頬を和らげる。


「良かった、お前がいなかったらどうしようかと思った」


「何か用事があって来たんですね。時間があるなら僕も話があるので上がって行って下さい。ハンス君、お茶入れて」


 一人取り残されたように、フィーロと来訪者の会話を聞いていたハンスは、唐突に自分に振られて、ハッと背筋を伸ばした。


「はい、今入れます」


 バタバタとハンスは居室の中へ駆け戻り、お茶の用意を始める。


「あれが、噂の...」


 居室の奥でお茶の用意をしているハンスを覗き込み、ランスは興味津々とその背中を見つめる。


「いい機会だから紹介しますよ」


「実は、会うの楽しみにしてたんだ」


 居室に入りフィーロはランスに椅子を奨め、自身は窓際にある書き物用の椅子を引っ張り出してきて腰を下ろした。


「お待たせしました」


 ありあわせのカップに紅茶を注いだものをハンスはランスとフィーロの前に置く。


「ハンス君、紹介します。彼が僕のサーヴァント、ライカンスロープのランス・シュヴァルツ・ルーガルーです。ランス、こちらが僕がブラザー契約を結んだ弟子のハンス・ロードナイト君です」


 それぞれの方を見遣りフィーロは初対面の二人に互いを紹介する。


「貴方が、ライカンスロープのランス殿ですね!」


 フィーロと引き合わされた時と同等の感激の表情でハンスはランスを見つめる。


「お、嬉しいね。俺の事知ってんのか」


 ハンスの喜びようにまんざらでもないのか、ランスはニヤリと口の端を吊り上げた。


「勿論です!ライカンスロープと言えば、俺の一族に代々付き従ってくれている人狼の一族。その数少ない生き残りで、退魔師フィーロ・フィロフェロイ・ストラウスのサーヴァントと言えば、凄く有名ですよ」


「そ、そうか...フィーロだけじゃなく俺も有名なのか...なんか、照れるな」


 後頭部を掻きながら、はにかんだように笑うランスをフィーロは何処か呆れた様子で見遣り、ハンスが入れてくれた紅茶に口を付けた。


サーヴァントとは、本来は人間が魔術を使う上で、その魔力の補助を行う上で魔族と契約を結んだ事が始まりとされる。


 現在は退魔師は資格を得る最後の試験の前までに魔族と契約を結び、サーヴァントを得るのが通例になっているが、魔族との契約は本来はひ弱な人間が自分を護ってもらう為の太古の神が定めた決まりに準ずる制度である。


「ハンス君もいずれはサーヴァントを見つけないとなりませんね」


「当たり前です。そうじゃないと退魔師になれませんから」


 フィーロに半ばからかわれるように言われてハンスは困ったように眉を垂らした。


 ヴェドゴニヤにとって、ランスの属する種族であるライカンスロープは、遥か昔、一部の人狼の一族がヴェドゴニヤに味方し、忠誠を誓った処から現在に至るまで続く主従関係がある。


 昔から、ヴェドゴニヤはライカンスロープとサーヴァント契約を結ぶのが習わしとなってきたが、ハンスの祖母の代辺りにはライカンスロープはその数を減らし、今ではヴェドゴニヤよりもその数は少ないと言われていた。


「出来ればライカンスロープにサーヴァントを頼みたいですが...今は殆ど一族は散っていて、捜すの事態難しいですよね...」


「まあ、ライカンスロープの特徴に、金色や黒、青などの毛並みを持つというのがありますが、純血はそれこそランスの代が最後じゃないですか?」


 銀色の毛並みが基本の人狼種の中で、ライカンスロープと呼ばれる一族は、ランスのように有色である事が多い。


「どうだろうな。まだ田舎の方ならひっそりと暮らしてるんじゃないか?俺も自分以外の一族は自分の親くらいしか知らねえし」


 一族の本人ですら、自身の所属の現状を詳しく知らないのである。


「時代が時代ですし...無理して伝統に習う事はないと思いますけど...僕も弟子のサーヴァント契約には少し協力したいので、旅先で噂を聞いたら教えますね」


「ありがとうございます」


 フィーロの申し出にハンスは心から感謝して、頭を下げた。


「僕がランスを見つけた時も、苦労しましたからね」


 何処か、遠くを見つめて、フィーロはかつての情景を脳裏に思い出す。

 遠くを見つめるフィーロの横顔と、その表情を見つめるランスをハンスはちらちら見比べた。


「あの、ランス殿のご両親は今は?」


 躊躇いながら、ハンスは気になった事を問いかけた。


「俺の親か?母親は俺がフィーロに出逢う少し前に病で亡くなってる。父親は...どうしてんだろうな。ずっと家にいなかったからよく知らねえんだ。会ったのも数回だし」


 肩を落とし、憂いを含んだ双眸をハンスに向けてランスは彼の問いかけに答えた。


(あれ...)


 眉間に皺を寄せ、少し困った顔で苦笑するランスの顔が、自分が知る者に似ている気がして、大きく目を見開いた。


「やっぱり、同じ一族だからでしょうか...ランス殿は俺の母のサーヴァントのライカンスロープに良く似ています」


 懐かしむような視線を向けるハンスとは裏腹に、フィーロとランスは内心息を飲んだ。

 ハンスが言っている人物を二人はよく知っていたからだ。


「聖王のサーヴァントは確かライカンスロープでしたね。僕も遠目に見た事がありますよ。ね、ランス」


「ああ、そうか、やっぱり一族は似てるところがあるのかもな」


 ハンスの話を受けて、二人は示し合わせたように会話を交わす。

 どうやらハンスに怪しまれていないようだ。それを確認してから、フィーロは話題を変えるようにランスに話しかけた。 


「そういえば、ランスはここへ何しに来たんですか?」


 突然、連絡もなしに現れた自身の従者にフィーロは来訪の理由を聞いた。

 それにランスは「ああ」と、今まで忘れていたと言わんばかりに、ジャケットのポケットから一通の手紙を差し出した。


「これを渡してくれって頼まれたんだ」


 ランスが手渡してきた手紙をフィーロは静かに受け取る。

 封筒の裏、封のされた場所には蔦の巻き付いた塔の紋章が蜜蝋で刻印されている。

 その紋章を見た途端、フィーロは一瞬だけ忌々し気に頬を強張らせた。


「中身は後で見ればいいさ」


「...そうします」


 渡された手紙をフィーロは一先ず上着のポケットに押し込んだ。


「そうだ、久し振りに俺が飯食わしてやるよ」


 唐突に切り出したランスの提案にフィーロは目を円くする。

 どうやら、先程の手紙の差出人の件でランスなりに自分が落ち込んでいるのを察したらしい。


「そうですね...久し振りに、ランスの料理食べたくなりました」


「ランス殿は料理が出来るのですか?」


 珍しいと言うようにハンスは驚いた様子でランスを見つめる。

 ニヤリとハンスに笑いかけランスは自信満々に拳を握った。


「ああ、得意だ」


「ランスの作る料理は絶品ですよ。ハンス君も一度食べたら忘れられなくなりますよ」


「そ、そんなに...」


 絶品と聞いてハンスは無意識にごくりと唾を飲み込んだ。

 激しい稽古の後でお腹はペコペコである。

ましてや、紅茶を飲んだ事で食欲が増進されている今、食事の話は実に魅惑的な話だった。


「折角だから、ハンスの好きな料理作ってやるよ。今から市場に買い出し行くから、着いてくるか?」


「いいんですか」


 尋ねてくるハンスにランスはニヤリと笑いながら頷く。


「僕は君の課題の報告書を読んでいますので、二人で行ってきてください。ランス、彼を任せますよ」


「ああ、任せとけ。ハンス、行くぞ」


「はい」


 腰を上げたランスについてハンスも椅子から立ち上がる。

 居室を出て行く二人をフィーロは静かに見送った。




「ふう...」


 ランスと共にハンスが居室を出て行き、静かになった居室で、フィーロは先程ポケットに仕舞い込んだ手紙を取り出した。

 封に刻印された蜜蝋の紋章。

 それは、この世界に三人いる魔女のうちの一人、緑柱の魔女・レベッカの紋章だ。


「...今更僕に何の用なんだか...」


 溜息を吐き、仕方なく封を切る。

 中には透かしの入った高価な紙の便箋が一枚、丁寧に折りたたまれて入れられていた。


 便箋を開き、そこに記された内容にフィーロは視線を落とす。

 そこに綴られていたのは、お茶会への招待だった。


『来なかったら呪うわよ』と半ば脅すような括りにフィーロは更に落胆した。

 どうして、聖都に戻って来るなり碌なことがないのだろう。


 ハンスのブラザー契約の件といい、魔女からの誘いにと、巡回から戻って来てから自分に関わる人物関連の出来事が多いのは何故だろう。


 斜陽のオレンジの光が差し込む居室内でフィーロは額を押さえて項垂れる。

 先程のハンスの話もそうだ。

 ランスがハンスの母である聖王のサーヴァントに似ているという話。当然だ。ランスはその聖王の騎士であるライカンスロープの息子なのだから。


 別に知られてどうこうという話でもないが、自分が両親と確執があるように、ランスもまた、父親との間に確執がある。

 それを知っているからこそ、フィーロは自分の事も、ランスの事もあまり知られたくはなかった。


「...」


 複雑な思いを抱きながら、ふとフィーロの脳裏にランスと出逢った頃の事が浮かぶ。

 ランスとのサーヴァント契約は正直簡単にはいかなかった。

 あの頃のランスも自分も、今より人を信用出来ていなかったのだから。




 ハンスを連れて市場に来たランスは暮れ行く西の空をふと見上げた。


「ランス殿?」


 荷物を抱えてハンスは西の空を見つめているランスを見上げた。


「ああ、悪い、ちょっと感傷に浸っちまった」


 苦笑を滲ませてハンスに視線を戻したランスは先を促すように歩き出す。

 その後を追いかけるようにハンスも市場の中を歩き出した。


「ランス殿は、何処で師匠と出逢ったんですか?」


 寮への帰路を辿りながらハンスは純粋な好奇心でランスへフィーロとの出会いを訊ねた。

 その問い掛けにランスは 内心困りながらも口を開いた。


「あんまり人に話した事はないんだが、これからサーヴァントを持つ事になるお前に、後学のためのアドバイスだと思って聞いてくれ


「分かりました」


 沈みゆく陽光を見つめ、ランスはゆっくりと唇を開く。

 その声音が紡ぎ出す追憶の昔話にハンスは静かに耳を傾けた。



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