ー第七章~修行の始り



「さて、初めに貴方の実力を見せてもらいましょうか」

 荷解きを一通り終えた頃、フィーロはハンスに声を掛けた。


「実力といいますと?」

 唐突な振りにハンスはキョトンと目を円くする。


「退魔師は調停だけが仕事ではありません。話して解決するなら、苦労はしませんからね」

 にこりと、満面の笑みを浮かべているフィーロにハンスは嫌な予感を覚えて頬を強張らせた。


「えっと...つまり...」


「これから僕と手合わせしてください」


 フィーロの口から出た言葉に、ハンスの顔はさああと青くなった。

「む、無理ですよっだって、フィーロ様は」


「僕がエースと呼ばれているのが、何も十二歳の最年少退魔師記録保有だけが理由ではない事は知っているようですね」


「当たり前ですっ貴方一人で軍隊一個師団の威力があるって噂があるくらいですよ」

「一個師団は大袈裟ですけど...誰にも負けない自信はありますよ」

 ニコニコと笑みを浮かべるフィーロとは裏腹に、ハンスの表情はどんどん硬くなっていく。


「どうしました?僕が稽古をつけてあげると言っているんですよ?」

 ハンスの顔色がどんどん青くなっていくのを知ってか知らずか、フィーロは笑顔でハンスの返事を待っている。


「...よろしくお願いします」

 長い逡巡の末、ハンスはフィーロの手合わせを受ける事にした。


 退魔師の中でも、巡回退魔師は魔族や魔物と遣りあう荒事の専門でもある。

 その中でも、聖天騎士団に匹敵する武力を巡回退魔師は個人が持っている事が多い。


 その中でもフィーロはその界隈で名が知られていた。

 そんな相手からの稽古は自分の今の実力を知るにはいい機会だと思った。


「では、行きましょうか」

 ベッドから腰を上げ、誘うフィーロに着いてハンスは歩き出した。





 闘技場では今日も聖天騎士団の軍人や退魔師達が訓練に励んでいた。

 覇気や罵声に満ちた空間の一角にやって来たフィーロは、一振りのレイピアを携えていた。


「さて、ハンス君。ここでやりましょうか」

 フィーロ同様に剣を携えてハンスはフィーロの前に立った。


「君は剣が専門なんですか?」

 ハンスが手にした剣を見て、問いかける。


「はい、母のサーヴァントに剣士がいて、俺は小さい頃からその人に剣術を習っていました」

「それは、期待いしていいですか?」


 ふふ、とフィーロは練習用のレイピアを抜く。

 細く鋭い切っ先が陽光を弾いてハンスに向く。

 それに応じるようにハンスもまた、剣を抜いて構えた。


互いに構えて相手の出方を探ように視線を交わす。


「はああっ」

 気合の入った掛け声と共にハンスが一足先に踏み出した。


 真っ直ぐにフィーロに向かったハンスは、柄を握りしめて大きく剣を振りかぶる。

 それをフィーロは右側に避けながら、レイピアの細い刀身で剣を受け流す。


 フィーロとは反対側に跳んだハンスは素早く軌道を変え、再びフィーロに向かって行く。

 だが、フィーロは振り下ろされた刃をひらりと躱してハンスの背後へと回った。


 フィーロの突きが、ハンスの背後に迫る。

 その鋭い切っ先をハンスは咄嗟に地面から造り出した岩の壁で防ぐと、フィーロと尾距離を取って後方へ下がった。


「魔術を防御に織り込むのはなかなかセンスがいいですね」

 ニコリと、フィーロはハンスの戦法に称賛する。


(ですが、太刀筋は少し荒いかな)

 ただ、真っ直ぐ向かって来るのは、普段打ち合いをメインに稽古をしている証拠だ。太刀筋はいいのだが、実践でその技を振るった事がないのが良く分かる。


「フィーロ様こそ、逃げてばかりじゃないですか」

「僕は実践的な試合をしているつもりですから、一筋浴びせるくらいの気持ちで来ないと、痛い目を見ますよ」


 たんっと、フィーロはハンスと自分の間にある岩の壁を軽々飛び越えると、ハンス目掛けて一気に降下した。


 頭上で切っ先が煌めき、咄嗟にハンスは後方に下がる形で落ちて来たフィーロを回避する。


 だが、地面に足を付けたと同時に下から突き上げるようにフィーロのレイピアが迫り、ハンスは反射的に剣の柄でそれを押さえた。


「あ、凄い。よく対応出来ましたね」


 ニコニコしながら、フィーロは柄をそのまま押し返し、ハンスを後方に更に下がらせる。


 と、一気に間合いに踏み込んでだ。

 ハンスの剣がフィーロのレイピアを受け止める。

 ギりり、と鍔を擦り合わせ、二人は刃越しに互いを見据えあった。


「では、少し基本と行きましょうか」


 言うなりフィーロはレイピアを軽く浮かせて再び剣に打ち付けえる。

 ハンスも負けじと、刃をレイピアに打ち付けた。

 二本の刃は火花を散らすように何度も激しく打ち合わされる。


 その間に、フィーロとハンスの周りにはいつの間にか野次馬が集まっていた。

 最年少退魔師記録保持者として名高いフィーロと、聖王の息子であるハンスの稽古は、人を呼び込むには十分な組み合わせだった。


 だが、本人達、特にハンスはフィーロの華奢な体躯からは想像も出来ない力強くしなやかな太刀捌きを受け止めるのに必死で、周りの野次馬になど気づいていなかった。


 一方、フィーロはというと、野次馬に落胆しながらもハンスの太刀筋や魔術の系統など、細かい事を見ながらレイピアを振るっていた。


「はあ、はあ...」


 フィーロから間合いを取り、ハンスは肩で息をしながらも、剣の柄を固く握り締める。


(強い...これが、この国で一、二を争う退魔師の実力...)


 額から滴り落ちる程に汗を滲ませ、ハンスは目の前で息すら乱れていないフィーロを凝視する。


 いつしか、片手でレイピアを構えてフィーロはまるで挑発するようにハンスに向かってほくそ笑んでいた。


 体力の限界が近い事に気づきながら、ハンスは己の持てる力を持って、フィーロに立ち向かった。


「血よっ」


 自らの指を傷付けて、ハンスは自身の血から創り出した鎖をフィーロ目掛けて放つ。

鎖の先端には槍が付いており、その重みが鎖の落ちる速度を加速させる。


「⁉」


 飛来した鎖を回避する為、フィーロは左側へと跳躍する。

 それまでフィーロがいた場所に血で出来た槍先が突き刺さり、闘技場の地面を抉る。


 躱したと、笑みを口元に浮かべたフィーロは、背後から迫る鎖の音に思わず息を飲んだ。

 血の鎖がフィーロの腕に絡みつく。その反動でレイピアが地面へと落下した。


「貰ったあー」

 気合一閃。ハンスは上段に剣を構えてフィーロとの間合いに踏み込んだ。


「甘い」


 短くフィーロの口から溜息が零れた刹那、ハンスの剣が何かに弾かれる。

 驚愕に目を見張っていると、カチャリと乾いた音が、鼻先で響いてハンスは顔を上げた。


「残念でした。僕の勝ちです」

 勝利に笑みを浮かべるフィーロの手には、いつの間に抜いたのか、一丁のリヴォルバーが握られ、銃口がハンスの額に向けられていた。


「え...いつの間に...」

 一体いつ、出て来たのか分からないリヴォルバーを前にハンスは混乱する。


「ハンス君、僕のファンだというのに勉強不足です。僕は剣術より、魔術より、射撃の方が得意なんですよ」

 いまだ紫煙を燻らせるリヴォルバーの銃口に息を吹きかけて、フィーロは不敵な笑みを零す。


「あ...」

 本人から言われてハンスはハッと、ある事を思い出して悔し気に奥歯を噛み締めた。


「そういえば...フィーロ様って、本格的にレイピアを使い始めたのは...」

「はい、例の邪竜退治の後からです。それまでは、魔銃による狙撃が僕の十八番でしたから」


 がくりと項垂れているハンスを前にフィーロは勝者の笑みを滲ませたまま、腕に巻き付いていた鎖を払うようにして外した。

 外れた鎖は血へと戻り、ハンスの指先へ吸い込まれて行った。


「しかし、一族の特徴である血の魔術、一応使えるんですね。流石は、ヴェドゴニヤの皇子」


 しげしげと、ハンスが創り出した血の槍先によって穿たれた地面を見つめてフィーロは感心したように弟子を褒める。


「その、皇子はやめて下さい」

 むすっと、ハンスは剣を鞘に納めながらフィーロを見据えて抗議した。


「なら、君も僕を様付けで呼ぶのはやめなさい。そうですね、ここは師弟らしく、師匠とでも呼んでもらいましょうか」

 腰に手を当てて仁王立ちフィーロはハンスを見つめてそう告げる。


「いいんですか?」


「様付けで呼ばれ続けるのも変なので、ブラザー契約を結んでいる間はですよ」


「ありがとうござますっ師匠!」


 フィーロからの許可にハンスは目をキラキラさせて力強くその呼称を口にする。

 改めて呼ばれると、背中の辺りがむず痒くなったが、フィーロも悪い気はしなかった。


「さて、稽古は一先ず終わりにしましょう。ほら、そこの野次馬達、さっさと自分の訓練に戻らないと、上官を呼びますよ」


 自分達を取り囲んでいるのが訓練生や下の階級の者達ばかりというのを確認してからフィーロは、半ば脅すようにして彼等を退けた。


 上官を呼ばれてはたまらないと、野次馬達は素直に各々の訓練の為に散って行く。

 それを見届けてフィーロはレイピアを拾い上げて鞘に納めた。



****




 闘技場は他の棟から円を描くように設置され、場所によっては棟の窓からその様子を覗く事が出来る。

 野次馬達の声を聴きつけ、なんだとばかりに闘技場の様子を眺めていたギルベルトは、野次馬の中心にいるのがフィーロとハンスだと気づいて、嬉しくなった。


 契約を結ぶまではなかなか大変だったが、どうやらフィーロも真面目にやってくれているらしい。

 流石は自分の愛弟子だ、と胸中で涙を流しギルベルトは二人の稽古を見届けてから自身の執務机に腰を下ろす。


 それと同時に、扉がノックされた。

「はーい、どうぞ」


 書類に目を遣りながらギルベルトは扉の向こうに声を掛ける。

 それに合わせるように、控えていた黄緑色のショートボブの女がすっと、扉を開けた。


「失礼するわよ、ギルベルト」


「おや...珍しい来客ですね」


 少女特有の甲高い澄んだ声が室内に響き渡る。

 ギルベルトの執務室を訪ねて来たのは黒い髪を肩口で切り揃え、翡翠色の瞳宿した十五歳程の少女だった。


 その身が纏うのは、漆黒にレースをあしらった裾の短いドレス。

 ふわりとペチコートで広がった裾を揺らして入室した少女は、扉を開けてくれたギルベルトのサーヴァントであるメリッサに礼を言って、真っ直ぐに執務机の方に歩み寄った。


「ご機嫌麗しゅう、『緑柱りょくちゅうの魔女』レベッカ・ラングレー嬢。聖王付きの貴方がこのような場所にお見えとは、どのようなご用件でしょうか?」


 執務机から立ち上がり、少女・レベッカの前に跪くと、ギルベルトは恭しく頭を垂れた。


「今日は一つ、退魔師に頼みがあって来たんだ。聞いて頂戴」


「任務のご依頼ですね。では、じっくりお話を聞かせて頂きましょう。メリッサ、お茶を」


「もうやっています」

 主の指示を聞く前にメリッサは手際よく来客を迎える用意をしていた。


「ではレディ、どうぞソファへ」


 ギルベルトに誘われレベッカは応接用のソファにその身を沈める。

 すかさず、カップに入れられた紅茶がレベッカの前に差し出された。

 レベッカが紅茶を一口口に含むのを見つめながらギルベルトも向かいのソファに腰を下ろす。


「それで、どのような任務でしょうか」


「...あまり周りに他言しないで欲しいのだけれど、ボクが研究していたキメラが、何者かに盗まれてしまったんだ。そのキメラの奪還、もしくは処分を依頼したくてね」


「キメラを...?そういえば、レベッカ嬢は生命を生み出す錬金術が専門でしたね」


 こくりと、レベッカは頷く。

「まあ、魔女として今はその名を馳せているけど、ボクは貴方も知っての通り、大学での研究者。その課題がキメラ...魔獣の探求」


「そのような権威のある貴方のキメラが盗まれた...一体誰に...」


 眉を顰めて深刻そうに考え込むギルベルトにレベッカは何処か、言い難そうにしながらも、口を開く。

 彼女の口から出た犯人の予想に、ギルベルトとメリッサは頬を強張らせた。


「それは...また、厄介な...」


「だから、直接依頼をしに来たんだよ。流石に今これを公にする訳にはいかないし...やっと、国が纏まって来た矢先に、不穏な種は撒きたくないでしょ」

 肩を竦め、それまで緊張していたのかレベッカは大きく息を吐く。


「分かりました。早急に退魔師を任務に向かわせましょう。丁度、適任がいますよ」


「適任?おや、まさか、あの子を駆り出してくれるのかな?」

 ギルベルトが口にした適任が誰の事か理解してレベッカは小首を傾げる。


「他にいないでしょう?そりゃ、過去に色々あったのは私も知っているので、貴方の事は警戒していますが...今は大丈夫でしょう?」


「言うよね...そうだね、過去のあれこれはこの際抜きにして、これは国の存亡になりかねないから、やっぱりあの子が適任だよね」

 ギルベルトの意見に同意してレベッカはニヤリと不敵に笑う。


「では、レベッカ嬢。そのご依頼。退魔師課がしかとお受け致しました」

 人の良さそうな笑みを浮かべ、ギルベルトは深く頭を下げた。



*****




 どんと、ハンスの前に一冊の本位はありそうな羊皮紙の束が置かれる。

「師匠...これは?」


「当面の君への課題と、稽古の内容です。勿論、みっちり傍に着いて指導しますが、座学は自分で行うように。これは、今後二週間の予定表です」


 そう言ってフィーロはハンスに長い巻物にでもなりそうな紙を手渡した。そこには、一日のスケジュールが書き込まれている。


「なんか...学校の時間割みたいですね」


「あくまで二週間の予定です。僕の判断によっては少し書き換えますから、しっかり励むように」


「分かりました。頑張ります」


 憧れの師匠からの指導を素直に受け入れ、ハンスは首を縦に振る。

 そのやる気に満ちた姿をフィーロは何処か嬉しそうに見つめた。

 フィーロによる愛弟子育成の日々はこうして幕を開けたのだった。

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