ー第六章~退魔師になる理由
退魔師見習いと彼等のブラザーである退魔師達が暮らす量は全てが同じ造りになっている。
現在、退魔師養成学院があるその場所はかつての教会の跡が使われ、寮も聖職者達の居室だった場所を利用している。
ブラザーの多くは二、三人を自分の弟子として受け持つ為、居室は四人部屋が多く、室内に書き物用の机とベッド、クローゼットなどの必要最低限の家具が備え付けてある。
決して広くはないが、元来が四人部屋である場所を今回は二人で使用許可が下りているので、破格の待遇と言えるかもしれない。
部屋に入るなり、フィーロとハンスはそれぞれ荷解きを始めた。
もともと荷物の少ないフィーロは必要最低限の物をトランクから取り出して、自分のベッドの位置を決めてその縁に腰を下ろした。
ふと、懐中時計に目を遣ると、いつもなら報告書を書くか、訓練をしている時間か、或いは巡回に出ているか。そんな事をぼんやりと考えた。
昼前の穏やかな陽射しが降り注ぐ時間。向かい側のベッドではハンスがせっせと荷解きをしている。
彼が自分の位置と決めた机には分厚い参考書や教本が次々と積み上げられて行く。
その光景と、かつての自分の姿を重ねて思わず苦笑が零れた。
懐かしさに浸っていたフィーロは、不意に気になってハンスに質問を投げかけた。
「どうして君は、退魔師になりたいんですか?」
それは、ただ世間話をするようなささやかな問いかけだった。過去、幾人もの退魔師が見習いに問いかける常套句。
不意に訊ねられた問いにハンスは荷解きをしていた手を止めて、フィーロの方へ視線を向けた。
その先には、何処か面白がる様子で左右異なる双眸があり、じっとこちらを見つめていた。
「仮にも君はこのクリスタリアの最高指導者の子息。本来なら父君である元帥の跡を継いで軍の最高指導者になるのが筋なのに。人間と魔族の調停役にして、人間の被疑者である退魔師になる必要はないのでは無いですか?」
少し、意地悪をしたくなって、投げかけた問い。
けれど、ハンスはフィーロの異なる双眸を真っ直ぐに見つめながら表情を引き締めて唇を開いた。
「俺は、人間と魔族の新たな懸け橋になりたいんです」
ハンスが口にいた一言に虚を突かれたようにフィーロは目を円くした。
「確かに、俺は聖天騎士団元帥、アーノルド・ストラウスの子です。順番からいけば俺は軍の頂点に立つことになる。けれど、それじゃダメなんです。この国が現在魔族達と均衡を保てているのは俺の母であり、聖王たるナハト・フォン・ロードナイトのお陰。彼女にもしもの事があれば、この国はかつてのように魔族はもとより、他の国と戦争をしかねない。だから、せめて魔族との均衡を保てるような仕組みが必要なんです」
思いもよらぬ熱弁にフィーロはポカンと口を開けた。
それは、聡い者なら誰もが感じている事だった。
先の大戦は聖王ナハトがヴェドゴニヤとしての役目を果たした結果、終結した。
彼女と彼女の夫でありかつてのサーヴァんんとであるヴァンパイア、アーノルド・ストラウスや彼女に呼応したレジスタンスによる北のヴァンパイア王や当時の聖天教会聖王への呼びかけと交渉、裏で糸を引いていたクドラク達との対決と人間の解放。様々な苦難を経て、和平を勝ち取り、ヴェドゴニヤであるナハトが聖王の座に就くことでクリスタリア公国は創立した。
人間達が神を崇めるために造った聖天教会は聖王と呼ばれる者を頂点としているが、本来は世襲制ではなく各枢機卿と呼ばれる大臣に近い者達の中から相応しい者を選ばれて聖王の冠を頂くのである。
しかし、当時の状況や人間を護るという盟約に加え、ヴェドゴニヤの長が代々その座を世襲してきたことから、現状ではナハトの次の王は彼女の子供達の誰が受け継ぐのだろうという噂が、実しやかに囁かれている。
その経緯から、元帥の座も、子の誰かに引き継がれるのだろうと言われていた。
だが、はたしてその仕組みがいつまで保つかは未知数な上に、まだ制度が始まったとは言えない現状ではそれが上手くいくとは限らなかった。
人間も魔族も、本来中立であるヴェドゴニヤが現状頂点に立っている事を快く思っているかと言えば、怪しい所であるし、ナハトの夫であり軍の最高指揮官が後転者とは言えヴァンパイアである事も、現政権が不安定な要因だった。
「この国の現状がかなりギリギリなのは知っています。ですが、別にそれなら退魔師になる必要は...」
「俺はヴェドゴニヤとして人間の側に着くことは血の盟約で定められています。だからこそ、人間の代弁者として魔族と対話をする為に退魔師になるんです。退魔師が本来持つ調停者としての役割を確固たるものにしたい。騎士団でではなく、退魔師がこの国を護る仕組みを俺は造りたい」
「つまり君は、軍でも、政府でもなく、新たな機関を創ろうとしているという事ですか?」
フィーロの問いかけに、ハンスは真っ直ぐな瞳で頷いた。
「争うのではなく、話し合いで魔族と均衡を保てるように、未だかつてない人間と魔族の共生国家の創立が俺の目標です。それには元帥になったら意味がないんです」
語気を強めての力説に圧倒される。
退魔師になる理由は様々だが、まさかこんなにも大きなビジョンを胸に秘めているとは思わなかった。
なるほど、ハンス・フォン・ロードナイトという人物を甘く見ていたかもしれない。
(ギルが僕に彼のブラザーを任せたのは、種族や身内だからという理由だけではなさそうですね)
知らず笑みが零れた。
まさか、世間話のつもりで聞いた問い掛けに、こんなにも熱の入った答えが返って来るとは思いもよらなかった。
「...君は、随分と大胆な事を考えているんですね。それ、下手したら君の父君と真っ向から対立しかねないですよ?」
東のヴァンパイア王であるアルトは魔族側だ。
息子の人間側に立ったこんな思想を耳にしたらどうするだろう。
苛烈で知られる元帥は例え我が子であっても容赦はしないのではないか。
かつて、自分に向けられた冷ややかで憎悪に満ちた眼差しを思い出しながら、フィーロは暗い笑みを口元に刻む。
「父の事は...もし父と対立する事になったらその時は俺はあの人を討ちます。それで均衡が崩れるならこの国は多分滅びるでしょうね」
「あれ?随分と淡泊なんですね。今までさんざん熱弁していたのに」
「だって、事実でしょう?東のヴァンパイア王は魔族側でありながら母と結ばれる事を選んだ時点で人間側に付くべき存在です。それが、息子の理想を聞いたくらいで対立していまうなら、この国は人間と魔族が共存しているとは言えません。母あっての国でしかいなら、滅ぼしてもう一度造り直すべきです」
真面目な顔でかなりの危険思想を口にした弟子を前に、フィーロは突如、腹を抱えて笑いだした。
「へ?あ?フィーロ様?」
突然笑いだしたフィーロを前にハンスはキョトンと目を見張る。
ベッドに転がり、ひとしきり笑ってからフィーロは目じりに浮かんだ涙を拭いながら身体を起こした。
「ははは、ハンス君、君、それなかなか良い事言いますね」
何故突然笑われたのか分からずに硬直していると、笑いを堪えながらもようやく絞り出すようにフィーロは言葉を紡ぎ出す。
「ハンス君、今の他の誰かに話しましたか?」
「いえ...フィーロ様が初めてです」
ハッと、慌てた様子で答えたハンスの様子から、それが嘘ではない事は直ぐに分かった。
「ふふ、なら、その考えは今は絶対に他の人に話さしたらダメですよ?」
「は、はい...分かってます」
フィーロの指摘にハンスは肩を落とす。どうやら、自分の思想がそれなりに危険な事は気付いているらしい。
それを知ってフィーロは少し安心した。
「そういう、フィーロ様は、どうして退魔師になろうと思ったんですか?」
自分ばかりが聞かれるのはどうかと思い、今度はハンスが問いかけて来た。
不意に来た質問に、フィーロはぴたりと笑うのをやめて真っ直ぐにハンスを見る。
「知りたいですか?」
「それは...憧れの人が退魔師になった理由は聞いてみたいです」
「その、憧れっての何とかなりませんか?どうして僕みたいな孤児からの成り上がりに憧れているんですか?たかだか、最年少退魔師ってだけで」
最年少退魔師。枕詞のように着いているフィーロを表す呼称だが、本人にしてみみれば、自分の境遇から抜け出す為にがむしゃらに駆け抜けた結果に過ぎない。
それが、どうも周りからは称賛を受ける。
その事実が不思議でならないフィーロにとって、ハンスの憧れが理解できなかった。
「孤児で、十二歳で退魔師資格を得るのはもはや神業ですよ。同じヴェドゴニヤとして、俺にとっては誇りです」
拳を握り締め、羨望の眼差しは、痛いほど眩しい。
この点に関しては、危険思想の持ち主ながらも、年相応の純粋さを持つ彼に心底ほっとした。
「...まあ、そのうち、話してあげますよ。僕が退魔師を目指した理由。でも、今は僕の厳しい修行に耐え抜く事。しっかり学ぶことだけを考えて下さい」
ニコリと、笑顔で言われてハンスは質問の答えを貰えないばかりか、お預けを食らった事に、シュンとまるで子犬のように項垂れた。
その様を妙に可愛く思いながらフィーロは胸中で溜息を吐いた。
自分が退魔師を目指した理由は、ハンスの理想程気高いモノ、ではない。
それは、幼子の様な、本当に囁かな願い。普通なら、意図も容易く叶ってしまうような小さな願い。
けれどそれを叶えるには、あまりに壁が高く、その近道が退魔師の道だった。
フィーロの願い。それを知ってしまえば、彼はもしかしたら真っ先に向かうかもしれない。
かつて、冷徹な視線を実の子へ向けた、あの男の元へ。
*****
聖都の中央。聖天騎士団と称される国家群の中枢機関にある最高指揮官たる元帥・アーノルド・ストラウスの執務室を音もなく訪れる人影が二つ。
二人とも同じ黒の装束に身を包み、目元以外の顔を黒い頭巾で隠しているが、体格から一人は男、もう一人は女だと分かる。
「元帥、ただいま帰還致しました」
床に膝をついて頭を垂れながら、男の方が重い声を上げた。
「ご苦労だったな」
執務室で書類業務に当たっていたアルトは、ペンを置いて顔を上げた。
「それで、どうだった?」
「は、報告申し上げます。ご子息、ハンス。フォン・ロードナイト様のブラザーとなったのは、フィーロ。フィロフェロイ・ストラウス。元帥の予想通りでした」
女が告げた名に、アルトは眉根を寄せた。 奥歯を噛み締め、内側から湧き上がる憤りを抑え込みながらアルトは「そうか...」と静かに頷いた。
「まだ調査中ですが、西の王が手引きしたかまでは分かっておりませんが、何らかの動きがあった模様です」
女からの報告に出て来た人物の存在にアルトは唇を噛み締める。
「アイツは、昔からアレに接触してきたからな。引き続き調査に当たり、場合によっては手を下しても構わん」
「承知致しました」
恭しく一礼し、二人は現れた時と同様に音もなく執務室から出て行った。
二人の気配が消えた後、アルトは執務机の上に力強く拳を打ち付けた。
「アレク...どこまで俺の邪魔をしやがるんだ...」
爪が食い込む程に握り締めた拳から血が滲だす。
それをものともしない烈火のような怒りを全身から滲ませ、この場にいない男の姿を脳裏に浮かべ、空虚を睨みつけた。
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