ー第五章~ブラザー契約
『彼を利用すればいい。彼は君に陶酔しているのだし』
『使える者はなんでも使う方がいい。それこそ僕を利用するのだって構わないんだよ?』
脳裏で先刻の言葉が繰り返される。
言われなくても分かっている。
自分の目標が全てのモノを利用しなくては達成できないことを。
「はあ...」
思わぬ人物との再会を果たした後、フィーロはいつも以上に警戒しながら家路についた。
まだランスは帰っておらず、アパートの灯を灯すと、室内は静寂に包まれていた。
玄関を上がるなり自室に向かい、フィーロはいつも巡回の度に出る時に使用しているトランクを広げた。
当面必要な物を部屋の中から引っ張り出して荷造りを始めた。
今回は巡回のように遠征をする訳ではないので、荷物は必要最低限で良さそうだ。
その中でフィーロが今回トランクの中に詰め込んだのは、一冊の手帳だった。
既に表紙や紙は日焼けて色あせている。だが、それはフィーロにとって大切な物だった。
かつて自分が見習いであった時にギルベルトから教わった事を殴り書きした手帳。まさに、フィーロの退魔師としての原点だった。
かつての幼い自分が、孤児として暮らしていた孤児院からこの聖都に来た時の事を思い出し、思わず口元に笑みが滲む。
あの頃の自分が今の自分を見たらなんというだろう。
かつての自分を思い出しながらフィーロはトランクの蓋を閉めて鍵をかけた。
「ただいま」
荷造りを覆えた荷物を運ぼうと立ち上がった時、玄関から聞きなれた声と共に扉の開く音が聞こえて来た。
それに続くようにフィーロは荷物を詰め込んだトランクを手に自室から廊下に出た。
「お帰りなさい、ランス」
トランクを玄関先に置き、フィーロは自身のサーヴァントを出迎える。
「あれ?もしかして巡回先決まったのか?」
荷物を手に出て来た主を見遣り、ランスは小首を傾げた。
「残念でした。僕は明日から退魔師寮に入ります。次の巡回に関してはまた決まり次第連絡します。そういう訳で、暫く一人でここ使えますよ、ランス」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべるフィーロはランスを見上げる。
その意味深な言葉にランスは何となく状況を理解した。
「ああ...なるほど...受けたのか、例の件」
確認するような問いにフィーロは頷くように肩を竦めた。
「ギルの思惑通りです。まあ、あくまで今回は特別で短期間という約束ですし...彼には利用価値がありそうなので」
皮肉交じりにの何処か冷めた声音で語られる話を聞きながらランスは荷物を置いてコートを脱ぐ。
「なんかあったら言えよ。弁当くらい届けてやるから」
「大丈夫ですよ。寮では食事が出ますから。それより、次、いつ巡回へ出るか分からないので今のうちにしっかり勉強しといてくださいね、ランス」
ランスの気遣いを分かって言いながらフィーロはニヒルな笑みを浮かべた。
「たく、なに拗ねてんだよ」
「...拗ねてませんよ...」
苦笑してランスの一言を否定したフィーロのオッドアイは、複雑な思いを宿し、微かに揺れ動いた。
いつもより早く出勤したフィーロは旅に出る時と同じ荷物を手に退魔師本部の東棟へと赴いた。
廊下を歩き、ギルベルトの執務室の前に行くと、その前には既に同じように荷物を手にした先客が待っていた。
徐々に肌寒くなってきた秋の朝陽の中、真面目を絵に描いたような表情でハンスは背筋を伸ばして廊下に立っていた。
声を掛けようとした所で、先に気づいたハンスが軍隊の兵士の様に機敏な動きでフィーロに向かい合うと、瞳をキラキラと輝かせて敬礼をした。
「おはようございます、フィーロ様」
「おはようございます、ハンス君。随分早いですね」
ハンスの傍に歩み寄りながらフィーロは普段と変わらぬ様子で笑顔を振りまく。
(一晩で子犬が忠犬になってる...)
ハンスの頭と腰に犬耳と激しく振られた尻尾の幻覚が見えた気がしてフィーロは内心苦笑した。
「今日からフィーロ様に指導して頂けると思うと、昨夜はあまり眠れず、いつもより早く起きてしまいました」
はきはきとそう告げてくるハンス。
自分を慕ってくれているのは分かっているが、こうも忠誠心が強いのはこの先困るのではないだろうか。
(憧れられるというのも結構大変な物ですね...)
今回のブラザー契約はあくまで短い期間のみの特例である。それが終った時、彼は何を思うのだろう。
「早起きはいい事ですが、しっかり休息を取る事も大切ですよ。僕なんて寝ずに読書に没頭していると、サーヴァントに早く寝ろと叱られます」
今頃大学に行く準備をしているであろう自身の使い魔の事を思い出しながらフィ
ーロはハンスの身体を気遣った。生活の乱れで体調を崩されては困る。
「フィーロ様のサーヴァントにも近いうちにお会いしたいです。確か、ライカンスロープのランス殿ですよね?」
一体どこから情報を仕入れているのか、ハンスの問いかけに内心感心しながらフィーロは頷く。
「そういえば、昨日も今日も一緒ではないんですね」
サーヴァントとは、言わば昔でいうところの使い魔である。
元は魔女などが魔物などを自身の使い魔として使役していたものが、次第に退魔師にも伝わり、いつしか、人間に協力する魔族をサーヴァントと呼ぶようになった。
サーヴァントは契約をした退魔師の魔力を受けて力を発揮し、退魔師を護る為に存在している。
魔族と契約をする事は、人間と魔族の協力体制をアピールする狙いや、退魔師の調停者としての役割を引き立てるのに一役買っている。
そんな経緯や歴史もあり、サーヴァント契約は退魔師には必須科目となると同時に、常にサーヴァントは退魔師の傍に控えるというイメージが付いている。
だが、実際にはサーヴァント契約を結んでいても彼等にも人権はあり、主人に危険さえなければ彼等も比較的自由に過ごしているのが現実だ。
「ランスは今は大学で錬金術を学んでいます。聖都にいる間は彼には自由に過ごしてもらっているので、こちらが呼ばない限りは傍にはいませんよ」
「そうなんですね...俺はサーヴァントは常にマスターと共にあるものだと思っていました」
「それは人それぞれですよ」
主従関係にも色々ある事をフィーロはハンスに伝える。
「ハンス君もいずれはサーヴァントと契約を結ぶことになるのですから、色々と考えておいた方がいいですよ」
「分かりました」
フィーロの助言を素直に受け入れたハンスは上着のポケットから手帳とペンを取り出し、今フィーロが話した事をメモしていく。
その真剣な様子を見て、かつての自分の姿を見ているようでフィーロは思わず微笑んだ。
ハンスがメモを取り終えた頃、廊下の向こうから床を踏みしめる足音が聞こえて来た。
フィーロとハンスは同時にお会い音のする方を振り返る。視線の先にはお目当ての人物がこちらに向かって歩いてきていた。
「やあ、おはよう。二人とも随分早いね」
「おはようございます、教授」
「おはようございます、所長。早いって、もう直ぐ始業時間ですよ」
懐中時計で時刻を確認して、フィーロは溜息を吐く。
ギルベルトは昔からのんびり過ぎるところがある。それを承知でフィーロは痛い所をついた。
呆れた様子の弟子を前に、ギルベルトは「すまないね」、と苦笑した。
「さて、さっそく手続きに入ろうか。その後寮に案内するから」
居室の鍵を開け、内側に扉を開いてギルベルトは二人の中へ入るように促す。
会釈をしてフィーロとハンスはギルベルトの執務室へ足を踏み入れた。
「そこに座って待っていてくれるかな?今必要書類を出すから」
教え子二人に執務机の前に配置されている応接用のソファを示し、自身は執務机の横にある棚へギルベルトは向かう。
「では、お言葉に甘えて」
ギルベルトの勧めに素直に応じてフィーロはソファの入口側、三人掛けの方に腰を下ろした。
そんなフィーロとは対照的にソファに座るのを迷い、ハンスは何処か不安げに視線を彷徨わせた。
それを見かねたフィーロはハンスを手招いた。
「ハンス君も座りなさい。契約書を取り交わすのなら、テーブルがあった方がいいですから」
「あ、はい」
フィーロに促されたハンスは、ようやく決心をつけてフィーロの隣に、一人分間を開けて腰を下ろした。
「所長、お茶とかでないんですか?」
ソファに足を組んで座り、姿勢を少し崩しながらフィーロは棚から必要書類を出しているギルベルトに訊ねた。
「ごめんね、今メリッサがいないから飲みたかったら自分で淹れてくれる?紅茶はその奥の棚にあるから。昨日焼き菓子を貰ったから、それも食べていいよ」
メリッサとは、ギルベルトのサーヴァントである。
何かとギルベルトの秘書として傍にいる彼女だが、今日はいないらしい。
そういえば、昨日も姿を見なかったな。
そんな事を考えながらフィーロはソファから腰を上げ、ギルベルトが示した奥の戸棚に歩み寄った。
勝手知ったる自分の家と言うようにポットに水甕から水を汲んで注ぎ、それを竈の上に置いた。
竈の横に置いてあるマッチを取って擦り、竈にくべられた木屑に火をつけた。壁に立手掛けてあったふいごで火力を調整した後、フィーロは戸棚から茶葉の入った缶と、仕舞ってあった焼き菓子を取り出した。
焼き菓子は皿に三人分を載せ、ティーセットを三人分用意した。
手際よく朝のティータイムの用意をしていくフィーロをハンスは茫然と見つめてた。
湯が沸き、茶葉を入れたポットに湯を移して、フィーロはティーセットと焼き菓子をトレーに載せてソファの間にあるテーブル手と運んだ。
フィーロがソファに戻って来ると、ハンスはポカンと口を開け、驚いた様子でフィーロを見つめていた。
「どうしました?」
ハンスの視線に気づいてフィーロは首を捻る。
「あ、いえ、フィーロ様って教授とはどういう関係なのかなと...仮ににも上司にあたる方に対して態度が軽いというか...親し気というか...」
視線を彷徨わせ、居心地悪そうにしているハンスを見遣り、フィーロは今まで気にしていなかった事を改めて感じた。
確かに、退魔師は形式的には教会の聖職者だが、魔族と渡り合う面から聖天騎士団のような軍と同等の扱いの部分がある。実際、フィーロも軍における階級は少佐だ。階級社会において、上官にあたる人物への態度にしては、フィーロのギルベルトに対する言動は些か崩れている気がする。
(流石は、元帥の息子)
礼儀を重んじ、目上の者への敬意を大切にしている事が伝わるハンスの疑問フィーロは苦笑した。
「ああ...そうですね。今の僕の言動や態度ははたから見たら奇異に映ったでしょうね...」
三人分のティーゼットと焼き菓子をテーブルに置きながらフィーロはハンスの疑問に答える。
「所長は僕のブラザーなんですよ。僕はこの通り孤児からの成り上がりなので、所長が色々と世話をしてくれまして...僕にとっては父や兄のような存在なんですよ...と言ったら本人は満足ですかね?」
チラッと、フィーロは肩越しにギルベルトを一瞥する。
二人の会話を耳を大きくして盗み聞ぎしていたギルベルトは、フィーロの視線に気づいてさっと顔を逸らし、何かを誤魔化すように口笛を吹いた。
「教授がフィーロ様のブラザー。だから今でも親しくされているんですね」
フィーロとギルベルトの関係性合点が行き、ハンスは納得する。
「まあ、彼の元を巣立って随分と立ちますけど」
「今じゃすっかり優秀な退魔師だからね。私の自慢だよ」
棚から必要書類を出して、揃えるように
机の上に軽く打ち付ける。
書類を手にソファに歩み寄ったギルベルトは、紙の束をテーブルに置いた。
二人の顔が見えるように向かいの一人掛けのソファに腰を下ろして、ギルベルトは数枚の書類をフィーロとハンス、それぞれの前に置く。
「これはブラザー契約を結ぶ上で大切な書類だ。こっちはブラザーとなる者用。こっちは弟子用。内容をよく読んで相違がなければこの欄にサインを」
フィーロとハンス、それぞれの書類の一番下にある空欄をギルベルトは指差す。
「今回はいくつか通常と違うけど、基本は変わらないから」
「ブラザーになるからには別に彼を巡回に連れて行ってもいいんですよね?」
書類に目を遠いしながらフィーロは確認するようにギルベルトへ質問する。
「勿論。私の時もどうだったけどある程度はブラザー側の仕事に突き合わせるのは問題ないよ。修行の一環なわけだし、支障の仕事を見て学ぶのも弟子の役目だからね」
高等科の学生は、見習い退魔師として仮免許を与えられている上、ブラザー契約を結び、師匠について回るのが基本の為、授業は殆どない。
あくまで見習いであるので、師匠の随伴でなら退魔師として仕事も出来る。
実践を学ぶことが高等科の学生の本分であり、それは彼等が一人前になる為の通過点である。
かつて自分がサインした方ではない師匠側の契約書の文面に目を通し、フィーロは早々にサインをした。
ここに来た時点でブラザーの契約を結ぶのは決まっているし、契約の内容については昨夜ヒューイから大方聞いていたので、契約書にはさっさと目を通すだけで済んだ。
一方ハンスはといえば、紙に穴が開くほどに契約書の内容を凝視していた。
それほど難しい内容でもないだろうにと、フィーロの口から溜息が零れ落ちる。
横に座る彼は、はたしてどちらに似たのか。もしかしたらどちらにも似ていないのではないか。
顔は知っていても、会話を交わしたことのない人物達の面影をその横顔に求めてみたが、分かりそうにないので視線をテーブルに向けた。
焼き菓子を手に取りそれを頬張りながら待っていると、ようやくサインをし終えたハンスが、壮大な溜息を吐いてペンを置くのが視界の端に見えた。
「ハンス君、紅茶でも飲んで一息入れた方がいいですよ」
肩を竦めてフィーロはハンスに紅茶を勧める。
それに礼を言ってハンスはカップを持ち上げて紅茶をすする。ほのかな香りを漂わせながら温かい紅茶が喉を通って全身を火照らせていく。
内側からの優しい温もりにハンスは肩から力を抜いた。
「それじゃ二人共、書類預かるよ」
それぞれがサインを終えたのを確認し、ギルベルトは横から書類を持ち上げた。
サインのされた欄を見つめて、嬉し気に笑う。
「これで、君達は晴れて師弟同士だね。おめでとう」
愛弟子と教え子をそれぞれ見遣り、ギルベルトは優しく微笑みかける。
「ありがとうございます」
高揚感を露わにしてギルベルトを見上げるハンスに対し、フィーロは苦笑して肩を竦めた。
なんだかんだで、彼の思惑通りになっている。皮肉だ。
「これで、今期のブラザーは全員決まったよ。フィーロ、本当にありがとう」
「この仮は何かで返して下さいよ、所長」
「そのうちね」
パチンとウィンクするギルベルト。
胡散臭いなと思いつつフィーロはまた溜息を吐いた。
「それじゃ、これから寮に案内しようか」
ギルベルトの終え掛けに従い、フィーロとハンスは荷物を手に立ち上がった。
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