ー第十一章~魔女のお茶会
夕食を終え、ハンスが寝たのを確認したフィーロはランスを伴って寮の中庭にある薔薇園へとやって来た。
秋に似合う黄薔薇の豊潤な香りが満ちる庭園をゆっくりと歩き、庭園の中ほどに造られた噴水の縁に二人は腰を下ろした。
隣り合って座る二人の間に、暫しの沈黙が流れ、その間を夜風が通り抜ける。
最初に沈黙を破ったのは、どちらからとも知れない溜息だった。
「...まさか、久し振りに親父の話題が出るとは思わなかった」
ハンスが口にした自分に似たライカンスロープの事を思い出しランスは肩を竦めた。
「そりゃ、あの方のサーヴァントは有名ですからね...そうか、ハンスの剣は騎士ミフネの稽古で身に着けたものか...」
「やけに冷静だな。その調子で自分の正体ばれたらどうすんだよ」
ハンスの剣捌きを分析しているフィーロを横目にランスは怪れたようにぼやきを零す。
「ばれたらその時です。覚悟はしています。それより、彼はかなり危なっかしい存在かもしれません」
ランスと離れていた間の、ハンスと契約を結んだ日に聞かされた彼の考えをフィーロはランスへと聞かせる。
それを聞いてランスは引き攣った笑みを滲ませた。
「うわあ...それ、完全に自分の親に喧嘩売ってるな...」
「なかなか肝の据わったお坊ちゃんですよ彼。成長が楽しみです」
ランスの危惧とは対照的に何処か悦に浸りフィーロは口角を吊り上げた。
「その、ハングリー精神は誰から受け継いでんだろうな。お前といいハンスといい」
「さあ?親の事なんて知らない僕に聞かないでください」
やれやれと肩を竦めるフィーロを横目にランスは苦笑した。
「...そういや、読んだのか?あれ」
話題を変えるように切り出された一言にフィーロは眉を顰めた後、不機嫌そうに頬を膨らませた。
「...魔女のお誘いを断ったら呪われそうですから行きますよ」
「そこは行くのかよ...」
「不本意ですけどね」
吐き出すように付け加えた本音が全てを物語っている。
その様子に肩を揺らして笑ったランスは、頭上に広がる星々を見上げた。
秋の空は徐々に冬の星座を迎えようとしている。
季節の移ろいと夕暮れの感傷に浸るように語った過去が重なり、ランスは目を細めた。
「...なあ、フィーロ」
ぽつりと絞り出すように名を呼ばれ、同様に空に向けていた視線をフィーロは再び自身の従者に向けた。
「...今更だから聞くけどさ、あの魔女はお前に何してたんだ?」
いつかは聞かれると覚悟をして、結局今の今まで聞かれなかった問いが唐突に来た事にフィーロは冷えた空気を吸い込んでから、ゆっくりと吐き出した。
「僕がまだ教会の孤児だった頃から、緑柱の魔女は時々僕の前に現れては、僕の身体で色々調べていたんです」
「それ、人体実験って奴だろ」
驚愕の内容にランスは目を見張る。
フィーロがレベッカから何かをされていたのは知っていたが、まさか人体実験に突き合わされていたとは思いもよらなかった。
改めて聞かされた真実にランスの中で怒りが湧き上がる。出逢った頃よりも激しい憎悪が滲んでいるのは、フィーロとの付き合いの中で主たる若者の人となりに共感を抱いているからだ。
「でも、あの時彼女と関わっていなかったからランスに会えなかった」
ランスの憤りを鎮めるような言葉をフィーロは唇に乗せる。
「どういうことだよ」
「僕はあの時、魔女と賭けをしていたんです。三か月以内に君を見つけて、サーヴァント契約を結べたら、僕は自由になれるって賭けをね。結果はこの通り」
噴水の縁から跳びあがり、フィーロは舞台役者のように両手を広げた。
「あの時、ランスが助けに来てくれた事、今でも僕は嬉しかったですよ。出逢えて良かったと心から思いましたから」
ニコリと、中性的な容貌にはにかんだ笑みを浮かべて小首を傾げるフィーロから、ランスは照れ隠しのように視線を逸らした。
「たく、勝手に人を賭けの対象にするなよ」
ぶっきらぼうに吐き捨ててランスはフィーロから視線を逸らす。
ほのかに赤らんだランスの横顔をフィーロは楽しそうに見つめた後、薔薇園の出入り口へ爪先を向けた。
ハンスに自主練を言い渡したフィーロは手紙の誘いに従って西の外れにある魔女の邸を訪ねた。
そこは、かつてフィーロとランスが契約を結んだ場所。
魔女の呪縛から解放された件の邸だ。
あれから既に十年の歳月が経っている。
流石にランスがぶち抜いた地下の天井の穴も修復されていたが、当時よりも穏やかな空気が満ちていた。
門の前で手紙に押された紋章を見せると、鈍い音を立てて門が開く。
左右に垣根の植えられた石畳の道を進んだ先にある邸は、左右対称のシンメトリーが美しいゴシック調の建物だった。
魔女の紋章の施されたドアに取り付けられたドアベルの紐を引いた。
紐を放した反動でベルが邸内に鳴り響く。
ベルが鳴りやむか止まないかのタイミングで、扉がゆっくりと内側に向かって開かれた。
導かれるようにフィーロとランスはエントランスへ足を踏み入れる。
大理石の鏡面のように磨かれた床が広がるエントランスには、正面に左右に分かれる階段があり、豪奢なシャンデリアが天井から吊るされていた。
およそ、魔女の住処とは思えない貴族の様な邸宅を改めて見つめてフィーロは肩を竦めた。
「来たわね」
正面から見て左側から響いた声に視線を向けると、白衣を肩から羽織ったゴシック調の黒地のドレスを身に着けた少女が立っていた。
「ご無沙汰しています。緑柱の魔女」
恭しくフィーロは礼儀作法に習って胸元に手を添えて頭を垂れる。
「そんな堅苦しい挨拶される程、僕の事敬ってないだろ?君」
レベッカの問いかけにフィーロは不敵な笑みを滲ませた。
「ほら、付いて来なよ。お茶会は本当だよ。アフタヌーンティーを用意してるから」
そう言って、廊下の向こうを示すレベッカについてフィーロとランスは邸の奥へと入って行った。
レベッカの言葉通り、手入れのされた鳥籠の様な建物の中にある温室には、三段式の格式高いアフタヌーンティーのセットが用意されていた。
白亜の円卓に腰を下ろしたフィーロの目とランスの目の前にひとりでにティーカップがサーブされる。
一体どのような魔法を使っているのか、レベッカの意思に従うように、食器達はそれ自体が生き物であるかのように来客をもてなした。
注がれた紅茶からはほのかに柑橘系の酸味の効いた香りが立ち上り、温室の中をゆっくりと満たしていく。
「それで、僕をここへ呼んだ理由は?」
紅茶を一口喉に流し込み、ティースタンドの二段目に置かれたスコーンを半分に割りながらフィーロは単刀直入で切り出した。
「ああ、君さ、次の任務で魔獣退治引き受けたでしょ?」
突然の話にフィーロはクロテッドクリームを塗る手を、ぴたりと止めた。
脳裏に嫌な予感が浮かぶ。
まさかと思いスコーンに向けていた視線を上げると、斜め向かいに座るレベッカがニヤリと楽しな笑みを浮かべていた。
「ごめんね、あの依頼僕が出したものなんだ」
任務依頼を受諾した後でフィーロは後悔した。
思わぬ衝撃にスコーンを落としかけたが何とかそれを回避して、クリームとジャムを塗りたくったスコーンを頬張った。
「まあ、聞きなよ。別に誰が依頼したかなんて普通退魔師は知らないよね。一部の例外はあるけどさ。まあ、今回はあの退魔師課の所長に直接持ち込んだからね。そうしたら、色々事情もあって君を回してくれた。という訳さ」
一段目に置かれたキッシュにフォークを刺してレベッカは淡々と話を続ける。
今回フィーロが依頼を受けた任務は魔獣退治だ。
いや、正確には盗まれた魔獣の捕縛または討伐である。
ギルベルトに受諾を伝えに行った時、彼は何も言わなかった。
(多分、わざと言わなかったんだな...あの人...)
上司であり恩師でもある人物に恨み言を囁いてみたが、フィーロの事情を知っているギルベルトが因縁の相手と言っても過言でないレベッカの依頼を回して来たのには、何かしら理由があるのだけは理解できた。
「それで、僕が選ばれた理由は?」
「...ボクの魔獣を盗んだのは、クドラクだ」
「......」
彼女が口にした犯人の名称にフィーロは左右で異なる瞳に鋭い光を宿す。
この間の北での任務といい、クドラク絡みの事件が続いている。
それは、未だ地盤の緩い公国を揺るがしかねない内容だ。
「君の一件から暫く、ボクは聖都を離れて半分隠居生活を送っていたんだ。その間に元々の研究議題である魔獣の研究、キメラの合成に心血を注いでいた。そしたら、ある時ボクの隠居していた地域でクドラクの噂を耳にしたんだよ」
「それで、どうして貴方のキメラが盗まれる事態になったんですか?」
クドラクと聞いて真面目に話を聞く姿勢を取ったフィーロはレベッカの話す内容に疑問を投げかける。
「奴等は今のヴェドゴニヤありきの政権を引っ繰り返す為に様々な方法を試そうとしている。君が八年前に倒した邪竜だって、あいつらの残骸の一つだ。それと同じ規模の魔獣を奴等は造り出そうとしている。そこに、かつて大戦で戦った事のあるボクのキメラを見つけたって感じだろうね。魔女の造ったものは魔力も馬鹿にならない程大きいし。材料には申し分ない」
吐き捨てるように話すレベッカの翠の双眸には憎悪に近い感受が渦巻いていた。
かつて、聖女・ナハトと共にこの国を救った英雄の一人は、彼女が納める平和が乱されるのを快く思っていない。
その事にはフィーロも嫌悪する相手ではあるが共感を覚えた。
マッドサイエンティストと名高い魔女にも真っ当な考えがあるのだと知ってフィーロは少しだけレベッカへの評価を改めた。
「それにさ、クドラクの残党を討伐したり、聖王付きの魔女であるボクの依頼を受ける事はかなり評価に繋がると思うよ。君の目的に一歩近づくんじゃない?」
何故直接話した事のない魔女まで目的を知っているのか、フィーロは内心溜息を吐いた。
(僕って、実は顔に出ているのかな...)
普段、毒舌でポーカーフェイスを決め込んでいるつもりだったがと思うと、もう少し言動や表情に注意するべきだとフィーロはその時胸に決め込んだ。
「僕の目的はともかく...クドラクを野放しにしておく訳にはいきません。次代のクルースニクとしてきちんと対処します」
「うんうん。流石退魔師界のホープ。聖王聖下もきっとお慶びになるよ」
ニコニコと少女の如き愛らしい顔でレベッカは紅茶を啜る。
「まともな依頼の話で良かったです。僕はまた実験に付き合わされるのかと...」
「ああ、だから、さっきから番犬がお茶に手も付けずにボクを睨んでいたのか」
フィーロの隣に腰かけ、じっと睨みつけているランスにチラリと視線を送ってからレベッカは納得したのか肩を竦めた。
「心配しなくてももう何もしない。だいたいさ、あの時の身体を調べていたのだって、君がきちんと成長しているかを見る定期健診みたいなものだったんだよ。ほぼ死にかけで生まれた君が今こうして生きていられるのはボクのお陰でもあるんだから、少しは感謝して欲しいよね」
大仰に溜息をつくレベッカ。
彼女の言葉に嘘はなく、実際先の任務で訪れた北のヴァンパイア王・バーレイグの話でもフィーロは死産だとされていた。
そのフィーロがこうして無事に成長しているのは、あるい意味ではクルースニクとしての宿命なのだが、目の前の魔女の尽力もあったのだろう。
「まあ、過去のあれこれはもう別にいいや。今更だしね」
サクサクとキッシュのタルトの部分を頬張りレベッカは紅茶を飲み干す。
「そういえばさ、君、あのハンス・フォン・ロードナイトのブラザー引き受けたんだって?」
唐突な話題変換に、流石にフィーロは飲みかけていた紅茶を食道ではなく気管側に流しかけて盛大に噎せこんだ。
「ゴホッ、ゴホッ」
「フィーロ、大丈夫かっ」
前かがみに身体を丸めて咳き込むフィーロの背中をランスは優しく摩る。
どいつもこいつも、なんでそれを知っているんだ。
声にならない叫びがフィーロの中で迸った。抗議の代わりにフィーロは優雅にティーカップを傾ける魔女を睨む。
「その事で君に一つ忠告してあげるよ」
自分を睨みつけてくる視線など気にも留めないという風でレベッカは人差し指を立てた。
「ハンスと君の実父、アーノルド・ストラウスは君が息子といる事を快く思っていない。君を母親たるナハトから遠ざけて孤児院に捨てたのは他でもないアルトだ。気を付けた方がいい。あの馬鹿は気に入らない事は徹底的に排除して来るからね」
聖天騎士団の元帥をあの馬鹿と呼ぶレベッカの態度には驚きだが、苛烈で知られるアルトの事をフィーロが知らない訳ではない。
警戒はしておくべきだろう。
「...ご忠告どうも...」
ぼそりとそれだけ切り出してフィーロは咳払いをした。
「それじゃ、よろしくね。退魔師フィーロ・フィロフェロイ・ストラウス。手遅れになる前に」
「緑柱の魔女レベッカ。貴殿よりの依頼。必ずや完遂して見せましょう」
互いに視線を混じ合わせ、レベッカとフィーロは儀式のように口上を述べあった。
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