ー第十一章ー彼が遺したモノ~



『何故助けてくれなかったなだ!王は俺達を護る為にいるんじゃないのか』


 硝煙の立ち上る瓦礫の中、変わり果てた街へ帰ってきたエマとバーレイグに浴びせられたのは、怒りを含んだ悲痛な民の嘆きだった。


 血の臭いが色濃く蔓延した街の中を歩く度、エマは何度もそんな言葉を浴びせられた。


 後悔をしないわけがない。

 生まれた時からずっと自分を慈しんでくれた故郷の姿を目の当たりにして、嘆きたいのは自分も同じ筈なのに。


 人間を護るのがヴァンパイアの役目。


 かつて、この世界を創った女神がそう定めた事を、バーレイグの家は忠実に護ってきた。


 だからこそ、これまでこの街は平和であったのに。

 たった一度の襲撃で、掌を返すように罵声を浴びせられる衝撃がエマには耐えられなかった。


 もし、ここにマティアスがいたら、きっとそうはならなかっただろう。だが、愛する人は既に亡い。


 彼を失った悲しみを癒す暇もなく、エマは街の人々の突き刺さるような感情を受け止めながら、それでも復興に尽力した。


 愛する人の弔いをする事が出来たのは、ツアーンラートの街が襲撃を受けてから一月が経ってからだった。




 肉体的にも精神的にも疲れ果てたエマは彼の存在が鮮明に残る工房へ足を向けていた。


 小屋の中はマティアスが飛び出した時のままで時が止まっていた。

 きっと、逡巡しただろう。元々戦闘能力はなく、聡明な彼の事だ自分が行っても敵わないのは分かっていた筈だ。


 なのに、ここから街の惨状を想像した時、いてもたってもいられなくなっただろうか。

 街の外れにあるこの工房に籠っていたなら、助かっていたかもしれないのに。


 作業台に投げ出された人形の部品や工具をぼんやりと見つめ、エマは唇を震わせた。

「馬鹿ね...自分が助かる道を選ばないなんて...」


 だが、それが彼らしいとも思ったが、失った悲しみを紛らわせるには不十分だった。


 それどころか、エマはマティアスが死んだことを受け入れきれずにいた。

 ふと、エマは作業台に投げ出された羊皮紙の束を持ち上げた。


 それは、マティアスが最期まで考えていた“意志を宿した人形”造りの魔術回路の理論を構築したものだった。

 そこに記された文と図面をエマは食い入るように見つめた。


(理論、組みあがったいたのね...)


 東の地に発つぎりぎりまでエマも付き合って頭を悩ませた理論はほぼ完成に近い形で遺されていた。


 何枚にも渡る理論をエマは無言で読みふける。

 気が付くと、日は暮れて小屋の中は薄暗くなっていた。


 闇の住人と言われている事もあり、闇の中でも文章を読むことはエマにとって造作もないことだった。


 時間が経つのも忘れ、読み終わる頃、エマの目には何かを見つけたような仄暗い希望を宿していた。


「これだわ...」

 呟き、エマは工房の中に視線を向ける。


 そこには、マティアスが実験を繰り返していた人形が数体吊るされている。

「これを使えば...」

 エマが辿り着いた答え。それは、人形にマティアスの魂を蘇らせることだった。




「その時はあの子が何をしようとしていたのか私は知らなかった。ただ、その日からエマはマティアスの工房に籠るようになり、錬金術の研究に没頭していた。まさかそれがマティアスの蘇生だとは思わなかった」


「錬金術に人体錬成の術は確かに存在するが、なるほど、人間としてではなく人形としてマティアスの復活をさせようとしたのか...」

 黙って話を聞いてたランスは不意に自らの考えを口にした。


「人体錬成は禁忌とはいえ幾つか成功事例がありますよね?どうして肉体ではなく、人形としての復活を彼女は行おうとしたんでしょうか」


「それは、あくまで俺の意見だが...人体丸々を復活させるより、依り代に魂を下ろした方が効率も良かったんだろう。それに、人形なら壊れても直す事が出来るし、魂を下ろした核さえあれば永遠に傍にいられる...マティアスが造っていた人形を使うのにも意味があったんじゃないか?」

 ランスの意見を聞いてフィーロは納得する。


「そうだな、確かにエマにとってマティアスの人形にその魂を下ろす事は悲願だった。だが、それを実現させる為にあの子は犯してははならない罪を犯してしまった」



 マティアスが組み上げた理論と術式をもとにエマは来る日も来る日も実験を繰り返した。

 マティアスの遺体から数か所の遺骨を抜き取り、それを人形の雛形に埋め込んだ後、エマは人形の容姿をマティアスに似せて構築を始めた。


 人形の容姿が完成すると、今度は核になるモノを捜した。

 魔術でも術を使う時に道具などを用いる。力や魔術の制御には触媒が必要だった。


 マティアスの身体を動かす魔術回路の要。初めは、水晶などの鉱物を利用した。次に、杖の材料にも使われる木材や魔獣の一部。自分の血を触媒に使ってみたが、どれもうまくいかなかった。


 作業に没頭する中で、マティアスを失った哀しみと共に、エマは人間を憎むようになっていた。

 マティアスの弔いを行った際、ある街の人が言った言葉がエマの頭から離れずにいた。


『ヴァンパイアの女に情が移ったから殺されたんだ!』


 身を隠して、知らないふりを出来た筈なのに、それでも果敢に襲撃者に立ち向かって行って死んだマティアスを冒涜する言葉。


 たった一言がエマの憎しみを強くしていた。


 マティアスを蘇らせる。その思いだけを気力にエマはようやく、マティアスの人形を完成させ、魂を下ろす段階まで辿り着いた。


 結局、エマは魔術回路の核に賢者の石を使うことにした。


 それは以前、城の宝物庫に保管されていたものを見つけ、こっそり持ち出していたものだった。


 核となる賢者の石を人形の胸に設置し、強化すると、エマは自身の魔力を石に注ぎ込んだ。


 カラカラと、歯車の乾いた音が人形の内部から響いてくる。

 どうやら、全身に張り巡らせた生き物の神経に見立てた糸に雷の魔力が回ったらしい。


 深く息をついてエマは、今度は文献から見つけ出した反魂の魔術を発動させた。

 足元に描いた魔法陣が淡い光を放ち、人形の周りに集まっていく。


「開け、開け、冥界の門。女神の懐に抱かれ師魂を、再び地上へと降ろせ」


 バチバチと、雷鳴が轟、エマと人形の周りに小さな嵐が巻き起こる。

 工房のある空には暗雲が立ち込め、詠唱が終わる瞬間、一筋の雷が落ちた。

 雷電が停滞し、帯となって人形の周りに漂う。


「...」


 零れそうな程にその様子を見守っていたエマの目の前で、それまで閉じられていた人形の瞼が開く。瞳の代わりに入れた玉にはぼんやりとだが微かな光が宿っていた。


「...マティアス...」


 微かに声を震わせて、エマは愛しき者の名を呼ぶ。

 その声に、まるで呼応するように人形は彼女の方を見つめた。


 そこには、確かに意識があった。

 だが、マティアスの魂を宿した筈の人形はエマの呼びかけに反応はしたものの、言葉を発する事はなく、ただ哀し気に彼女を見つめた。


「マティアス、私よ...エマよ。分かる?」

 必死の思いでエマは目の前の人形に話しかける。だが、人形は何も話してはくれなかた。


「どうして...魂の錬成には成功したのに...なんで喋ってくれないの...」


 力が抜ける様にエマはその場に座り込む。

 そんな彼女を気遣うかのように、マティアスの人形は自ら動き出し、彼女の傍に膝を折った。


「貴方、マティアスなのよね?」


 エマの問いかけに、マティアスの人形は沈黙をしたまま、それでもエマの腕を引いて立ち上がらせようとした。


 意識はある。自分の意志で行動することが出来る人形。

 それは、マティアスが造り出そうとした研究のまさに成功例だった。


 だが、エマが欲しかったのはマティアス本人。

 生前のように優しく自分を抱きしめてくれる存在だった。


「何か理論が間違ってたの?何が足りないの...」


 うろうろと視線を彷徨わせ、何度も組み上げた理論を確認する。

 だが、間違っている部分は見つけられなかった。


 それからエマはまた研究にのめり込んだ。そんな彼女を話せないながらもマティアスの人形は支えていた。



 マティアスの人形が意識を持って一年が経った頃、工房に一人の人物が訪ねてきた。


 黒い髪に紅い瞳。小麦色の肌をした独特の雰囲気を宿した少年だった。


「初めまして、貴方がエマ・フォン・ドレイク嬢ですか?」

 柔和な人懐っこい笑みを浮かべた少年はエマに声を掛けた。


「貴方は...」


 既に長い月日をかけて研究に没頭していたエマにとって、その少年は久方ぶりに会話を交わす人物だった。


「恋人の魂を、完全な形で蘇らせたいと思いませんか?」

 少年の言葉はエマにとってまるで神の啓示のように聞こえたかもしれない。


「出来るの...?」


「ええ、その代わり、貴方には協力して頂きたい事があります」


「方法があるのね、いいわ、私に出来る事ならなんでもする」

 エマが食いついたのに、少年は不敵な笑みを口元に刻む。


「彼の魂を完全な形で復活させるには、人間の血が必要です。それを集める手伝いの傍ら、教会と戦ってくれませんか?」


 マティアスを失う前の彼女なら、きっと少年の誘いには乗らなかっただろう。それどころか、その場で少年を殺していたかもしれない。けれど、恋人を失い、研究の末に中途半端な形で蘇らせてしまった恋人を完全な形で蘇らせる術を求めていたエマにとって、少年の誘いはまさに悪魔の囁きだった。


 ましてや、人間に対して恨みを抱いていたエマにとって、人間を殺す事は既に罪の意識から消えていたのだ。


「...それで、この理論が完成するなら...私は夜の女神を裏切るわ」

 真っ直ぐに少年を見つめてエマは告げる。


「そういってくれると思っていました。エマ。今日から貴方は僕等の仲間です」

 柔らかで人を引き付ける笑顔を浮かべて少年は手を差し出した。

 差し出された手をエマは迷う事なく取る。


 その少年が、人間と魔族との間で起きた大戦を陰から操っていた存在。ヴェドゴニヤの宿敵であるクドラクの王だということにエマが気づくのに時間はかからなかった。









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