ー第十二章ー紫電の魔女と銀月の魔女~



 エマがクドラクの王の誘いに乗ってから間もなくして人間と魔族の百年にも渡る戦争が始まった。


 エマがマティアスの工房に籠っている間に戦禍は南と東の間から大陸全土へと広がっていた。


 南のヴァンパイア王の軍勢に加わったエマはマティアスと共に造り上げた指示通りに動く人形達を引き連れ、魔族達を統率しながら教会率いる人間側の軍勢と東のヴァンパイア王の軍勢を相手に激しい戦いを繰り広げた。


 大戦の始めの頃は、魔族対人間という構図ではなく、人間側に協力した魔族も戦いに参戦していた。


 その筆頭であったのが、東のヴァンパイア王であるルキウス達と、ヴェドゴニア達だった。


 北の王であるバーレイグはルキウスとの同盟の下、人間側に着いて自身の領地に戦禍が及ばぬよう尽力していた。


 工房に籠っていたエマが戦に参戦したという事が分かったのは、戦場が南東側から大陸の中央部に広がり始めた頃のことだった。




 教会側からの報告を受けたバーレイグは書状を手に握り締めたまま言葉を失った。

「何故エマが...」

 それは、戦場で人形の軍勢を率い自らも将として戦場に出たエマの様子が伝えられた為だった。


「まさか...工房に籠っていたのは人間に復讐する為だったのか...」

 娘の愚行にバーレイグは頭を抱え、思わず椅子に座り込んだ。


「エマ嬢が南側に...魔女が味方に付いたと広がれば、あちらの士気も上がるでしょうね」

 バーレイグの傍で報告を聞いていたルキウスも神妙な面持ちで書状を覗き込んだ。


「報告には、エマ嬢は人間だけで編成された軍勢のみを襲撃しているようだ。それも、人間を捕える様な動きをしている...これはなにかあるのかもしれないですね」

 報告書の情報から何かを読み取ったのか、ルキウスは自身の考えを口にする。


「翁、何か心当たりはないですか?彼女をこの戦禍に取り込むような要因は」

「あの子はマティアスの工房に籠ってずっと何かの研究を行っていた...その研究が何か分かればエマを止める手段もあるかもしれんが」

 難しい顔をしてバーレイグは腕を組んで考え込む。


「もう少し情報が欲しいですね」

 考え込むバーレイグを前にルキウスは気遣うように言葉を紡いだ。


「まさか...実の娘と争う事になろうとはな...しかし、あの子が恋人を失った事を知っている者は少ない筈...ましてや、工房に籠っていたエマがこの戦いの事を知っていたとは思えん...」


「そうなると、誰かが手引きした...?」


 バーレイグとルキウスが少ない情報を頼りに考察をしていると、二人がいる応接室の外から入室を告げる声がした。


「ご歓談中失礼致します」

 鈴を鳴らしたような澄んだ声が室内に響き渡る。

 振り返ると、そこには白いワンピースドレスに身を包んだ銀色の髪の少女が立っていた。


「イリヤ」

 会釈をして入室してきた少女をルキウスは柔和な笑みを浮かべて出迎えた。


「クリスタリアの聖都に行っていたのではなかったのかい?」


「はい、聖王殿にはお会いしてきましたよ。一度里に戻るために移動中に紫電の魔女の話を耳に挟みましたので、少し気になって」

 ルキウスの問いかけに、イリヤと呼ばれた少女は穏やかな声音で答えた。


「ご無沙汰しております、ドレイク卿」

「これはヴェドゴニヤの巫女姫殿。このような時でなければ東の王との婚約に対しての祝辞を述べさせて頂くのだが」


 寂しげに眉を歪ませて腰を折るバーレイグにイリヤ・フォン。ロードナイトは慌てた様子でバーレイグに頭を上げてくれるよう懇願した。


「閣下、面を上げて下さい、そのことは良いのです...東の王とのことは、この世界が平和になってからでも遅くはないのですから」

 バーレイグの前に膝を折り、イリヤはすべてを慈しむ笑みを浮かべる。


「今は一日も早く平安を取り戻しましょう。お母様もそれを望んでいらっしゃます」

「そうだな、女神の憂いを晴らすのも我らが役目」

 顔を上げ、イリヤを見つめてバーレイグは強く頷いた。


「それで、紫電の魔女のお話ですが...彼女が人間を捕えているという部分に、心当たりがあります。お話させて頂いてもよろしいでしょうか」


「構わぬ。打開策があるのだな」


「はい。ですが...閣下にはきっと残酷なお話になるかと思いますが...よろしいですか?」

 それまでの穏やかな表情とは打って変る、真剣で険しい表情でイリヤは唇を持ち上げた。


「以前、南の女王が人間の生き血を求めた事件がありました。もし、それに近い形の事が起こっているのなら、紫電の魔女は人間の生き血を集めて何かを行おうとしているのかもしれません。おおよそそういった場合に行われるのは...何かの召喚」


「エマ嬢が人間の血を使ってでも召喚したいものとは...」

 イリヤとルキウスはエマが血を集めている理由を考える。

 そんな二人とは違い、バーレイグははたとある事に気付いてしまった。


「...まさか...」


「翁?何か心当たりが?」

 驚愕に目を見開くバーレイグを見つめ、ルキウスは息を潜めて問いかける。


「いかんっ直ぐにエマを止めなければ」

 今にも飛び出して行きそうな勢いのバーレイグの肩を掴み、ルキウスはそれを止める。


「待って下さい。一体エマ嬢に何があったというのです」


「エマはこの間のツアーンラートの襲撃の際に恋人を亡くしている。あの子が蘇らせたいと願うならそれしかない」


「そうなると、術式を発動する場所が必要になります。それを突き止めて、そこで待ち伏せをしましょう」


「直ぐに調査隊を派遣しよう」

 イリヤの見解にルキウスは早速行動を起こす。


 部下に指示を出して行動を開始したルキウスにバーレイグは覇気のない声で礼を口にする。


「すまない、私がもう少しあの子に気を配っていれば」


「貴方のせいではありません。少なくとも、彼女を修羅の道へ導いた者がいる筈。それを倒しましょう」


「そうだな...エマを止めるのが最優先だな」

 衝撃に動揺した自分を奮い立たせバーレイグは覇気を取り戻した。





 長くなる話をフィーロとランスはバーレイグと夕食を囲みながら聞く形になっていた。

「それから、私達はエマの行動を調査した。そして、あの子がこのツアーンラートの街に魔法陣を組み立てていたのを突き止めたのだ」

「...ツアーンラートの街の形が六角形なのはその時の魔法陣の名残なのですね」

「そうだ」

「やっぱり、あの形には意味があったんだな。あの形って、今も機能しているのか?」

「それには、この先の話を聞けばわかる」

「続きをお願いします」 

 うむと頷いて バーレイグは口を開いた。





 千を超える人間の血を集めたエマは自身の生まれ故郷であるツアーンラートに巨大な魔法陣を組み立てていた。


「これで、マティアスの魂を完全なモノとして復活させられるのね」

「流石は紫電の魔女。見事な手際ですね」


「あとは、次の満月に魔術を発動するだけ...それまでは戦に加わるわ」


「それは助かります。南の女王は人間を殺したくて仕方ないようですから」

 少年らしい満面の笑みを浮かべる彼をエマは感情のない瞳で見つめた。


 目的の為とはいえ、人間を殺すことに初めは躊躇いを感じてもいた。しかし、殺していけばいくほどにその感情は薄れていき、今はなんの罪悪感も浮かばなかった。


 そんな彼女ですら、目の前の少年や南の女王の人間に対する容赦の無さには僅かだが嫌悪感を感じていた。


(マティアスが蘇ったら私は手を引こう...これ以上関わってまた失うような事はしたくない...)


 それは、エマなりの人間への贖罪であり、本音でもあった。

 そんな彼女の想いを知ってか知らずか、少年は不敵な笑みを浮かべ、自分に背を受けるエマは見つめた。


「では、僕はこれで。戦果に期待していますよ。紫電の魔女」


「貴方も暗躍しすぎて痛い目をみないようにね、クドラクの王」

 背後で去っていく少年の気配を感じながらエマは別れの言葉を紡ぐ。


「次に会えるのを楽しみにしているよ」

 扉から出て行く前に少年は肩越しにエマを振り返り、エマに微笑みかけた。

 その笑みにどんな意味があったのか、今は誰も知る由もない。




 時は来た。


 東のヴァンパイア王・ルキウスの下にエマが前線を離れたという一報が齎されたのは、エマがマティアス復活の為の儀式を行う為の術式を完成させ、それを発動させる二日前の事だった。


 既にエマが故郷の地で何かを行うというのを分かっていたルキウスは、部下にエマの動向を探らせていた。


「俺は前線を離れる訳にはいかない。イリヤ、エマ嬢の事は君に任せるよ」

 北の地への週発前夜。ルキウスはイリヤの肩に手を添え、穏やかにそう告げた。


「ええ、心得ました。同じ魔女として。クドラクに堕ちた者をヴェドゴニヤとしては見過ごすわけには参りません。全力を尽くします」

 強く頷く銀月の魔女の髪を一房取ると、ルキウスはそこに優しく口づけた。


「気を付けて」

「貴方も...ルキウス」

 ルキウスの手に触れ、イリヤは目を細めて微笑んだ。


「では、行ってきます」

 僅かな時間の別れを惜しむことはせず、イリヤはヴァンパイア王への敬意を払うように一礼すると、長い銀糸の髪を揺らして本陣から北へ向けて旅立った。


「別れの挨拶は済んだのか?」

 本陣の外に配置した馬車の下に早めにやってきたイリヤにバーレイグは問いかける。


「はい。きちんとご挨拶は出来ました。ルキウスも私も大丈夫です」

 これから戦地に赴くというのに、朗らかで落ち着き払ったイリヤの表情にバーレイグは面食らった。


「お主達は、随分あっさりとしておるのだな。もしかしたら今生の別れになるかもしれぬというのに」


「もし、万一にそうなったとしても、私の心はあの方と共にあります。それに、この戦いを終わらせる事が、私の使命ですから」

 真っ直ぐな強い意志を宿す瑠璃色の瞳を細めてイリヤは小首を傾ける。


「強いな。お主は」


「そうでしょうか?私は私の信念に従っているだけですよ」

 キョトンと、バーレイグの言葉が意外だったのか、イリヤは大きく目を見開いた。


「いや、それであるなら私も心強い。では、向かうとしよう。ツアーンラートへ」

「はい」

 外套を翻し馬に跨るバーレイグに返事をし、イリヤは馬車へ乗り込んだ。 

 


 

 戦禍の声の遠いツアーンラートでは、人々は普段と変わらぬ日々を送っていた。

 数年前、何者かの襲撃を受けた傷は少しずつ癒え、都市としての復興はなされていた。


 そんな、人々の営みが続き街の様子をエマは静かに見下ろす。

(いよいよか...)


 胸中で呟いてエマはおもむろに空を見上げた。


 頭上には全ての種族の母のシンボルである月が煌々と輝いている。

 今夜は満月。

 魔族にとって魔力の一番高まる日。

 既に準備は済んでいた。


(後は、中央で術式を発動するだけだ)

 意を決し、エマは人々の寝静まった街に結界を張ると、地上へと降り立った。


 後に噴水広場となる場所に降り立ったエマは、その中心にマティアスの人形に立つように指示をした。

「さあ、始めるわよ」


 これまで集めてきた人間の血を結晶化したモノを人形の周りに配置し、エマは人形の前に立つと、右手を翳して詠唱を始め...。


「そこまでだ!エマ」

 夜の静寂を破るような一喝の声がエマの鼓膜を震わせる。


「なっ」

 突然の父親の声に詠唱に向けていた意識を引き戻したエマは、自身の周りを囲んだ氷の塊に目を見張った。


 バチッと、塊の隙間を埋める様に電流が走り、エマは即席の氷と雷撃の檻に拘束された。


「お父様...どうして」

 驚愕するエマの前にバーレイグは姿を見せる。


 その彼の後ろには教会の騎士団と思しき兵士達が従い、更に周りを取り囲んでいた。


「エマ、これ以上の暴挙を許すわけにはいかん」

 大剣を地面に刺して娘に向かい合いバーレイグは厳しい視線をエマへと向ける。


 そんな父親を冷めた目で見据え、エマは溜息をついた。

「今更止めに来るなんて...いいわ、相手になるわ」


 両手に雷を纏わせ、自分を囲む檻を破壊するべくエマは力を籠める。


 だが、それは地面から伸びて来た鎖に巻き取られ行動を封じられた為に叶わなかった。


「くっ、なによ...これ...」

 腕や足を皮切りに全身を絡め捕る鎖は赤く、それは金属でできたものではなかった。


「紫電の魔女・エマ。人間を慈しむ身でありながら悪の象徴クドラクに身を堕とした貴方を断罪します」


 澄んだ鈴を鳴らすような声が夜の静寂の中に響き渡る。

 騎士団の並ぶ一部がまるで波が引くように左右に割れ、その間から一人の少女が現れた。


 銀糸の髪を高く結い上げ、瑠璃色の双眸でエマを見つめる人物。


 その少女を見た途端、エマは乾いた笑みを零した。

「銀月の魔女・イリヤ...なるほど、ヴェドゴニヤの巫女が出て来るって事は、私が何をしていたかバレてる訳ね」


「イリヤ殿、貴方をこれ以上見過ごすことはできません。ヴェドゴニヤの使命の下、私は貴方に罰を下します」


 イリヤの手には紅い鎌が握られ、その鎌の柄尻から紅い鎖が伸びていた。

 ジャラと、エマを拘束する鎖がその身体を締め上げていく。


「こんなので私を倒せる訳ないでしょ」


「ええ、ですから、貴方にはこの地の礎になってもらいます。貴方が組み上げた術式を応用して」


 そう言った直後、エマの周りが紅い光で満たされ始めた。それは広場の中央からツアーンラートの街へ広がり、巨大な六芒星を浮かび上がらせていく。


「くそっ」


「この術式には本来なら貴方が集めた人間の血とこの街の人々の魂が使われる予定だったようですが、それを私の血と魔力に置き換えました。...術式を組んだ貴方なら何が起こっているか分かる筈」


 淡々と言葉を紡ぎながら術式を発動させるイリヤをエマは睨みつけ、必死に鎖を解こうと藻掻く。だが、イリヤの、ヴェドゴニヤの血で造られた鎖にはクドラクに身を堕としたエマに振り払うのは困難なことだった。


 身体の自由が奪われていく。

 意識が徐々に薄れ、視界が霞んでいく。

 何故、こんな事になったんだろう。

 自問を繰り返しながらエマは消え行く視線の先に人形を見た。

 悲しげに自分を見つめるマティアスの魂を宿した人形。


 その瞳に、はっきりと意識の光を見つけ、エマは既に出なくなった声でその名を叫んだ。


「マティアス!」

 紅い光がエマの全身を包み込み、その身体を緋色の鉱石の中へと閉じ込める。


「はあ、はあ」

 術式の発動を完了し、イリヤは乱れた呼吸を整えて顔を上げた。


「クルースニクでない私には彼女の魂を拘束することしか出来ません...いずれ、当代のクルースニクが彼女の魂を浄化するでしょう。それまではこの地の護りとして教会に安置しましょう」


 バーレイグにそれを伝え、イリヤは深く息をつく。

 イリヤの説明に頷き、バーレイグは彼女の背中を優しく摩った。


「ヴェドゴニヤの巫女よ。そなたの協力に感謝する。ご苦労であった」

 北のヴァンパイア王としての敬意を示し、バーレイグは礼を口にした。


 二人は、真っ直ぐにエマの身体を封じた鉱石を見つめる。

 その横で、主を失ったマティアスの人形は静かに一部始終を見つめていた。






「それからエマの身体はミッテンヴァルト大聖堂の地下に封じられ、あの教会を中心として結界が組まれた。この事を語り継ぐ為、私達は伝承という形でこれを残したのだ。マティアスの事を街の者達に忘れて欲しくもなかったからな。イリヤ嬢の力で多少人々の記憶を改竄はしたが、それもマティアスとエマに関わる事柄だけだ」

 食後のデザートに手を付けながらフィーロは複雑な表情でバーレイグの話に耳を傾けた。


「...その、マティアスの魂を宿したという人形はその後は...」

 ふと疑問になった事をフィーロは問いかける。


「あの人形は本当に魂を宿していたからな。壊す訳にもいかず、その後は機能を停止させてマティアスが使っていた工房の地下で眠っていたのだ。いずれ、クルースニクがエマを浄化する時に共に天へ送ってもらう為に...だが、二月前、忽然と姿を消した。いや、何者かに持ち去られたというべきか...工房の場所は誰にも分らぬように結界を張っていたのだが...それが破られてな」


「その結界、銀月の魔女が張ったものですか?」

 フィーロの問いかけにバーレイグは頷く。


「ということは...結界を破ったのはクドラクである可能性が高いですね...」

「そうだ」

 だからこそ、自分が呼んたのだとバーレイグは再びフィーロに告げる。


「改めて言おう。退魔師フィーロ・フィロフェロイ・ストラウス。貴殿に事件解決を依頼したい。引き受けてくれるだろうか」

 背筋を正し、真っ直ぐにフィーロを見つめるバーレイグ、

 その視線を受け止めてフィーロは自身も背筋を正して強く頷いた。


「退魔師フィーロ・フィロフェロイ・ストラウス。北のヴァンパイア王・バーレイグ・フォン。ドレイク様の依頼。謹んでお受けいたします」

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