ー第十五章~雪解けの後で~



 紫電の魔女・エマ・フォン・ドレイクの復活を阻止し、聖職者失踪事件を解決してから三日後。


 ミッテンヴァルト大聖堂は聖都から派遣されてきた調査団の対応に追われ、慌ただしさに包まれていた。


 事件の首謀者であった司教・カリーナ・エーベルヴァインは死亡。彼女の補佐役であった司祭のジョナサン・ブラントは逃亡し、現在指名手配されている。彼は見つかり次第聖都に連行され裁きを受ける事になるだろう。


 フィーロの活躍で生贄にされかけた所で助かったアンジェリカやフランチェスカ、失踪に巻き込まれたイザベラ達は大した怪我もなく、調査団の対応に当たっていた。


 ツアーンラート始まって以来の喧騒に驚きながらも、アルシャは調査団の神父からの事情聴取に丁寧に答えていた。




 ツアーンラートに聖都からの調査団が到着した日。


 フィーロはランスと共に北のヴァンパイア王の居城を訪れていた。

 その手には布に包まれた木箱が携えられ、フィーロはそれをバーレイグへと手渡した。


「姫君の灰とマティアスの遺骸です」

 そう言って渡された木箱をバーレイグは静かに受け取った。


「ご苦労だったな。貴殿がいなければエマもマティアスも救われなかった。礼を言う」


「いえ、僕はただ、仕事をしただけですから」

 優しく微笑みかけてくるバーレイグを真っ直ぐに見られず、フィーロは僅かに視線を逸らす。


 これで良かったのか、フィーロには分からなかった。


 ほんのささいなすれ違いが、未曾有の戦乱を呼ぶきっかけになった事は間違いない。だが、もしかしたら違う形で罪を贖う事が出来たのではないか。


 潔い彼女の最期をフィーロはどうしても理解出来なかった。


 何故、エマはマティアスと心が通じた途端、自らの罪を受け入れたのだろう。

 それまで、執着していた事が一瞬にして昇華された。

 あれが、彼女の本心だったのだろうか。


「閣下、一つお聞きしてもよろしいですか?」

 エマの最期を話し終え、フィーロは不意に問いをバーレイグに投げかける。


「なんだ?」


「エマ殿は...何故、マティアスを蘇らせる事に執着したのに、最期に彼と言葉を交わせただけで、自らの過ちを振り返れたのでしょうか?愛する者を失う哀しみは今回も同じであった筈なのに...」


 ぽつりと、紡がれたフィーロの言葉にバーレイグは目を見開いて驚いた後、何処か寂しげな表情を浮かべてフィーロの顔を見つめた。


「貴殿は、誰かを強く恋焦がれた事はあるか?」

 唐突な問いかけにフィーロは小さく頭を振る。


「そうか...では、愛する大切な者を失った経験は?」


「ありません。僕には、愛というものが分かりません...だから、彼女の最期の行動が分からないのでしょうか?」


 まるで、置いてきぼりにされた迷子のような、頼りなく、縋り付くような瞳にバーレイグはフィーロの肩にそっと手を置いた。


「ふむ、そういえば貴殿は孤児院で育ったのであったな」


 フィーロの生い立ちを反芻しバーレイグは柔らかな眼差しでフィーロを見つめ、ゆっくりと話始めた。


「恐らく、エマはマティアスが死んだ事をずっと受け入れられずにいたのだ。その亡骸を目にしても、マティアスが死んだ現実をあの子は頑なに否定し続けた。その結果が人形に彼の者の魂を蘇らせる術であった。ところが、魂を復元できても、自分との記憶がない事で、更に絶望は深くなった。だから、クドラクの誘いに乗り、大戦のきっかけを作ってしまった。だが、今回の事で、エマはマティアスと最期に言葉を交わせた。それは、愛しい者の死を受け入れることに繋がったのだ。だからこそ、自らの過ちを認め、貴殿に希望を託したのだと、私は思う」


 まるで、宿題の答え合わせをする教師のようなバーレイグの言葉にフィーロは靄が晴れて行くような感覚を味わった。


「しかし、エマがクドラクの誘いに乗ってしまった原因は私にもある。もう少しあの子に気をかけていればよかったと、今でも後悔しているさ」


 父親としての後悔を吐露し、バーレイグは深く息を吐き出す。

 それは、長年抱き続けた思いに決着がついた事を示す長い吐息だった。


「さて、フィーロ。折角この北の居城に来たのだ、お主に一つ、伝えておこうと思った事がある」

 話題を変える様に切り出したバーレイグにフィーロはキョトンと目を丸くした。


「何ですか?」

 興味を抱き、訊ねてくるフィーロにバーレイグは悪戯っ子のような笑みを浮かべて口を開いた。


「貴殿はな、この城で生まれたのだ。まだ大戦の事後処理に追われていたナハトが貴殿を身籠っていた時に、この城に彼女とそのサーヴァント達を私が匿っていた」


「え...」

 予期せぬ告白にフィーロは驚愕しつつ既視感の様な物を感じていた理由が、腑に落ちた気がした。


「私はな、貴殿が死産であったと聞かされていたのだ。だから、噂は聞いていても、貴殿が本当にナハトの子か、この目で確かめるまではずっと疑心暗鬼だったのだ。こうして貴殿に会えて、嬉しかったぞ」


 心からの喜びの言葉にフィーロは、どう対応していいか分からず、視線を彷徨わせると、隣に座るランスに助けを求めた。


「素直に喜べば?」

「いや...だって、」


 困惑しているフィーロの頭をバーレイグはまるで我が子のように優しく撫でる。

「大きくなったな。フィーロ」


 それは、初めて味わう感覚で、ふわふわと雲の上に乗っているような心地だった。


 振り払おうとしないのは、きっと本音では嬉しいから。だが、それを素直に口にする事がフィーロは出来なかった。


「今後、何かあった時は私を頼るといい。聖都には息子達がいるから力になるように伝えておこう。また、貴殿の顔を見られるのを楽しみにしているぞ」


 厳格で知られる北のヴァンパイア王がすっかり上機嫌なのにランスは内心苦笑した。


 初めてこの城に来た時、フィーロに対する待遇が子供というより、孫に近かった事を納得した。


 フィーロの母であり、このクリスタリア公国の聖王ナハトは、先の大戦で紫電の魔女・エマ・フォン・ドレイクを封印した銀月の魔女にしてヴェドゴニヤの巫女であるイリヤ・フォン・ロードナイトと先代の東のヴァンパイア王・ルキウス・フォン・スカーレット・ペンドラゴンの娘である。


 イリヤとルキウス、二人と交流があり、ナハトを娘のように思っていたのだとしたら。

 バーレイグにとって、フィーロは孫のような存在なのかもしれない。


「あ、ありがとうございます...」

 思わぬ北のヴァンパイア王からの申し出にフィーロはこちなく礼を口にした。


「さて、ここに暫く泊まって行けと言いたい処だが、貴殿も退魔師としての役目があろう。そろそろ、戻るがいい」


「はい、またいずれお目に掛れるのを楽しみにしております」

 はにかんだ笑みを浮かべフィーロはバーレイグに会釈をして、ソファから立ち上がった。 


 



 バーレイグとその従者であるシルヴィオの見送りを受けてフィーロとランスはツアーンラートの街へと戻ってきた。


 街は、魔女の復活という大事件があったにも関わらず、普段と変わらぬ賑わいを見せている。


 壊された筈のマティアスの銅像はいつの間にか修復され、以前と変わらぬ位置に立って伝承を伝えている。


「大分誇張されてたな」

「でも、人間が全てを知る必要はないでしょう」


 伝えられてきた伝承と真実の違いを改めて確認しながら、フィーロとランスは顔を見合わせて頷き合った。


「そういえば、ランス。もう不調は大丈夫なんですか?」

 ふと、この街に降り立ってからの従者の体調不良を思い出し、フィーロは確認するようにランスに訊ねる。


「ああ、恐らくあれは魔女の魔力が漏れていた事による呪詛みたいなものだったんだろうな。今はなんも感じないぜ」


 腕を曲げて力瘤を作りランスは全快をアピールする。

 それを見てフィーロはホッと胸を撫で下ろした。


「そういや、なんでお前は平気だったんだ?」

 ずっと疑問に思っていた事をランスは敢えて口に出す。


 その疑問にはフィーロなりに一つの見解があった。

「あくまで憶測ですけど...おばあちゃんのご加護かも」


 ニヤリと笑うフィーロの見解にランスは、なるほど、と納得した。


 紫電の魔女の封印を施したのは銀月の魔女イリヤ。彼女はフィーロにとって祖母に当たるヒトだ。彼女の血族に対する加護が働いていたとしたら、フィーロがエマの呪詛から護られていたとしても不思議ではない。


「つくづく、今回の事件はお前にしか解決出来なかった訳か」


「さあ?結果が良かっただけで、別に僕じゃなくてもよかったかもしれませんよ」

 肩を竦め、謙虚に振る舞うフィーロの態度にランスは苦笑した。


「そういう事にしておいてやるよ、マスター」

 頭の後ろで腕を組みランスはそれ以上会話を続ける事はしなかった。


 そうこうしているうちに二人はミッテンヴァルト大聖堂へと戻ってきた。

「フィーロ様、ランスさん、お帰りなさい」

 教会の敷地に入ると、孤児院の子供達と遊んでいたアルシャが二人の帰還に気づき、駆け寄ってきた。


「ただいま戻りました。シスター達は?」


「まだ、聖都からの調査団の方達と色々話をしています。そうだ、調査団の隊長さんがフィーロ様が戻ったらお話を聞きたいからと仰っていました」


「分かりました。案内してもらえますか?」

 フィーロの頼みに頷き、アルシャは孤児院の子供達の元に駆け寄って、その事を伝えた後、再び戻ってきた。


「こちらです」

 アルシャの案内で連れて来られたのは、応接室だった。


「戻って来られたのですね」

 そこで待っていた聖天教会の調査団の隊長がフィーロを出迎える。


「フィロフェロイ神父、今回の事件についてのお話を簡単にお聞かせ下さい」

「ええ、もちろん」


 ソファに腰かけてフィーロは、調査団の隊長に事件のあらましを説明する。


「...これは、なかなか政治的な側面が絡んだものですね...」

 フィーロからの事件の経緯を聞いて、隊長は眉間に皺を寄せた。


「紫電の魔女の事自体、教会は隠匿していた訳ですからね。クドラクの残党がいる事もあまり公にするのはまずいと思いますよ」


 フィーロの意見に隊長はこくりと頷く。ようやく平和がお訪れた今、クドラクが再び暗躍しているとなれば、国に不安が広がるだろう。


「この案件は慎重に捜査致します。フィロフェロイ神父もくれぐれも他言せぬように」


「少なくとも僕は退魔師課所長であるハイライト所長以外に話すつもりはありませんから。報告書は上げないとならないので」


「それは承知しております」 

 フィーロの答えに隊長は重い表情のまま静かに頷いた。


「僕の話は以上です」


「分かりました。ご協力ありがとうございました」


「今後、ツアーンラートはどうなるのですか?」

 ふと、疑問に思いフィーロは今後のこの街の行く末が気になり、徐に訊ねてみる。


「暫くこの教会は聖都の直轄部隊が整備を行います。司教が不在になってしまいましたからね。聖都にて選定後、新たな司教が赴任する予定です」


「そうですか、今度は身辺調査をしっかりして、司教を選定した方がいいですよ」

 ひらりとローブの裾を翻してソファから立ち上がり、フィーロは会釈をして応接室から去ろうとする。


「フィロフェロイ神父、今後はいかがなさるおつもりで?」

 隊長の問いかけに、フィーロは肩越しに彼を振り返り、口を開く。


「明日にはここを立ちます。聖都に戻って報告書を書かないと」

 ニコリと、神父らしい慈愛に満ちた笑みを隊長に向けてから、フィーロは応接室から身を引いた。





 翌日の出発に備えて荷物の整理をしていると、居室の扉をノックする音が聞こえた。

 扉を開けてランスが廊下に出ると、そこにはアルシャが立っていた。


「ようアルシャ、どうした?」

 部屋に入るようにランスに招かれてアルシャは居室へと足を踏み入れる。


「あの、フィーロ様」

「どうしましたアルシャ君?もしかして、僕等が旅立つのが寂しいとか、言いに来ました?」


 トランクに荷物を詰め込みながら、フィーロは皮肉を込めてアルシャに声を掛けた。


「いえ、そうじゃなくて...寂しいのは事実ですけど...」


「君には色々とお世話になりましたからね。ランス、お茶入れて下さい。別れを惜しむのも悪くないでしょう」


 ニヤニヤとしている主の指示にランスは肩を竦めて応じる。

 お湯を貰いにランスが居室を出て行くのを見送ってから、フィーロはアルシャに椅子に座るように促した。


「それで、どうしました?」

 アルシャの前の椅子に腰かけてフィーロはテーブルに肘をついて手の甲に顎を載せると、小首を傾げてアルシャを見つめた。


「あの、退魔師にはどうやったらなれるのでしょうか?」

 意外な質問にフィーロは一瞬目を丸くする。が、先の紫電の魔女の復活の際、アルシャが魔術を使えていたのを思い出し、ふむと真剣な表情で耳を傾けた。


「あの時の魔術は何処で覚えたんですか?」


「独学です。この街には退魔師や魔術師はいないから...書架にあった魔術の本を見て、見よう見真似で...」


 独学でといったアルシャの言葉にフィーロは思わずかつての自分を重ねた。

 孤児院で育った幼少期、自身も書架の本で必死に勉強していた。


「アルシャ君は、どうして退魔師になりたいんですか?」

 それとなく理由をフィーロは訊ねてみる。それに、彼らしい真っ直ぐな答えが返ってきた。


「私は、このツアーンラートの退魔師になりたいんです。この街が北のヴァンパイア王の庇護を受けているのは知っています。でも、それでは駄目だと思うんです。護られてばかりじゃ、北のヴァンパイア王に悪いかなって...私達が護られてばかりだったから、マティアスの悲劇が生まれたんだと私は思っています」


 この街で生まれた者は当たり前のように魔族の庇護を感じている。だが、理不尽な事が起こった時、その矛先を向けられるのも北のヴァンパイア王とその一族だ。

 護られてばかりでは、その有難みは簡単に薄れてしまう。


 アルシャがその考えに至ったのが今回の一件が要因なのか、それとも他に理由があるのか。


「実は僕、ファミリーネームはクロックというんです。マティアスは僕の父の大伯父に当たる人で、父が亡くなる前にマティアスの事を聞いていたんです。この街を護ろうとして死んだ錬金術師の話を...退魔師がいたら、もしかしたらあの襲撃は防げたかもしれないと、生前父は語っていました」


 アルシャから告げられた話をフィーロは胸中で反芻する。


 だから、カリーノがアルシャを最後の生贄にしようとしていた。けれど、エマはそれをさせなかったのは、その事に気づいていたからかもしれない。


(この街に来た時からやたらと協力的だったのは、彼が退魔師志願者だったからだったのか)


 事件が解決して様々な疑問が解けていく。


 目の前の退魔師見習いの卵を前に、フィーロは彼の質問に答える事にした。

 きっと、彼は良き退魔師になる。

 そんな確信がフィーロの中には浮かんでいた。


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