第三部見習い退魔師フィーロの前奏曲(プレリュード)

~Prologue~



 それは、ほんの昔の隠された真実。

 本人ですら知らない隠された事実。

 ある吹雪の晩。

 雪と氷に閉ざされ、北の地に忘れ去られたある出来事。




 ガタガタと、風に煽られた窓が忙しなく音を立てる。


 厚く閉じられたビロードのカーテンの隙間から窓の外に目を向ければ、外は白闇に閉ざされていた。


 吹雪の吹きすさぶ中、臙脂色のローブを身に纏い、真紅の髪を揺らして男は苛立たしげに床に何度も爪先を打ち付けた。


「おい、まだ終わらないのか」


 苛立ちを露わにしながら、アーノルド・ストラウスはおもむろに口を開いた。


「一体何度目なの、それ?」


 アルトの愚痴に答えたのは、彼の立つ窓際の向かいにあるソファに腰を下ろしていた金髪の女だった。


「彼女の事はレベッカに任せるしかないでしょ。そんなに待ってるのが辛いなら、彼女の代わりに聖務でもしてきなさいよ」


 気だるげにソファに身体を横たえているルヴァン・ファーマシーは、欠伸をしながら小言のように言い放った。


「……」


 ルヴァンの言い分に言い返せずアルトはそのまま再び押し黙った。


 室内には三人の人物がいた。苛立ちながら室内を落ち着きなく歩くアルト。部屋の中央委据えられたソファに腰を下ろすルヴァン。そして、二人から離れ、窓の外を眺めていた黒銀の髪の男ーミフネ・シュバルツ・ルーガルー。


 彼らは、今朝からずっとこの部屋である知らせをまっていた。



 ギイィ…。木の扉が擦れる独特の音が室内に響く。


 その音にその場にいた誰もが一斉に扉の方に視線を向けた。


 部屋に入って来たのは、小さな少女だった。いや、見ようによってはその子供は少年にも見える。中性的な容姿の子供は部屋に入るなり、赤毛の男の元へ歩み寄り、恭しく一礼した。


「東のヴァンパイア王にして、聖王軍元帥・アーノルド・ストラウス様。我が主、レベッカ・ラングレーの命により、貴殿を迎えに参りました」


 甲高く済んだ声音で子供は淡々と男へ告げる。


「…分かった」


 鋭く重さを持った蒼い瞳で子供を見下ろし、アルトは静かに頷いた。


 ローブの裾を翻し、アルトは入口の方へ歩き出す。


「お前等も来い、アイツを想う気持ちは俺と変わらないだろう」


 アルトの促しに、その場にいたルヴァンと、窓際にいたミフネが頷いた。


 子供に導かれるようにして三人は部屋を出た。




「来たね」


 開かれた扉の先には奇妙な空間が広がっていた。


 壁には様々な模様の描かれたタペストリーが貼られ、部屋に置かれた戸棚やチェストには、水晶玉や様々な薬品の瓶。動物の骨、何かを象った像等が置かれている。


 その中央には、紫を基調にしたソファや紫檀のテーブルがあり、一人掛けのソファには一人の少女が腰かけていた。


 ドレスを短くしたようなゴシック調の黒の上下を身に着け、ボブカットに整えられた黒髪にはフリルのついた黒いカチューシャが嵌められている。


 愛らしい顔立ちに、悪戯っぽい表情の少女はその見た目とは裏腹に異様な威厳ある雰囲気を纏っていた。


 甲高い声音に迎えられ、部屋に入った三人はすかさず彼女が座るソファまで歩み寄った。


「レベッカ!ナハトは、アイツはどうなったんだ⁉」


 レベッカと呼んだ少女に近づくなりアルトは険しくなった表情で、牙を剥き出しにして詰め寄った。


「少しは落ち着きなよ。ちゃんと話すからさ」


 険しい顔の男とは対照的に穏やかな表情でレベッカはアルトにソファへ座るように促した。


 納得がいかないと言いたげながらも、渋々アルトはレベッカの目の前にある一人掛けのソファに腰を下ろした。


 アルトに続くように、共に入って来た二人もそれぞれアルトとレベッカの左右にある二人掛けのソファに向かい合うように座った。


 三人が腰を下ろしたのを確認したレベッカは小さく息をつく。


「さてと、全員揃ったことだし、お話を始めようかな」


 足を組んで膝の上で指を組んだレベッカは、スッと姿勢を正して三人を見据えた。


「我らが愛しき主にして、この国の尊き聖女・ナハト・ロードナイトの胎内に宿ったのは、創世の時代にこの世界を救った守護神〝クルースニク〟の後継者だよ」


「クルースニク…ヴェドゴニヤの祖とも呼ばれる種族ね…確か、ラグナロクの時に魔族を率いて人間達を滅ぼそうとしたクドラクと七日七晩戦い続けて勝利し、人間と魔族の秩序を護った最古の英雄」


「確か、クルースニクはヴェドゴニヤの王族に何代かに一度、生まれてくることがあるんじゃなっかったか?」


 ルヴァンとミフネの話にレベッカは、うんうんと満足そうに頷く。


「流石は侍女長と騎士団長だね。主の種族については実に博識だ」


「でも、クルースニクが王族の女性に宿るのは不思議なことでないでしょう?たまたまそれがナハトちゃんに回っただけで…」


 頬に手を添えて首を傾げる女の言葉に頷きレベッカは話を始めた。


「そう、本来クルースニクを宿した女児は昔から巫女として一族でも特別な存在として珍重されてきた。但し、本来なら、ね」


 意味深な彼女の言葉に、三人は眉を顰めた。


「それが、今のアイツの状態と何か関係があるんだな…」


 押し殺したアルトの問いに、レベッカは首を縦に振る。それを見てアルトは苦しげに奥歯を噛み締めた。


「ナハトの場合、魔族として覚醒してからまだ日が浅い上、女性として成熟も不十分。おまけに先の戦いの時に消費した魔力が完全には戻ってなくてさ…そんな身体でクルースニクなんていう強大な魔力を有した魂が宿っちゃたから、かなりの負荷がかかってる。このままだと、かなり危険な状態だよ」


「それをなんとかするのが聖女付きの魔女の役目だろ」


 アルトの叱責にレベッカは溜息をつく。彼女の事になるといつもこれだ。当たり散らせばいいものでもないのに。だが、もう長い付き合いの彼の性格は慣れっこだった。


「だから、こうして忙しい中全員を集めたんじゃないか。ボクだって暇じゃないけど、大切な彼女の為に手を尽くそうとしてるし、さ」


 肩を竦めながらレベッカはソファから立ち上がる。後ろ手に腕を組んでゆったりと、絨毯貼りの床を歩きながら、更に続けた。


「そういう訳で、彼女の胎内からクルースニクの胎児を取り出す事にしたよ」


「中絶させるっていうの…?」


 レベッカの発言に誰もが一瞬目を見張った。その中でも声を上げたのは金髪の女だった。


「いくら母体に負荷がかかっているからって、仮にも彼女の子供よ⁉彼女がそれを望むとは思えない…自分の為に赤子が死ぬ事になったなんて知ったら、悲しむわ」


「でも、今ボク等は彼女を失う訳にはいかない。まだまだ国の基盤が出来上がっていないのに、象徴であり、指導者たる彼女にはこれからやってもらわなければならない事が山ほどあるのに、こんな所で死なせる事は出来ない」


「それは分かってるけど…」


「子供は死産だったって伝えれば大丈夫だよ。墓くらい立ててあげれば彼女も納得する。子供が欲しいなら落ち着いたらまた作ったらいい…二人とも若いんだしさ」


 ニコリと、レベッカはアルトの方を向いて笑う。彼女の意味深な笑みに、アルトは眉を寄せた。


「今夜にでも胎児を母体から引きはがす施術を行う。ミフネ、手伝ってくれない?」


 唐突に名を呼ばれ、ミフネは怪訝に眉を顰めた。

「何故、私が…」


 訝しむミフネの元に歩み寄り、レベッカは彼の顔を覗き込んだ。


「錬金術師の技術があるでしょ。ボクのアシスタントしてよ」


「…」


 眉間に皺を寄せてミフネはレベッカを見据えた。

 ミフネの煮え切らない表情にレベッカはやれやれと、肩を竦める。


「相変わらず信用されてないな…由緒正しきヴィエドゴニヤの従属たる魔狼(ライカンスロープ)としては、何の繋がりもない魔女は未だに信じられないかな?」


「貴様の実力は認めている。あの方の為なら私も喜んで力を貸そう。だが、貴様…何か企んでいるのではないか?」


 探るような視線を受けて、レベッカはキョトンと目を丸くする。やがてにんまりと口端を吊り上げた。


「ボクは、彼女の事しか考えてないよ」


 眉尻を下げ、何処か寂しげな表情を浮かべてレベッカは答える。その表情に未だ不信感を抱きながらも、深く息をついて頷いた。


「あくまで、主の為だからな」


「分かってるよ」


 渋々ながらも承諾したミフネに満面の笑顔を向けてレベッカは相槌を打った。


「さて、ボクは施術の準備があるから皆は食事でもして、ゆっくり休んでて」


 三人を見渡してレベッカは不敵な笑みを零した。


 夕暮れの近づいた外は今だ、吹雪が吹き荒れている。それは、これから始まる出来事を予兆するかのように大地を白銀に染めていた。





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