ー第三章~旧友との語らいの果てに
西棟を後にし、東棟に戻ったフィーロは残りの仕事を片付け、荷物を手に図書館へと向かう。
東棟から出て、中庭の中にあるステンドグラスの施された両開きの扉を開けると、広い室内には本のびっしりと詰まった書棚が整然と並んでいた。
扉の正面には中央に二階、三階部分へと続く螺旋階段があり、一階部分には百万点に及ぶ蔵書を閲覧する為の長机や個人用の机、ソファが配置されている。
そのうちの一つ、入口近くの席に待ち合わせの人物は腰かけていた。
「ナルカミ君」
友人の名を呼び、フィーロは小走りに駆け寄る。
その声と自分に近づいてくる足音に気づいてシンヤは目を落としていた文庫本から顔を上げた。
「早かったですね」
「たまたまだ」
読んでいた文庫本を閉じて小脇に抱え、シンヤは腰を上げる。
「そういやお前、番犬はどうした?」
シンヤの問いかけにフィーロは苦笑する。番犬とはランスの事だ。
「どうして皆ランスの事気にするんですかね...ランスなら今は大学です。錬金術師になる為に」
「ああ、そうか...何となく、いつもくっついてるイメージがあるからな」
旧友であるシンヤはフィーロやランス事情もある程度は知っている。ランスがフィーロのサーヴァントで、フィーロのサポートをより強固なものにする為に医学や錬金術の術を学んでいる事も。
「外れてないですが、巡回中じゃあるまいし。四六時中一緒にはいませんよ」
苦笑するフィーロに顔を寄せ、シンヤはニヤリと意味深に笑う。
「けど、お前になにかあれば飛んでくるだろ?」
「まあ、サーヴァントは運命共同体みたいな所がありますからね...」
ランスの話をしていると、今頃くしゃみの一つでもしているんじゃないかと思えてくる。
その様が何となく想像できてフィーロは可笑しくなった。
「さて、行こうか」
椅子をテーブルに戻し、文庫本を軍服の懐に仕舞ってシンヤは図書館入口の方へ爪先を向ける。
その後をフィーロが着いて行こうとした時。
「聖都の二大ホープが揃って何をしてるのかなあ~」
間延びした声にフィーロとシンヤは中央にある螺旋階段の方へ同時に視線を送る。
螺旋階段をまるで舞台の役者のように降りてくるのは、窓から差し込む斜陽の光に燦然と輝く金色の癖毛を揺らし、空色の瞳を子供の様に無邪気に輝かせた男。
年はフィーロよりも、シンヤよりも少し上の三十前後。だが、どこか子供っぽい笑みを浮かべた男は親し気に二人の元に歩み寄った。
「ヒューイ」
「ごきげんよう、フィーロ、シンヤ。珍しいね、二人でこんなところにいるなんて」
ニコニコと笑みを零しながら階段を降りて歩み寄ってきたのは、フィーロとシンヤにとって馴染みのある人物だった。
かつて、共に同じ師の下で学んだ兄弟弟子。ヒューイ・フォン・ルーズヴェルト。
現在は専属退魔師としてこの聖都の教会に努めている、フィーロとシンヤの兄弟子に当たる人だ。
「ヒューイこそ久し振りですね。相変わらず元気そうで」
「俺は昨日も顔を合わせたからあまり会いたくなかったんだが...」
弟弟子達からの正反対な反応にヒューイは苦笑する。
「あはは、二人ともいい反応ありがとう。で、二人は何してるの?」
「これから、二人で飲みに行くところだったんですけど、ヒューイも行きますか?」
フィーロがヒューイを誘ったのにシンヤは一瞬嫌な顔をする。だが、そんな彼は無視してヒューイは何事もなかったかのように会話を続けた。
「いいのかな?二人で行こうとしていたんじゃないの?」
「まあそうなんですけど...僕がナルカミ君を誘ったので、ヒューイもどうかなと」
チラッと、フィーロはシンヤを見遣る。
少し不機嫌そうな顔をしつつもシンヤは「どっちでもいい」と呟いた。
「ふーん。じゃあ、暇だし行こうかな。丁度お腹も空いてるし」
わざとらしくヒューイはそういうと、嬉しそうに笑みを零し、フィーロとシンヤの後ろに回ってその肩に腕を回した。
「わあ」
フィーロとシンヤ両方から驚きの声が零れる。
そんな二人の肩を抱いたままヒューイは満面の笑みを浮かべて入口の方へ歩き出した。
「それじゃあ行こうか。そういえば、フィーロは巡回帰りだよね?なら、今夜は私が奢ろう。好きなだけ飲み食いしたらいいよ」
「いいんですか?」
思いもよらぬ申し出にフィーロとシンヤは声を上擦らせて聞き返す。
「いいよ、いいよ。可愛い弟達だしね。その代わり、フィーロ。旅の話を聞かせてくれる?」
フィーロとシンヤの頭をぐりぐりと撫でまわしながらヒューイはフィーロの方に顔を向けて小首を傾げる。
「大して面白くありませんよ?」
「大丈夫、私はフィーロが語る君の物語が大好きだからね。たとえ小さな話でも、それはそれで楽しめるよ」
笑みを湛えたまま優しく語りかけてくるヒューイの言葉に少し照れながらフィーロは「分かりました」と承諾する。
「よし、善は急げだ」
二人に覆い被さったままヒューイは図書館の入口に向けて歩き出す。
ヒューイに促されるまま歩き出したフィーロとシンヤは顔を見合わせ苦笑する。二人が思っていた事は殆ど同じだった。
まったく、この兄弟子の強引さには敵わない。
退魔師本部や聖天騎士団本部等がある中央省庁を後にしたフィーロ達は大通りで辻馬車を拾い、聖都の南側にある繁華街へとやって来た。
煉瓦造りの建物が主流の聖都。
聖都は重要な国家機関の集中する中央エリアを中心に東西南北にエリア分けなされ、それぞれがに特徴がある。
フィーロが居を構える東エリアは主に住民が住まう居住エリア。
そんの反対側の西エリアは産業や工場などが発達した工業エリア。
北エリアは主に魔族と呼ばれる者達や貴族が邸宅を構え、小高い丘に位置している。
最高指導者である聖王の宮殿より視線の高い位置に居住エリアを与えられたのは、先の大戦後、魔族との協定の中で今後彼等が人間を護ってくれるという盟約による取り決めであるが、聖王の配慮によるものと言われている。
そして、彼等が訪れている南エリアは飲食店や露店、市場などが賑わう繁華街として発展している。
左右には様々な店が軒を連ね、石畳の道には仕事を終えた役人や聖天騎士団の兵士、退魔師など様々な職種の者達が溢れていた。
飲食店の軒先には明かりが零れ、人々の歓喜に満ちた声が陽気な空気を作り出している。
四半世紀前まで大戦の混乱にあり、荒んでいた頃とは比べ物にならない活気にフィーロもシンヤも、ヒューイですら心が躍る。
だが、今尚各地で戦禍の爪痕は根深く残り、戦後とと呼ぶには未だこの国は危うさを含んでいる。
その事を知っている三人はこの繁華街はあたかも幻想の中にいるようにきらびやかに映った。
人込みをかき分けて、三人は『バッカス』というバルへとやって来た。
この店は、彼等がまだギルベルトの下でブラザーとして修業を積んでいた時代から通う馴染みの店だった。
何処にでもある、大きなフロアにカウンターとテーブル席の点在する典型的なバルだが、安くて美味い料理と豊富な種類の酒を目当てに退魔師や騎士団員の憩いの場であり、そこはフィーロ達にとっても寛げる空間だった。
「それじゃあ、フィーロの無事の帰還と、この国のますますの平穏を願って...乾杯」
「カンパーイ」
ヒューイの音頭に合わせてフィーロとシンヤはそれぞれ手にしたグラスを軽く打ち合わせ、三人同時にグラスの縁に口を付けて喉を鳴らしながら最初の一杯を流し込んだ。
程よく冷えたアルコールは、喉元を滑り落ち、全身に心地いい熱をもたらした。
「相変わらずフィーロはいい飲みっぷりだね。見た目だけならとても成人しているとは思えないけど」
「ほっといて下さい。半分は魔族と変わらない種族ですからね。まあ、この十五歳の見た目で外見の成長が止まってしまったのはかなり面倒ですけど...」
苦笑しながらフィーロはグラスに注がれた果実酒の水面に映る己の容姿を見つめた。
フィーロはもう直ぐ二十三歳になる。だが、その容姿は十五歳の見た目のまま時を止め、現在は全く成長をしていない。
ヴェドゴニと呼ばれるヴァンパイアの血を吸い、人間を護る存在として魔族と中立の立場にあるその種族は、この国のひいては世界の成り立ちに深くかかわる存在だ。
クリスタリア公国を有するこの世界は遥か昔、深い闇の中に一筋の光が差したところから始まったとされる。
最初に現れたのは満月であり、そこから一人の女神は降り立ち、自身の血から様々な見た目、能力を持った種族を生み出した。
クリスタリアの崇拝する神が『夜の女神』と呼称されるのはこれに由来する。
この世界でヴァンパイアが魔族の頂点にあるのは、血を糧にするという特徴から、女神の最初の子とされているからである。
人間がこの世に生み出されるのは最後から二番目で、女神がなんの特徴も持たない人間を生み出したのは、力を持つ魔族達を纏める為だとされている。
だが、力を持つ者は長い歴史の中で争いを繰り返し、神の最初の子であるヴァンパイアですら、人間に牙をむくようになる。
太古の昔。人間とヴァンパイアを中心として起こった大戦は熾烈を極めた。
その混乱を哀れんだ夜の女神は戦乱を鎮める為に一人の御使いを遣わした。
それが紅い天使と呼ばれるクルースニクでありこのクルースニクの子孫がヴェドゴニヤと呼ばれる種族になったと言われている。
全盛期、ヴェドゴニヤは魔族と人間の間を取り持つ中立の立場として現在の退魔師の様な役割を担っていたが、先の大戦以降、種族は減少している。
その希少な一族の一人であるフィーロは魔族の成人にあたる覚醒と呼ばれるプロセスを経ている為、見た目の成長は止まっていいても立派な大人なのである。
「ヴェドゴニヤも古い文献に従えば魔族の一員ではあるか...そこは太古の大戦で人間側に着いた時点で中立の立場だったり、結構面倒だよな」
この国の成り立ちやヴェドゴニヤの事を思い出しながらシンヤは眉を顰める。
「それがこの国の成り立ちであり、先の大戦の要因の一つでもある。今でこそ聖下が最高指導者として国を纏めて下さっているけど、またいつ魔族なり人間なりが戦争を起こすか分からないのが、このクリスタリアの抱える危うさだ」
注文した小麦粉の薄い皮にエビのすり身を包んであげた肴を摘まみ、ヒューイは神妙な面持ちで言葉を紡ぐ。
「そうならない為に退魔師や俺達聖天騎士団があるんだろう?ヒューイ、お前最近政治に首突っ込み過ぎて良からぬことを考えてんじゃないだろうな...」
豆を塩茹でした物を口に運びながらシンヤはじろりとヒューイを見据える。
フィーロと違い、聖都にある大聖堂に仕える専属退魔師であるヒューイはその出自が政治を担う名家である為、時折政治的案件にも関わっている。その点をシンヤは指摘しつつ内心心配をしていた。
「まさか?いくら僕が名門ルーズヴェルト家の人間だからって二十五年前に終結した戦争をほっくり返したりはしないよ...平和が一番だもん」
心外だとばかりにヒューイは子供の用に頬を膨らませる。
「まあ、少なくとも今は魔族と人間、ヴェドゴニヤが互いに手を取り合い、この国を回していますが...あくまであれは聖王聖下あってのこと。脆い事に変わりはないと思いますよ...」
二人の話に自分の意見を入れてフィーロは、グラスに注がれた果実酒を飲み干し、クラッカーにチーズとハムが乗ったカナッペを口に放り込んだ。
「同じヴェドゴニヤとしては、現聖下の次の代が上手く行く事を願うばかりです」
果実酒の暗紅色に浮かぶ自身の左右で異なる色の瞳をフィーロは静かに見つめる。
その言葉の意味をシンヤとヒューイはそれぞれ別な意味で受け止めた。
「やっぱり、同種ってのは気になるものか?」
「そりゃね、数が少ない分、その一員である事に変わりはないですから」
シンヤの問いかけにフィーロは自然と頷く。
「フィーロも色々思うと所があるから、心穏やかじゃないね」
ヒューイの言葉にはフィーロは素直に頷けなかった。
何処か含みのある物言いが気になったが気のせいだろうと意識するのを止めた。
「そういやフィーロ」
話題を変えるように切り出してきたシンヤにフィーロは「何ですか?」と聞き返す。
「お前、さっきブラザーやれって師匠に呼び出されてただろ?どんな奴が下についたんだ?」
「え?なにそれ」
シンヤが出した話題にフィーロは衝撃のあまりグラスを落としかけて寸での所で回避した。
「あ...それは...」
逃れようと僅かに身を引くが、噂好きのヒューイがグイっと身を乗り出してくる。その様は色恋話に喰いつく子女の様だ。
「巡回退魔師のフィーロがブラザーって、何それ?しかもギルのお達し?なになに?どんな子?」
矢継ぎ早に顔を近づけて質問攻めにしてくるヒューイからフィーロは必死な思いで顔を逸らす。
分かっている。この好奇心旺盛な兄弟子の追及からは逃げられないことを。
身体ごと自分に寄せてくるヒューイの圧に逃げ場所を奪われてフィーロは視線を彷徨わせてから、諦めたように溜息を吐いた。
「...あまり、公言しないでくださいね...」
ヒューイとシンヤ、二人だけに聞こえるようにフィーロは小声で念を押す。
その忠告にヒューイとシンヤは強く頷いた。
「実は...聖下と元帥閣下のご子息、ハンス・フォン・ロードナイト殿下のブラザーを僕にやれってギルが...」
耳打ちするようにフィーロは二人に相手の素性を明かす。
フィーロから告げられてビックネームにシンヤとヒューイはしばし沈黙した後、大声を張り上げた。
「なんだってー!」
「声が大きいですよ二人っ」
ここが庁舎の食堂でなくて本当に良かった。幸いにもバルであるここは、酒の入った客が殆どで、何処の席でもバカ騒ぎで賑わっている。二人の驚きの声は直ぐに掻き消えていて、特に注目を受ける事もなかった。
兄弟子達を制してフィーロは脱力しながら席に寄り掛かる。
フィーロからの話を受けてヒューイは自身の情報網から聞いた話を思い出した。
「そういえば、今年の退魔師中等科を卒業して高等科に進んだって噂は聞いていたけど、まだかブラザーをフィーロにやらせるなんて、ギルも大胆な事をしたね」
「なんで僕が選ばれたのか、意味分からないですよね?」
ヒューイの感想にフィーロは泣きつくように話を切り出す。
だが、それに意見をしたのはシンヤだった。
「でもそれって、お前が最年少退魔師で優秀だからじゃないのか?」
普通に考えればその理由が一番正しい。だが、フィーロはそれ以外に別な思惑が働いているような気がしていた。
「シンヤ、あのですね、僕はこれでも孤児ですよ?同じ種族とは言え、あっちは血統書付きのおぼっちゃまなんですよ?どれだけ身分の違いがあるか、同じ孤児の貴方なら分るでしょう?」
「そりゃ、分からなくはないけどさ...」
フィーロの力説に半ば押されてシンヤは困惑する。だが、自身も聖天騎士団の大尉として大隊を預かる身だ。部下には貴族出身者もいるから、一概には言えなかった。
シンヤとは対照的に、ヒューイは何か考え込むような様子で顔を俯けた。
「...でも、それってフィーロにとってはいい機会なんじゃない?」
「ヒューイ?」
唐突に発言するヒューイにフィーロは弾かれたように視線を移す。
「いや、ヴェドゴニヤってさ、先の大戦で数が減っちゃった分、いくら孤児と貴族の身分の違いはあっても、交流を持ってみるのはいい事なんじゃないかなあ、って」
何処か含みのある言葉だが、ヒューイの言っている事は真実だった。
「...前向きに考えますよ...承諾もしてしまったし」
「承諾したのか」
「ギルの圧に負けました」
半ば諦めた様子で言うフィーロにシンヤとヒューイはギルベルトの事を思い出しながら、苦笑した。
「ギルはいつもながら容赦がないね」
がくりと項垂れるフィーロの頭をヒューイはよしよしと撫で、シンヤは肩をポンポンと叩いて慰めた。
「なにかあればいつでも相談に乗るよ」
ヒューイの笑顔にフィーロは少しだけ笑顔を取り戻す。
気持ちを切り替えるようにフィーロはグラスに残っていた果実酒を飲み干した。
「さて、ここからはフィーロの旅の話を聞かせてよ」
ヒューイに促され、フィーロは頷いて荷物の中から一冊の手帳を取り出した。
「だは、気を取り直して...」
コホンと咳払いをしてページを捲り、語り部のようにフィーロは旅の話を二人に語り出した。
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