ー第二章~隠れ家図書館のヴァンパイア




 そこは、隠された図書館だった。


「私の名前は、アレク。分け合ってどこの誰かは今は明かせないけど、この図書館の管理人かな」


 屋敷のエントランスを抜け、短い廊下を抜けると、そこには壁一面に書物の納められた書架が広がっていた。


 孤児院にある図書館より、ずっと広く重厚なその空間は、まるで魔法使いの工房のように、薬に使うハーブが天井から吊るされ、丸いシャンデリアが吊るされている。


 窓辺にはソファとローテーブルが設置されていて、待合室の様だった。

 その向かいには、図書館のように受付のカウンターがある。


 こんな森の奥に何故そんな場所があるのかは分からなかったが、何処か懐かしさの漂う場所だった。


「さあ、おあがり」


 ソファに腰を下ろしたフィーロの目の前にアレクは焼き菓子と紅茶を用意した。


「あ...ありがとうございます...」


 おずおずとフィーロは右手を竹で編まれた籠の器に入ったクッキーに手を伸ばす。

 一口齧ると、セージだろうか、ハーブの優しい香りがした。


「君の名前は?」


「フィーロ...洗礼名はフィロフェロイです...」


「洗礼名が付いている...という事は、教会に住んでいるのかい?」


 アレクの問いかけにフィーロは小さく頷く。


 洗礼名はこの世界においては主に孤児が多く持つものである。

 ある事情で親と共に暮らせなくなった子供にせめて女神の祝福があるようにと、名前をもじったりして付けられる。


 成人して孤児院を抜けた者が、洗礼名を名字として使う事も多い。


「そうか...それは大変だね」


 紅茶のカップを傾けてアレクは目を細めた。


 目の前にいる子供は、白銀の髪に白いチュニックを着ている為か、儚い雪の妖精のように映る。


 今にも消えてしまいそうな印象だが、その身から滲み出る魔力は桁が測れない程だ。


(さっきの魔物も、この魔力につられてきたんだろうな...)


 頬杖を突き、クッキーを頬張っている子供を眺めながらアレクは内心思考を巡らせる。


「フィーロ、君は今幾つ?」


「あ、多分...10歳です」


 アレクの質問にフィーロはぎこちなく応えると、紅茶のカップに口を付けた。


 年齢を聞いてアレクはまた考え込む。


(...それなら、今からなら間に合うかな。覚醒を迎えてからだと色々面倒くさいし。前例ないけど、試してみる価値はありそうだし)


 ニヤリと、口元に笑みを浮かべてアレクは突然、グイっとフィーロに顔を近づけた。


 突然の事に驚きフィーロは肩を揺らし、左右で異なる目を大きく見開いた。


「ねえ、君は勉強は好き?」


「勉強...好きと聞かれれば好きです...一人で出来るし...新しい事を覚えられるのは楽しいから」


 それに、イジメられなくて済む。


「それなら、これから毎日ここにおいで?僕が君がここに入れるようにおまじないをしておいてあげるから。ここなら、君を邪魔する者は誰もいない。好きな事を浮名だけ出来るよ」 


 突然の申し出にフィーロは更に大きく目を見開いた。


「ここには、古今東西様々な書物が納められている。魔術の知識や錬金術なんかも学べる。もし君が望むならだけど」


 そう言って苦笑するアレクをフィーロは暫くじっと見つめた。


 警戒が解けていないのはアレクも分かっている。

 ここは、無理に押し通せば思う方向にはいかない。

 フィーロ自身が決断するのを、アレクは静かに見守った。


「あの...一晩、考えさせてもらえませんか?」


 口から出た言葉は、保留の願い。


「必ず明日、お返事をします...だから、」


 視線を彷徨わせ、きょろきょろと頭を動かしてフィーロは顔を俯ける。


「分かった。それじゃ、明日の同じ時間に森の入り口においで。待っているから」


 そっと、フィーロの頭を撫でてアレクは笑みを浮かべながら顔を覗き込んだ。


「ゆっくり考えていいからね」


 囁くような声にフィーロは小さく頷いた。





 その晩。


 自分の寝床に入ってもフィーロはなかなか寝付けなかった。


 森の中に見つけた自分だけの隠れ家。

 それは、孤児院で育つフィーロにとって初めて見つけた自分だけの居場所。


 あの建物を管理しているというヴァンパイアも悪い人ではなさそうだ。


「...」


 暗闇に閉ざされた天井を見つめ、フィーロは幼い胸に小さな決意を固めた。




「やあ、待ってたよ」


 昨日と同じ時間に森を訪れると、入口にアレクが待っていた。


「こんにちは」


 少しぎこちなく声を震わせてフィーロは目の前のヴァンパイアに頭を垂れる。


「こんにちは。良かった。来てくれて」


 フィーロの小さな肩に手を添え、アレクは森の中に誘うように歩き出す。


 昨日は気付かなかったが、図書館に向かう道は石で舗装され、まるで自分を導いているかのように真っ直ぐに伸びていた。


「あの、昨日はこんな道無かったですよね?」


 フィーロの問いかけに、アレクは視線を僅かに下に向けながら、ふふっと笑った。


「ああ、そうだね。昨日はなかった。というか、この道は選ばれた者にしか見えないんだ」


 そう言っているうちに、二人は図書館へ辿り着いた。


 昨日と同様に受付の隣にある応接セットのソファに腰を下ろしたフィーロの前に、アレクはティーセットを用意していく。


 その様子を横目に見ながら、フィーロは階段の下に広がる書架に視線を向けた。


 書架には昨日アレクが言っていた通り沢山の書物が納められていた。


「気になります?」


「あ...」


 不意に問われフィーロは驚いたようにアレクの方へ顔を向けた。


「別にじっくり見ていいよ。ここは、誰も邪魔する者はいないからね」


 まるで、自身の現状を見透かされているかのようなアレクの物言いに、フィーロは大きく目を見開いた。


「さっそく、見てきたら?」


 アレクに促され、戸惑ったように視線を彷徨わせてから、再びフィーロはアレクを見る。


 ニコリと笑うアレクが再び促すと、フィーロはソファを降りて欄干の下にある空間を覗き込んだ。


恐る恐る中央から下る階段をフィーロは降りて行く。


 絨毯の敷かれた一階に降り立つと、ぐるりと周囲を囲むように配置された書架に目を奪われた。


 それは、宝物を見つけたような気分だった。


 思わず駈け出して、書架に駆け寄ると、フィーロは一冊の本を手に取った。


 初めてその図書館でフィーロが手にしたのは、この世界の成り立ちを記した古い文献。

 装飾の施された金で文字を縁取るその表紙を開くと、セピア色の紙とインクの香りがほのかに立ち上った。


 立ったまま、記された古い文体の文章にフィーロは視線を落とす。


 その真剣さにアレクは関心を寄せる。

 その横顔に、かつて愛したヒトの面影を見出し、思わず口元を緩めた。


(ああ...やはりこの子は...)


 それは、昨日森で偶然出会った時から感じていた予想が、確信に変わった瞬間だった。


 それから、フィーロは時が経つのも忘れて、夢中で書物を読みふけった。


 時折、アレクに読めない字や初めて目にする単語を聞いては、その意味を噛み締める。


 気が付くと、時計の針は日没に近い時間を示そうとしていた。


「はい、これ」


 帰り際、アレクから手渡されたのは銀色に輝く一本の鍵だった。


「それはこの図書館へ入る為の鍵。森の血界も解いてくれるから、それがあれば迷わずここに来られるよ。私は毎日はここには来られないから、自由にするといい」


 掌に載せられた銀の鍵とアレクの顔を見比べてからフィーロは大きく目を見張った。


「いいの?」


「うん、君はここでもっと学ぶべきだ。だから、その鍵を上げるよ大切にしてね」


 優しく頭を撫でて微笑んだアレクにフィーロははにかんだ。


「...ありがとう...ございます」


 鍵を握り締めて礼を言ったフィーロの表情は興奮と歓喜に満ち溢れていた。



 それから、毎日のようにフィーロは森の図書館へと通った。


 初めはアレクのいない、気配のない書架に寂しさを感じたが、その図書館には古くから住む妖精や小さな魔物達がいて、彼等と次第に打ち解けて言った。


 そして、フィーロはある記述を見つけるのである。


「ねえ、フィーロは退魔師にはならないノ?」


 図書館に住み着いた妖精とこのクリスタリアの歴史に関する書物を読んでいた時の事。


「退魔師?」


 唐突に聞かれた問いにフィーロは目を円くした。


 丁度、開いたページに掛れていた記述が『退魔師』に関するものだったからだ。


「退魔師って、魔族と人間の調停役ですよね?」


「そうそう、唯一人間側で私達の声を聴いてくれる存在ヨ。フィーロはそれにならないノ?」


「フィーロが退魔師になれたら、きっと出世するわヨ」


「そうネ。きっと、私達とヒトの間を取り持ってくれるワ」


 肩や頭上で羽を休めた妖精達を見遣りフィーロはキョトンと首を傾げた。


「でも...退魔師になるには学校に行かないとならないんじゃ...孤児の僕には無理ですよ」


「あら?そうなノ?」


「なあんだ...残念」


 ひらりと周囲を飛んで妖精達はがくりと肩を落とした。


「フィーロは魔力も強くて、私達の事も受け入れてくれるから、絶対向いてると思ったのニっ」


「人間の世界は残酷ネ。なりたいものにもなれないなんテ」


「ならなら、アレクに頼んだらいいのヨ。あいつ、ヴァンパイアなんだからそれなりに地位がある筈ヨ」


「アレクさんに頼むのはちょっと...」


 苦笑いを浮かべてフィーロは、その話を逸らすように他の本を手に取った。


(退魔師か...)


 本の中に広がる美しい風景の挿絵を眺めながらも、フィーロの胸中は妖精達との会話が渦巻いていた。



 キイイと、受付のある二階の扉が開く音が響く。


 革靴の降りてくる音に階段の方へ視線を向けると、そこには丁度話に出ていたアレクが現れた。


「やあ、久し振り」


 アレクの登場に、妖精達はフィーロから離れて書架の中へと消えて行く。


 彼女達はアレクが来るといつもその姿を隠していた。


「こんにちは」


 本を閉じて立ち上がったフィーロにアレクは、そのままと手で合図をすると、ゆっくりとフィーロの傍に歩み寄った。


「来ていると思っていたよ。どう?勉強は出来ているかな?」


「それなりには...」


 本を読んでいるだけなので、これが勉強になるかどうか、フィーロには正直分からなかった。


 教会にある小さな図書室よりも知識は増えたが、まだそれが何かに役立つとは思えなかった。


「あの...アレクさん」


 ふと、フィーロはさっきの妖精達との会話を思い出した。

 退魔師になるには、本当に学校に行くしか方法はないのか。


「退魔師って、どうやったらなれますか?」


 フィーロが口にした問い掛け。

 それにアレクは雷に打たれたような衝撃を受けた。

 










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