第三章ー長い旅の始まり
森の中の図書館から足早に戻ってきたフィーロが真っ先に向かったのは、司教・ポールの部屋執務室。
ノックも忘れて転がり込むように執務室に飛び込んで来た小さな白い影に、机に向かっていたポールは大きく目を見開いた。
「フィーロ?」
「司教様、僕、退魔師になりたい!お願いします、推薦状を書いて下さい」
荒い呼吸を繰り返し、吐き出すにそう言ったフィーロの願いに、ポールは驚きを隠せずに思わず腰を上げた。
それは、初めての事だった。
この教会に人知れず預けられ、今日まで己の願いなど口にしなかった幼子が口にした言葉。
確固たる意志を宿した鮮烈な願いだった。
人のいない屋根裏に設けられた物置に近い空間の中。フイーロは小さな机に向かっていた。
その手元には様々な書物が積み上げあられ、一冊のノートが広げられていた。
食い入るように書物の内容を書き出していく。
「あまり根を詰めすぎるとまた熱を出しますよ」
背後から聞こえて来た声に、フィーロはチラッと肩越しに視線を送り、また机に視線を落とした。
「少し休憩しませんか?」
机の横から顔を覗かせて、ポールはフィーロの横顔を見つめた。
「お茶を持ってきたので。あ、他の子には内緒ですよ」
唇に人差し指を当てて片目を瞑るポールを見遣り、フィーロは彼が抱えたバスケットに視線を落とす。
ランチョンマットが掛けられた籠の中に入っていたのは紅茶の入ったポットと、何処から持ってきたのか小さなカップケーキだった。
「司教様...それ、ばれたら僕がまたイジメられるんですけど...」
じっとこの教会の最高責任者を見据え、フィーロは溜息を吐いた。
「大丈夫。私がここに居るのを知っている者はいないから」
机の横に腰を下ろしたポールは、早速とばかりにお茶の用意をしていく。
半ば強引にお茶の支度をしていくポールに根負けし、フィーロはぱたんと開いていた書物を閉じた。
机の上を片付けると、すかさずポールは机にカップや皿等を並べて行き、あっという間にティータイムの準備が整った。
更に置かれたベリーとチョコ、二種類のカップケーキのうち、ベリーの方を手に取った。
カップケーキを頬張りるフィーロを見つめ、ポールは徐に口を開いた。
「...フィーロ、推薦状の件ですが、週末には私の知り合いからも一通貰えそうです。これで私を含めて二通。推薦には十分でしょう。後は、魔力測定検査を受けて基準を満たしていれば、試験を受けられます」
真剣な顔でポールはフィーロと向き合った。まだ九歳という幼さでありながら、フィーロが口にした願いは生半可なものではない。
何故、フィーロが退魔師になりたいと言い出したのか。
その理由は敢えて聞かない事にしていた。
(いずれ、この子が退魔師になりたいと言い出す気はしていた...)
真摯な眼差しで幼いオッドアイの瞳を見つめながら、ポールは古い友人の事を思い出していた。
かつて、フィーロに良く似た少女を育てていた今は亡き友。
この教会でかつて司教をしていた男の事を。
「いいですか?推薦状が揃ったら、貴方はこの教会を旅立たねばなりません。森を抜けた先にある大きな街から、聖都に向かうのです。まずは見習い退魔師になる為の筆記試験に受からねば、道は開きません。誰も助けてはくれませんよ?それでも、貴方は行きますか?」
諭すような問い掛けに、フィーロは左右で異なる瞳で、真っ直ぐに育ての親を見つめる。
その双眸に宿るのは、揺るがない決意だった。
「はい、僕は自分の可能性を見つけたいんです」
「そうですか」
目を細め、思わず目元を潤ませて、ポールはフィーロの白銀の髪を優しく撫でた。
「いつの間に...こんなに大きくなってしまったんでしょうね、君は...不自由な腕と見えない目を持って尚、自分の道を見つけた君は、私の自慢ですよ」
「司教様...?」
「もし、試験に落ちても何回でも挑戦したらいい。その時はここに戻ってきてくださいね」
「お、落ちませんっ。僕は退魔師になるんだから」
カップケーキを頬いっぱいに頬張りながらぷくりと膨れたフィーロにポールは苦笑した。
「な、笑わないでください」
更にムキになるフィーロを見つめ、ポールは堪え切れずに肩を震わせて笑いだした。
「もうっ司教様!」
「ふふふ、ほんと、大きくなりましたね」
ついには声を出して笑いだしたポールにフィーロは呆れて口を閉ざした。
「司教様、なんか変ですよ...」
「さて、あまり邪魔してはいけませんね。勉強、頑張った下さい」
フィーロの頭を更に撫でてポールは自分の分のカップケーキを置いて、屋根裏部屋から降りて行った。
ぎしぎしと軋む梯子の音が聞こえなくなるまで、フィーロは出入り口の方を見つめていた。
ポールが言った通り、推薦状は週末にフィーロの元に届けられた。
それは、この教会から旅立つ事を告げるモノでもあった。
「フィーロ、準備は出来たの?」
孤児院の部屋でそれ程多くない荷物を纏めていたフィーロに声を掛けて来たのは、ポール同様に自分をずっと気にかけてくれていたシスターのリベラ・ランカスターだった。
栗色の癖のある髪に夕焼けのようなオレンジの瞳が印象的な彼女は、まだ二十代前半の若いシスターだった。
フィーロがこの教会に預けられたのと同じ年に、シスターになる為にやって来た彼女は、何かと世話を焼いてくれる数少ない理解者。
「大丈夫です。推薦状は持ちましたから。僕の荷物はそんなに多くないし」
リベラが用意してくれた自身の体格には大きいくらいの肩掛け鞄を軽く叩いて、フィーロは悪戯っぽく笑った。
「大きな街にはよからぬ輩も大勢います。貴方は良くも悪くも目立つから、私心配です。一緒について行きたいけれど...それは規則で出来ないから...」
「僕は大丈夫です。ちゃんと退魔師になるから」
「フィーロ...」
「リベラおねえちゃんも、頑張って立派なシスターになって下さいね。いつか、僕が立派な退魔師になって戻って来た時に迎えて下さい」
十歳には思えないその真っ直ぐな眼差しを受け止め、リブラは目元に滲んだ涙を指で拭い、はにかんだ笑みを滲ませた。
「頑張るのよ」
ふわりと、胸に抱き寄せられフィーロはそのまま静かに目を閉じる。
ずっと見守ってくれた温もりを忘れないように、その心に刻みつけるように噛み締めた。
濃い霧が朝焼けを鈍く光らせる早朝。
フィーロはずっと育ってきた教会から旅立った。
これが、果てしなく長い旅の始まりだとは、まだこの時は知る由もなかった。
教会のあった森から一番近い街にやって来たフィーロは、推薦状に同封されていた汽車のチケットを手に、聖都行きの列車に乗り込んだ。
地方から聖都に向かう人々でごった返した車内で、身体を小さく丸めて乗った生まれた初めての汽車は、あまり乗り心地のいいものではなった。
フィーロがクリスタリアの首都・聖都に辿り着いたのは、三日後のことだった。
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