ー第六章~浮かび上がる謎~
観光案内所で観光マップを貰い、教会に戻って来る頃には時計の針は五時を差そうとしていた。
北の大地の夜が訪れるのは早い。西の空には今日の最後の陽を山脈が呑み込もうとし、東の空には、三日月にも満たない細い月が顔を覗かせていた。
星々が輝き、家々の窓に明かりが灯り始める中、フィーロとアルシャは教会への帰路に就いた。
「六時には夕食ですので、時間になりましたら食堂に来て下さい」
部屋へ上がる階段の前でアルシャはフィーロに告げる。懐中時計で時間を確認してフィーロは頷いた。
「分かりました。今日はありがとうございました。アルシャ君」
「お役に立てて良かったです」
フィーロからの感謝の言葉にアルシャははにかんだ笑みを零した。
「それでは、後程食堂で」
「はい、後程」
言葉を交わし、小さな背中を見送ってからフィーロは階段を昇り始めた。一度ランスの様子を見たかったのと、休息も兼ねて真っ直ぐに、三階にある居室へと戻る。
「ただいま。ランス、起きてますか?」
居室の扉を開けながらフィーロは中にいるであろうランスに声をかける。
その声にランスは眠りの淵に沈めていた意識を浮上させ、ゆっくりと瞼を開いた。
「お帰り...」
身体を起こしながらランスは主人の帰りを出迎えた。少し深く眠り過ぎたのか頭がぼんやりしている。額を押さえながらなんとかベッドサイドに座った。
「大丈夫ですか?」
ランスが座るベッドサイドに近づきフィーロは額を押さえて意識の覚醒を促しているランスの顔を覗き込む。
フィーロの不安げな視線に気づき、ランスは大きく息を吐きながら顔を上げた。
「ああ、少しスッキリした。悪かったな、付いていけなくて...」
「それは気にしていません。今のところ戦闘は無かったので問題ないですよ」
向かいのベッドに腰かけてフィーロは小さく息をつく。
「それで、どうだったんだ、街の方は」
帰って早々のフィーロにランスは気のなっていたことを単刀直入に尋ねた。普段なら自分が着いて行って共に調査をしている所だが、今回は体調不良でついて行けなかった。自分が知らない情報のないように直ぐにでも把握しておきたかった。
「今のところこれと言って何かあるようには見えません」
「そうか...なら、俺が感じた昼間の違和感は一体...」
ツアーンラートの街に入ってからの体調不良の原因が分からずランスは眉を顰めた。原因さえ分かれば、自身で対処も出来るのだが。
「まあ、可能性としてある種の錬金術を使った魔法陣が発動している可能性もありますから。今後の調査次第ですね」
アルシャに案内をしてもらっている間に書き留めたメモを見返しながらフィーロは現状の報告をする。
「しかし、この大聖堂の司教様から正式に許可を頂けていないので、今日は“観光”しか出来ませんでした。やはり、勝手は出来ませんからね。土地柄上面倒くさい部分もありますから」
やれやれと溜息を吐いているフィーロにランスは「そうか...」と相槌を打った。
「ま、明日からが本番ですよ、ランス」
「了解。いつも通り頑張るわ」
右目でウィンクしてくるフィーロにランスが肩を竦めて応えたのと、居室の扉がノックされるのはほぼ同時だった。
コンコン、と扉に打ち付ける音にフィーロとランスは同時に表情を険しくする。だが、表情は直ぐに緩められた。
「失礼致します、フィーロ様、アンジェリカです。先程頼まれた資料をお持ちしました。
「資料?」
外からかっかた声の主が口にした内容にランスは小首を傾げた。
「出かける前に頼んでいたんです。シスターアンジェリカ、扉は開いていますからどうぞ中に」
ゆっくりとベッドサイドから立ち上がり、フィーロは扉に近づく。
フィーロの声掛けにアンジェリカはゆっくりとドアノブを回して扉を開いた。
穏やかな笑みを浮かべてフィーロは居室に入ってきたアンジェリカを出迎えた。
居室に入るなりアンジェリカは大事そうに胸に抱いていた羊皮紙の束をフィーロへ差し出した。
「急ぎの方がよろしいかと思いまして」
「急がせてしまったようですみません...大変だったでしょう」
羊皮紙の束を受け取りながらフィーロは彼女に労いの言葉をかける。それにアンジェリカはふるふると首を横に振った。
「一刻も早くこの街で起きている事件を解決して頂きたいので。これくらいはお安い御用です」
「ありがとうございます。大切に使わせてもらいますね」
「よろしくお願いします」
「そういえば、司教様はもうお戻りになられましたか?」
話題を変える様にフィーロはここに到着してから会いたかった人物の動向を確認する。
「先程、出先より戻られました。夕食は共にご一緒出来るそうです。まだ帰還したばかりですのでご挨拶は夕食の席で失礼しますと」
「分かりました」
「私は夕食の支度がありますのでこれで失礼致します。もしまた何かありましたら遠慮なく仰って下さい」
「はい。その時はよろしくお願いします」
笑みを浮かべてアンジェリカは会釈をして居室を後にする。
扉が閉まるのを見届けてからフィーロはベッドサイドに戻ってきた。
「思っていたより早かったな」
アンジェリカが持ってきてくれた羊皮紙の束を見つめてフィーロは笑みを浮かべる。
「資料って...」
フィーロが受け取った羊皮紙の束を見つめ、ランスは眉を顰める。
「失踪者の情報提供をお願いしていたんです。何か共通点があるかもしれないので」
「ちゃっかりしてるな」
「これだけ広い街を二人だけで調査するのは骨が折れますからね。ましてや失踪者は聖職者。同じ聖職者同士でも本部に知られたくないことがあるかもしれませんし...こういう時は内部に協力者を募るのが一番ですよ」
にこりと、フィーロは不敵に笑いながら「現地の素材は上手く使うのも大事ですよ」と付け加えた。
主人の用意周到さにあっけにとれれつつもランスは内心納得する。フィーロが言っている事は間違いではない。
今回のは調査場所は土地柄上、聖都にある聖天教会の本部とは微妙な関係にある。
クリスタリア公国の北の工業都市でありながらこの地は、北のヴァンパイア王が古くから納めてきた領地でもある。先の大戦の開戦以前から人間側に味方をしてくれた北の王だが、聖天教会にどのような感情を抱いているかは分からない。この大聖堂の聖職者達も聖天教会というより、北のヴァンパイア王に忠誠を誓っているかもしれない。
そのような場所で協力者を早急に得ておくことは今後の保険にもなる。
ただし、その協力者が裏切る可能性も視野にいれておくべきだが。
ランスの危惧をよそに、フィーロはベッドサイドに腰かけて紙束を捲り、そこに書かれた文章を読み進めていく。
真剣な様子のフィーロをランスは黙って見つめていた。
ふと、文面に目を通していたフィーロの動きが止まる。眉を顰め、何かを考え込んだ後、突如としてフィーロは立ち上がった。
「どうした?」
突然立ち上がったフィーロの背中をランスは目で追いながら問いかける。
それには答えずに、ずかずかと居室に設置された机の方に向かったフィーロは机の上にアンジェリカが持ってきてくれた資料と、街に出かけた際に観光案内所で貰った観光用の地図を広げて置いた。
フィーロの様子に何かを察したランスはベッドから降りて同じく机の方へ歩み寄った。
「何か見つけたのか?」
「.........」
机に広げた地図を難しい顔で見下ろしているフィーロを、ランスは横から覗き込む。
手元を覗くと、フィーロは何やら地図の上に×印を付けていた。
「聖職者が失踪した場所を、この観光マップに当て嵌めてみたんですけど...見てください」
そう言ってフィーロはランスに×印を付けた観光マップの方を見せる。そこにはイラスト付きで何かのモニュメントであろう銅像が表示されていた。
「これは?」
「この街には、大戦が起こる前後位の時期に起こった悲劇の人形遣いの伝承があるんです。これはその伝承を伝える為に設置されたものです」
そう言ってフィーロは、手短にツアーンラートの街に伝わるマティアス・クロックの伝承をランスに説明する。
「この銅像の設置場所と、街の全体図の位置関係を当て嵌めると...」
更に観光マップの銅像の場所を今度は失踪者の資料についてきた地図に当て嵌め、×印を線で繋いだ。
すると、浮かび上がったのは、街の形に沿うような六角形。
ツアーンラートの都市は、外敵の侵入を防ぐために、六角形の外壁で囲まれている。その更に中央は六角形の広場があり、その頂点に当たる場所には街の伝承である人形遣いの青年の物語を伝える銅像が配置されていた。
「この銅像、普通の街の地図だと乗っていなかったから、失踪者のいなくなった現場の共通点がいまいち分からなかったんですが、観光マップだとばっちりイラスト付きで載っていてとても分かりやすくなりました」
「六角形...何かの結界か?」
地図を覗き込みランスは自身が思いつく範囲の見解を述べる。それにはフィーロも同意見らしく、こくりと頷いた。
「僕もその線だと思うんですけど...さて、犯人の目的はなんなのか...」
地図を見下ろしながら胸の前で腕を組みフィーロは思案する。
「こういうの、大抵は街を魔族から護る役割が強いけどな。この街に魔族から護りたいものがあって、犯人はそれを狙っているとか?」
「そこまではまだなんとも言えないので早急に調査をしないと。...なんせ、既に四人も犠牲者が出てますからね」
地図に付いた×印は四つ。銅像は六つ。
もし、この銅像が何らかの結界の役割を担っているなら、あと二人消えれば何かしら起こるという事だ。
あえて犯人の目的を達成させた方が真相に手っ取り早く近づくが、リスクを考えるとそうも言っていられない。
「退魔師が常駐していないのが仇になりましたね...普通、退魔師なら結界に何か起こっていれば直ぐに気づきますからね」
「逆に退魔師を常駐させていなかった理由を考えてみるのはどうだ?」
ランスの提案にフィーロは「ふむ」と頷いて手帳の真っ新なページを開いた。
「退魔師が常駐していない。巡回退魔師が訪ねてすら来ない...つまり、それには理由がある」
手帳に箇条書きで書き出されていく推論。
「北のヴァンパイア王の領地に隣接していることからの北王への配慮か、あるいは北では古くから魔族による襲撃がないために必要ないと判断されたか。もしくは、北王の申し出か...いや、退魔師がいると都合が悪いか...」
書き出しを行いながらふと、フィーロは昼間にアルシャから聞いた伝承を思い出す。
「そういえば...例の伝承の中で最期、マティアス・クロックは禁忌を犯して退魔師に処刑されいるんですよね」
フィーロが思い出した内容を聞き、ランスは思わず訝しんだ。
「退魔師に処刑された?そのマティアスって普通の人間だろ」
「ええ、絡繰り人形の作り手ではあったようですが、恋人を戦争で失った事に嘆き、錬金術にある魂魄蘇生の術を研究し、それが成功したかどうかは定かではないですが、それが原因で退魔師に処刑されています」
「錬金術の禁忌を犯して処刑された話はよく聞くが、そこに退魔師が出てくるなんておかしいだろ」
これまでの会話と己が知りうる知識とを照合してランスはあり得ないと連呼する。
これにはフィーロも疑問を抱いていた。
「普通、そういう処刑は聖天騎士団か処刑人の仕事だろう。退魔師が人間処刑した話なんざ今まで聞いたことないぞ」
「そうなんですよね...しかも、この伝承が起こったとされる年代、クリスタリア公国は魔族との間に緊張状態にありましたし、退魔師が大頭してくるのは先の大戦が終盤に差し掛かったつい最近。百年前の退魔師はまだ今の聖天騎士団の中の従軍神父の意味合いが強かった頃ですし...魔族退治もしてましたけど、そこまで権限はなかったような...」
過去の歴史のくだりを思い出しながらフィーロは、手帳にトントン、ペン先を軽く打ち付け、首を捻った。
「妙だよな...」
ランスもまたフィーロ同様に眉根を寄せて小首を傾げて考え込んだ。
「はあ、早く調査権限ほしい。机上の推論じゃ手掛かりが少なすぎます...もっと、この街の歴史的背景を調べないと...」
うだうだと現状をフィーロが嘆き始めた時、コンコンと、再び居室の扉がノックされた。
「ランス、出てください」
「はいはい」
フィーロの命に従い、従者らしくランスは扉の方へと向かう。
「はい」
返事をしながらランスは少しだけ扉を開いて隙間から廊下を覗き込んだ。
「失礼致します。お食事の用意が整いましたので、食堂へご案内します」
廊下に立っていたのは昼間アンジェリカと共に協力を申し出てくれたフランチェスカだった。
「ああ、フィーロ、飯だって」
扉を開いてフランチェスカを迎えながらランスは資料をカバンに仕舞っているフィーロの声をかけた。
「シスターフランチェスカ。わざわざありがとうございます。アルシャ君からは六時に食堂へ来て欲しいと言われていたのですが、もうそんな時間でしたか」
フランチェスカの方に歩み寄りながらフィーロは懐中時計で時間を確認する。すると、時間は五時半を少し過ぎた頃だった。
「司教様が夕食の前にフィーロ様にお会いしたいと仰られまして、少し早めに
食堂へ降りてくるようにと」
フランチェスカが伝えてきた事柄に、フィーロは内心心を躍らせた。まさしく待っていた瞬間である。
逸る気持ちを抑え込みながら、聖職者らしい穏やかな笑みを湛えてフィーロはフランチェスカに微笑みかけた。
「そうですか、では、よろしくお願いします」
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