幕間Ⅰ
師との語らい
ツアーンラートでの聖職者失踪事件を無事に解決したフィーロは、首都である聖都に戻る最中、サーヴァントのランスと共にある場所を訪れた。
そこは、この世界の何処かにあるとされる場所。
一枚のベールの向こう側。神々が住むとされる幽玄の空間。
太い枝の伸びる一本の大樹。その枝に小さな小屋があり、その戸板をフィーロはノックした。
「よう、久し振りだな」
扉を開けて出て来たのは深紅の長い髪を緩い三つ編みに編んで胸元に垂らした二十代半ばの青年。左右を合わせるような詰襟に近い絹で出来た衣に裾の広がった白いズボンを纏う何処か異国情緒のある出で立ちの彼のその瞳は紅玉の如く紅く、背には深紅の翼を生やしていた。
クルースニク。
この世界の守護者にして、悪しき魔族の死を導く死神。
ヴェドゴニヤにとっての先祖である存在。
フィーロにとっては師匠であり、相談相手でもある、自分と同じ境遇の人物。
「ご無沙汰しております。師匠」
出迎えてくれた青年にフィーロは穏やかに微笑みかけた。
「まああがれよ」
青年ーレビンに促されフィーロとランスは小屋の中に足を踏み入れた。
「今日はどうした?」
小屋に入り、ソファに座るように促されフィーロとランスは並んで腰を下ろした。
「レイジ、茶を用意してくれ」
小屋の二階にレビンが声を掛けると、吹き抜けになっている二階から更にもう一人、少年が顔を覗かせた。
年は十代半ばくらい。金色の髪に同じく金色の瞳をした彼は、ランスと同じライカンスロープで、レビンのサーヴァントである。
レイジと呼ばれた少年は、身軽に一階へと飛び降りた。
「はいはい。仰せのままに、マスター」
恭しく一礼し、レイジは小屋の裏手にパタパタと走っていく。
その小さな背を見送ってからフィーロは師であるレビンに話題を切り出した。
「今日伺ったのはこれの調子を診て頂きたくて...」
憚るようにフィーロは袖を捲り、自身の左腕を差し出した。
赤黒く変色した異形の腕。先の任務の頃から不調の出ていたそれをフィーロはレビンの目に晒す。
「お前、また無茶してやがるな...もっと血を吸わせないといつか自分が食われるぞ」
フィーロの左腕を取り、眉根を寄せてレビンは苦言を呈した。
「最近求める量が増えています。これ、どうにかならないんですか?」
「クルースニクになる者は多くの血を得る事も大事な修行だ。それは、自分が
レビンの助言にフィーロは眉を寄せる。
分かってはいるのだが、誰かの血を糧に生きるのは正直苦手だった。
「いいかフィーロ、お前はいずれこの世界の守護者・クルースニクになるんだ。この腕を持ち、左右で異なる瞳を宿して生まれた以上、その宿命からは逃れられない。ヴェドゴニヤにとって先祖返りたるお前に期待する声は多い筈だ」
「それはまあ...」
「まあ、まだまだ未熟なのは理解してるし、俺の頃と違ってお前がクルースニクだと自覚したのもある程度成長してからだからな...本当ならこの間の戦争の時に生まれていても不思議じゃなかったんだけどな...」
自分の頃と比較してレビンは首を捻る。
本来、クルースニクの世代交代には大きな戦争が付き物で、レビン自身も魔族と人間の大きな戦争の頃に生まれ、クルースニクとなった。
フィーロのように平和な時代になってからの登場は稀であり、特出した事例だった。
「何かしら意味があるのだろう?それは」
茶器を盆に載せ、裏から戻って来たレイジはテーブルに茶を置きながら意見する。
「何かの凶兆でない事を願うしかねえか」
茶の入った取っ手の無い丸い茶器を持ち上げてレビンは茶を啜る。
「んじゃ、さっさと治療してやるか。ランス、お前はよく見とけよ。こいつ治療系の魔術はからきし苦手だからな。お前がこれからサポートしてやんないとクルースニクに昇華する前にくたばるぞ」
「心得てます」
「師匠もランスも大袈裟過ぎません?」
二人に言われてフィーロは憮然と頬を膨らませる。
そんなフィーロを半分無視してレビンは自身の左腕をフィーロに翳す。彼の腕もフィーロと同じく異形の様相を成していた。
瞼を閉じ、深呼吸をしてレビンはフィーロの左腕に自身の魔力を流し込んでいく。
淡く光を帯びて左腕を包み込む魔力は柔らかく温かく、何かに抱かれているような安心感を与えるものだった。
それまで強張り、僅かに痛んでいた左腕の痛みが消えていく。
その感覚にフィーロはホッと息を吐いた。
「うむ、これでいいだろ。お前、紫電の魔女を送ったのか?」
左腕の袖を直しながらフィーロは頷く。
今の施術で師匠に自分の体験した記憶が流れ込んだらしい。
「ええ...彼女は、恋人に天で会えたのでしょうか?」
自分で送れはするが、その先、魂がどうなるのかフィーロは知らない。
死者の魂は果たして何処へ行くのだろう。
「珍しいな。お前が自分で送った奴の末路を知りたいなんて」
「少し気になっただけです。その...後学の為にそろそろ知っておくのもいいかなと...」
ニヤリと笑いかけてくるレビンからフィーロは目を逸らす。
「そうだな...分かったら教えてやるよ。長年封印という形で現存していた魔女の幕引きをしたご褒美だ。今度、母上に訊ねてやる」
「夜の女神に?」
フィーロの問いにレビンは不敵に笑いながら頷く。
「これくらいはいいだろう」
ニヤリと笑うレビンにフィーロは少し感謝した。
「ここで、少しマメ知識だ。魂は一つ一つその生涯が一冊の書物として、神々が住まう世界の図書館に保管されているらしい。俺も数度しか会った事がないが、そこの館長はかなりの曲者だぞ」
「へえ」
レビンの話にフィーロは関心を寄せる。
魂の書物を所蔵する図書館。
それはどのような物だろう。
そんな想像に思いを巡らせながらフィーロはレイジが用意してくれた茶を口に運び、喉を潤した。
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