クロニクル・テンダー~時代(とき)の護り人~

夜桜 恭夜

クリスタリア公国編

第一幕:退魔師フィーロと人形遣いの街

~Prologue~


 その時、僕の目の前に舞い降りたのは、真っ赤な翼を背に生やした、紅の天使だった。



 血肉の焦げた臭いと硝煙の香りの中、呆然とフィーロは周囲を見渡した。

一体、何が起こったのか分からなかった。

 ただ分かるのは、さっきまで生きていた仲間の半数が屍と化し、退治を依頼された魔物は骨も残さず崩れ去ったこと…左腕と左眼に走る痛みだけ。


「どうして…なんで…こんなことに…」


 戸惑ったように辺りを見渡していると、不意に頭上から赤いものが降ってきた。

 おもむろに頭上を仰ぐと、視界に紅い影が映り込んだ。

 それは、紅い翼を背に生やし、漆黒のローブを身に纏った天使。

 その天使の名をフィーロは乾ききった唇を震わせて呟いた。


「…クルースニク…⁉」


 軋むような羽ばたきを響かせ、紅の天使は優雅にフィーロの前へと降り立った。

 翼と同じ紅の長い髪が硝煙の混じる風に揺れる。緋色に輝く瞳が呆然と目を見張るフィーロを見下ろした。


「…これはお前がやったのか?」

 唐突に訊ねられ、フィーロは狼狽えた。

「僕がこれを…?どうして…?」

 何故そんな事を訪ねられたのか、一瞬フィーロには理解出来なかった。今の状況に至るまでのほんの数分前の記憶がぼやけて思い出せない。混乱する記憶にフィーロは戸惑いを隠せずにいた。


 確か…依頼された魔物を倒そうとして…そしたら、逆に殺されそうになって…


 ズキっ。

 先を思い出そうとしたフィーロの左腕と左眼に激痛が走る。まるで、そのことを思い出すのを拒むように。


「思い出せないのか…無理もない」


 ゆっくりと地面に片膝をついた天使は、袖が焼け焦げて晒されていた赤黒く変色したフィーロの左腕に触れた。今にももげてしまいそうなその腕を天使は労わるように撫でていく。

 天使の端正な顔がフィーロの顔に近づき、真っ赤な唇が耳元に寄せられる。


「これは、お前がやったのだ」

「僕が…ですか?」


 突如として告げられた事実にフィーロは目を見張り、再び周囲を見渡した。

 炎に焼かれて黒焦げになった者、鋭利な刃物で身体を切り裂かれた者。既に本来の形すら留めていない者など様々だ。しかし、その殆どは今回派遣された総勢五十名近い退魔師達。その半数の人数をあの強大な魔物と共に自分が葬ったというのか。


 あまりに残酷な事実にフィーロは恐怖のあまり嗚咽を催した。

「ゴホッ、ゴホッ…オェ…ゔっ…クぅ…」

 肩を震わせて咳き込むフィーロの背中を優しく摩り、紅の天使は耳元に囁きかける。

「無理に思い出す必要はない…これから先、もっと厳しい事が待っているのだから…


 小刻みに肩を振るわせ、地面に吐瀉物を吐き出すフィーロの肩を天使は包み込むように抱きしめた。

 背中から伝わる穏やかな熱と優しい手の動きに誘われるように、フィーロの意識がゆっくりと遠のいていく。

 それに抗うことなくフィーロは意識を手放す。意志を失ったフィーロの身体は天使の腕に抱かれるように倒れ込んだ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る