第11話 ベレロフォンとキマイラ、セフェ・デコテとビダ、ジョナヤイインと人喰いエルク

『名状しがたい』注意報――この話は冒頭から文体がけばけばしく、改行が極端に少ない。


登場人物

―ジョージ・ウェイド・ランキン…息子を失った退役軍人、『ワンダフル・ピープル』紙の記者。

〈衆生の測量者〉サーベイヤー・オブ・モータルズ…強大な悪魔、リヴァイアサンの一柱。



【名状しがたいゾーン】

一九七五年九月、午前零時:原色的コントラストの位相におけるニューヨーク州、ロングアイランド南西部郊外、ジャーマンタウン病院廃墟


 さて、遂にここまで来たわけだが。ジョージは死を嘲笑うか、あるいは己が死と同化するかのような振る舞いでここまで歩いて来た。グロテスクな冒険はそろそろ終盤であり、最後に待ち受ける尋常なざらるものとの最終的な対決が待っていた。これは終わりであり、そして今後に向けての始まりとして踏み越えて行く地点でもある。残酷さの亜種、すなわち相手が単なる到達点だか通過点だかに過ぎないという事の証明。そうした真実の美しさは、現実に根差さずそれを婉曲的に作り変えようとする愚か者にとっての猛毒ですらあった。故に〈空を眺めスカイ・るものども〉ヴューワーズによって捻じ曲げられた地獄めいた実験体は、己に浴びせ掛けられるそれら有害性に抗うため、遂にその姿を見せる他無かった。さあ、出て来い。臆病者にもそれだけの矜持はあるはずだからな。

 ジョージは懐中電灯で前方を照らした。広がる闇の中から何かが這い出るようにして現れるのが見えた。最初の人間の子らを殺すために仄暗い領域より出ずる死の具現ワルンベのごとく、人間が本能的に感じる濃密な悍ましさを纏っていた。それの胴に該当する部位は巨大であり、しかし節々がそれぞればらばらの方向に曲がっていた。胴関節のそうした不一致さ故に歩行速度は遅く、そしてそれをこれまた不揃いで無秩序な関節を備えた七本の脚が支えていた。太さも長さも関節の数も違うそれら奇数脚によって歩く歪んだ芋虫のごとき怪物の顔面らしき箇所には腐敗した麺類のようなものが蠢き、それらの隙間には腐ったキャビアのような眼球が乱雑に散りばめられてこちらを覗いていた。その悪臭たるや今回の冒険の典型、すなわち納骨堂や腐乱死体よりも遙かに酷い、目や鼻や喉を突き刺すような刺激臭であった。やや硫黄と糞尿じみた風味も混ざった悪臭を放つその実験体は、汚らしい表皮を持つ胴の下部から、だらしなく何本も垂れ下がっては引き摺られる濡れた腸のようなものが地面に残す、ぬらぬらとした輝きをもってその気持ちの悪さを完成としているらしかった。腐ったシーボルト蚯蚓みみずのごとき色合いが与える印象は、さすがのジョージとてここ数日間に食事をした事を完全に後悔させる程に不気味であった。喉元が不意に熱くなり、濁流が口から溢れた。彼は可能な限り服に飛び散らないようにして吐き、しかし勢いよく吐く事で素早く立ち直った。

「悪いな、お前があまりに哀れで吐いてしまったようだ」

 ジョージは口を拭いながら睨め付け、相手の腐り切ったような目がきつい懐中電灯の光を受けて鈍く輝き、しかし目潰しには効果が無い事に落胆した。これまで側面的な怪物どもも照らしたのに眩しそうにしたりはしなかった。闇の中にいる生物にしては面倒な性質だなと思いつつ、殺すための準備をした。こちらは無手、相手もまあ、無手とは言えようか。その上でどう戦うか。相手の状態、機能、能力、性質――そこまで考えて、脳内がどんよりとした思考に支配されるのを感じた。先程まで跳ね除けていたあの腐ったスープの接触がまたあった。脳内に注ぎ込まれる腐敗した肉の感覚が炸裂し、凄まじい苦痛に再度襲われた。それが精神的か肉体的かは不明であったが、しかし不味い事をしたのはわかった。

〘お前は今のお前を崩すな。お前はお前であり、それ故にお前として今後も存続するのだ。お前自身を、あのようなつまらぬ虫けらに委ねてくれるな。お前は自己決定するべきであり、自己定義すべきである。それこそ敵に合わせてお前を捻じ曲げれば、その果てはあの愚かで話にならない実験体であるというわけだ〙

 そうだな、お前は油断ならない同盟者だが、嘘を言うのは嫌いらしいからな。ジョージはそれを素直に認め、己の失態の原因をはっきりと直視した。真実が差し込むと全ての腐敗が頭の中から消え失せ、彼は己を拘束するグロテスク極まる実験体の付属機関の触腕に襲い掛かった。己に巻き付いているそれの、肩の辺りをぎりぎりと締める箇所に対して頭突きを見舞いつつ、無惨な死を賜ってやろうと考えた。真実は既に相手に突き刺さっており、その威力故に触腕が陥没した。常人であれば耳にドライバーでも突き刺して聴覚を潰したくなるであろう悍ましい悲鳴が響き渡り、既に全ての側面を殺された哀れな黒幕の実験体は何故にかくも脆弱な者が、ただ真実を得たというそれだけでここまで強大であるのかと理不尽に思う他無かった。

「まだわからないようだな? 私はお前が持たないものを作っただけだ。私はどこかの異次元の悪魔と一緒にそれを実現した。私だけじゃない、あのとんでもない魔王に典拠した独立した残酷さだ。これはエッジレス・ノヴァとかいうどこかのバカには依らない、だからお前は残酷さで私と張り合う事ができない」

 ジョージは力強く立って、原色的コントラストの位相の廃病院に広がる闇の中を侵食した。自分自身を真実によって武装して再確立し、邪魔な干渉を全て焼き払い、その背後にいる魔王の全権大使のように振る舞った。これは効果があり、実験体に付着した怪異への猛毒は更にその効力を増した。ずきずきと痛むものが実験体の全身に広がり初め、三人の地球人を捻じ曲げて殺し、己の側面として事実上ロボットに作り変えたその愚か者は、己を著しく侵害できるものへの恐怖に駆られた。それは口からマイナス七〇度の燃え盛る老廃物を吐き出し、ジョージを刺殺しようとした。しかしジョージは動じなかった。彼は当然のようにそれを回避し、そして軽々しく空中前転しながら踵を相手のぐずぐずになった顔面のスパゲッティ的器官に打ち下ろした。激突の衝撃で実験体はよろめき、踵という毒針から注入された猛毒で顔面が蹂躙され、ドールの眷属の出産のような気色の悪い声を張り上げた。ジョージは相手に合わせて戦う事が真実を劣化させる事を知り、それ故に自分自身を確固たるものにして、相手を己に応対させる事を意識した。つまり彼は己こそが主導権を握る事をよしとした。これは不注意によって一度壊れかけた刃を今一度鍛え上げ、磨き抜き、ほとんど不壊のようにした。二酸化マンガン膨張隔絶装甲のごとく頑強な鍛え直された真実が襲い掛かり、猛毒の威力は何倍にも増した。

 ジョージは既に一つの真実を基盤にして多くの亜種を作ってきた。地上で最も恐ろしい肉食獣よりも強壮な怒りの側面を圧倒してから殺し、そしてついでにそれをモルモットのようだと笑ってやった。これは残酷であり、そして自立しており、側面の本体にとっても多大な効果があった。

 彼は膝蹴りと拳の連撃を何発か喰らわせてのろまな怪物を弱らせて、どうやって殺すかを思案した。一気に殺す事のできる手段は何か無いか。そしてジョージは怪物を力強く掴んだ。掴まれた箇所が萎びて、それはずるずると引き摺られた。ジョージは己がまさかここまで怪力を発揮できるとはと苦笑した。真実によって潜在能力というか、緊急時の力を引き出せているのであろう。なるほど、人間は決して弱・・・・・・・過ぎる事は無い・・・・・・・。彼はあの破られた壁の方へと近付いた。破片を打ち付けて通行できるようにした壁の隙間を通過し、引き摺って来た実験体の醜い頭部を隙間に置いた。膿を垂れ流すそれの腐った麺類のごとき顔に向けて、ジョージは猛毒の両手で壁の両側を掴んだ。

「お前の部屋に穴を空けた事は、さすがに謝らなければならないようだ。だからお前のために穴を戻してやるさ!」

 ジョージは皮肉っぽく言いながら穴を閉じ始めた。彼の猛毒と真実に抗えないグロテスクな襞はその腕力に負けた事で強引に閉じ、ジョージはそれを力強く実行した。藻掻き苦しむ草食恐竜のように呻くそれを無視し、彼は一気に打ち付けた。

 脳内に入ろうとしては打ち払われる接触が何を言いたいかはわかった――やめてくれ、お願いだから殺さないでくれ! 私だって犠牲者なんだ! 逆らえない奴らに散々やられて、それで…やめてくれ! お願いだ! 死にたくない! 悪魔に喰われるなんてそんな!

 ジョージは今一度本気で壁を本気で閉じさせて打ち付け、己の巣の素材で頭部を叩き潰された実験体は完全に死亡し、そしてその魂は魔王の饗宴へと捧げられる運びとなった。



詳細不明:リヴァイアサンの領地ドメイン


 そこは信じられないような領域であった。沸騰する液体が満ち、触腕を備えた強壮な何者かが現れた。巨大な者はあまりにも美しく、それは美しいにも関わらず美容に無頓着な〈空を眺めスカイ・るものども〉ヴューワーズとは異なり、しっかりとした美意識を持った麗人であった。異形の魔王の美しさをもろに浴びた実験体は心を半分破壊され、そして残り半分の心で己がこれから食される事を悟った。その絶望故に己のあらゆる機能を使おうとした。先程は真実に邪魔されてできなかった全てを試した。それら全ては、所詮魂のみの身でリヴァイアサンの領地ドメインに存在している無謀さを際立たせるのみとなった。

 そして膨れ上がる絶望が心を修復し、皮肉にも万全の状態で至高の恐怖に浸れる運びとなった。力強くあり得ない程に美しい蛸じみた触腕が巻き付き、嗅いだだけで通常の生物が『ハイ』による死を迎える吐息を浴び――ああ、牙が迫る! 無数の燃え盛る星々が! イス銀河の悪鬼どもとて恐れる口腔のスパイアが!

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