第50話 『いつもの』休日出勤
ジョージはなんでもないようにして人も疎らなオフィスを進んだ。己の席へと近付き、そこで必要な資料を探し、鞄に入れ始めた。特に何も無い、いつもの日曜日を装った――いかにも、独り身なので日曜出勤しても咎める家族はいない。
別にジョージは日曜出勤する必要があるわけでもない。長時間労働をして今後のキャリアに繋げる目的などない。
上司や周囲に強要されているわけでもない。ただ彼は、軍にいた頃から『これだ』と納得のいく仕事であれば精力的に、苦なく打ち込めた。彼にとって今の仕事は生活の糧として仕方無くやっている類いではない。
充実を感じており、趣味と呼びさえもできたかも知れなかった。だが恐らく彼が最もストレスを感じるのは、悍しい怪異との戦いであった――その過程で彼は、『急がなければ新たな犠牲者が出る』という重圧を感じる。
しかし決して止まる事は無い。殺すべきなら殺す、それだけであった。忌むべき闇どもを地獄に投げ入れるのだ。だが今はそれを、愚かな狩り人気取りに悟られてはならない。
その思考を隠してダミーを流し続けなければならない。己はただの新聞記者だと。そうこうしていると心に何かしらの苛立ちというか、そのような感情が混ざるのを感じた。
本気で怒っているわけではなく、下衆の下衆らしい嘲笑も混ざっていた。その理由は即座に理解できた。笑ってやりたいのを堪えてジョージはその場を後にしようとした。
そこで不意に同僚のモートが向かって来るのに気が付いた。広いオフィスだがすぐに目が合った。目を逸らすのは不自然であろうし、そのまま振る舞う事を選んだ。何やら心臓の鼓動が早まるのを感じた。
冷静になれ。己を保て。独立した残酷さという真実を発露しなくてもいい。ただ普通にしていろ。それでいい。
「やあ、珍しいね」とジョージは少し大きな声で声を掛けた。どうせ人は少ない。まあ普段のオフィスは逆に喧騒が凄いのだが。
「ちょっと忘れ物を」
「君もか? 私もちょうどね」
「いやいや」とモートは言った。「僕は違うよ、仕事関係じゃなくて上着を忘れたんだ。あれが無いと次の出勤に不安で。最近寒いから。そっちは仕事関係でしょ?」
「あ、ああ。まあね」
言いながら歩き始めた。モートとすれ違いつつ、そこで別れの挨拶を交わした。そうだ、何も無い。緊張も何も無い。平常のままだ。そしてその思考を隠せ。
ただの新聞記者ジョージ・ウェイド・ランキンを装え。敵はこちらを何も知らない。モートと別れた後はまた、友人の死に参っている風を装え。それでいいのだ。
ストレスを和らげるように心を整えた。見えない壁の向こう側から、手直しをするかのように。吐き気を催す邪悪に探知ができないよう、それを常に意識した。
精神的ステルス性と、その負荷についての慣れを心の裏側で受け止めていた。ストレスはましになり始めた。そうだ、そのままを保て。跳ね上がる事も無く、平静で。
平静のまま犠牲者の縁者を装うのだ。冷静に打ちのめされろ。架空の苦しみを作れ。それに浸れ。ジョージ・ヘンダーソンの死は確かに辛い。だがそれを利用しろ。彼もそれを望むはずだ。
そこまでして初めて、こいつを殺す事ができる。
涙が流れそうなのを堪えた。架空の苦痛の上で辛い雰囲気を纏い、地獄めいた気分に陥った。その様を俯瞰し、冷静に敵の出方を窺った。相手はやはり、再び歓喜を感じているのだ。
こちらが沈む様を見て喜んでいる。ではもっとおやつをくれてやるか。
ジョージは帰路に就きながら、その過程でやはりやや挙動不審に振る舞った。既にこれにも慣れてきた。すなわち誰かに心配されたり警官に呼び止められたりしない程度の塩梅を意識した。それを把握した。どの道、誰にも相談できない風を装った。
先程もケインとモートと偽りのやり取りをした。見ろ、私は不安を誰にも話さなかった。アパートに着いたら、そこでもっと喰わせてやるとしよう。廊下や階段で。誰もいなければやりたい放題演技もできる。
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