第30話 〈否定〉使い
悪意ある怪物がここで殺しを実施した――そう考えるだけでジョージから噴出した怒りの色が周囲の空間を歪め始め、大気は恐れ慄いた。
名状しがたい怪物を想像し、それを頭の中で殴って一時凌ぎとした。その様を見て姿を表さぬ魔王はこの世のものならざる美声で笑った。
〘そうだな、お前はそれでよかろう。怒りを無理に我慢しなくてもいい。俺が思うにそろそろ、お前が敵だと思っている俺の未来の晩餐の正体が見えてくるはずだ、恐らくはな。その調子で痕跡を探れ。何かがあるはずだ。完全に切り離した殺害などかなりの困難を伴うが故に、何かしらの痕跡はどうしても残るものだ〙
ジョージは今更だなと思いながら、己の怒りに支配された心で意外と冷静に調査を続けた。地面に直で触ってざらざらとしたその感触に何か変化が無いかを探した。
先程触った場所は恐らく犠牲者が死体として横たわった箇所のはずだ。ならばその近くに何かあっても不思議ではない。
ふと見上げれば吊り橋の巨大なケーブルが佇み、その向こうには悍ましい雲が渦巻いていた。
悪意ある何かの到来のごときその様に苛々しつつ、ジョージは歩道上に誰もいないのを確認しておいた。まあ歩行や通行の邪魔にはなりたくなかった。
車は彼の横を無数に通り過ぎて行き、それを見ているとここの犠牲者が置き去りにされているかのように思えた。
誰も彼女を見ようとしなかった。恐らくは、他の犠牲者達も『それなりの関心』を世間に持たれた後、『それなりの記憶』として埋もれていくのであろう。
それはどうにも我慢がならなかった。犠牲者達を殺した何者かを探し出して、再び歴史の川へと放流すべきであった。
人々の心の中で死者を生かすならば、そこに疑問や謎があってはならなかった。少なくとも殺人の犠牲者であれば、誰に殺されたかをはっきりとしておきたかった。
世の中の殺人事件は思った以上に真相がはっきりしない場合もある。
犯人が誰かがわからない場合も時折あるし、恐らく犯人であろう人物が捕まっても裁判でよくわからない事になったり、あるいは何故殺したのかの真相が永久にわからない事もある。
だが、己が関わる範囲であればそれは避けたかった。誰が殺したかを突き止め、そいつを殺してやろうと思っていた。人間ではない何かがその邪悪さをもってして殺したのであろうし――。
「――これは?」
ジョージは微かに残る黒い粉末に気が付いた。箒で払われた後のコンクリート上の砂のように微かであったが、確かにそこにあった。
煤かと思ったが、違う気がした。このやや錆びた橋の上で交通による振動を感じつつ、彼は魔王の助力を請うべきか迷った。
〘俺を誰だと思っているのだ? あのルリム・シャイコースのように言葉の揚げ足取りに終止して搾取するけちな詐欺師だとでも思ったのか? 俺はリヴァイアサンであり、強壮なる
ジョージはこの強大な悪魔についてわかった事があった。この実体は己がルリム・シャイコースと同一視されるのを嫌う。
ジョージはルリム・シャイコースについてはまだあまり知らなかったし、この怪異ハンターボランティアをやる上では今のところ優先度の低い調査対象であったが、しかし余程悪魔らしい悪魔なのであろうと思った。
〘しかし…ふん、これは…あまりよくないかも知れぬ〙
「何がだ?」とジョージは立ち上がって海峡側の柵に両腕を置いて前向きに
〘お前が殺したいと願っている輩はどうやら〈否定〉使いであるようだな。おお、そう言えばお前は恐らく〈否定〉と〈肯定〉は専門外か。結論から言うと、俺がその黒い残滓から読み取った力量から察するに、お前と俺が作り上げた独立した残酷さという真実では、この生意気な輩の力には勝てまい〙
「…何?」
ジョージははっとして視線を彷徨わせた。眼下では大量の水が流れており、風と騒音とが支配していた。見渡す限りあらゆる方向に高層ビルや繁華街が見え、この世界都市とその周辺部の巨大さが今となっては心強くさえ思えた。
ジョージはあの廃病院の奥で
己が持つ怪異に対する猛毒との相乗効果も見込め、そして残酷さを証明する事であらゆる悪影響に打ち勝つ力であると考えていた。
だが、それが通用せぬとは何事か。自信を大きく揺るがす衝撃が全身に走り、嫌な汗が滲んだ。
〘そうだな、簡単に言えば〈肯定〉であれその対極である〈否定〉であれ、同じ原理を有している。すなわちお前の場合、〈否定〉はより上位の〈否定〉には通用しない、という事だ。お前はお前自身で己を定義し、その真実が呪いや精神攻撃やその他の干渉を〈否定〉するのだ。だが、どうやら敵はそれ以上に格上の〈否定〉を有している。故に、お前は今一度、俺が与えた猛毒のみで立ち回らねばならぬというわけだ〙
ジョージは何故か全てを無駄にされたようにすら思った。あの強固で己とその大元の悪魔に典拠する力が通用しないというのは、どこまでも不安に思えた――そうか、たったそれだけの事か?
「関係無い。私はこの手でそいつを殺してやる。奴の狩り場がこの街全てであれば、私もそれは同じだ。奴がいるところは、全て私の狩り場になる」
それを聞いて魔王は愉悦のあまり気を失うかとすら思った。そうだ、それでいい。お前はそう在るべきだ。
〘いいだろう、お前はさすがというわけだ。それでこそ俺の最高の契約者であり、それでこそ俺の全権大使だ。後はそうだな、何故これらの犠牲者が犠牲者として選ばれたか、その基準を探ろうではないか。それを知れば、あるいはそれに近付ける可能性とてあろうよ〙
それは確かにそうであった。思えばジョージは、それ故に『何故彼らが殺されたのか?』という共通点探しに奔走していたのかも知れなかった。単に事件の連続性を探るだけではなく、一歩踏み込むための前提として…。
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