第46話 猛毒の釣り餌

〘お前も理解していると思うが、奴はジョージ・ヘンダーソンと共にいたわけだ。つまり俺が言いたいのは、お前があのバスにおいてあの人間と共にいた現場を奴に見られたのであって、奴はお前が再び現れればその件については警戒するかも知れぬ。ひょっとするとお前はあの人間の仲間なのではないか…というようにな〙

 ジョージは魔王がぞんざいに――そのつもりがあるかはともかく――もう一人のジョージを『あの人間』と呼んだのがどうにも気に入らなかったが、しかしそれはぐっと内に留めた。

 どうせこの高位の悪魔は彼の考えを読んでいて筒抜けであるから、あまり意味が無いとも言えたが。今はただ、先駆者の犠牲に哀悼を示しつつ交通機関を乗り継いでいた。

〘俺としては、お前がより一層『装う』事を助言しておこう。お前はそうだな…まあお前なら己の考えでそれを実行するであろうし、これ以上言う必要もあるまい〙

 ジョージと契約しているリヴァイアサンの一柱は妙なところで空気が読めた。まあ捲し立てず黙っていてくれるならそれでありがたかったが。

 実際にジョージはこのやや鬱陶しい助言を受けて、どうすれば魅力的な獲物――実際には罠のための疑似餌――に見えるかを彼なりに考えていた。

 己が亡きジョージ・ヘンダーソンと何かしら関係があるように見えたのであれば、それを利用してやればいい。


 ジョージはあのバスが停車するのを見た。周りには他にも乗車を望む人々がいて、この世界都市に地獄めいた呪いのバスが存在しているという事実はどうにも耐えがたかった。

 もうこれ以上誰も殺させはしないという熱い決意を胸の奥底で抑えつつ、傍目に見ても沈んだ様を見せつつ乗車した。

 バスのステップを登る際にも胸は高鳴らず、むしろ南極の夜のように凍結してすらいた。バスに入ってよく清掃された乗り物の匂いを感じたその時、彼は己を値踏みする何かを感じた。

 しかし彼の心は全く動じなかった。雪山が冬の間、極寒の世界を作り上げ続けているように、何者にも動じなかった。

 彼は単に、ショックを受けて打ちひしがれる様を演出したのだ。あたかもとても親しかった友人を亡くしたように、そしてその悲しみを誰にも打ち明けられないかのように。

 だがあくまで視覚的にはその様を『ある程度』に抑え、乗客が思わず声を掛けないように装った。スーツの上からグレーの上着を羽織って寒々しく見せつつ、心の中の冷たさを演出した。

 悲しみが胸の内で溢れ、まさに親友を亡くしたかのように。

 そしてそのように偽りを纏っていると、不意に得体の知れない精神的な蝕腕が心に触れるのを感じた。グロテスクな感覚であり、奇妙であった。

 精神をまさぐるこの世のものならざる何かの蝕腕が、心を探査しているのを感じた。だがジョージは全く気付いていないふりをした。

 魔王は特に何も言っていなかったので、恐らくこれは『常人では察知できない感覚』なのだと推測した。実際に〈衆生の測量者〉サーベイヤー・オブ・モータルズは悪魔らしい笑みと共に状況を見守っていた。

 魔王は己の存在を隠蔽し、それによってジョージが信じられないような彼方の実体と契約していると想像するのは難しかった。

 ジョージは無力で、悲しみに沈み、誰にもその心を打ち明けられない。そうだ、そうなのだ。恐る恐る探査していた不可視の何かが、人間を悍ましくも戯画化させたがごとき醜悪さに満ちた。

 餌に喰い付くはずだ、そうだ、来い。お前が好きそうな餌だぞ。まずは『よさそうな』所を見せておくのだ。

 詐欺で釣り上げるには美味そうなところを見せるのも重要だ。特に、このような名状しがたい飢えた怪物を相手にすれば。さあ、どうだ? 咀嚼してみたいか?

 笑わせてくれるな。お前はこれから最後の晩餐に向かうのだ。否よ、お前に喰わせるものは何も無い――魔王に喰われるという至上の恐怖以外にはな。

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